天使と熱病⑨

結局、ユカリの言葉が気になってしまって、言われるがままホテルシュールリッシュまで足を運んだ事を今更になって後悔した。ビジネスでも時折使用している青いスーツに袖を通し、まんまと姿を見せたガイにユカリがにこやかに『来てくださったのね!』と笑った事でさえ、馬鹿にされている様な気がして少し頭に来る。
ハルジオに連れられ、バトルコートまで通された。最早見慣れたラグジュアリーなバトルコートだが、トーナメント表の映る大きなスクリーンの下に豪華な椅子が二脚置かれていて、中央のものは一際立派だ。まだ誰も座っていないそれに何だか嫌な予感を感じて後退るが。ハルジオのガイを制する様な声とユカリの圧に負けて、大人しく王の椅子に着座した。
「お似合いですわよ」
「うるせぇ…」
一際派手な背凭れが恥ずかしい。視線には慣れているはずなのに、集まる視線が今日に限っては非常に恥ずかしく。流石のガイも項垂れた。
「帰って良いか?」
「ダメです」
「やめてください、…またユカリゾーン展開されますよ」
「………出たぁ」
あの紫色のホログラムを思い出し、ガイは顔を顰める。特別席に座るユカリとガイの後ろで、彼に耳打ちをしたハルジオも疲れた様な表情で。二人の間に流れる謎の一体感はユカリのこれまでの蛮行によるものであった。
「さて、皆様お集まりの様ですから、始めましょうか」
そう言って立ち上がったユカリは声を張り上げる。両手を大きく広げ、優雅に口角を上げた。
「お集まりの皆様!本日はご参加いただき、誠にありがとうございます。今宵はあのクエーサー社の若きCEOであるガイ様の運命のお相手を決めるトーナメントですわ!」
楽しそうに叫んだユカリは胸に手を当てる。それからうっとりとした表で頬を押さえた。
「ガイ様はお一人しかおりませんから、ガイ様の愛を受け取れるのもだったの一人だけ…。それは勝者のみが手にする事の出来る、特別甘いもの!一番強いレディのみが受け取れる寵愛ですわ!ご参加の淑女の皆様方、是非とも全力で愛を掴み取りに来てくださいませね」
「…いや」
この口ぶりでは勝ち残った勇敢な一人を無条件に愛すると言っている様に聞こえるが。ただサプライズへの期待を餌に呼ばれただけのガイに、勿論の事そんなつもりは毛頭ない。
彼が心に決めている女性は既にいる。だからユカリの言葉を叶える事など一切出来ないし、盛り上げるためにそんな適当を言うのならもう今すぐに帰ってしまいたいとも思っている。だが、ユカリがこの場を仕切る以上、そうは問屋が卸さないもので。
ユカリの適当な発言で盛り上がる参加者の女性達にも非常に申し訳なく、期待には決して応えられないため『勝たれてもアンタらの事は好きになれないけど』などと否定しようとしたが。口を開いたガイの耳に唇を寄せ、『ちょっと黙っとけよ』と静かに覇気のある声で囁くハルジオに少しビビってガイは言葉通り完全に黙った。
ハルジオとしても立場がある。場の空気を壊す様な発言をして、ユカリの機嫌を損ねてしまう事は何よりも回避したい事だった。
「ルールは簡単ですわ。このトーナメント表通りにバトルをして、一番上まで勝ち上がった方がガイ様のお隣に立てます」
GSトーナメントのルールを簡単に説明し、トーナメント表を写した。ご令嬢の写真が並ぶ中、一番右だけ写真の表示が無く。はてなマークで素性を伏せられていた。
(これがサプライズとやら…)
ユカリに今回の諸々を話した事など一切無いし。おそらく友人達も、本人を無視してそれを公言しまくる様な人間では無いし。ユカリが本当に知っているのか、カマをかけてそれにまんまと引っ掛かっただけなのかはガイも未だ謎なところではあるが。あれだけ思わせぶりな事を言われて、期待を持つなと言う方が難しい様にも思う。
(もし、サプライズがそうだったとして、こんなアホみたいな享楽に、…セイカが来てくれたんだとしたら)
彼女の答えを期待してもいいのだろうか。この場所へ足を運んだその意図を、都合良く解釈する事を許してくれるのだろうか。このトーナメントのくだらない名称も、戦う意味も全てはガイにあるのだ。
形式なったルール説明などこれ以上は不要だとも言いたげに『それでは』とこれまでの流れを断ち切って。早々に始まったバトルをガイは頬杖を突いて見つめる。
(これでセイカじゃなくて別の誰かだったら、俺はユカリをぶん殴って帰ろう。女だからとか知らん)
ガイが名前も覚えていないご令嬢達のバトルをぼんやりと眺めている最中。その裏ではセイカがドレスに袖を通していた。ベロア素材の赤いドレスは大人っぽい色合いでありながら、余裕を持ったシルエットのフレアスカートは可愛らしい。
ドレスと同じ色のヒールを履き、大人っぽいメイクを施された彼女は姫君の様で。その上、自信の無さそうな表情が庇護欲を掻き立て、より一層魅力的に見せている事にセイカは気付いていない。
大きく溜息を吐いて、ドレッサーの鏡を覗き込む。メイクのノリを確認して、また心配そうに眉を下げて。側にあったストールを羽織った。
「………馬子にも衣装…」
肌触りがあまりにも良過ぎるドレスは高級品だと見るだけで判断出来るほどのもので。幾ら鏡で確認しても、ドレスに着られていると言う感想以外見つからず、バツが悪そうに目を逸らした。
「帰りたい…」
控え室から出る事があまりにも億劫で。驚くほど猫背なまま、その場で手を握り締めた。
「…勢い余って来ちゃったけど、本当にポケモンバトルなんてここ十年してない…」
二匹とは長年連れ添ったにしても、戦いの舞台に立ったのはもうずっと前で。当時の様な立ち回りを出来る自信は一切無い。きっと彼らに迷惑を掛けてしまうのだろうなという想像しか出来ず、手が震える。
