天使と熱病⑦

言ってしまった。言葉を吐き出してからものの数秒でガイは冷静になる。冷たい水を顔面に掛けられた様な衝撃と、一気に冷え切った頭は現実逃避を許さない。大きな花火の音が煩わしく思うくらいガイは冷静だった。
(ヤバい、何の順序も踏んでないのに…俺はもっと、ちゃんと、シチュエーションとかも考えて…)
花火を背景に告白すると言うのはシチュエーション的にもそこまで悪いものではないが。ガイにとってはそう言う話ではない。心の準備も、考えていた手筈も、聞きたい事も何も消化出来ていないこの状況で言うのは、本意ではなかった。
ガイはセイカを見る。もうこうなれば言葉を取り消す事も出来ないし。彼女の反応を見て考えようと思ったが。
「…え」
セイカは何とも言えない表情をしていて。困っているのは明白だけど何故か不安そうで、どこか怖がっている様に見えた。嫌がっていると言うよりも、それとは別の何かが見えてガイは眉間に皺を寄せる。セイカの心情が量りかねていた。
「え、っえ、…う、うそだよね」
「……嘘?」
「嘘だよね、嘘でしょ?」
「ちょ、っとセイカ?よく分からないんだけど、何?嘘って。俺の気持ちが嘘だって言いたいのか?」
「嘘だよ、そうに決まってる。だってガイは皆の事が好きで、個人を特別扱いなんてしないから」
「…………ちょっと待てセイカ、前々から言ってるけどそれ、なんなんだ」
セイカの瞳が震える。ひどく動揺している様だった。ガイとしては自分の気持ちが疑われていて、嘘呼ばわりされている事に正直腹が立っていたけれど。どう見ても正常な様子ではない彼女相手に捲し立てるのも違う様な気がして。ガイは努めて冷静に話をする。もうこの機会に、彼女の思いや考えを聞き出そうと思った。
「セイカは俺の事をなんだと思ってるんだ。俺は別に正義の味方とかじゃねぇし。人の好き嫌いもするし、特別な人だっている」
「いない、いないから、いないんだって!」
「いる。俺にとっては、昔からセイカが特別だ」
セイカの動きがピクリと止まる。それからまたゆっくりと首を振って否定した。
「いないよ、そんな事ないでしょ。だってガイはミアレのヒーローで、皆のために自分を犠牲にする人で」
「…少なくともそれは、昔の俺だよ。今は違う」
「違わないよね、違わないでよ!否定しないで!だって、そんな、昔から好きだなんて、そんな事言われたら」
セイカの目からはハラハラと涙が溢れる。嗚咽すらこぼさず、ただ静かに涙を流す彼女にガイも困惑を隠しきれなかった。
「…私の過去は、どうなっちゃうの…?」
「…?ごめん、よく分からない。…本当にセイカが何を言いたいのか俺には分からないんだ。だから、ちゃんと詳しく聞かせてくれないか?頼むよ。全部聞くから、な」
「社長になるって言ったガイに、『勿論』って背中を押した私は全部無駄だったって事?」
無駄な訳がない。セイカのあの言葉のおかげで、ガイはここまで頑張ってこれたと言っても過言ではないと言うのに。そこまで思ってはたと気付く。それはあくまでもガイ側の事情であって、彼女があの時何を思っていたかなんて彼には知り得ない事だった。
「…セイカはあの時、本当はどうしたかった?」
「どうしたいなんてないよ、背中を押す事が正解だった。私は間違ってない。ガイの事応援して、私は私の人生に戻って行く、それが私の意思だよ」
「違う。セイカ、正解とかじゃない。この問題に正解なんてない。セイカの気持ちが知りたいんだ」
「…っ正解と間違いを作ったのはガイだよ!全部貴方が始めた事でしょ!じゃあ私があの時嫌だって言ったら、貴方は私の側にいてくれたの!?」
「…!」
同じ事の一点張りで普段からは考えられないくらい話の通じない彼女に、密かに苛立っていた心がスッと引いて。気付けば冷たい夜の海水が足首を飲み込んでいて、驚く様な。波に飲み込まれて、攫われてしまうのではないかと言う大きな不安と恐怖にも良く似た感情が渦巻いた。
やっと分かった。答えは、原因はガイ自身だった。自分が彼女をこうしてしまったのは紛れもなく過去の自分で。それを自覚した途端、ガイは言葉が出なくなった。
「…ぁ…そ、んな」
