「要さん」
「ん?なに?」
横に座ってのんびりとしていた彼女が、二口の言葉に顔をあげる。こくんと首を傾げ、彼と視線を合わせてはにかむ。
「俺はそろそろ次の段階へ行きたいと思うんですよ」
「え?結婚?」
「いや、それはそうなんですけど、それだったらもっとちゃんとプロポーズしますよ。こんな次の段階へ行きたいとかいう訳分かんない言葉じゃなく」
くすくすと茂庭は楽しそうに笑った。そんな笑顔のまま、二口の言葉を急かす。
「それで?なに?」
「その、結婚の前段階として俺は敬語を止めようと思います!」
「おー」
「要さんとは先輩後輩じゃなくて家族になる訳ですし、俺が敬語でも別におかしくはないけど、やっぱタメ口同士の方が良いじゃないですか!いや、これは俺の感覚の話っすけど」
「そうだねぇ、家族っぽいね」
「だからちょっと俺マジで敬語やめようと思うんですよ」
「うん、良いと思うよ〜」
のんびりにこにこと返事をする茂庭に何故か二口が少し驚く。『え』と固まって、探る様に念押しした。
「要さん良いんですか?これから一生元後輩からばりばりにタメ語使われますけど」
「何その変な言い方。堅治ならいいよ〜」
学生時代は先輩をこき下ろし、揶揄って遊んでいた二口とて。れっきとした運動部の縦社会出身なのである。骨の髄まで体育会系の彼はしきりに大丈夫かと確認するが。茂庭は何食わぬ顔で大丈夫と言った。
「…本当に俺やめますからね、マジ今日から早速。実際にタメ語使われて俺の事めちゃくちゃ怒るとかやめてくださいよ」
「そんな理不尽に怒った事ないでしょうが。私をなんだと思ってんのお前は」
「そこはダレノガレかって突っ込むべきでしょ。お笑いが分かってないなアンタは」
「うるさい知らん。ていうか私怒っても怖くないなって言われ続けてんだからそんな怯えんくても」
「別に怯えてませんけど!念のためです」
茂庭要という女性は本当に優しい人で。『コラ』なんて叱りはするけれど、迫力は皆無である。いや、自他認識共に怒っても怖くない代表として、怖がられたら逆になんか違うなんて気持ちになるというか。という心持ちで二口に言えば、強がる子供の様な反応が返ってくる。
「タメ口使ったら?」
「使いますよ、そろそろ」
「…そろそろ?まだ使わないって事?」
「使いますけど」
「…いざ使うとなって渋ってるの堅治の方じゃん」
「渋ってませんけど」
そうは言いつつ、先ほどから言葉は尻込みばかりである。渋りに渋る二口に茂庭は眉を下げて笑った。頭頂部から爪先まで目上の人への礼儀やら何やらでヒタヒタの二口を、彼女は『ほら』と再度促す。
「ほらー、タメ口で雑談しよ〜」
「今日はいい天気ですね」
「面白くな…。つまんない合コンかよ。なんでそんな急にSiriみたいな感じになっちゃったの?」
「ちなみにさっきまで雨が降ってました。狐の嫁入りですよ」
「ああ、晴れ雨だったね」
「なんかもっと風流な呼び方出来ないんですか?狐の嫁入りでいいでしょ。何晴れ雨ってダサ」
「ムカつく〜」
二口に完全に言葉の揚げ足を取られ、茂庭は呟く。しかし少しばかりムッとしてからすぐににやりと笑った。
「今の感じで喋ったらいけると思うんだよなぁ」
「今の?揚げ足取る感じですか?」
「そんな訳ないでしょ。喋るたびにそんなんやられたら別れるわ普通に。普通にタメ口使ってたじゃん」
「…え、マジ?そだっけ?」
「あ、そんな感じ」
「いや、これは独り言なのでノーカンです」
「これからタメ口使うって話なんだからいいだろ別にノーカンにしなくても」
どこかバツが悪そうに首の裏を掻く二口に茂庭は笑う。どう言う感情の顔なのと呟いた。
「二口にも難しい事があるんだねぇ」
「そりゃありますよ」
「生意気でも先輩に敬語外すのは抵抗あるってなんかめっちゃ可愛いね」
「可愛くないです」
可愛いと揶揄われてむくれる二口がやっぱり可愛く思えて。茂庭は硬い頬をツンと突いてみる。やめろと首を振る二口に彼女はくすくすと笑って、軽く謝罪を述べた。
