二人だけの朝ぼらけ

ふと目が覚めた。重たい身体を起こして、ベッドサイドの時計を見れば朝は五時直前だった。普段ならまだ夢の中なのに、何故だか目が覚めた。窓の外に目を向ける。
すっきりとどこか澄んだ空気の中、靄が街に掛かっている。ビルの輪郭はぼんやりと定まらない。多くの営みを日々孕む楼閣達は、静かにひっそりとその場に佇んでいた。普段はおそらく、見られない光景だった。
「チヒロ…」
ここは千鉱の部屋だった。昨夜か、今日か、日付の線引きは最早定かではないが、確かに夜に二人で肌を合わせていた。先日は伯理の部屋で、今日は千鉱の部屋で。どこで致すかなど特に決めてはいないため、その日によってどちらかの部屋で伯理は侍の体を弄っている。
ベッドから足を出し、立ち上がった伯理は部屋を出る。まだ開き切っていない目を擦り、廊下を歩いた。奥から沸騰するヤカンの高い音が聞こえて、音を頼りに足を進める。
台所に顔を出すと、既にコンロの前には千鉱が立っていて。すぐに伯理の気配に気付いたのか、振り返って首を傾げた。
「おはようハクリ」
「…あ…おはよ」
「身体は平気か?」
身体は平気だなんて、おそらくそれは伯理の台詞で。無体を働いたのはどちらかといえばこちらではないかと思いながら、大丈夫と返して『チヒロは?』と聞き返す。
「うん、平気だ」
「それなら、よかった」
「ハクリ、下履いて来た方がいい」
ベッドから抜け出してそのまま来たため、寝巻きのスウェットから下は完全に下着で。パンツを完全に出した状態で歩き回っていた。実家どころか、普段から一才した事のない下品な行動は、第三者が伯理に何かあったのではないかと推測するには十分で。この関係性だってこれ一つでバレる可能性も否定は出来ない。
伯理は指摘されて恥ずかしくなり、『すみません』と一言謝罪をしてそそくさと戻った。それから急いで床に落ちていたズボンを履いて戻る。
「どうですか!?これで!」
「…うん、良いと思う」
「よかった!」
「早いな」
「チヒロも早いね」
「うん」
目が覚めてしまったと彼は目元を緩める。おそらく寝起きのせいだけではない、気怠げな雰囲気にドキドキしてしまって唾を飲み込んだ。
「ハクリ、何か飲むか?」
「…俺、腹減っちゃった」
「じゃあ、一緒に食おう」
起き抜けの空腹に耐え切れそうにない。伯理は腹を押さえると千鉱は柔らかな表情で彼を見つめて。冷蔵庫から冷凍したご飯を取り出した。
「和食で良いか?おにぎりが食べたいんだ、俺が」
「なんでもヨシ!作ってくれるだけでありがたいです!」
「そうか。それと、卵焼きを付けてもいいだろうか」
「是非に!お願いします!」
「うん」
何か手伝おうかと近寄って。千鉱の腰をグッと抱けば。彼は口角をほんの僅かに上げて擽ったそうに笑った。
「座っていていい」
「そう…?悪いよ」
「気にするな」
千鉱にそう言われて伯理は近くの椅子に座る。どこか申し訳無さそうに背中を丸める彼に千鉱はお茶を出した。焙じ茶の匂いを嗅いで、思わず息を吐けば、千鉱は『おすすめされてしまって』と照れ臭そうに呟いて微笑んでいた。
「京都のブランドみたいだ」
「ほどほどの値段?」
「ほどほどのな」
「チヒロは飲んだ?」
「俺も今から飲む」
千鉱も自分の湯呑みにお茶を入れて、口を付ける。それを見て伯理も熱を持った湯呑みを傾けて、熱いお茶を少し口に含んだ。
「はぁ…うまいね」
「うん。美味しいな」
二人でゆっくりと息を吐いて、肩の力を抜く。開けた窓から吹き込む微風がお茶で温まる身体を優しく撫でていく。そんな感覚が、伯理はとても心地良かった。
「早起きっていいね」
「ハクリはいつもお寝坊だからな」
「シャルに上乗られて叩き起こされるもんね」
「今日は逆にシャルを起こして驚かせてやったらどうだ?」
「あはは!めっちゃいいなそれ!」
レンジで温めて解凍した二人分の冷凍ご飯のラップを外す。手を湿らせて、塩を摘んで掌に広げて。温めたばかりで熱々なご飯を手に取ってギュッと握った。あまりにも滑らかな慣れた手付きに感心しつつ、お茶を飲む。
「早起きって、いいよなぁ」
「…二回目」
「うん。本当に良いなって思ったし」
「どうしてだ?」
「チヒロと二人で、こんな穏やかな時間を過ごせるのが嬉しくて」
昨夜触れた体温も、密やかな彼の声も。重ねた秘め事全部愛おしく思うけれど。それと同じくらいこの時間が、伯理の中ではとても愛おしく思った。穏やかでゆったりとした朝靄の中、この世界がたったの二人だけになった様にも錯覚しそうになる。そうだったら素敵だと夢を見るだけなら、誰にも咎める権利はない。
「うん、俺も」
「チヒロも?」
「好きなんだ、ハクリと二人で過ごす事。安心するんだ。柴さんといる時とは違う感覚で」
彼らと自分のどちらが上かなんて質問は野暮だ。優しい彼にとっては誰も彼もが大切なのだ。それでも千鉱にとって、誰かを思い出す時には二番目くらいに自分であってほしいと伯理は思う。一番はきっと、彼の父なのだろうから。
「美味しい朝飯も、今日は俺とハクリの二人だけの秘密だな」
「秘密にすんの?」
「ああ。この卵焼きは出汁巻きだからな」
「じゃあ秘密だ」
キュッと形の整えられた三角の可愛らしいおにぎりには海苔が巻かれていて。その海苔を一枚、千鉱が静かに摘み食いをする。それを気付かないふりをしてお茶を飲む伯理の鼻に、出汁と卵の良い香りがして自然と口角が上がった。
朝の五時をほんの少し回った頃。まだ誰も起きてこないでほしいとそれぞれが密かに思いながら、安穏な時を過ごした。鳥の鳴き声と共に、二人の青年の声が朝の青空に溶けて消えた。

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