自分はどこまでも子供だった。対して彼女は自分よりも何倍も大人だった。ガイは無邪気に応援してくれていると信じて疑っていなかったけれど、本当はそうでもなくて。それに気付けなかったから、セイカは自分への感情の全部を抑圧したのだ。今、セイカがガイの想いを飲み込めないのだってその結果だし、ガイは自分の愚かさに震えが止まらずにいる。
「…最低だ…」
「やだ、やめて!否定しないで!あの時の選択は何も、間違ってないよね!?私は貴方を応援して、赤の他人として貴方を忘れる事が、お互いにとって良かったんだよね!」
「ちが、違う、違うんだよ…セイカがいたから俺はここまで頑張れたんだ。セイカの応援の言葉は支えだったし、セイカ自身にも救われていて、だから、そんな、赤の他人になるなんて、そんな悲しい事言わないでくれ…」
「違うよ、違う!ガイは間違ってる!そんなの、私じゃなくてもよかった!これまで連絡寄越してくれなかったのが答えで!ガイは私がいなくても一人でどうにか出来てた!今までも、これからもそう!」
「セイカ、そんなことない」
「いや!聞きたくない!もう何も聞きたくないから!やだ!」
幼子がこねる駄々の様に泣き叫びながら、彼女は耳を塞ぐ。大きな花火の音も、ガイの声も全部遮断しようとして手に力が入った。
とは言え、こんな状況を招いたのはやはりガイのせいでしかない。過去、無意識的に彼女に答えを強いていた事も、怖がってこれまで連絡をしなかった事も全部、自分がした選択で。ガイはずっと不正解を出し続けていて。その負債が巡り巡って今更のしかかってきた、それだけなのである。
確かに一人で生きるために、なるべく他人に頼らずに生きてはきたけれど。社長になるべく積んで来た辛い経験だって乗り越えられたのはセイカの言葉と、存在があったからである。
こうして今、その感情がはっきりと恋や愛だと断定出来る様になってからは、もうガイはセイカがいなければしっかりと立っていられないのだ。知らず知らずのうちに心が彼女に依存していて、彼の人生において切っても切り離せない大きなものに変容してしまっていたのである。
ガイは泣きそうになった。でも泣く権利なんてない。これは自分が招いた大きな失態だ。彼女を泣かせて、苦しませていて今ここで逃げられても追い駆けられる様な立場では全くないのに。
手放したくないと言う欲が心の中で存在感を放っている。あまりにも自分勝手で、結局のところ図体ばかりが大きくなって本質は何も変わっていないのだと突き付けられた。
「………ごめん、ごめん、俺のせいで、全部、セイカの事、おかしくした」
「嫌!やだ、やだやだやだ!謝らないで、謝罪なんて聞きたくない!やだ!」
「セイカ!」
「間違ってない!私は間違ってない!何も、あの時の私はずっと正解で!無駄なんかじゃ!」
「間違ってねぇよ!セイカは何も、間違ってないんだ…」
涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、それから嗚咽が止まる。ほんの僅か、彼女が安堵の表情を浮かべたのが、ガイは苦しくて仕方なかった。肯定するだけでスッと落ち着くセイカが痛々しくて見ていられなかった。だがあくまでもこれは自分が招いた結果である。ガイに嘆く資格は一切ないと自分でも思っていた。
「間違ってない。そうだよ、あの時、俺を気遣ってあの選択をしてくれた事、本当に感謝してる。あれがなかったら今頃こんな立派にはなれてなかったと思う」
「………そうだよね」
「……………でも、諦めきれないんだ、俺、セイカの事。本当に、好きで堪らなくて。他の男に取られるとか、考えたくない。他の奴と結婚するとか想像したくない、そんな結婚式行きたくない。セイカの隣は俺が良いんだ、俺だけでいい。ずっとそう思ってる」
「…思ってないよ、勘違いだよ」
「……セイカがそう考えるのは全部俺のせいだって分かってる。俺にこんな事言う資格無いし、烏滸がましいなって思うし。それでも、セイカの中でまだ可能性があるなら、考えて欲しい。勿論、無理だったらきっぱり断ってもらって構わないから」
「待って、言わないで」
「好きだよ、セイカ。セイカの事がずっと好きだった。だから、俺の事を見て欲しい。過去じゃなくて、今の俺の事、ちゃんと見て欲しい。その上で、答えが欲しいって思ってる」
セイカは目を見開いて、うんともすんとも言葉が出ない。大きな瞳は可哀想なほどに揺れて震えていた。
