天使と熱病⑤

セイカは溜息を吐いた。思えばガイと再会してから溜息ばかりだなとと思う。だからと言ってそれが悪いと言うわけではないし、乏しめる意味合いも無い。
可愛くして来てよなんて言われて、どうしようと迷った挙句、結局いつも以上に気合を入れてしまった。我ながら単純だとセイカは思う。
いつも使っているものとは額が全く違う、数万円のアイシャドウを乗せて、これもまた普段とは格の違うグロスを塗り。鏡を見れば色味や艶の違いは歴然で買って良かったとは思うけれど、気合の入り用は丸分かりでどうにも恥ずかしい。早々にメイクとヘアセットを終えて、自宅の鏡からはそそくさと目を逸らした。
服だって普段は着ない高いもので。少し大きめのニットとスカートの組み合わせは普段からするものなのに、肌で感じる生地の質感が普段と全く違っていて落ち着かない。全身きっちりと気合を入れて、張り切っていると思われてしまうのもおそらく当然の仕上がりだ。
「…はぁ…」
瓶が可愛くて衝動買いしたはいいものの、使うタイミングが無くて箱に入れたままだった香水を今回初めて開けて使った。使う機会が作れたのは良いけれど、その日を今日にした事が何だか恥ずかしく思えて少し後悔する。
「空回り、だよね…」
言われるがまま、それなりに本気を出してめかし込んだけれど。ガイからすればただの社交辞令で、口説き文句やらと受け取る姿はあまりにも痛々しく、滑稽なのかもしれない。そう思えば思う程恥ずかしさは増して、自己嫌悪が止まらなくなっていく。
「……はぁ…もういっその事、具合悪いって言って帰ろうかな…」
美術館はもう目と鼻の先だけれど、今なら逃げる事も出来るかもしれない。俯いて目を伏せて何度めかの溜息を吐いた。溜息のたびに幸せが逃げていくのだとしたら、もう一生分の幸せを逃してしまっているに違いない。
目的地のミアレ美術館の少し離れたところで右往左往しているセイカだが。そんな彼女に美術館の前で一足先に待っていたガイは気付いていた。だが気付いていながら何故声を掛けずに静観しているのかと言えば、ガイは全身を駆け巡る大きな衝撃で動けずにいたのである。
(あ、あれ、セイカだよな)
スカートがゆらゆらと揺れて、ニットの肩のフリルはまるで羽みたいにほわほわと風に吹かれて靡いている。風で少し乱れた前髪をさっと指で直して、直しながら何かを考える様に顎に手を当てた。踵は若干内側に入っていて、それがまた女性らしさを引き立てている様に思えた。
遠目で彼女をまじまじと見て、手に入る視覚情報を全部頭に叩き込んで。脳味噌が痺れる様な感覚に苛まれる。
「かっ、わい〜…」
思わず声に出してしまい、慌てて口を押さえる。何を隠そう、ガイはセイカのあまりの可愛さに動けなくなっていたのだ。
(め、女神が舞い降りたのかと思った…いや、まあ天使ではあるんだけど)
鼓動が早くなっていくのが分かって、暴走しそうな感情を抑えるのに必死で。心臓がバクバクの中、ガイは瞳の中に彼女だけを映して目を輝かせる。
(いつも可愛いけど、なんか今日は特別可愛いな………まさか、俺が可愛くして来てって言ったから…?くそぉ、自惚れて良いのか?これ…)
調子に乗って良いのか、勘違いしすぎない方がいいのか、ガイの現在の脳では正常な判断が出来るはずもない。ただ可愛いだとか、好きと言う感情だけが溢れて止まらなかった。
(とりあえず声を掛けなきゃはじまんねぇしな)
そう思って近付き、手を挙げる。スマホを見ながら『うぅ…』と何故だか小さく唸るセイカに声を掛けた。
「セイカ」
「ひゃあ!」
(…っかわいい)
驚いて叫んでから口を押さえ、ガイを見上げる。ファンデーションとチークで隠された頬は赤くならずとも、耳がポッと赤らんだ。
「ぁ…がっ、ガイかぁ」
ぱっちりとした瞳がガイを一直線に見つめて。僅かに開いた小さな口はまるで丁寧に育てられた美しいカジッチュの様にうるうるとしている。彼女からは普段はしない様なスイーツの様な良い香りがして、ガイは叫び出しそうだった。
(なんっか良い匂いするしめっちゃ可愛いんだけど!しかもすっげぇキラキラしてる!かわいい!)