来たところで勝算も勝つ見込みもない。ただ恋情のままに、馬鹿みたいに流されて最早衝動でこの場にいるだけで。ユカリの目の前でみっともなく泣いてまで参加したのに、これで初戦敗退なんて笑い話にもならない。わざわざシークレットゲストなんて言って正体を伏せておきながら、そんな体たらくなどユカリの顔に泥を塗る事にもなる。
「負けたら…」
負けたらガイは失望してしまうのだろうなと。ポケモンで始まり、繋がった関係なのに、それすら出来ないと知ればきっと見限ってしまうのだろう。もう逃げないと、遠慮はしないと決めたのに。結局失望される事が怖くて勇気が出ないでいる。
「…また、まただ…私また、自分がしたくない事の言い訳をガイに押し付けてる」
負けるのが怖いからバトルなんてしたくない。嫌な理由を全部ガイに紐付けて、正当化しようとする癖は抜けず。セイカは自己嫌悪で気分が深く沈んでいく。
「………だめだ…やだ…もう帰ろう…やっぱやだ……バトルが強くない私なんて、ガイの望む私じゃない…これはきっと不正解だし…」
セイカは立ち上がった。もう今すぐにでもこの場を立ち去って、自分の部屋でのし掛かる罪悪感と後悔に泣こうなんて思いながらドアノブに手を掛けようとした時。腰元に付けたベルトに収まるボールが強く揺れた。
「わ」
それは何かを主張する様にグラグラと揺れた。立ち止まったセイカは揺れるボールを手に取り、見つめた。その揺れに続く様、他の二匹分のボールも激しく揺れて。セイカは困惑する。だがふと考えて、ボールの中に収まる家族達に問い掛けた。
「…逃げるな?」
返事をする様に掌のボールがグラリと一度揺れた。肯定する様な反応にセイカは困った様に眉を下げる。
「………分かってる、けど…」
そんな事は分かっていても、常識と理屈で思い止まれる様な事でもない。その場で困り果て、立ち尽くすセイカにまた何か言う様にボールが揺れた。グラグラと三つのボールが優しく揺れ続ける。ありありと感じる彼らの存在に、セイカの心が少しだけ安心して。ハッと気付いた。
「君達が、いるね」
ボールはそれぞれ大きく揺れる。そうだよとも言いたげな主張に、セイカも目を細めた。
「…そうだね、ごめん」
戦うのは一人ではない。家族同然の生き物達と一緒に戦う。そう思うとセイカは落ち着きを取り戻し、手の震えが止まった。腰のベルトにボールを戻して、ゆっくりと深呼吸をする。
「…うん、ダメだよね。逃げちゃダメ。向き合うって決めたのは私だから」
逃げたらまた何も変わらなくて。結局その後で後悔して泣くのだろうから。ちゃんとこの機会に解決しなければならない。
そう強く自分に言い聞かせているとドアがノックされる。しっかりとしたノック音の後にドアを開けて顔を見せたのはハルジオで。セイカを見て何も言わず、彼女は黙って頷いた。
ハルジオの後に着いて向かう。肩からずり落ちてしまいそうなストールを押さえながら、ヒールを鳴らして足早に歩いていると、少しだけ顔をこちらに向けたハルジオが目を細めた。
「よく似合ってるじゃねぇか」
「…ど、ドレスに着られちゃってませんか…?」
「まさか。常識の無いユカリも美的センスはちゃんとあるし安心しろ。心配しなくても一番似合ってるぜ」
本人の居ぬ間に散々な悪口を言うハルジオに苦笑する。本人がもうすぐ近くにいる様な場所でよく言えるなとは思ったけれど。彼女の言葉だって自分を励ますものだと思うと何も言えなかった。
「ありがとうございます」
「……うちもキミらの間に何があんのかとかマジで知らねぇけど、そう言う蟠りってちゃんとぶつかり合う事で解決するしさ、ちゃんと向き合えよ」
「…わかってます」
「まずは腹ごなしに金持ち女全員ぶっ飛ばして来い。そんで昔のカン取り戻して、セイカがまた戦える様になったらうちと熱い勝負だな」
ハルジオのバトル好きなところは相変わらずだ。歯を見せてニッと笑う彼女に釣られて表情を緩めた。
「じゃあ、行って来い。…がんばれよ」
グッと握った拳を突き出してくる。それが何を意味しているのか、セイカにはよく分かった。何度もやった、言葉のいらないコミュニケーションはいつだって彼女に大きな勇気をくれる。
「…はい、いってきます」
大きな扉が開いて。ピンクと黒のラグジュアリーなバトルコートが広がる。焼け焦げた香ばしい匂いと、草の香りと、お菓子の様に甘い匂いが充満していた。懐かしい勝負の香りにセイカは少しだけ躊躇うも、深呼吸をして定位置に着いた。
ビビヨンの羽の様にキラキラとしたドレスの裾を翻し。真剣に相手を見据えて戦場に出る彼女を目にした瞬間、ガイは勢い良く立ち上がった。そのまま彼女の元へ駆け出そうとしたところを、いつの間にかセイカの隣から戻って来たハルジオに肩を掴まれ、凄い力で椅子に引き戻された。
「痛っ、い、いてててて」
「お座りください」
「ハルジオさん力強いな」
「レディに向かってそんな事仰ってはいけませんわ。…ハルジオなら良いのかしら」
ハルジオに対して非常に失礼な発言をするも、ユカリ相手に反論は出来ない。少しイラッとした表情でハルジオはガイの肩により力を込めた。
「あっ痛い!いたっ、痛い痛い!もう座ってるから離せってば!」
「…失礼いたしました」
「ガイ様、その席に座っている以上は平等でいてくださるかしら。あからさまにメインゲストが一人に肩入れしているなんて知られたら興醒めですわ」
「俺別にこの席に好きで座ってる訳じゃねぇし」
「まあ、サプライズに誘われてまんまと来られたのに?」
そう切り返されればガイは何も言えない。悔しそうに黙って、背凭れに雑に身体を預ける。ジャケットに皺が寄った。
だが、それにしても。サプライズが全く嘘ではない事が驚きだったし。それ以上に、彼女がこの場に来てくれた事がとても嬉しくて。
(…これって流石に期待しても良いって事だよな?)