過去に囚われている彼女を解放したい。そうなったのは全部自分のせいだから、責任を持たせて欲しい。それはガイにとって覚悟であり、贖罪の様な意味合いでもあったのかもしれない。
「俺の想いは間違いでも勘違いでもない。あの頃から、セイカの事が好きだったのは紛れもない事実だから。セイカも、俺の事否定しないでちゃんと考えてほしい」
俯いた彼女は立ち上がって、エレベーターに向かう。ガイの言葉には何も答えずに、ただ無言で戻ろうとする様子を見て『終わったんだな』とガイは思った。何も言わないけれど、これは事実上の失敗で、自分は振られてしまったんだと自覚するにはあまりにも十分な状況で。吐いてしまいそうな溜息をセイカがいるため、辛うじて飲み込んだ。
エレベーターのボタンを押せば、すぐにドアが開く。ちょうどクライマックスの花火を背に、ガイに顔を向けないまま、彼女は静かに言った。
「…ごめん、考えさせて。時間貰う。今の私は、冷静になれない」
そう伝えてエレベーターに乗り込み、そのまま下へ下がっていった。彼女の先程の言葉で、まだ振られていない事はわかったにせよ、時間の問題の様な気もするし。死刑宣告までの時間が長引いただけに過ぎなくて。
花火がパラパラと散って、一気に静かに暗くなった空の下で。ガイは無言で長い溜息を吐き、ソファーの背もたれに全体重を預けた。
朝起きればセイカはもう既にホテルを出たらしく。もぬけの殻になった部屋のテーブルの上には『昨日はありがとう』なんて簡素な置き手紙が一枚置いてあって。おそらくセイカの様子を察して一晩中寄り添っていたであろうフラエッテが困った様な気まずそうな顔をしているから。ガイは『大丈夫だよ』とも言いたげに笑ったけれど、そんな彼も上手く笑えてはいなかった。
「…考えさせてとは言われたけど、これでオッケーになる未来ってないよな?」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
「普通はそうだねぇ」
ガイは一週間後、ピュールのアトリエに訪れていた。別に仕事の依頼でもなんでもなく、ただ友人として相談しに行っていた。あんな事があって、どうにも一人で消化しきれない様で、誰かに話して整理したい気分だったのだ。
突然の押しかけに鬱陶しそうな顔をしつつも何だかんだ通してくれるピュールに話そうとすれば。今ミアレにデウロが戻って来ていると話を聞いて、彼女も呼び出し、セイカが来る以前の元祖MZ団の面々が集まって、彼女についての話をしているのである。
「ガイはセイカからどこまで聞いたの?」
「全部俺が引き起こした事だって事」
「じゃあ大体は聞いてそうだね」
肯定する様な事を言うデウロにガイは項垂れて。勘弁してくれと頭を抱えた。
「…俺のこの好意とか、感情は、全部勘違いだって、…言われた……そんなに信用ないかなぁ、俺」
「無いよ〜」
「無いです」
「なぁ」
「セイカはガイのせいでずーっとこんな苦しい想いしてるんだからね、ガイが自分勝手で?独りよがりで?向こう見ずで?無鉄砲で、傲慢で軽率に自己犠牲するろくでなしだから?こんなに苦しんでるんだよ、セイカ」
デウロの言葉には強い圧と怒りが感じ取れた。親友をあんな風にされて、長年苦しめて来た事に対する積年の恨みが言葉の端々に籠っている。ガイは反論も出来ずに黙った。概ね事実であるそれを否定する事は出来ないし、何か言える様な立場でもない。
「…まあ、デウロさん、今回に関してはガイもかなり反省してますよ、流石に。自分の気持ちを真っ向から否定されて一切飲み込んでもらえなかったんですから」
「自業自得だけどね、それ。壮絶な伏線回収で実にお見事」
パチパチと適当な拍手をするデウロ。そんな彼女の言葉一つ一つがもう心と身体の深くに刺さってガイは瀕死状態である。
「あの時の俺がどんだけガキだったか思い知らされました…」
「うん」
「誰かのために動いていたとしても、俺は大切な女の子一人救えないで、…寧ろ壊しちまったんだな」
「そうだよ、ガイがセイカを傷付けて壊した」
ピュールはデウロの糾弾を黙って見ている。彼にガイを庇うつもりはなかったし、親友を滅茶苦茶にされたデウロの怒りも尤もで。ピュールも、少しばかり憤りを感じてはいるのだ。