セイカは黙って凝視してくるガイに困惑の色を浮かべて目を逸らす。目を泳がせる彼女に気付いて、気を取り直した。
「美術館のすぐ隣で何してたんだ?」
「…あ、ちょっと上司から連絡来て」
「仕事?大丈夫か?」
「ううん、仕事全然関係ないから大丈夫」
本当は上司の連絡先など、社携に入っているもの以外知らないのだが。美術館の前で待つ彼の元へ行かずに、美術館の横で仮病を使うかどうか悩んでいたなんて話せるはずもない。適当に理由をでっち上げて誤魔化せば、ガイは『そうなのか』と納得した様だった。
「行こうぜ」
「あ、う、うん!」
ガイに言われるがまま彼の隣に並んで歩くけれど。セイカの心は少しだけモヤモヤしていて。
(可愛くしてって言って来たくせに、何も言わないんだ)
やっぱり彼は自分で遊んでいるのではないかとセイカは不安になる。辱めの様な気持ちになって泣きそうになった。首に掛けたシンプルなネックレスを指でこねくり回して不安を紛らわせていると、どうにも落ち着かない彼女の様子にガイは気付く。それから少し考える素振りを見せたガイはコクリと唾を飲み込んで、『セイカ』と彼女の名前を呼んだ。
「その…」
「…うん」
「……今日の格好」
「う、うん」
「…似合ってて、その、…か、かわいい、と、思う…」
もっとスマートに褒めたかった。というか、その予定だったのに。いざ言おうと口を開けばカラカラに渇いて上手く脳も口も回らないから。頭が真っ白なままで思ったままを不恰好に伝えるしか出来なかった。
マトモに人を褒められない自分が何だかみっともなくて恥ずかしくて、ガイは彼女から目を逸らしてキュッと口を閉じていた。そんなガイを彼女は顔を上げて見上げる。顔をほんのりと赤くした彼にセイカは恐る恐る聞き返した。
「ほ、ほんと?」
「…おう」
「変、じゃない?」
「変なんてそんな…一目見てセイカのためだけに作られた服だと思ったぜ」
「………ふふ、なにそれぇ」
強張っていた表情が緩んで。セイカはふわりと笑った。口を手で隠して楽しそうに笑って、ガイを再び見る。
「うれしい。ありがと」
帰りたいとか、浮かれていて恥ずかしいとか、そんな事ばかり散々思って、元気が無くなっていたのに。彼に少し褒められるだけで嬉しくなってしまうから、本当に単純だと自覚しているけれど。身体の芯からあったかくなっていく様なこの気持ちを、誤魔化す事は出来なくて素直に顔が綻んでしまう。
目を細めたセイカにガイは目を一瞬見開いて。『おう…』と短い返事をした。内心は上目遣いではにかむ彼女のあまりの可愛らしさに大騒ぎだが、それを悟られない様に努めて冷静を装った結果、少し無愛想な返答になってしまった。彼の社会的立場からは想像も付かないくらい、ガイは女性慣れをしていなかったし、相手がセイカだからこそより正解が何なのか、分からなかった。
「とりあえず、行こうぜ」
「うん」
少し先を歩いたガイに駆け足になって、隣に追い付いて。セイカが並んだ時、少し歩調を落として彼女に合わせて一緒に歩いた。待ってはくれないくせに、速度は落としてくれるそんな絶妙な優しさにセイカはまた吹き出しそうになってしまう。
受付の女性にチケットを手渡すガイの顔を見つめる。しっかりと大人の男性の骨格をしているのに、あの頃の面影も確かに残っている。ちょっと可愛い顔してるよねなんて小さく口角を上げていると、彼の耳にピアスが着いているのに気付いた。ガイもピアスなんか開けるんだなんて思っていると、受付を終えたガイがセイカを眉間に皺を寄せて見ていた。だがそれは怒っていると言うよりもどちらかと言えば恥ずかしそうな様子で。
「…すげぇ見てるけど何?俺なんか変?」
「え?あ、ああ、ごっ、ごめん、何でもないの。えっと、ガイもピアス穴開けたりしてるんだぁと思って」
「ん?ああ、昔セイカが開けてたから…」
そこまで言って自分が変な事を言ってしまったのに気付き。ガイは小さく『ごめん』と謝って片方のチケットを彼女に手渡し、先に入っていく。
「〜っわ、私が開けてたから、何っ!?」
