「まあ、俺はセイカと付き合い始めた訳だけど」
「あんまり聞きたくない導入ですね」
忙しい日々の合間を縫ってわざわざ会いに来たガイはそんな事を言う。素直でないピュールはわざわざ本人に嬉しいなどと伝える事はないが、心の内では嬉しいし楽しいと思っている。ただその話し出しではどうにも面倒臭そうな気配しかせず、これに関しては本心で呟いてしまった。だがガイは何も気にせず、話を進める。
「俺は普通にキスがしたい。関係を進めたい。ファーストキスをしたい」
「………はぁ」
「どうすれば良いと思う?」
ピュールは思わず頭を抱える。それから面倒臭そうに口を開いた。布同士を縫い付ける忙しない手元は止めず、最早ガイも見ないままである。
「勝手にしてほしい、心底」
「何でだよ、ちょっとは考えてくれよ」
「何でですか。関係ないです。ていうかそれを僕に相談して答えが出るとでも?僕に女性経験があると思ってます?」
「そうか、ごめん」
「この人名誉毀損で訴訟しようかな」
今なら勝てる気がすると一言。自分から話を振ってきたくせに半ばディスる様な反応をされてむかつかないはずがなく。じっとりと恨みを込めてガイを睨むも、彼はヘラヘラとしていた。
「もうキミの事は助けません。訴えない代わりに何があっても助けない」
「何で怒るんだよ。別にお前の女性経験のなさを揶揄ってる訳でも馬鹿にしてる訳でもねぇのに」
「してるだろ、アンタにその気が無くても僕からすればそう思います」
「俺だってセイカが初めてのガールフレンドなのに」
「もう何でも良いです。お引き取りください」
そう言ってもガイはその場から動かず。ピュールの横で変わらず足を組み続けた。
「キスの雰囲気ってどうやって作るんだ」
「知るか」
「こう、スマートに行きたいよな」
「へー」
繰り返すピュールの生返事にガイもムッとした顔をした。それからちゃんと考えてくれと眉を顰めた。
「俺は童貞だし、女性経験は皆無だから、そう言う作法とか全然分かんねぇし、それで手間取ったら目も当てられないだろ」
「まあ、幾ら童貞でもその時になってスマートにリード出来なければ、女性側は普通に萎えるでしょうね。経験値の無さは理由にはなりますが、情けなさの免罪符にはならないでしょうし」
「だろ?どうすんだよ、俺がそうなってセイカに振られたら」
「ダサ」
「おい」
吐き捨てる様に短く言って、鼻で笑う。その間もピュールの手元は忙しなく、手慣れた様に動き、既に縫い終わったらしく玉留めをして糸を切った。
「まあ、手順は知らないですけど口臭ケアと唇の保湿はした方がいいのでは?」
「仕事中によくミンティア食ってる」
「そうじゃねぇよ」
確かにミントフレーバーだし、それもケアになっているのかもしれないけれど。口臭ケアは他にもっとそれ専門の商品があるのだし。そこでミンティアを引き合いに出すのは少し違う様な気がして、ピュールは思わず突っ込んでしまった。
「そう言う雰囲気って無理に作ろうとすると不自然になるのでは?キミって意外と不器用なところありますし」
「…まあ、否めない」
「キミが出来る事は雰囲気を作って誘導する事より日々のケアでしょう?キスしてセイカに不快な思いさせたら、それこそ雰囲気とか言ってられないですけど」
「よし、ブレスケア買おう」
「日頃の歯磨きと舌の掃除も必要みたいですよ」
「歯磨きはきっちりしてたけど舌のケアはあんまりしてないな。舌ブラシも導入で」
ガイはスマホを取り出し、指を動かす。おそらくわざわざスマホにメモをしているのだろう。それから熱心に何かを見て、吟味している。買う予定のものを検索して選んでいるのかもしれない。忙しない人だなと横目に見つつ、前にあるテーブルに置いた紅茶を一口飲んだ。
「でも成り行きに任せろって言ったって俺はすぐにでもキスしたいし」