ガイの隣に立つ権利を優勝商品にするこのトーナメントで、ただバトルがしたいから来たなんてユカリの様な事をセイカがするはずもない。この場に彼女が現れた意味を考えるべきだった。そこには何かしらの想いが必ずあって、だから大層な期待一つしたってバチは当たらないだろう。
本当は今にも彼女の手を取ってこの場を抜け出して、腕の中に閉じ込めて強く抱き締めたいくらいなのに。不満そうに、偉そうな態度で椅子にふんぞりかえるガイにユカリは声を掛ける。視線は彼には向けず、ボールに手を伸ばす勇ましい女性に注いだまま。
「セイカ様はただ単純な想いでこの場に参加した訳ではないと、きっと貴方なら分かっているでしょう?」
セイカとのやり取りやデウロ達からの言葉を思い出せば、それは考える間もなく明らかで。セイカは覚悟を背負ってこの場に立っているはずだ。彼女の中の全ての恐怖と不安を抱えながら。ガイの手によって傷付けられ、想いに反比例していく心と争いながら、高いヒールで踏ん張っている。
「貴方はセイカ様の事が信じられないの?彼女が勝つとは思わないの?」
「…勝つよ、俺のセイカだ。負けるはずないだろ」
「乙女の覚悟を信じないのは二流の男よ。わたくし、セイカ様のお隣に立つ方は誰だって良かったし、バトルなんか強くても弱くても、男でも女でも構わないけれど…セイカ様の決意を信じる事の出来ないダメな男を許可するつもりはございませんから」
「お前は別に許可する立場にないぜ」
「いいえ、推しの隣に立つ人を見定める権利はわたくしにございます」
「一ミリもねぇよ」
ユカリは相変わらず横暴な発言をするが、彼女の言葉にも一理あるとは思っていて。あの頃みたいにまた、ちゃんと彼女の事を信じなければいけない。セイカは一度だってガイに手を引かれる事も、守られる事も望んだ事はない。セイカはいつだって強かった。
「あの時だって、ミアレを守って、俺とフラエッテを助けてくれたんだ。こんなトーナメントで勝ち上がる事くらい簡単にしてみせる」
「まあ、貴方がどう思うかはどうでも良いのですけれど、先程の『俺のセイカ』と言うのはやめた方がいいですわよ。正直言って気持ちが悪いですわ」
「…それは私も概ね同意です」
「まあ、ハルジオと意見が合いましたわね」
「………すみません」
賑やかな三人の様子など目に入らないセイカは、目の前の対戦相手に全神経を集中させた。戦いの最前線へ立ってみると手の震えがまた出て来てしまって、彼女は胸の前でギュッと手を握り締める。緊張と不安とで口を開けばゲロでも出て来てしまいそうで。鼻でゆっくりと息を吸い込んだ。
「相手があのミアレの英雄でも、私は負けませんわ!」
美しいドレスを着こなした、対戦相手の女性がそうセイカに投げ掛ける。強い意志と決意の籠った声に気押されそうになるも、腹に力を入れて真っ直ぐ立った。それから彼女の鋭い視線を返す様に、セイカも目を開いて重たい口を開く。
「…私も、負けられないんです。勝ちます。負けません」
目の前の彼女が本気なら。私もちゃんと誠実に応えないといけないとセイカは思ったから。挨拶の様に啖呵を切った。そのおかげで改めて気合が入って、なんだか猛りが不安を上回った様な気がした。
(ちゃんと勝って、私はガイと話さなきゃいけないの。ちゃんとガイに謝って、本当の事言って、伝えるんだ)
両者同時にボールに手を掛けた。そして手を振りかぶる。それが開戦の合図だった。
「行きなさい、フレフワン!」
「オーダイル、おねがい!」
オーダイルは待っていたかの様に雄叫びを上げ、敵を見据えた。張り切るオーダイルの鳴き声はビリビリとあたりに響き渡り、地面を揺らした。
「オーダイル!アクアブレイク!」
「フレフワン!まもる!」
オーダイルの水流を纏った突進は強固なバリアによってガードをされる。弾かれた身体を立て直し、小さく前屈みになる。すぐにでもまた相手の懐へ飛び込んでいける様な体勢のオーダイルに、セイカははっきりと指示を出す。
「こおりのキバ!」
キラリと光ったオーダイルのキバがフレフワンの首元に刺さった。痛みとともに、絶対零度の宝石の様なキバからフレフワンの体内へ冷気が流れ込んでいく。そのままフレフワンを咥えて顔を振り回し、吐き出す様に床へ捨てた。僅かに体力を残したフレフワンが床に叩き付けられ、両手を突いて立ち上がるタイミングで抜かりなくたきのぼりを叩き込む。フレフワンはきゅうと鳴き声を上げてボールへ戻って行った。
「…っデデンネ!頼みますわ!」
小さなデデンネが勇ましい声を上げた。目の前の巨体を見据え、頬袋からパチパチと電気を起こす。
「かみなりです!」
勢いのある放電にあたりの空気もパチパチと弾ける。一瞬だけ眩しく光って、地面に落雷の予兆が見えた。セイカは何も言わず、落雷のタイミングをはかる。それから大きな音と衝撃と共に強い電流が空と地面の間へ柱を立てた時、瞬時にオーダイルを手元へ戻した。
「アブソル!つるぎのまい!」
かみなりの攻撃を若干受けつつ、出て来たばかりのアブソルは自身にバフをかける。ブォンと角を振り、姿勢を低く構えた。
「デデンネ、じゃれつく…」
「アブソルつじぎり!」
アブソルの気迫に気押された女性が若干、デデンネへの指示が遅くなったその隙間に、セイカは技を捩じ込む。素早く繰り出した斬撃は、タイプ相性を越えてあえなくデデンネを打ち倒した。
「…っ!キルリア!頼みますわ!」
おそらく最後のポケモンであろうキルリアを繰り出し、切羽詰まった様な顔でセイカを見据える。セイカは再びつるぎのまいを使い、能力値の向上をはかる。
「マジカルフレイムです!」