言葉の途中で切れてしまったけれど、このまま続けていたらとんでもない事を言われていた様な気がして。その先を聞きたいけれど、セイカも踏み込む事は出来なかった。
入り口で顔を真っ赤にして立ち往生していたら、受付の女性が微笑ましそうに様子を眺めていて。余計恥ずかしくなって急いで中に入る。
「さ、先に行かないで〜…」
「…ごめん…」
「……展示会は二階だった、よね。一階の常設展時見てく?まず」
「まあ、いい、けど」
ガイはセイカの方を見てはくれなくて。セイカもなんとなくガイの方を見れなくて、少しだけ気まずい空気になる。
常設で展示されている絵画を何となく眺めながら、この空気で何を話そうかとお互いに探り合って。ディアンシーが描かれた絵画の前で偶然目が合ってしまって思わず二人で顔を見合わせて笑った。
「…はは、目合っちゃったな」
「美術館では絵を見なきゃダメですよ〜」
「セイカだって俺見てたくせに」
だが、このやり取りで緊張が解けたのは確かで。気まずくて見れなかった顔も、今なら見ながら会話が出来る。
「なんかキラキラした絵だな」
「ふふ、このディアンシーが描かれた時代は光の表現とか、陰影とのコントラストを描写するのが流行っていてね、だからこういう立体的で私達の方に今にも手が伸びてきそうな感じの絵画が多いんだよ〜」
「詳しいな」
「大学で美術史取ってたんだ〜」
セイカはそう言って少し得意げに笑った。赤い目を開いてこちらを静かに見ている様にも思えるディアンシーを、ガイは見つめ返しては口を開く。
「カロスでは美女をディアンシーで例えて褒める事があるんだぜ?」
「あは、私の地方ではサーナイトみたいな人とか、北の方だとミロカロスみたいなとか、ユキメノコみたいな女性とかって言うのと同じかな?」
「…ユキメノコって褒めてんの?ゴーストタイプだけど」
「タイプで決め付けるの良くないよ。まあ、正直妖艶な美女とか、魔性の女的な意味合いだけど」
「うーん」
良い様な、悪い様な。言われて嬉しい人もいれば、失礼と思う人もいて。捉え方が人それぞれな例えは不用意に使わない方がいいなとガイは思う。
「でもなんかディアンシーで例えられるのちょっと嬉しいね。まぼろしのポケモンだもん、特別感ある」
「…そっかー」
返答までに僅かに間が空いたのは、この流れで言うべきか迷ったのであって。彼女の気持ちが底知れない以上、下手に攻めるものではないと冷静な結論に至ったガイは絶妙な間を開けて、微妙な返答をした。それが良かったのかはあまり考えたくない。
「二階行こうぜ」
「うんー」
先導して階段を登る彼の後ろを着いて行く。時折背後を確認しながらゆっくり上る小さな気遣いが嬉しくて、セイカはニヤリと口角を上げそうになった。だが、慌てて表情を引き締めて態とらしくツンと澄ました顔をする。
二階に着くと一階よりも多くの人がいて、少し騒がしい。『人が多いね』と言えばガイは『日曜日だからな』と笑った。
「あの人だかり本物のメロエッタのやつ?」
「だな。遠目だと何が本物なのか分かんねぇけど」
「油絵だから表面が凸凹してるんだよ、多分。触ったら剥がれちゃいそうな感じ」
とは言え、この人だかりで前方に行くのは難しそうで。結局遠目で見て『へぇ、本物なんだぁ』という薄っぺらい感想を抱いただけで、早々に別のところに視線をやった。
何のためにここに来たのかとも思うが、絵画など結局セイカを誘う口実でしかない。こうなればもう絵画などどうだって良いガイはいた。彼女と二人で過ごせるのなら何だって良いと思った。
「あ、ほら、このマギアナの絵とか、見た事ない?」
「ああ、あれだ」
美しい花と、歯車の中心で小首を傾げてこちらを見つめるマギアナの絵は見覚えのあるもので。高級なフレグランスブランドのグラフィックデザインにもなっているものだった。ブランドの名前を言えば、セイカはコクリと頷く。
「あは、そうそう。私は高くて買った事ないけど。今つけてる香水だって五桁もいかないし」
「俺もそのブランドは使わないな」
「つけるの?香水」
