予鈴の最中、授業だと教師は声を上げた。生徒がせかせかと自分の席に戻っていく時、菅原は澤村の席にあたかも偶然ぶつかってしまったのを装って。席に着く澤村に小さな紙を手渡した。不思議に思った澤村が四つ折りにされた紙切れを開くと、そこには丸くて可愛らしい字で文字が書かれている。
『いっしょにかえろ〜!』
エクスクラメーションマークの横にはにっこりと笑顔のイラストが添えられている。そう言えば今日は定期テスト前で部活は無い。それなら二人でゆっくり帰って沢山話せるし。なんなら少し寄り道出来るなぁなんて思って、ちょっとだけ浮かれた。
定期テスト前だが、ほんの少しくらいならそう言う事をしたとて怒る様な人はいないだろう。それに澤村も菅原も、日々抜かりなく勉強している真面目な性格だ。数時間机の前にいなくたって、二人ともそれなりの点数は取れる。
快諾しようにも本鈴が鳴って、日直が号令を掛ける。起立、気を付け、礼で挨拶をして席に着くやいなや、机の中で携帯を開き。カコカコと手早くメールを打ち込んだ。
『帰ろう!途中でアイス買って食わない?ていうかこれ、さっき直接言ってくれればよかったのに』
メールを送るとその数秒か、一分後かには返事が返って来て。手の中で音も無く震えるマナーモードの携帯を、またコソコソと開いた。
『アイス食べたい!食べよ!つか一緒に帰るってこんなとこで言ったらみんなに知られちゃうじゃん、はずかしいし』
澤村が少し後ろを見れば、離れたところで彼女と目が合って。菅原はくすぐったそうに目を細めて、早く前を向けと顎で示す。黒板をガリガリと書く教師がこちらを振り返る直前、澤村は顔を正面に向けて、何事も無かったように涼しい顔をした。もう机の下の携帯からも手を離して、シャーペンを取った。
(…恥ずかしいって、一緒に帰るのが恥ずかしいのか?それとも、付き合ってるって周りに知られるのが?)
*
部活もないため、いつもより帰りは早い。その上、皆が教室で屯して楽しくおしゃべりをしている中、それぞれ抜け出して来た澤村と菅原は、大半の生徒よりも早く学校を出た。
まだ数人しかいない昇降口で上履きから靴に履き替える。そして友人同士を装いながら校門を出て、少し先まで歩いてから澤村は菅原の手に触れた。
「えー、大地クン、私とおてて繋ぎたいの〜?」
「ダメか?」
「…もちろんいいよーん」
手を握る彼の大きな手を握り返した。澤村は目をキラキラとさせて、嬉しそうに菅原を見る。そこそこ屈強な男から繰り出されるあまりに可愛らしい表情に、菅原は思わず吹き出してしまった。
「あはは、そんなにうれしー?」
「うん、めっちゃ」
「へへ〜、彼女冥利に、いや、スガ冥利に尽きちゃいますなぁ」
「スガ冥利って何…?」
そんな事を言う菅原も表情はニコニコで。とても嬉しそうな彼女を見ていると、より澤村の中に嬉しさが募った。
「ねー、どこ行く?坂ノ下?」
「いや、コーチも一応テスト期間の事把握してるし、寄り道絶対なんか言われるだろ。武田先生にチクられるかも」
「タケちゃん先生別に寄り道してめちゃくそにキレてくる人じゃなくない?軽めにジャブ一つくらいでしょ」
「ジャブて」
「ま、そんじゃちょっと遠出してコンビニですかね?何食べよっかなぁ!何食べたい?コンビニだと色々あるからアイス以外に目移りしちゃいそうじゃない?」
本来はアイスを買うつもりだったのに、なんなら既に色々なものに気を取られまくっている。まあ、この子が好きなものを買ったらいいやと思いつつ、澤村には全く関係のない疑問が一つあった。それはどこか懸念の様なものでもあって、あれやこれやと楽しそうに話す彼女に『あのさ』と切り出す。
「付き合ってる事、ずっと隠すのか?」
「…んー?」