彼女のキルリアが鮮やかな色の炎を放つ。距離的には躱せそうなそれを、わざわざ動かずに受けたアブソルの体力は半分まで減った。
「アブソルつじぎり!」
先ほどと同じ様に、また切り付けようと距離を詰めるも、角が身体を掠めようとしたその瞬間に、キルリアはまもるを使った。刃が受け流された瞬間、セイカは待っていたかの様に目を光らせる。それから大きな声で叫んだ。
「今だよ!シャドークロー!」
そのまま黒い霧の様なものを纏った角で切り付ければ、キルリアはなすすべもなく倒れる。こうかばつぐんの一撃には耐えられなかった様だ。隙を誘い込む様な戦法にあえなくハマった彼女は床に伏せるポケモンをボールに戻して項垂れた。
「ミアレの天使はもうバトルなんかしないと聞いておりますのに…」
誰かが呟いたその言葉に周囲は静かに同意をして。彼女を全員が見れば、セイカは掌に握ったボールを見つめて表情を緩める。
「………ちょっと、勘戻ってきたかも」
やっぱりセイカは変わっていないとほくそ笑むガイの横で。その様子を見ていたユカリは非常に小さな声で呟いた。
「…素晴らしいですわ、さすがセイカ様。ダメージを誘ってつじぎりをブラフに、もう一つの手を繰り出すなんて…惚れ惚れするお手前ですわ」
お前も大概セイカの肩持ってんじゃんとツッコミたくなったが、ユカリにあまり関わりたくないガイは黙っている。結局、主催側もたった一人に肩入れしすぎて実のところ、何もフェアではない。
セイカの勝利で収めた一回戦目からまたすぐに二回戦へと変わる。先程の戦いで勝ち進んだ黒いドレスの大人っぽい女性も、セイカは難なく倒した。オーダイルとアブソルのスイッチを上手く使いこなし、状況を見て攻撃を躱したり、受けたりする。オーダイルのこおりのきばに相手のトリミアンが倒れた時、セイカは安堵の息をついた。
「…うん、ありがとうオーダイル」
久しぶりのバトルだと言っていたのに、セイカの腕前は相変わらずだ。状況を読み取って、迅速に油断も隙もなく判断を下す事に長けている。
「ああ、セイカ様ってば、なんて素晴らしいの…!」
うっとりと、そんな言葉がよく似合う様な表情で彼女を見つめていて。ガイは彼女のその表情に呆れていたし、気持ち悪がってもいた。
こうして勝ち上がった彼女は最後のバトルに挑む。もう一つのブロックで戦って残った勝者との決勝戦だった。相手の少女は真剣な面持ちでセイカを見据える。彼女は真っ直ぐとセイカを見て口を開いた。
「わたし、ガイ様の事、本気なんです」
彼女はあの時、ひったくりからガイに助けられた女性だった。だが、その事にガイは全く気付いておらず。というか、セイカしか見ていないので、今までの対戦相手の顔すら全く覚えていない。
この時点でその純粋な恋心は全く報われてはいないけれど。本人も恋に盲目でそれに気付いている様子はないため、唯一その事に気付いているユカリも、流石に空気を読んでわざわざ伝える様な事はしない。
「ミアレの天使様が、幾らバトルがお上手でも、私は絶対に負けません!」
彼女の視線からは本気がビリビリと伝わってくる。セイカはとても心が苦しくなった。彼女はガイから逃げずに向き合おうとして、真っ直ぐ走って一途に追い駆けているのに。自分と言えば逃げてばかりで、結局大切なのは自分の身で。負けるなぁと思うのに。誰にも譲りたくないなんて子供みたいな独占欲を、どうにも振り払う事は出来なかった。
「…私も、負けない。もう逃げないって決めたから」
バトルを開始する位置につき、手を胸元に合わせる。それから深呼吸をして、ボールに手を掛けてセイカは再びオーダイルを繰り出した。
「ペロリーム!お願いします!」
彼女が出したのはペロリームだ。甘い匂いがしその場に充満していく。
「ペロリーム!コットンガード!」
「アクアジェット!」
水流纏い突進をするも、思った以上にダメージは出ない。コットンガードがうまく作用している様だった。
「たきのぼり!」
「エナジーボールです!」
「!」
だがタイプ一致の強力なこうげきには耐え切れなかったようで、ペロリームは倒れてしまうが。真正面から受けたエナジーボールはオーダイルに確かなダメージを与えた。先程より苦しそうな表情を浮かべるオーダイルの様子を伺いながら、彼女の次の手を待つ。
「ニャオニクス!出て来て!」
ポンと放ったボールから現れたのは白いメスのニャオニクスだ。それを見てセイカはアブソルにすぐさま変更する。これで彼女のエスパー技を封じ、攻撃の選択肢を狭めた。
「リフレクター!」
「つるぎのまい!」
「みがわりです!」
「みがわり…!?っつじぎり!」
みがわりを出すニャオニクスにつじきりをするも。その攻撃は全てみがわりに代わられてしまう。出したばかりのそれを消せたのは良いが、一撃を食らわせられなかったのはあまりにも大きい。
「じゃれつく!」
「まずい」
アブソルが苦手とするフェアリータイプの技を避け切れず。ニャオニクスの突進に耐え切れず、後方へ弾き飛ばされた。
「シャドークロー!」
「みがわりです!」
再びみがわりを張られ、シャドークローが全て吸収されてしまう。アブソルは既に弱点技を受けてダメージを食らっているのにニャオニクスは自傷以外は無傷で。あまり良くない流れの中にいる事をセイカははっきりと自覚する。
「つじぎり!」
シャドークローでみがわりが消えたその隙につじぎりを叩き込めば、身代わりで蓄積されたダメージと相俟って、あえなく倒れるが。オーダイルにもアブソルにも、体力に余裕はない。
(…大丈夫、まだ、諦めるには早すぎる)
「メレシー!お願いいたしますわ!」
ここで繰り出されたのはフェアリータイプだった。セイカは目を見開き、眉間に皺を寄せる。
「ストーンエッジ!」