「まあ、つけてた方が意外とウケが良いんだよ。体臭とかに気を使ってる清潔な印象も与えられるし」
「ふーん。今はつけてないよね?」
「つけてないな」
「プライベートはつけないんだ」
別につけて来たってよかった。だがもしそれがセイカがあまり好まない香りだったとしたら、そう思うと香水を選ぶ手が止まってしまって。匂い一つで印象も距離感も簡単に変わってしまうものだし、自分の嫌いな匂いを付けている人になんかわざわざ近付く人もいない。数多の万が一を考えた結果、あらゆる方面で保守的になっているのが今のガイだった。
「……あー、まあ、つける時も、ある」
「へー、やっぱりそう言うところに気を使うんだねぇ、社長ともあれば」
「まーな。でもピュールも香水つけるぜ?ピュールが好きで勧めてくれた香水は俺、あんまり合わなくてさぁ、なんか辛い感じっつーか?俺もっと爽やかでスッとする香りが好きなんだよ」
「ピュールはデザイナーだもんね。そう言うところちゃんと気遣うでしょ〜」
実際、今回のものではないにしろ、セイカの手持ちの香水の幾つかはピュールからのおすすめだったりする。だから彼が服飾以外のそう言うものにも詳しい事は既に知っていた。
「ピュール、あの時は皆よりちょっと子供っぽい感じだったのに、今はれっきとした大人だもんね〜。時が経つってなんかすごいね」
ピュールの今と昔を思い起こして、セイカは楽しそうに話す。そんな彼女を黙って見ているガイは笑ってはいるものの、目には不満の様なものが透けている。単純に自分といるのに他の男の話題が出る事が気に食わなかったのだ。かと言ってその態度を全面的に出すわけにもいかず、うんうんと相槌を打ちながら据わった目で笑っていた。
そんなガイがふと視線を別のところへ動かすと、そこには美しい緑の水面に浮くセレビィが描かれている。時が経つ話をして、その近くに時渡りのポケモンの絵画がある偶然が何だか面白くて、ガイは人知れず笑った。
隣のセイカは彼が自分の話を聞いていない事に気付いてムッと唇を尖らせる。一体何があるのだと彼女もガイの視線の先に目を向けると、そこにある美しいセレビィの絵に思わず『わぁ』と声を上げた。
「セレビィ」
「会った事ある?」
「あるわけないでしょ、何言ってんの」
「はは」
ガイの適当な話の振りを雑に捌く。それでもガイは楽しそうに笑って満足げだった。
絵とは思えないほど透明で美しい水に浮いて目を瞑る、神秘的な場面をうっとりと眺める。中心で浮かぶセレビィを見ながら、セイカはぼんやりと呟いた。
「もしセレビィがいたとして、ガイは過去に戻りたいと思う?」
「んー…時を渡って過去を変えられるのなら、そうしたいと思う事は沢山ある」
セイカはそれもそうかと頷いた。例えば母親が死ぬ未来を変えるだとか、母親が生きているうちに彼の母親の実母であり、ガイの祖母であるジェットと引き合わせるとか。やりようは沢山あるのだからそう願うのは当たり前で。寂しいと思うのはセイカの勝手でしかなく、彼女は口を噤んだ。
「でも、そしたらセイカと会えなくなるって事だから、それならこのままでいい」
俯いた顔を上げてガイを見れば。どこか照れ臭そうに頬を掻いて、セイカと目があって恥ずかしげにはにかんだ。セイカは彼の言葉と、その一連の動きがとても嬉しくて、嬉しくて仕方がなくて。少なからず、自分の事を大切に思ってくれているんだなと思うのと同時に。やはり何とも言えないモヤモヤが自分の中を巣食っていくのを感じた。
「セイカは?」
ガイが話題を返してくるのに。セイカは『うーん』と悩ましげなふりをして、特に無いかもと目を細めるが。
本当は、ミアレを離れるあの瞬間に戻れたらと思っている。あの時ミアレを離れなかったら。離れたとしても、ちゃんとガイと連絡を取れていたら。何か変わっていたのだろうか。そんな期待を掻き消す様に、変わらないでほしいと思う自分もいる。
(変わらないなら、多分完全に諦める事が出来たんだよ、多分。幸せになれたんだ、すぐに)
