春が終わり、ハルが来る

身体が大きくなって、体格が大人に近づいて行くたびに、鬼太郎は私に少し冷たくなって行く。まあ、そりゃあ思春期と言うものは往々にして複雑なもので。私も鬼太郎と話すのは何だかとても恥ずかしく思うし、ドキドキするし、下手な事を言わないように必死に頭を回しながら、気を使って会話をしている。でも鬼太郎側はつっけんどんな返事ばかりで、釣れないままで。仕方ないけれど、やっぱりちょっとだけ寂しいなとも思ったりした。
私がツンツンしても貴方が懲りずに優しくしてくれるお陰で成り立っていた関係性も、ほんの少しだけ変わってしまった事が悲しいけれど、彼の必然的な心の変化など、私にはどうする事も出来ないから。嫌われすぎない絶妙な距離を測って、私が器用に立ち回るのが近年だった。それなのに。
「鬼太郎、ひじき煮てきたの、良かったら少し貰って頂戴。親父さん、好きだったでしょ?」
「ああ、ありがとうねこ娘。いつも本当に助かる。ねこ娘がずっとここにいてくれたら、手作りの美味しいものが毎日食べられるのにな」
「え、ああ、うん」
「本当に住まないか…?美しくて可愛らしい君がいたら、きっと僕の日々は凄く華やぐな」
「…?」
気付いたら彼は饒舌になっていた。それはもう歯の浮いた台詞をここぞとばかりに並べ、よく舌を回した。
いつからかは分からない。人間で言うところの高校生くらいの体格になった頃から、気付けば思春期らしい振る舞いが消えていた。そして今の様な、なんだかよく分からない反応を見せるのだ。
「…?なんなのかしら」
息をする様に滑らかに私を口説き、甘い言葉を囁く。最初は顔から火が出るほど恥ずかしいし、少し嬉しくもあったが、今は最早困惑が勝っている。何だか少し怖くて、急にどうしたと言う思いがあまりにも強かった。
「ナンパの予行練習?ねずみ男辺りに唆されてるのかしら…?それとも…」
ねずみ男以外の何者かに何かされているのか。そうでもないと、鬼太郎の代わり様は説明が付かない。
「…?ねこ娘?どうしたんだ?急に独り言なんて」
「い、いや、何でもない。こっちの話よ。アンタには関係ない」
彼とは反対に、いつまで経っても全く素直になれない私は今日もツンと唇を尖らせ、不機嫌そうなフリをする。鬼太郎と話しているとボロが出て、子供っぽくて情けない自分を見せてしまうだろうから、少しでも大人で素敵な自分でいるように気を付けながら振る舞っているだけなのに。それが結局巡り巡って、今やつまらない見栄のようなものになっているのだから、それこそ情けない事この上ない。
私の方が早く大人になったのに、私の方がまるで子供みたいで恥ずかしいと言う思いはある。だが、今までしてきた事をすぐに変えると言うのはどうにも難しくて。結局態度を変えるタイミングも分からなくなった。
「そうか」
「ええ」
「…それは、隠し事は完全に無しで、というのも難しいのは分かるけど、僕は君の全てが知りたいと思っているし、君にとって遠慮なく、隠し事もする必要のない気の置けない人でありたいと思っているよ」
「…んー…」
「僕は本気で、君とそうなりたいと思っている。何千年先だって、僕は君の唯一になりたい。……ねこ娘、あのな」
「…あ!アンタ」
鬼太郎が何か言いかけた時、私は思わず言葉の間に割り込むようにして口を開いた。過去にも同じ様な経験があったようなと今までずっと考えて、ようやく思い出したのだ。
「また妖怪いやみにやられたの!?やだ!いつよ!どこで!?」
「…え?いや、ねこ」
「もー!鬼太郎がこんなんじゃまた私がアイツしばきに行かなくちゃいけないじゃない!…私は仏じゃないから三度目どころか二度目もないわよ!ややこしい事するわねあのボケ老人!また念入りに引っ掻いてくれるわ!」
「あの、ねこ」
「アンタは家で大人しくしてなさい!あたしがなんとかして来てあげるから!」
「ねこ」
ああ、そうだ。まだまなが生きていた頃、あのふざけたいやみという妖怪が、仲間や人間達を気味の悪い煙でおかしくしたのだった。またアイツのせいだと思った私は鬼太郎の家を飛び出す。外に並べて置いたヒールに足を突っ掛け、階段を一気に飛び降りて走って行った。全てはこのややこしい状況を正すため、鬼太郎のためなのだ。
残された鬼太郎はすごいスピードで走りゆくねこ娘を見送り、唖然とする。それから怪訝な顔で首を傾げて頭を掻いた。
「………僕はいやみに拐かされているのか?」
突然の発言に、鬼太郎も訳が分からないようで。『ええ…』と困惑の声を上げる。彼は少し考え、状況を出来る限り整理し、追いかけようかとゆったり立ち上がった。
「……それはそうとして告白はしっかりとキャンセルされた…」