先程まで念入りに準備をしていたのだから、今回もてっぺきやステルスロックなどで固めてくるのかと思えば。いきなりストーンエッジで攻撃を仕掛けてくる。間一髪耐えたアブソルだが、もう虫の息だった。
「シャドークロー!」
ツノで斬りかかれば、つるぎのまいの効果もあり、半分程減らす事が出来たが。メレシーのマジカルシャインで倒れてしまった。
「オーダイル!」
セイカはまだあと一匹を出していない。普段の彼女が持っていない最後の三匹目を、今このフィールドへ送り出す事も出来るけれど。
(この子はなるべく使いたくない)
だから、出来る限りオーダイルとアブソルの二匹だけで頑張りたいと思っていた。このオーダイルが攻撃に耐えられなければ、出す事にはなってしまうのだが。
「オーダイル、たきのぼり!」
メレシーが動くより先に、たきのぼりで攻撃をした。荒々しい水はメレシーを飲み込み、戦闘不能にしていく。幾ら防御値が高くても、こうかばつぐん技には耐えられなかった。
「くっ…最後ね、チルタリス!」
「チルタリス…!」
最後の最後に、そうあっさりとは倒せない様なポケモンが現れて。セイカも汗をかいた。オーダイルの顔色を伺いながら、迅速に指示を出す。
「げきりん!」
「コットンガードです!」
オーダイルの猛攻にチルタリスの体力は大幅に減るも、まだ余裕でいられる程は残っていて。「りゅうのはどう!」
美しく叫んだチルタリスはオーダイルに向かって波動を出す。大きくよろけたオーダイルだが、何とか耐え凌いでいる様で。荒い息をしながらセイカをチラリと見た。
「オーダイル、頑張って!こおりのきば!」
それでも彼女の指示に従い、走り出す。発動時間の長いりゅうのはどうで行動の遅れたチルタリスに冷気を吐き出しながら噛み付いた。だが、倒し切れなかった様だった。
「まず…っ!」
チルタリスは倒れなかった。だが、動く事も出来なかった。どうやら、運良くこおりの状態異常にする事ができた様で、身体から冷気を発して固まっている。
「オーダイル今だよ!アクアジェット!」
決死の攻撃により、チルタリスは吹き飛ばされる。荒々しい息のオーダイルを前に、チルタリスは地面に墜落する。弱々しくか細い声で冷たいバトルコートに伏せた。
「勝負ありですわね」
ユカリの一声に、周囲は歓声を上げる。悔しそうに顔を歪ませ、目の端に涙を溜める対戦相手を前に、セイカは立ち尽くしていた。
「…勝てた」
セイカはその場に座り込むオーダイルに近付き、頭を撫でる。彼女もやっと安堵の息を吐いて、肩の力を抜いた。
「ありがとう、オーダイル。久しぶりのバトルで無理させてしまってごめんね」
「ぐぅ」
「…セイカ様」
対戦相手の女性がこちらに近付いてくる。少し身構えるセイカだったが、彼女は丁寧に一礼をして礼を述べた。
「ありがとうございました。とてもお強かったです」
「…いえ、あなたこそ」
「あなたに、三匹目のポケモンを使わせられなかったのが、悔しいですわ」
バレているよなとバツが悪そうに目を逸らす。別に手を抜いているわけでも、舐めプをしているわけでもないのだが、心象はあまり良くない様に思えて。申し訳なさそうにしていると女性は潤んだ目を細めて笑った。
「また、勝負してください」
「…………機会が、あれば」
そう言って、バトルコートから降りる彼女の背中を目で追いかけて。あまりにバトルに懸命だったせいか、肩からずり落ちて腕に引っ掛かるストールを直した。
「セイカ」
ガイが名前を呼んだ。振り向けば、ガイはセイカだけを真っ直ぐ見つめていて。目が合った瞬間、ガイは嬉しそうな、それでいて泣き出しそうな顔をして。セイカに駆け寄ろうと一歩を踏み出し、手を伸ばした。
「ガイ様、お待ちになって」
「…は?いや、もう終わっただろ。セイカの勝ち。優勝。積もる話があるので、俺はセイカとここを出てく。それでお開き。解散」
「いいえ、まだですわ。まだサプライズがございますの」
「いいよいらんわ。セイカ行こう」
ユカリを完全に無視してセイカの手を取ろうとして。ユカリの様子を伺っていたセイカも思わずその手に応える様に手を伸ばしたけれど。間に入ったハルジオによって阻まれてしまった。
「セイカ様、ポケモンを回復いたします」
「え、あ、はい」
「エキシビジョンマッチをいたしましょう!」
ガイは額を押さえ、ユカリをジッと睨み付ける。その訴えかける様な視線もお構いなく、ユカリは『さぁ!』と楽しそうに手を叩いた。
「ガイ様対セイカ様ですわ!優勝者と優勝賞品様のエキシビジョンマッチです!」
「優勝商品様言うな!」
「ガイ様が勝てば最終的な交際の決定権はガイ様に差し上げますわ」
「じゃあ必要ねぇわそれ」
そもそもガイから好意を告げたのに。彼に断る理由なんて一切無い。だからそんな権利を貰ったところで使う事はないし、ここで無駄に時間を使いたくはなかった。すぐにでもセイカとこの場を去って、二人でちゃんと向かい合って話したいのに。
「…良いのですか?貴方、一度だってセイカ様に勝てた事ないのに」
「………何?何が言いたい?」
「情けないままで終わるのかしら?」
そりゃあ一度だって勝てた事はないけど。万全な状態じゃない今のセイカと戦ったところで特に誇れる訳でもないのに。それでも、ユカリに痛いところを突かれて恨めしそうに睨み付ける。その殺伐としたやり取りを見て、セイカは困り果てた。
(ふ、二人ともこんなに仲悪かったの…?ど、どうしよう…)
「…はー…めんどくせぇ」
ガイは低い声でそう唸って髪を掻き上げる。それからセイカの方へ身体を向けて優しく笑った。
「…セイカはバトルしたい?」
「あ、え…いや、そこまででも…」