「私堅治とタメ口で話したいな〜」
「…話しますって」
「タメ口でお喋りできたら明日は朝昼晩全部堅治の好きな物作ってあげる」
「え」
三食全部主導権を自分にくれると言う申し出に思わず目を輝かせてしまう。それは二口にとってあまりにも魅力的だった。彼とてまだ二十代だある。胃袋はまだまだ強靭で、勿論学生時代には劣るものの、未だ食欲は健在で程々に大喰らいである。
「む…」
「堅治は何食べたい?まず朝から」
「…あ、俺は…」
少し躊躇って、口を閉じる。だがすぐにおずおずと声を上げた。
「和食がいい…?」
「…!和食?例えばなんだろう。んー…卵焼き?」
「だし巻き!」
「だし巻きいいねぇ。美味しそう。そうだ、駅前で買ったお漬物まだ少し余ってるからそれも食べる?」
「お漬物…!大根まだありますか……ある?」
「あった、はず…見ないと分かんないけど、全部食べてなかった様な気がするんだよね」
「あと、俺、焼き鮭食いたいんすけど、…食いたいんだけど!…だめ?」
「や、焼き鮭かぁ。あとで切り身買ってくる!」
「え、買わなきゃないんなら大丈夫…」
「いやいや、明日は堅治くんの食べたいもの全部叶えるスペシャルデーですから」
遠慮していた彼も目をキラキラさせて嬉しそうな顔をして。それならお言葉に甘えてと笑った。たかだか朝ごはんでこんなに素敵な表情が見れるのならば毎日だって好きな物を作ってあげたいと言う気持ちに駆られるが、それでは今回のご褒美が台無しなので、とりあえず堪える事にする。
「タメ口で会話出来たねぇ」
「…生意気だぞとか言わない?」
「お前が生意気なのは今更だろ」
一言一言、伺う様に語尾が少し上がったりだとか。敬語で言ってしまって、その度に律儀に訂正するところだったりとか。まだまだ慣れてない感じが何だかとても可愛くて、茂庭の微笑みは止まらない。自分の不慣れさが笑われている事に気付いて、二口はむぅと唇を尖らせた。
「要さん笑わないで」
「ごめん、堅治が可愛くて」
「やっぱ先輩に意識的に敬語崩して話すのマジで訳分かんなくなるっす」
「なんだよ〜家族とか友達には出来るくせに、彼女には出来ないの?」
「彼女である前に先輩なんだよアンタは」
少し疲れた様な顔で小さく息を吐き。照れ臭そうに茂庭から目を逸らした。何だか小学生男児にも思える様なウブな反応に、笑うなと言われても思わず笑みが溢れてしまった。
「そうだ、堅治」
「…なんすか?」
「タメ口!」
「何?」
「私の事も呼び捨てしてみて!」
「…うぇぇ…」
気の抜けた情けない声を上げた彼に茂庭は楽しそうに笑う。困った様な顔をして二口は彼女の顔を見るも、茂庭はニコニコと上機嫌な表情を返すばかりだ。
「名前!かなめ!」
「…か、かなめ」
「わ!」
「かなめ、ちゃん」
「わー!」
照れるねぇと頬を両手で包み込み、押さえる。まるでアニメの様な可愛らしい反応に二口もつられて恥ずかしくなりつつ、未だ試行錯誤を繰り返す。
「かなめ、かなめちゃん」
「かなちゃん」
「かなちゃん…っやっぱ要さんで」
「えー!なんで?要ちゃん可愛かったのに」
「いや、マジ勘弁してほしいっす、もうそろ」
「要ちゃんとか要とかって言われると、なんか二口と同い年になったみたいでなんかドキドキするんだよ〜。嬉しいのになぁ」
少し寂しそうな声を出す、そんな言葉を聞いて二口はまた眉間に皺を寄せ。そんなに喜ぶなら、まあ偶にならと甘やかすと。茂庭は嬉しそうにふふふと笑ってくれたから二口も釣られて嬉しくなった。
それじゃあと話題を戻してご飯の話へ。朝食は決まったから次は昼だと言って。また二口は慣れない敬語で辿々しく会話をする。こうしてどうにかこうにか組み上げた明日の三食の献立は、無事二口が始終ニコニコで上機嫌でいる原因となったのだった。
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