うまくいかない

ごった返す駅の中。国見は位置情報系のアプリを開いて無心でタップしていた。目の前を横切るずんだシェイクを持つ外国人観光客をジッと観察し、またスマホに視線を戻す。
(…ずんだシェイクって飲んだ事ないかもな〜)
自分の年齢イコール宮城在住歴の国見ですら飲んだ事のないもの。特別ずんだが好きではないため、特に惹かれる事もないけれど。アプリを閉じてSNSを開いた時、大きな声で名前を呼ばれた。
「あ!英〜!」
「…………声でか…」
ガラガラとトランクを引き、ブンブンと長い手を大きく振る騒がしい大男は国見に向かって真っ直ぐ歩いて来た。彼女は小さく溜息を吐き、スマホをコートのポケットにしまう。少し呆れつつ、そしてほんのちょっとだけ口角を上げながら、主張の激しい彼に歩み寄った。
「声でかい」
「あっ、すまん」
ソワソワとどこか落ち着きのない金田一に気付き、また息を吐く。それから低い位置で手を伸ばし、その大きな体に抱き付いた。
「おかえり〜」
「…!ただいまっ!」
「声でかいて」
中学から社会人まで、体育会で染め上げられた男、金田一はどれだけプライベートだとしてもズブズブと嵌り切ってしまったそこからは抜け出せない様で。長年の声出しの成果で普通に喋る時もちょっとうるさいくらい声が大きい。
鬱陶しそうな国見に気を遣って声のトーンを抑えて喋る。金田一にとっては内緒話でもする様な声量なのかもしれないけれど、実際は今の声量が普通の人の普通の声量である。
「ゆーたろー、遠路はるばる、ようこそおかえりくださいました」
「ご丁寧にどうも」
「うち行こ」
中高と一緒なのだから、二人とも勿論ここが地元で。それぞれそれなりに近い所に実家はあるけれど。今日から帰るまで滞在するのは基本的に一人暮らししている国見の部屋だ。
大学のために上京し、そのまま関東で就職した金田一の傍ら、国見は地元での就職を選んだ。だが配属先が実家から若干遠く、彼女は就職と同時に一人暮らしを始めたのだった。かと言って実家は片道二時間程度なので、余力さえあれば週末に帰って寛ぐくらいの事はしている。
今回、金田一は正月の連休で帰省した。過ごすのは国見の部屋だが、一日、二日は新年の挨拶がてら、はたまた相手の家族に顔見せがてら、二人でお互いの実家を回る予定だった。
「英、大掃除終わってるか?」
「まだ」
「帰ったらやる?明日大晦日だぜ?掃除なんかやらんだろ?」
「手伝ってくれる?」
「してやるしてやる」
彼女に頼られて嬉しくない訳がなく。ニコニコととても嬉しそうに笑った金田一はこくこくと頷いた。
「今日は、何食べたい?明日は夜ご飯年越し蕎麦決定だし、正月とかは実家回るし、絶好のリクエストチャンスだよ」
「んー…何だろ……アジフライ?」
「……年末感の無いご飯…」
「え、年末感のある飯って何だ、逆に」
「…まあ、いいよ、フライで」
全く年末感の無い食事のリクエストに少し笑ってしまう。まあ、年の瀬っぽいご飯も年始っぽいご飯もこれから散々食べる訳だし、今くらい年末感の無いものを食べるのも悪くない。アジとイカとカキと、後何を揚げようかなんて考えていると金田一が『あ!』と声を上げた。
「一旦ずんだシェイク買ってきていい?」
「観光客しか飲まないやつ?…勇太郎、都会にかぶれたね」
「何でだよ。良いじゃん、英も飲む?」
「飲みたかったら勇太郎のちょっともらうから良い〜」
国見は便乗してタダ飲みを企てる。けれど金田一はそれを分かっていながら『しょうがないなぁ』なんて笑って頷いた。今も昔も、やはり彼は国見に大概甘いのである。
バスに乗って十分程度、国見の住むマンションに着いた。四階の自宅へ向かい、鍵を開けて中に入る。彼女の家へ足を踏み入れる際、律儀に『お邪魔しまーす』と声を掛ける金田一が可愛くて国見は思わず吹き出してしまった。
荷物を置いて、手を洗ってコートを脱いでソファーに座る。首を回せばパキパキと音がした。先程の新幹線の旅でだいぶ凝ってしまっているらしい。と言うかもう体中がバキバキで、肩から首から腰から、全身からパキパキと骨の鳴る音をさせていた。
「勇太郎どこで寝たい?ベッド?ソファー?」
「あー…英と寝たい?」
「質問に答えろよちゃんと。じゃあベッドね。狭いから寝る時邪魔んなんないように小さくなって。小人くらい」
「無茶言うなて」
荷物を置いて少しゆっくりして、いざ大掃除を始める。窓をガタンと外し、濡れた雑巾でガラスを拭く。国見の家だからと張り切って綺麗にする金田一を眺めながら、彼女も部屋の片付けや細かいところの掃除を進めた。
掃除が終わったのはその数時間後で、もうそろそろ夕方と言った時間。夕飯の買い出しに行こうと立ち上がった国見に倣って金田一も立ち上がり、二人で買い物に向かった。金田一リクエストの料理に使う食材他、久方ぶりに帰省した彼の『あ、懐かしい』、『これ好きだった〜』と言う歓声を聞いて関係のないものも少し買った。何だかんだ、国見も金田一には甘かった。
レジ袋をぶら下げて、帰路に着く。夕暮れの空を眺めながら、金田一は口を開いた。
「いいな〜、家に人がいるって」
「…分からなくは、ない。勇太郎がいると、いつもより数百倍騒々しいし」