「…俺はちょっとだけしたいかも。やっぱ負けっぱなしでカッコ悪いままじゃ終われねぇから。…ユカリの言う通りなのは正直屈辱的だけど」
困った様にガイは眉を下げて笑っている。その後ろでユカリは私と随分と態度が違いますわねとガイに突っ込んでいた。
「それに、セイカとのバトルは楽しかったから…折角なら久しぶりに戦いたいなって」
「ガイが言うなら、いいけど…私、そんなに強くないと思うよ…ガイ、満足出来ないんじゃないかな」
今のセイカよりもずっとバトル慣れしている人達に連勝しておいて何を言うのだと、彼女の
謙遜に苦笑する。それは最早ちょっとした嫌みのようでもある。
「戦わないといつまでもこの場から離れらんねーだろうし」
そう言えばセイカも眉を下げて、微笑を浮かべた。そうだねと頷いて位置に着く。バトルコートの端と端、お互いに対峙するこの光景は二人にとってあまりにも懐かしいものだった。
「…流石に数合わせるか」
公式戦ではないポケモンバトルにお互いに数を合わせる様なルールはないけれど。流石に六対三ではアンフェアがすぎると思ったガイはボールを幾つかハルジオに預けようとする。それを見て、セイカは首を横に振った。
「そのままでいいよ。六匹でかかってきて」
「…なめ、られてる?」
「なめてない。ちょっと楽しくなってきたから、久しぶりのバトル。もうちょっとやりたいと思って」
「お前なぁ」
そんなのユカリの思う壺だろなんて。主催の彼女を見れば、にっこりと素晴らしい笑みをセイカに浮かべていて。本当に思う壺っぽいなとガイは呆れ顔を浮かべた。
「いや、三体で行く」
「…いいのに」
「俺はバトル早く終わらせてセイカと話したいから」
セイカはハッとして、それそうだなと笑った。この一瞬でそれ忘れてたのかよとガイも突っ込んで、少し笑った後ゆっくりと深呼吸をした。ハルジオにボールを預け、三対三の状況にするそしてその内の一つのボールを握った。腕を上げて、それを胸の前に掲げる。
「…行け!ライボルト!」
「アブソル!お願い!」
飛び出したアブソルがつるぎのまいで攻撃を上げる最中、ガイはかみなりを打つ。発動までの時間が長いその攻撃を、すんでのところで避けてアブソルはライボルトの元まで走る。セイカの指示でシャドークローを繰り出したアブソルを、ライボルトはバークアウトで迎えた。真正面から食らうも、アブソルはそのままつじぎりをした。
「ライボルトまもる!」
「っ!」
アブソルの凶刃はバリアによって防がれてしまった。しかしセイカはすぐにアブソルに次の技の指示を出す。
「アブソルじゃれつくだよ!」
「オーバーヒートで迎え撃て!」
「じゃれつくを打ったらすぐ後ろに下がって!」
アブソルのじゃれつくはライボルトの三分の二ほどの体力を持って行く。まもるのバリアが消えた後、すぐにオーバーヒートの準備をするライボルトだが、その溜めの長さから間一髪かわされてしまう。そしてクールタイムでまもるが使用出来ないところでアブソルはつじぎりで斬り付けた。
半分以下まで体力を減らされていたライボルトは耐え切れず、倒れる。ぐったりと横たわる彼をボールに戻した。ガイは落ち着いた様子で次のポケモンを出す。
「メガニウム頼む!」
花の蜜の甘い香りがふんわりと辺りを漂った。メガニウムは触覚を揺らしながら大きく鳴き、目の前のアブソルを見据える。
「マジカルシャインだ!」
「シャドークロー!」
メガニウムの攻撃の方が数秒早く、アブソルが間合いを詰めるよりも先に光の玉を放った。それはアブソルを巻き込み、一瞬で体力を削る。力無く倒れたアブソルを戻し、『ありがとう』と小さく囁いたセイカはオーダイルを出した。
メガニウムは場に出てきたばかりのオーダイルにやどりぎのたねを植え付ける。オーダイルは足元からじわじわと巻き付いてくる細い蔦を振り払いながら、牙に氷点下の冷気を纏った。こおりのきばはメガニウムを襲い、体力を大幅に減らす。しかしメガニウムのギガドレインとやどりぎのたねによって、回復されてしまった。
オーダイルはすぐさまアクアジェットで突っ込んでいく。メガニウムの腹部に突進が当たり、よろめくも、オーダイルの下の地面がボコボコと動き始める。爆発する様な大きな音と共に地面が割れ、オーダイルは体勢を崩した。それはガイが指示をしただいちのちからだった。
(まずい、体力かなり減らされてる)
タイプ的にはメガニウムの方が有利で、それを鑑みればかなり善戦しているが。セイカの負けず嫌いの部分が発揮され、静かに焦る。この間にもやどりぎのたねによって体力は吸われ続け、オーダイルの息は着実に荒くなっていった。
「メガニウム、ギガドレインだ!これで決めろ!」
「こおりのきば!お願い!」
体力を吸収されながらも走るオーダイル。口を大きく開けて、氷結した牙を首元に食い込ませれば、メガニウムは大きな悲鳴を上げて倒れ伏した。そしてそれと同時にオーダイルもその場にパタリと倒れる。
「…同時に戦闘不能に…」
誰かが呟いたその言葉の通り、二匹は目を回していて。どうやら勝負の結果は相打ちだったらしい。それぞれボールにポケモンを戻し、お互いに最後の一匹に手を伸ばした。
「お互いに最後の一匹だな」
「うん。やっぱりガイはすごいね」
「…バトル復帰当日のやつにここまで押されてるの結構ダサいと思うけどな」
「ダサくないよ」
その後、何かを言いかけて、口を開くがすぐに閉じる。それから人差し指を立てて、セイカは目を細めた。
「ダサくてもガイはかっこいいねって話は…この後の方がいいよね」
「…え、あ」
握ったボールを思わず落としそうになって。ガイはギュッと手に力を込めた。
(セイカのそういうとこ!本当魔性!良い加減にしてくれ!)