結局、今だに未練タラタラで諦めきれていない自分がいる事が酷く恥ずかしくて。あまり良い男とは言えなかった大学時代の元彼も、結局のところ、自分が酷い扱いをしていたのではないかとも思ってしまうのだ。
二十代も後半になっているのにティーンの様に未熟で、他人に対して責任感のない自分が嫌いで仕方がなかったし。そんな自分がガイと釣り合うわけがないと思っている。その上、ガイにはあのまま、不変のままでカッコいいヒーローでいてほしいと言う願いがセイカにはあった。それらの思いが彼女の感情を邪魔しているとは彼女自身も自覚がないままである。
「セイカ?」
「…あは、ごめん。なんか、別に無いなと思って、戻りたい瞬間とか」
「へー、じゃあ今が充実してるって事?」
「そうかもー」
そんな事はないのに誤魔化した。ガイににこりと微笑んで、セレビィの前から立ち去る。そのすぐ近くにある絵画の前で立ち止まり、顔を上げた。
「…この絵、好きなんだ、星月の綺麗な夜空を飛ぶジラーチ」
それは教科書などでも必ず載せられる様なあまりにも有名な絵だった。深い青色の空と、輝く黄色の星々の間に楽しそうな表情のジラーチが描かれている。セイカはその絵を静かに見つめて、それから不意にガイへ質問をした。
「もしジラーチがいたとして、ガイは何をお願いするの?」
戻りたい過去もあれば、勿論願い事だって沢山あって。自分の欲深さをまざまざと突き付けられる様な感覚にガイは密かに居心地の悪さを覚えるけれど。もしもたった一つ、千年の眠りから覚めたジラーチに願い事をするのだとすれば、きっと。
(セイカが幸せでいてほしい。願わくば、俺の隣で)
今更富や名声は必要ないと言うか、現在進行形で手の中な訳だし、そう言った大きなものをガイは必要としていなくて。今一番望んでいる事と言えば、隣に並ぶ彼女の事ばかりで。彼女を手放したのも、遠ざけたままにしたのも、結局自分の自業自得だとガイも分かっているからこそ。後悔のままにそれを願うのである。頑張れば自力でもどうにかなりそうなものでも、ガイにとっては大金を得るより難しい。
(別に関係性をやり直すって事ならジラーチじゃなくてセレビィでもいいしな)
ジラーチに願う事でも、セレビィに頼んで過去に戻る事でもどちらでも良い。ただ丁寧にネイルが塗られ、アクセサリーを指に通した綺麗な彼女の手を取る権利が欲しかった。最近はもう、そんな欲が抑え切れずに爆発しそうで。攻めるタイミングなんて幾らでもあったけれど、怖がって一線を越えなかったのだって自分の選択で、自分のせいで。
もうそろそろ、一歩踏み出してみても良いのではないかとガイは思った。関係を進めたかった。先程からチラチラと異性の視線を集める彼女を、名実共に自分のものだと言い張りたかった。俺の女の子、特別可愛いだろなんて自慢だってしたい。俺達だって良い歳だしさなんて結局情けない言い訳をしながら、ガイは彼女に手を伸ばす。
「セイカ、俺は」
「ねえ、ガイならきっと」
ガイが言おうとした事を察したのか、察していないのか。分からないが、あまりにも良すぎるタイミングでセイカは口を開いた。ガイの言葉はパッと途切れ、ガイは彼女を見る。柔らかな表情、優しい目付き。だがどこか、違和感があった。彼女の目はガイを見ているのに、何故だか自分を見ていない様な気がした。
「ミアレの幸せを願うでしょう?」
「…いや、まあ」
それも願ってはいるけれど。そう言えばセイカは泣きそうな顔をしてガイの手を握る。そのまま自分の頬の横へ持って行って、にこりと笑った。
「ガイはミアレの幸せを願うんだよ」
「え」
「変わらないから、ガイはずっと。私のヒーローのまま、変わらないもんね」
優しく握られた手がとても嬉しくて、可愛くて堪らなないのに。セイカの言葉が嫌にねっとりとして、足元に巻き付いていく様なじめついた不快感があって。些細どころではない大きな違和感一つ、どうにも振り払う事は出来なかった。

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