コンビニエンス・ランデヴ

真夜中にお腹が空いてしまって、キッチンで食べ物を漁ってみたけれど。ラーメンの空袋が見つかるだけで何も無かった。何でここに空袋があるのかとか、食べたなら捨てておけとか、そもそも誰が食べたのかとか。もう言いたい事は色々あったけれど、近くにあったゴミ箱に捨てて、息を吐く。
空っぽの胃からは腹が小さくくぅと鳴った。こんな空腹感では寝られないとは思えど、食べ物なんて何もないこの状況で。千鉱に出来る事なんてない。だから、せめて水でも飲んで気を紛らわせて寝るかとコップを手に取った時、欠伸を一つ、それから夜中にしてはそこそこな声量で『腹減ったぁ』と呟く伯理が現れた。察するに、千鉱と全く同じ理由で夜更けに拠点をほっつき歩いていて。二人でお腹減ったなぁと話をして、伯理がニッと目を細めた。まるで悪戯を思いついた子供の様な企み顔で、千鉱に耳打ちをする。
「抜け出しちゃお」
「え」
寝巻きのまま、靴を突っかけて外に出た。あまりの空腹に耐えられなかった若者二人は、誰にも内緒で外へ出る事にしたのだった。伯理に引かれるまま、恐る恐る外に出た千鉱は眉を下げる。何も無いのも不安だからと念の為腰に帯刀する刃の柄をギュッと握った。
「…いいのか?黙って出て来て」
「近くのコンビニ行って帰ってくるだけ」
「何かあったら…」
「柴さんいるだろ?それに走ればすぐに戻って援護出来る距離だしさ、何かあったとしても、どうにかは出来るはずだろ」
それはまあ、千鉱としても概ね同意だった。別に慢心している訳でも、舐めている訳でもないけれど。
およそ五分もしない場所に、個人経営の廃れたコンビニが一つある。拠点に何かあったとしても、そこは走れば十二分に間に合うであろう距離感だし、柴だって中にいるので、本当に最悪な事態と言うのは避けられる可能性が高いけれど。それはそれとして敵に対して対抗手段のないシャルを置いて二人で抜け出して来てしまった事実が、千鉱の罪悪感に繋がって。心配げな顔で千紘は頻繁に振り返った。
「早く買って帰ろうぜ」
「…ああ」
「こんだけ腹減りすぎたらもうなんか食わねぇと眠れねーし、空腹に苦しんで寝不足で朝を迎えるのなら、夜中に二人だけで抜け出して買い食いした方が良くね?」
そんな極論を並べて千鉱に同意を求める。千鉱もこの許可のない勝手な外出にもっともらしい理由というか、言い訳を付けたくて。伯理の口八丁に騙されたふりをして乗る事にした。『そうだな』と頷く彼も自身の空腹をどう満たすかという食欲と、真夜中に抜け出して大人の目を盗んでいけない事をするという背徳感に実のところ、ノリノリなのである。
古めかしい自動ドアがゆっくりと開いた。ぎぃぎぃと耳障りな音を立てながら、開閉するそれはもう変えた方がいいと思うのだけれど。老いぼれた店主は何もしない。今でさえ、珍しい来客に頭は動かさず、瞳だけを向けてすぐさま何の意味もなく天井を向いてぼぅっとしている。
「何買おー」
ワクワクとした様子で店内を闊歩する伯理の後ろを突いて行って。千鉱もあちこちと顔を向けて店内を見渡す。適当に目のついたパンを手に取れば、伯理は『それいいな』と笑って。自分もパンとカフェオレを取った。
「夜のカフェインは寝れなくなるぞ」
「え、でも甘いパンはこう言うのと食いたい」
「寝れなくなっても知らん」
「寝れなかったらチヒロに朝まで付き合ってもらお」
「絶対嫌だ」
「マジ寝かせない」
「最悪」
じゃあこれ払えよなんて言って、パンとコーヒーを押し付け。早々に外に出る千鉱に『えぇ…』と困惑した様な声を上げるが。結局仕方ないなと笑いながら、ぼんやりとした目の老人の前に商品を置き、財布を取り出した。
商品を買って店を出た伯理は外で待つ千鉱の元に駆け寄り、千鉱の分のパンを手渡す。それに素直に礼を述べた千鉱は伯理を目で促し、戻ろうと顎をしゃくった。
「あ、チヒロ」
「なに、ハクリ」
そう名前を呼んだ伯理は不意に千鉱の手に自分の手を伸ばし。その手を優しく握った。
「え、本当に何」
「チヒロの手、握りたいなって」
「なんで?」
「なんとなく?」
「なんとなくってなんだ…」
ぼんやりとした回答に千鉱も眉を顰めて首を傾げる。伯理はそんな千鉱とは対照的に、どこか満足そうに笑っている。
「離せ。見られたら恥ずかしいだろ。幼稚園児でもあるまいに」
「誰もいないだろ、こんな真夜中」
秒針だってもう、両方が真っ直ぐと上を差し示してから何度も動いているのに。こんな夜更けに自分達以外の人なんてそうそういないだろう。大丈夫だと笑う伯理に、千鉱は呆れ顔で息を吐いた。
静けさと闇が街を飲み込んで、それでも戦闘中の緊迫感よりは穏やかな凪いだ空気が脳天から指先までも包んでいる。ひんやりと冷えた風の中、ぎゅっと手を掴む伯理の手はやたらと温かく思えて、何だか少しだけ安心してしまうのが悔しかった。
「チヒロの手はなんかめっちゃゴツゴツしてんね」
「そりゃ」
刀を握ってタコと瘡蓋で荒れ果てた掌は、おそらく握り心地がいいとは到底言えないだろう。そんな手が嫌いだとか、悪いだとか、そんな事を思っている事は自分としても全くないが、そんな男の手を握る事の何が楽しいのかは疑問に思う。
「この手が俺を救ってくれたんだね」
「…お前を救う以上に、この手で人の命を狩り続けてる」
救うと言う言葉一つで、自分の行動を正当化する事だけはしたくはなかった。殺人は許されない事であると言う一般常識が、まだ自分の理性に備わっている内は正しくありたかった。その倫理観のネジを少し狂わせて、おかしい人のふりを千鉱はまだ続けなくてはならない。それが罰なのかもしれないと、父の遺作を握るたびに思う。
「でも俺はそれ以上に救われたと思ってるし、別にお前が誰殺したって俺は気にしないよ。だってその殺人はお前の大義で、責任なんだろ」
「…そうだな」
「俺はそうやって難しい事沢山考えてるお前の手を握りたかっただけ」
「なんで?」
何が彼をそうさせるのか。男の手を握る意味とは。首を傾げる千鉱に伯理は手を握る力を強めて、目を細めた。
「お前に救われた人間の存在を、お前に分かって欲しくて」
「ハクリ」
「俺はお前が奪った命以上に、俺は俺の尊厳も人生も、救われてるよ」
ゆっくりと、握る伯理の手に視線を落とす。自分のものよりも綺麗な彼の手は、何も言わずに足早にその場を去る事だって出来た千鉱をこの場に繋ぎ止めていて。
千鉱は目を伏せた。それから繋がれた伯理の手を、握り返す。
「うん」
子供の様な返事をして頷く。そんな彼は変化のない表情を、僅かながらのほんの気持ちだけ緩めた。少し下がった目尻は彼もまた伯理に救われたのだと推し量るには十分だった。

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