最後の一匹になって、よりバトルに集中しなければならないのに。正面を見れば、セイカはセイカで顔を赤くして恥ずかしそうに目を逸らしており。それが余計にガイの精神を乱す要因になっている事は知る由もない。
「…っフラエッテ!頼んだ!お前に託す!」
「ジガルデ!お願いね!」
えいえんのはなを揺らすフラエッテの対面には、四つ足で立つジガルデがいた。ジガルデはジッとフラエッテを見据えている。アブソルとそう変わらない小さい身体ながらに、何とも言えない凄みが滲み出るそのポケモンに周囲が圧倒される中、ガイはとても嬉しそうに笑った。
「やっぱ出してくると思った」
「…バトル、どうしても不安で、モミジさんに預けてたジガルデ借りてきたの」
「借りたっていうか、ジガルデは自分の意思でお前を選んだお前のポケモンだろ」
ミアレから離れる時、ジガルデや、成り行きで捕獲したそのほかの伝説ポケモンは全てポケモン研究所に預けた。きっともうモミジの管理下から動く事はないだろうと思っていた。
結局、久々のバトルに自信が持てず、保険をかける様にジガルデだけ連れてきてしまった。そんな自分の弱さがセイカは情けなく思って、どこか所在のなさを感じている。だがガイは彼女の感じる引け目を分かっているのか、そう優しくフォローするから。きみは自分勝手なくせに、本当に欲しい言葉や言われて嬉しい事はなんだかんだ察してくれるんだよなと。セイカは込み上げてくる嬉しさを噛み締める様に笑った。
「…ひと足先にさせてもらうぜ?メガシンカ!」
パッと光輝くブレスレットを掲げると。フラエッテは煌々と輝き、姿形を変えた。メガフラエッテは一際大きく咲く花をギュッと握り締める。
かつてあの時の様な、アンジュが暴走した時の様な、彼が今の将来を決断する直前の戦いの様な。あの頃の光景がフラエッテとジガルデが睨み合うこの様子で鮮明に思い出された。懐かしい気持ちになりながら、セイカはジガルデに声を掛ける。
「ガイに、私勝ちたいの。だから力を貸してね」
「フラエッテ、頼むぞ、負けられねぇからな、このバトル」
それぞれ主人の言葉に呼応する様に鳴いた。それから、どちらからともなくおもむろに動き始める。
「フラエッテ、エナジーボール!」
「ジガルデ、しんそく!」
目にも止まらぬ速さで、その場に風だけを残したジガルデはフラエッテに攻撃を仕掛ける。だがしんそくの素早い動きにもものともせず、フラエッテは大きなエネルギー弾を放った。
効果は抜群なところを自分のドラゴンタイプが半減するが。メガシンカで火力が上がった事により、体力は早速半分まで減らされてしまった。セイカも素のポテンシャルだけで勝負したしんそくで、三分の一の体力を奪えたため、ジガルデ側も劣ってはいないのだが、特別な力には及ばない。ただ体力が半分になった事で、ジガルデのフォルムが変化した。パーフェクトフォルムに変わり、セイカは腕のつけた無骨なブレスレットに触れる。中央に取り付けてある丸い石にトンと軽い衝撃を与えれば、それは大いなるエネルギー反応を見せながら、ジガルデと共鳴した。
「ジガルデ、メガシンカ!」
突風が巻き起こり、身体がぐらりと揺れる。強い衝撃に持っていかれそうになるも、その場で踏ん張って耐えた。ジガルデの身体はより大きくなり、主砲はフラエッテを捉える。
「ギガドレイン!」
「かわしてサウザンアロー!」
近付いたフラエッテから大幅に後ろへ下がり、身体からエネルギーを放出する。それは鋭利な矢となり、降り注いだ。光の雨に打たれたフラエッテは地面に叩き付けられるも、すぐに起き上がる。そして指示の元、こうごうせいで回復した。その間にもジガルデにグランドフォースを指示するが、それはスイと避けられてしまった。回避行動の後、すぐにエナジーボールを繰り出し、技の発動でその場から身動きの取れなかったジガルデに当たった。だがジガルデもすぐにしんそくでフラエッテとの距離を詰め、薙ぎ倒す。
お互いに体力は半分以下だった。息の上がる二匹のポケモンを伺いながら、セイカとガイは視線を合わせる。この一撃で最後だと二人は思った。最後に攻撃を先に当てた方が勝ちなのだと突き付けられるこの状況で、二人はお互いの相棒を見て、大きく腕を上げた。
「ジガルデ!無に帰す光!」
「フラエッテ!はめつのひかり!」
ジガルデは主砲から青い光を、フラエッテは花弁から桃色の眩い光を放つ準備をする。煌々と輝く光は周囲に突風を巻き起こし、人々の神や衣服を煽った。飛ばされてしまいそうな風の激しさに一同目を細める中、渦中の二人だけはその光景を見守っていた。
その光がほんの一瞬だけ消えた。風が止んで、辺りが一瞬暗くなり、音が消える。それから数秒もせずに二本の光の線が放出され、ぶつかり合った。