街へ繰り出した私は元凶を探して一通り歩くも。おかしな事に、街の様子は何一つ変わっていなかった。人々はいつも通りで、気持ちの悪い気配も感じない。私はその場に立ち尽くし、考える。
「…鬼太郎だけを狙った凶行?」
その可能性も無いわけではないのが悲しい。鬼太郎は妖怪人間共に平等で中立の立場ではいるのだけど、やはり妖怪からすれば自分達と同族でありながら、人間を助け、同族を倒している彼のやり方が気に食わないものは多かった。恨まれやすい鬼太郎はしょっちゅう敵対する何者かから狙われ、人間関係なく応戦する事もしばしばあるのだ。
もしいやみもそれだとしたらとも考えるが、なんだか腑に落ちない。以前された仕打ちの仕返しで報復するのだとしたら、鬼太郎ではなく私に行くはずなのだ。いや、それとも鬼太郎をそう洗脳する事によって、私の心を傷つける作戦、とか。
考えて考えて、考えすぎて何が正解か全く分からなくなった。鬼太郎の様に妖怪アンテナが使えない以上、いやみが犯人だとしても私だけで見つけるのは非常に難しい。
「面倒だわ、本当に…」
私は長く溜息をついた。なんだかもう疲れてしまって、鬼太郎のためにいやみを探さねばならないけれど、そんな気も少し薄れて。まあ、命に別状はない様な妖怪だし、多少放って置いても大丈夫かなんて冷たくなりながら。私は一旦のぼせ上がった鬼太郎も老害いやみの事も忘れようとした。どこかカフェにでも入って何かしら飲んで落ち着こうかと歩き出した時、何者かが急に私の手を掴んだ。
「ふにゃーっ!」
「…突然飛び出していくな。どうしたんだ」
「……なによ、鬼太郎じゃない」
「ここにいやみの気配はないぞ」
「…?なんでいやみに拐かされているアンタがそんな冷静なのよ」
「僕は正気だぞ、最初から」
「やだ、やめてよそんな嘘」
「嘘じゃない」
ここで私は鬼太郎がいつも通りで、何にも騙されても拐かされてもいない事を察する。彼は普段通り淡々と、抑揚の無い声で喋っていた。
だとしたら、先ほどの言葉なんだったのか。あの鬼太郎が言ったのか。思春期で私の言葉にあまり反応を返してくれなかった鬼太郎が、受け答えがぶっきらぼうなつっけんどんの鬼太郎が。急にあの様な言葉を、何故。思春期を抜けたにしてもあまりにも急すぎる転換である。
「…え、シラフなの?今まで」
「シラフというか、僕は可愛い人に可愛いと事実を伝えているだけだ」
「…?ねずみ男に何か言われたの?」
「言われてない。言われたとして何を言われるんだ」
「わからないけど」
訳が分からないと目を回す私に鬼太郎は少し呆れた様な顔で。それから私の手を引いた。
「戻るぞ」
「え、え、でも」
「いやみはいない。僕は別に拐かされてない」
私の手首を掴んだ手はするすると下がり、私の指の間に指を絡ませた。パズルの様に隙間無く握り締める手に私は混乱する。
「もしくは、今からデートに行くのもいい」
「ぅにゃ!?は、はぁ?アンタお金なんか無いでしょ」
「無い」
「…そこは本当に無いのね。私も持ってないし、お金無いとどこへも行けないじゃない」
「無くたって一緒に歩くだけでデートだろ。金銭のやり取りはデートではなくて、それはデートの中で発生する物事なだけだ」
「アンタにもっともな指摘されるのいや」
「ふふ、不貞腐れる君は子供みたいで、とても可愛いな」
「…〜っ、それやめてよ!恥ずかしいでしょ!」
こんな所でも抜かりなく歯の浮いた台詞をかまし。普段は無のままあまり動かない表情を少し動かし、僅かに口角を上げる。それは難易度の高い間違い探しの様な微々たる変化だったが、私には彼が珍しく微笑んでいる事が分かった。
「今の時期はちょうど桜が綺麗だから、桜並木でも歩きながら僕の想いを全部君に伝えようと思う」
「なっ、な、はぁ!?なっ、なんなのよぉ!」
「僕がどれだけ君の事が好きなのか、知ってもらう必要がある」
私の顔を覗き込み、『な』と目を細める鬼太郎。恥ずかしくて堪らなくて、手を振り解こうと振ってみるけれど鬼太郎は全く離してくれなくて。私の考えを見透かすみたいに『離したら逃げるだろ』と笑ったから、もう黙るしかなくなった。
「いつもは冷静で大人ぶってる君が、本当はとても照れ屋で奥ゆかしい、そういうところが僕はとても好きなんだ」
手を離してくれない鬼太郎が、容赦無く愛を列挙して。逃げる術のない私は、もう黙ってそれを全て享受する他なかった。

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