「余裕のない男は嫌われますよ」
ピュールはカップを丁寧に置き、その横に置かれた裁縫道具箱の中から数本のまち針を手に取る。そして手元の布に迷わず刺し、針山に刺した縫い針を手に取る。そして短くなった糸を抜いて、新しいものを穴に通し、再び裁縫作業を始めた。あまりにも滑らかな手捌きに『すごいなぁ』と感心しつつ、ガイは顎に手を当てる。
「…どうすべきか」
「何が?」
「え?」
不意に可愛らしい声が聞こえて振り返ると、そこにいたのはセイカとデウロで。悩ましげなガイににこりと笑って、彼の顔を覗き込む。
「え、あ」
「キスの話です」
「おわー!馬鹿野郎!」
「キス?」
セイカは困った様な顔で首を傾げた。その下で椅子に座るガイは赤い顔をして首を掻く。ピュールを少しにらめど、彼はどこ吹く風で裁縫作業を進めた。
「私とキスしたいの?」
「アッ」
「えー、したくない?」
「し、したぁい」
まあ、この話をして察せられない程セイカは鈍くはないので。まんまと聞かれてしまい、ガイはあまりにも無様に答えた。とてつもない恥ずかしさもあり、ここで否定するのも絶対に違うだろうという思いもあり、だが返事はしたくないなんて複雑な感情で、声はいつもより少し小さかった。
「そうなんだ」
「そ、そうです」
「今する?」
「ひゅー!セイカやるぅ」
「やめてください」
楽しそうな声を上げたのは彼女の後ろでニヤニヤと様子を伺っていたデウロである。そして素早く拒否をしたのは縫い物をするピュールだ。
「ファーストキスくらい二人の時にしてください」
「何でピュールが私達まだキスした事ないって知ってるの?」
「この人が全部話しました」
「………私達の進捗、ピュールに全部筒抜けなの?…なんかやだな」
「ね、最低!」
「ちょっと、一応言いますけど僕何も悪くないですから!この人が勝手に話してきただけですので!」
「お前も相談乗ってくれてただろ!共犯!」
「いえ、乗らされてました。彼に脅されてます。無罪です」
「何の利害があってお前を脅すんだよ俺は!」
やんややんやと言い合う醜い男達を白い目で見るセイカ。そんな彼女にデウロは楽しそうに近付き、セイカの腕をギュッとホールドした。
「ねー、セイカ、男やだねぇ」
「やだねぇ」
「セイカもあんな人より私とキスした方がいいもんねー」
「えー、デウロとー?」
「嫌ですかー?」
セイカの頬にデウロは顔を近付ける。彼女もどこか満更でもなさそうに『ひゃー!』なんて声を上げて楽しそうだ。ガイは繰り広げられる女子達の光景に思わずソファーから立ち上がり、セイカを自分の元に引き寄せる。強引に腕を掴み、引いたせいでセイカは本気で驚いた様な短い悲鳴を上げた。
「やめろ!淫行罪!」
「何言ってんだコイツ」
未遂だし、そもそも何の罪にも問われないのに。叫ぶガイに冷たい視線を向け、呟いたのはピュールだ。友人からのあまりに痛い視線をものともせず、ガイは必死に叫ぶ。
「セイカは俺の彼女!」
「セイカ…本当に?」
「……私デウロの彼女だったかもしれない」
「なぁ!」
勘弁してくれとセイカを抱き締めるガイに、デウロとセイカは顔を見合わせて笑い合う。女子二人に完全に遊ばれている友人を可哀想な目で見つつ、ピュールは変わらず作業を進めた。
そんなガイの背中を撫でつつ、セイカはくすりと微笑む。そして彼の耳元に唇を寄せ、ガイにしか聞こえない小さな小さな声で囁いた。
「キスは二人きりの時がいいな」
「…………………ワ」
「私も初めてなの。リードしてね」
そんな事を言われてまともでいられるガイではなく。彼女の腕の中で完全にショートしきってしまい、ガイの頭には宇宙が広がる。完全にインターネットでよく使用されるスペースニャース状態になってしまった男に、セイカは『もー』と仕方なさそうに笑うのだった。