中央でお互いの力が迫り合い、押し合っている。強大な力のぶつかり合いに、衝撃は激しく。この場の人間はもう何かに掴まっていないとまともに立つ事も出来なかった。
髪を押さえ、ガイとセイカは祈る様にその様子を見つめる。お互いに抱える想いがあって、プライドがあって、そのために勝たなければいけないから。呼吸すら忘れて戦いの顛末を見守る。
大きな光の爆発が起こり、辺り一面が強い光に覆われて、誰もが目を伏せた。その光と煙の中、大きなものが吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる音が聞こえて嵐の様な光が止んだ。
「………あぁ」
静寂の中、声を上げたのはセイカだった。悟った様に重たい口を開き、目を瞑る。壁に叩き付けられていたのはジガルデだった。メガシンカも解け、その場に倒れ伏す巨体を見れば、まだ行動可能だとは到底思わない。
「勝負がつきましたわね」
「…勝者、ガイ様です。おめでとうございます」
ユカリとハルジオが手を叩いて賞賛すれば。呆気に取られていた観衆も疎に拍手をし始めた。
「…ありがとう、ジガルデ。…折角力を貸してくれたのに上手く戦えなくてごめんね」
ジガルデはか細い声で鳴いた。その様子を見て、セイカはジガルデをボールに戻す。
「強かったね、ガイ」
セイカが顔を上げてガイを見れば。彼は顔一面に喜色を浮かべていた。丸く見開いた目を瞬きして、それからハッとした様子でフラエッテに労いの言葉をかけてボールに戻す。それからハルジオから差し出される残りのボールを乱雑に回収し、駆け足でセイカに近付く。そして今度こそ、彼女の手を取った。
そのままセイカの手を引き、エレベーターのボタンを押す。手を引かれてドキドキしているセイカが恐る恐るガイを見れば、視線はあまりにも簡単に交わって。
「…俺ん家でいい?」
ガイもおずおずとそう言うものだから、セイカも緊張の面持ちでゆっくりと頷いた。もうこんな状況じゃあセイカの中でどんな覚悟だって出来ている。ガイはいっぱいの嬉しさをなんとか噛み殺す様な、そんな絶妙な表情を一瞬見せてエレベーターのドアの方へ顔を戻した。
「お待ちくださいませ」
妙齢の男女二人が手を繋ぎ合う雰囲気でも、柔らかなユカリの声は変わらず。お構いなく二人の空気の中に割って入ってくる。
ガイは心底鬱陶しそうな顔をしてユカリを見た。彼女はそんなガイの視線をいなして、ハルジオに声を掛ければ、二人に近付いてきたハルジオは一枚のカードを渡した。
「…?なんだこれ」
「当ホテルの最上階スイートルームのカードキーですわ」
「なんで?」
「サプライズです!本当の優勝賞品はこちら!一泊約百万円のスイートルームですわよ!」
ガイはジッとそのカードキーを見つめ、ユカリを睨む。正直なところ、今更スイートルームなんて言っても、今のガイなら泊まろうと思えば泊まれる訳なのだし。わざわざ優勝商品にされて嬉しくなる程でもなくて、ハルジオの手の中にあるカードキーを面倒臭そうに眺めていれば。ユカリはニコニコと笑いながら首を傾げた。
「若いお二人は、是非最高級ホテルの最高級なもてなしで仲を深めていただけますとよろしいですわ!」
「…もう仲を深めるって段階でもねぇだろ。いいよ、俺ん家行くし」
「まあ、ガイ様、家に着くまでちゃんとお利口にしていられますの?そのエレベーターで最上階に上がるだけの方が近いですけれど」
そう言われれば、それはそうで。きっとガイの自宅に着くまでの時間が勿体無くて、もどかしくて、街の真ん中で大切な二人の話をしてしまいかねないなと自分でも思うし。今だって自惚れるにはまだ早いのに、既にセイカにキスをして抱き締めたいくらいだし。
だからユカリの話を考えれば、ホテルの最高級の一室を借りる事はむしろこちらの得である。ただ、これまでの流れ全て彼女の思い通りで、まんまと掌の上で踊らされていたと思うと腹立たしく感じるけれど。殊バトルにおいて、ユカリが快楽や享楽以外の事を考えているのかといえば甚だ疑問である。
ガイはムッとした顔のまま、そのカードキーを受け取る。そしてセイカの手を引き、空いたエレベーターに乗り込み、閉まるのボタンを長押しした。
「あっ、ゆ、ユカリさん!ありがとうございます!」
「いいえ〜、楽しんで〜」
ドアが閉まる直前に頭を下げるセイカにユカリは手をヒラヒラと振る。それから、くるりと踵を返したユカリは満足そうに笑った。
「わたくし、物語はやっぱりハッピーエンドが好きですわ」
それからもう、二人の事など気にする事なく。その場に残された観衆達に声をかけるのだった。

1つ前へ戻る TOPへ戻る