「二年から付き合ってるだろ、俺たち。別にやましい事でもないし、隠す必要もなくない?」
「でもわざわざ言う必要もなくない?」
「いや、まあ、ないけど」
別に澤村とて教室という教室を巡り、言って回るつもりはないし。『彼女いるの』と聞かれて『いない』と答えるのがなんだか寂しかっただけなのだ。本当はいるのにと心の中で付け加えるのではなく、いるよと堂々と言いたかった。
菅原はそんな彼を見て、『んー』と考える様な声を上げる。それから『だってさ』と言葉を続ける。
「恥ずかしくない?付き合ってるのが関係ない誰かにバレて広がるの」
「…まあ、広がるか」
「広がる!めっちゃ広がる!なんなら後輩までいく!」
「スガもよく女バレメンバーと恋バナで盛り上がってるもんな」
「他人の恋ってゴシップだしね。エンタメだよ。でも、それって私達の恋も他の人にとってはエンタメって事だし、こっちは真剣なのに他人様に気軽に消費されるのちょっとやだ」
それを言ったらスガは完全に自分を棚に上げる事になってるけど。そう思ったが、口にはしない。これは菅原だけでなく、澤村とてそう言う事をこれまでにもしてきているはずなので。そう言うもんかって思う気持ちと、あわせて彼女がこの恋を真剣だと言ってくれている事にとても嬉しく思う気持ちが湧いた。
「まーそんなもんか、揶揄われて面白がられるな」
「そうだよ。だから一旦高校の時は秘密にしとこって」
「…じゃあ卒業したら、言いふらしてもいい?」
「…言いふらしたいの?」
「って訳じゃないけど、自慢はしたいかも。可愛い彼女いますよって」
「清水は知ってるから言っていいよ」
「…清水には、偶に話聞いてもらってる」
「もうしてんのかーい」
楽しそうにツッコミを入れて、ケタケタと笑っている。楽しそうな菅原に澤村も嬉しそうだ。
「ね、だから恥ずかしいから秘密で、どうしても離したい時は清水には言っていいよ」
「わかったよ」
澤村は頷いて、話題を変える。優しくて気遣いの出来る彼は、きっと今の言葉を破る事はないだろう。律儀に守って、時折清水相手に惚気る。そう言う男だった。誠実で、優しいからこそ、モテてしまう。
(…ほんとはね、私に嫌われる勇気がないだけだし)
本当は、それを知られて嫌われたくなかったからだ。女子バレー部には澤村を好きなチームメイトがいて。菅原だって頼れる彼女の事が大好きで、信頼をしていて。嫌われて関係もチームも終わるなんてそんな事を、したくはなかった。
もしそれを知られて彼女から男をこれ見よがしに奪ったなどと言われたら。これまで築いた信頼が一瞬で崩れて散り散りになって、砂の山として積もったなら。チームメイトを信じていない訳ではないけれど、そうなってしまう可能性だって否定する事はできなくて。菅原は結局、高校の間は隠し通す事に決めたのだ。恋をするにしても、友情を蔑ろにはしたくない、チームを自分の手で壊したくない、優しく一般的な回答だが。
(どっち付かずで、不誠実だと思うし。…失敗したらきっと、何もかも失ってしまうだろうし)
両方得る代わりに、もしもどこかでトチってしまったなら。どちらも失って一人になる可能性だってあるのに。そのリスクを背負ってまでも、菅原は黙るのだ。
「なんかアメリカンドッグ食いたくなってきてヤバい」
手を握る澤村はそんな事を言って、腹減ったと笑う。隣で呑気な彼を菅原は声を上げて笑って、彼の手を引いた。
「じゃ、アメリカンドッグ買いに行こー!」
「はは、そうだなぁ」
アイスからアメリカンドッグに変わったとて、行き先は変わらない。繋いだ手も、このデートすらも二人だけの秘密にして、菅原は友人達の前で素知らぬ顔をして笑うのである。
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