「正直、ガイにセイカを絶対任せたくない。諦めてほしい、このまま。セイカの人生に関わらないでほしい。親友として、セイカにはこれ以上泣いてほしくない」
「…………分かってる。俺だって相応しくないって思ってる。こんだけ女の子の事泣かせて、幸せに出来るなんて言われても一切の説得力がないのは分かる」
「そうだよ」
「でも、諦めたくない」
ガイは強くそう言い切った。彼を鋭く睨み付けるデウロを見つめ返し、はっきりと口にする。
「今まで沢山の人と会って、女性とも会ったけど、結局セイカ以上の人なんていなかった。俺にはセイカしかいないんだって、…気付いたのが最近って、ほんと、その時点で最悪だけど」
「うん、最低。その結果がこれだから本当にいいザマ。乙女心弄んどいて上手くいくとか思わないでほしい」
「…………それでも、セイカしかいないんだよ、俺。セイカ逃したらもう俺結婚とか絶対無理って分かるもん」
「別に結婚なんて強制されるものじゃないし。ジェットさんだってそう言う方針じゃないんでしょ?そこは個人に任せてるんだったらしなくてもいいと思う」
「ちょっ、でっ、デウロさん、デウロさんデウロさん、キミがブチギレてる事はよく分かるんですけど、あの、彼なりに一応考えてはいるのでもうちょっと火力落として話聞いてあげてください…ガイの言葉全部論破しようとしないであげて…」
「………ごめん」
「いや、キレる理由はよく分かるのでそこは擁護出来ないですけど、僕も」
「でも私に言われて心折れるんだったらそれこそセイカは渡さないけど」
「デウロさん」
いつも以上にキレキレの返答をするデウロにピュールもタジタジで。ガイの心もほぼ折れる寸前ではあったけれど。これは自分の招いた事だと思うと、抵抗も反論も出来ない。デウロに対し、ガイはあまりにも弱い立場でいるしかなかった。
「…まあ、僕にだって言いたい事は沢山ありますけど大抵の事はデウロさんが言ってくれてますし、まだ何か言いたそうですし」
「うん」
「…こんな淡々としてるデウロさん、相当キレてます」
「……いや、俺のせいだし…」
「そうなんですけど、…しおらしいガイめちゃくちゃキモいな…」
常に圧が強いデウロとあからさまに元気のないガイとで場は混沌を極めている。ピュールはこの状況が面倒すぎて思わず溜息を吐いて口を開いた。
「ガイ、キミがどこまで気付いているかは分かりませんが、この際言いますと、セイカはキミの事が好きです」
「…ガイの何が良いのかな」
「それには概ね同意ですが、そんなボソッと言わないであげてください。言うならせめて大声でどうぞ」
「ガイの何が良いんだろ!」
「良いよ二回も!聞こえてるよ!」
そう言ってガイは頭を抱えた。彼女の攻撃にもう随分と参っている様だ。またガイがデウロに攻められ始めたところでピュールは間に割って入る様に続きを話す。
「………何となく、もしかしたら、とは。確信はなかったけどそうだったら嬉しいと思ってた」
「でも過去の事でセイカはそれを伝えるのを非常に怖がっている」
「俺のせいでセイカは気持ちを押し殺す羽目になった事、俺が無意識的にそう強いてしまった事、だよな」
「ガイがそうさせた事によって振られる事も出来ずに叶う事のない恋に苦しんで、どうやってもガイの事忘れられなくて、セイカしんどい思い沢山したんだよ。ガイがそう望んだから、セイカは従っちゃったの。気持ち全部押し殺して。だってガイの事が好きだから、好きな人のために出来る限りの事をしてあげたかったんだよ、セイカ健気だから」
「…ああ」
「でもその結果、自分の気持ちは消化不良のままここまで来て、考えるたびに心が辛くなってきて、もしかしたらあの頃、診断されてないだけで何かしらの心の病気だったかもしれないし、それくらいセイカは追い込まれてたんだよ。いつも死にそうな顔してた」
知らなかった。ガイがなりふり構わずひたすら働いている裏で、セイカは苦しんでいた。その原因は紛れもなく自分である事に、ガイは拳を握り締めた。自分自身をとても情けなく、憎らしく感じる。好きな女性一人、自分はまともに愛せずに苦しませていたなんて、男の風上にも置けない様な気がした。