「…なんか引っ掛かりのある言い方だな。それ俺うるさいって事…?」
国見は何も返さない。『えっ』と困惑の声を上げるが、それもしっかりと無視である。
「…………一緒に、暮らせたら良いのに」
当然、埼玉と宮城ではそんな事出来なくて。彼女は少しだけ寂しそうに唇を尖らせた。珍しい国見からの言葉に金田一は息を飲んで、それから急に唸る。突然の様子にパチリと目を見開く国見。どこか怯えた様な顔で金田一を見ると苦い物でも飲み込んだ様な、難しい顔をしていた。
「…何?」
「いや、今だよなと思って」
「何が」
「プロポーズ」
国見はピタリと足を止める。少し先に歩いて、困った様な顔で振り返る金田一を見て、『あー…』と同意でもなく、返事でもない様な声を上げた。
「あー、ウン、そっか」
「指輪ねぇもん、今。トランクの中」
「……………え、あるの?」
「…いや、ほんとは今日マジでプロポーズする気でさ、そん時に指輪渡そって思ってたんだけど、なんか、今の方が雰囲気的にも話の流れ的にもめっちゃ良いなと思って、うわどうしよってなってる」
「…だ、だせぇ〜………」
思わず上げたその言葉。金田一は恥ずかしそうに後頭部を掻く。自分の計画が全て破綻してしまった事まで丁寧に全て晒し、彼は勝手に慌てていた。
「別に、指輪じゃないでしょ。言葉が大事じゃん、そういうのって。だから、今このまま流れで伝えてあとで指輪渡せば良かったじゃん」
「………マジでそうだよ」
「勇太郎、大分緊張してる?」
「ガチ心拍エグい」
国見は彼の空いている片方の手に試しに触れてみる。心拍なんてそんなものは掌に触れただけでは全く分からないけれど、そこは手汗でびちゃびちゃになっていて。普段通りではない事がよく分かった。
「…全部ご本人からネタバレされたけど改めて言って良いよ、今」
「………ちょっと待って、深呼吸させてくれ一回」
「……終わった?落ち着いた?」
大きく胸を上下させ、擦って吐いてを繰り返す。それから手汗で湿った手でギュッと国見の手を握った。
「お、俺と、結婚してください」
「うん。指輪、あとでちょうだい」
「…!わ、分かった!」
彼女の明るい返答に緊張の糸が解けたらしい。握った手の力が抜けて、上がっていた肩がストンと落ちた。
「…………断られなくて良かった〜…」
「良かったね」
「…とりあえず次は正月の挨拶と一緒に婚約報告だな」
「うん。結婚っていつ頃予定?」
「うーん。色々落ち着いたらって感じだけど…」
「今のボロアパート出て新しい部屋探したり?私もここ出る準備しないとだし」
「ああ……え、俺に合わせて上京してくれる感じか?」
「うん。別にそれで良いかなって」
「マジ…?良いのか?」
「うん。だってお前は仕事だけじゃなくてバレーの事もあるでしょ。だから私がそっち行く。部屋、……私が探しとこうか?」
「え、別に俺が探すけど」
「また狭くて汚いボロアパートにされても困る」
「しねぇよ」
どちらがどちらの方に行くのか、それは第一に直面する壁だが国見はあまりにも簡単に決めてしまう。それで良いのかと少し不安になる金田一だったが、良いと言ってくれるのであれば何も言わない。元日の実家帰省は婚約の報告の他に、国見の上京の報告も追加された。
「…結婚前に転職先も決めよう」
「転職するの?」
「まあ、将来的に家持って子供育てるって考えたら給料は多い方が良いだろ?いや、産むのは英だからあんま俺から言えねぇけど」
「今すぐにはいらないけど、ゆくゆくは考えても」
「あっ、そ、そうなんだ」
国見の言葉に露骨に安堵した様な反応を見せる。分かりやすい男を一瞥し、彼女は『うん』と頷いた。
「私も向こうで仕事探そう」
「お、そうか。じゃあいつ頃こっちに来る感じだ?結構すぐ?」
「まあ、退職して、二月…とか」
「オッケー。じゃあそれまでに一緒に部屋決めようぜ」
「……綺麗なところね」
「分かってるって」
国見は手汗が引いて冷えて来た金田一の手を握る。先程から表情も反応もいつもとあまり変わらない国見に少し不安感の様なものを覚えて、伺う様に彼女を盗み見る。
俯いて前に流れた髪の隙間から彼女の耳が少し覗いていた。耳はほんのりと赤くなっていて、彼女は彼女なりに嬉しがっていると言うか、照れているのだと分かって金田一まで恥ずかしくなる。
「びっくりするだろうね、お正月の挨拶に来たら婚約の報告されるなんて」
「いやー、でも俺、そろそろどうかって親にせっつかれてたし、遅いって言われるかもな」
「もしそう言われたらヘタレにしては頑張ってましたってフォローしとくね」
「………フォロー出来てねぇよ」
僅かに元気の無くなった金田一をちょっとだけ小突いて夕暮れの中を歩く。そのあと、家に着くや否や綺麗な箱に入った指輪を手渡す彼の性急さに、国見は少し笑った。
正月、挨拶と報告のために国見と実家に向かった金田一は、親から危惧していた言葉をそのまま言われてしまうのである。そして国見に言われた通りのフォローをされ、家族にゲラゲラと笑われて彼は思わず頭を抱えるのだった。

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