「セイカは自分のためにガイの事全部忘れようとして彼氏作ろうとしてて。悪い男にばっか捕まって、酷い目にあったりしてんのに幸せだって言い聞かせて。そんな事繰り返してここまで来たの。セイカ、ずっと幸せなフリし続けてた。今も全然苦しいのに」
「………うん」
「ガイ、あなたがセイカのトラウマになってる事を絶対忘れないで。覚えていて。ずっとその事で苦しんで。セイカを苦しめたのがあなたである事実から絶対に目を逸らさないで。ガイも苦しんで、ちゃんと」
「デウロさん」
真っ直ぐデウロの強い視線に射抜かれ、ガイは深く頷く。もう逃げるつもりは毛頭なかった。許させる事なんてきっとないのだろうけど、向き合う事で少しでもセイカの事を分かってあげられるのならそうしたい。苦しむ事で許されるのであれば幾らだって苦しむつもりでいた。
「…セイカは今もガイの事が好き。でもセイカの中のガイはあの頃のまま止まってて、ガイが特定の人を好きになる事なんてないと思ってる…というか、それは私達もそう思ってたもんね、ピュール」
「そうですね。ガイ、これまでそう言う気全く無かったので、コイツ本当に博愛主義者なのかよって引いてたところです。別にそれが悪いわけではないですけど」
「正直、人助けよりセイカを優先するって聞いた時は耳を疑ったけどね。あのガイがそんな事ある?とは思った」
「…俺本当誰にも信用されてないじゃん」
「今更ですか?」
「恋愛関連でガイの事は一切信用出来ない。カラスバさんの方が五万倍マシ」
「恋愛に対する誠実さが反社に負けてるなんて面白いジョークですね。反社の方が誠実なんだ」
カラスバに負けたくないと言う思いはあれど。ここで反論出来る訳もなく。反社よりは絶対マシだろと言う思いを持ちつつ、黙る。
ただこれに関して、ガイよりもカラスバの方が全然いいと言うのは、共通の知り合い全員に聞けば割と満場一致の回答ではあったりするので。ここでガイが何も言わないのはある意味正解だったと言えよう。もし口を開いて余計な事を言えば、デウロの怒りに油を注ぐ様な事になってしまっていたかもしれない。間一髪、大炎上は免れたようだ。
「基本大反対の姿勢は私絶対崩さないけど、悔しい事にセイカはガイの事が好きだから、多分断る事はないと思う。て言うか断れないと思う」
「…そうか」
「でも今のままじゃオッケーする事もないかな」
「セイカが自分の固定観念やトラウマにどう向き合うかで変わってくるでしょうね」
「うん、だから答えはすぐ来ないと思うよ」
「いいよ、セイカがゆっくり考えてその上で決めてくれるなら。どんな答えでも受け入れる」
「考えた上で振られる可能性は全然残ってるって分かってる?これ別に時間掛ければ最終的に付き合えるとかじゃないからね?」
「分かってるよそれくらい。俺を何だと思ってんだ」
「乙女心を知らない最低クソ野郎」
「調子こき自分勝手男」
「モラハラ一歩手前のゴミ」
「女性に今すぐに諦めてほしい男部門映えある第一位」
「彼女のご両親反対待ったなし!」
「いや、今二人に聞いてねぇんだよ」
「ハイ!ノンデリ世界選手権優勝!」
「デウロさん止まってくださいね〜」
「大喜利じゃねぇんだわ」
怒りつつも、積極的に弄ってくるデウロのガイも疲れた様な面持ちで。ピュールも流石に苦笑いを浮かべた。
「とにかく、今、ガイに出来る事はない。セイカが答えを出すまで待つだけ」
「分かったよ」
「セイカの答えが出た時にガイはちゃんと謝罪して」
「ああ」
「もし付き合えたら、今度は泣かせないで」
「うん、もちろん」
ガイの返答にデウロは彼を一瞥して。これ見よがしに溜息を吐いて立ち上がる。側にあったお盆に空になったマグカップを乗せてピュールに『ごちそうさまでした』と礼を述べて、足元に置いた鞄を手に取った。
「じゃ、私セイカのとこ行くね〜」
「お泊まりですか?」
「うん!私が向こう戻るまでセイカが泊めてくれるって言ってくれたからお言葉に甘えるの」
「へぇ、楽しんでください」
「はーい、ありがと〜。じゃあ、二人ともばいばい。次はご飯行こーね、ガイの奢りで」
「勿論です」
「なんでピュールが答えんだよ」
手を振って、颯爽とその場を去るデウロ。残された男二人は顔を見合わせ、ガイはおずおずと口を開く。
「………え、今の」
「マウントですねこれは」
「うわ、だよな。あの野郎」
「今日のデウロさんめちゃくちゃ元気良いな」
帰り際までしっかりとかまされてしまい、ガイは眉間を押さえる。ピュールは面白そうに『ふふ』と笑って、書き途中の企画書に筆を走らせる。来シーズンの新作案に取り掛かる友人を眺めながら、ガイは残りの珈琲を一気に煽った。
大好きな街をあるけど、気分は晴れない。何度でも言うが、これはあくまでもガイ自身が招いた事なのであって、責めるべきは自分である。
道ゆくカップルを見かけてはそれを目で追いかけて羨む。街中で堂々と腕を組んで歩ける事がこんなにも素晴らしい事なんて、ガイはつい最近まで知らなかった。
(あー、いいな、羨ましい)
セイカと腕を組めば、きっとそれだけで楽しくて。街を少し歩くだけでも一日中楽しめる様な気がする。ガイは自分の手持ち無沙汰な掌を眺めて、ギュッと拳を握って手を下ろした。
(……何かしようとか思うな、俺。どうせ余計な事しかしねぇんだ)
と言うのもピュールのアトリエを出る際に彼に念を押してそんな事を言われたのだった。今回ばかりはガイもかなり反省していて、大人しく友人達の怒りや忠告をしっかり聞き入れる。
(俺に出来るのは、待つ事だけ…)
だが待つのだって思っていたより辛い。ガイの性分では、動き出したくて仕方がなかった。今すぐに彼女の元まで走って口説き落とすくらいしたかったけれど、今のセイカにガイの言葉は毒でしかない。
はやる気持ちを落ち着けるためにガイは深呼吸をする。紅茶の良い香りが漂う、ミアレの空気を吸い込んだ。それをゆっくりと長く吐き出すガイだったが、突如として耳に聞こえた悲鳴に彼は大きく肩を揺らした。
「きゃーっ!バッグを返してー!」
いかにも金持ちそうな女性が転んでいる。ぐしゃぐしゃの服も髪も気にする余裕などなく、彼女が手を伸ばすのは黒い服の男が持つ鞄である。カバンに手を伸ばすも、届くはずもなく。男は走って女からどんどんと距離を取る。
「…マジか」
男は丁度ガイの方へ走って来る。別にこのまま足を引っ掛けて転ばせたって良いのだが。それでこの男が大怪我をして問題などになれば、それこそこちらとしては良くないもので。助けたいのは山々だが、下手な事を出来ない立場上、軽率な行動も憚られる。
男が全力で逃げ去る様子を見ながら、少し考え。ガイはそれならばと腰に付けたポーチからモンスターボールを取り出す。
「ニャオニクス、あの男を止めろ!」
彼と長らく時間を共にするオスのニャオニクスは小さな牙を見せながら可愛らしく鳴き声を上げた。それから折り畳まれていた耳をピンと伸ばし、サイコパワーを出す。念力は男に纏わりつき、その動きを安全に止めた。
急に止められ、情けない顔をして驚く男は、近付くガイにまんまと鞄を取られる。自分の自由を完全に縛る彼のニャオニクスを見て、大声を上げて喚くが、ガイはそれを一瞥して鼻で笑った。
「やるならもっと上手くやれよ。お前より上手いスリは幾らでもいる」
小馬鹿にした様に笑ってやれば、男は赤い顔で黙り込み。ニャオニクスが念力を解くと一目散に逃げて行った。つもりだったが、周囲の男に取り押さえられ、彼はしっかりと捕まっていた。ガイは警察にまで突き出してやる程、この男に付き合うつもりはなかったが、見ていた人がそこら辺は勝手にしてくれそうで安堵する。
ガイは手に持ったハンドバッグを持ち主のところまで持って行く。そして倒れて半泣きの女性に手を差し伸べた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます…」
「鞄を」
「た、助かりました…!私両親の仕事でミアレに移住したばかりで…!まさかこんな目に遭うなんて思わず…!」
「ミアレは良い街ですが、別に治安が完璧に良い訳じゃない。あなたの様に慣れてない人を狙うスリはいる。どうかお気を付けて」
「は、はい…!」
女性ににこりと綺麗な愛想笑いを浮かべ、ガイはその場を立ち去る。お礼をと背中から声を上げる女性に片手を上げて、ニャオニクスをボールに戻した。
「どうやってもスリは無くなんねぇなぁ」
そんな事を呟きながら、歩き去って行く彼の後ろ姿を眺める女性。彼女がどんな表情をしているかなんてガイは知らない。

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