「セイカさんとはいかがでしたか?」
開口一番、そう言ったマスカットは少し不安そうな顔で。仕事外でいらない心配をかけている事に何となく申し訳なさを覚えつつも、にこやかに言葉を返した。
「楽しかったですよ。その後もまた食事の約束取り付けましたし」
そう言えばマスカットは安心した様に顔を緩ませて。すぐに表情を引き締めて手元のタブレットを弄った。マスカットの素早すぎる切り替えを面白がりつつ、ガイは思う。確かにあの時間は楽しかったし、次の約束もしたけれど、それ以上に気になる事があると言うか。
ジラーチの絵画一枚で、彼女の目の色が変わった時。他愛の無い話をしていただけで、直前まで無かった違和感が急速に肥大化して。それはまた次の絵画へ視線が映る頃には流れ星の様に一瞬で消えて、セイカは何事も無かったかの様に話題を変えた。ガイにとっては、その一瞬が何だか不気味で仕方がなかった。
(セイカは多分、俺に隠し事をしているのか…もしくは、俺とセイカの間に何らかの認識の相違があるか)
どちらにせよ、お互いの中の何かがすれ違っている事は明らかで。だが何が違うのかは皆目見当も付かない。ただ、それは何だか放っておいてはいけない様な事に思えて仕方がなかった。
(セイカが何を考えてるのか、知りたい)
全部分かったつもりでいたあの頃から時が経って、セイカについて知らない事も分からない事も増えて。きっとそれを知って、空いた十年分の穴を埋めていく事が大切なのだとガイは思う。彼にとっても誰かを深く知りたいと思うのは初めてで、彼女の事だけは全てを理解したい関心はガイの中での最大級の愛情だった。
今はまだ、大学時代に付き合った彼と別れてから新しい人はいないという事しか知らないし、セイカの考えている事は分かりかねるけれど。その距離を着実に、必ず詰めて行こうという強い決意をして。ガイは次に予定するランチの行き先を仕事の合間に探すのだった。
そうして何度か食事をして、出掛けたりをしたのだが。セイカの心の奥底が垣間見える事は結局、一度だってなかった。何も分からなかったのである。あの時から、今まで同じ様な違和感を感じる事は一回だって無く、彼女はただ変わらず可愛らしいままだった。
「可愛いんだけど、可愛いんだけどさぁ」
「可愛いけど何ですか」
「何か隠してる様な気がして」
「どういう事です?」
「なんか、俺達ズレてる気がするんだよ」
わざわざ自宅へ食事に招いた友人ピュールにガイはそう打ち明ける。ピュールはガイお手製のポトフを口に運びながら、面倒臭そうに眉を顰めた。
「…何がズレてるんですか」
「俺とセイカの認識の違い?うーん、なんか、俺を通して別の人を見ている様なそんな感覚がした」
「まあ、セイカまだ彼氏探し続行してるみたいですし、キミ以外に好きな人出来たんじゃないですかね」
ガイは目を見開いて、それから額を押さえた。彼女が自分一本化ではなく、未だ複数の男を品定めしている事が受け入れられない様で、わざとらしいくらい首を捻る。
そんなガイを見ながら、今度はキッシュを手に取った。それもガイが作った手作りのもので、焼きたてほかほかなキッシュからはほんのりと湯気が立ち上っている。口に入れれば玉ねぎの食感が小気味良く、ふわふわの卵が優しい。この人変わらず料理上手なんだよなぁと人知れず感心しつつ、目の前で百面相を繰り広げる当人も一緒に味わう。
「おいキッシュ食いながら一緒に俺の動揺を味わうな」
「怖。こんな的確なツッコミあるんですか」
「セイカはまだ他の男と会ってんのか?」
ガイは先ほど聞いた事を今一度、念入りに確認する。自分が欲しい言葉を期待する傲慢な鋭い視線は強くピュールを射抜くけれど。何食わぬ顔でポトフの中の大きなジャガイモを頬張って、のんびりと舌鼓を打った。
「非常に美味しいです」
「そりゃどうも。まだ彼氏探ししてるのか?」
「そうでしょうよ。別にキミと付き合ってるわけでもないんですから、そこはまだ自由でしょ」
ピュールの言葉は尤もで。未だ自分は彼女を縛る理由にはなれていない、そんな事実が何だか悔しくて。険しい顔で頬杖を突く。
ピュールからしても、セイカのこの部分は不明瞭で。未だ男探しをする彼女の真意だけは、二人の大概の事が筒抜けの彼でもよく分からなかった。もう彼女がガイの事をとっくに好きなのは知っているのに。
「聞けばいいじゃないですか、何考えてるのって」
「聞けてたら苦労しないし、それってほぼ告白じゃん」
「ですよね」
「俺今めちゃくちゃ無責任な発言された?」
ワインのグラスをくるくると回し、だが特に飲もうとはしなくて。悩ましげに目を伏せる男にピュールは溜息を吐く。
「別に僕から何言っても良いんですよ。僕とデウロさんはキミ達以上にキミ達の事知ってますからね」
「……筒抜け?」
「思いっきり」
ピュールはガイから、デウロはセイカから色々な情報が雪崩れ込んできて。その情報を二人で総合すれば当事者よりも状況把握は容易である。
「でもそう言うのって自分で知るべきでしょ。いちいち人から教えてもらってたら、話し合いなんかしなくなるし、いつか、絶対埋まらない亀裂とか生まれますよ」
「分かってるよ。だから別に聞かない」
特に言うつもりもなかったけれど、ガイも特に聞くつもりはない様だ。『まあ、彼は元来頼る事をしないからそれもそうか』なんてピュールも納得する。
「俺あんま仮定の話とか好きじゃねぇけどさ」
「はぁ」
「もしあの時セイカが地元帰るの引き止めて好きだって伝えてたら今頃ミアレで一番幸せな人間になってたかもしれないんだなって」
「………はぁ」
「勿論そりゃ、別れてる可能性もあるけど、もう既に結婚してて〜…みたいな未来もある訳だろ?ほんと、あの頃の俺ってガキすぎるな」
そう言って自嘲気味に笑うガイだが。目の前のピュールの雰囲気が少しピリ付いている事に目敏く気付いて眉を下げた。急にそんなに怒っているみたいな空気出されたって、その理由が今の言葉のどこにあるのか。怒りのトリガーの所在が分からず、『どうして怒ってるの』なんて聞いた所で火に油を注ぐだけで何も言えずにいて。困るガイに、やっとの事で口を開いたピュールは低い声で強く制止した。
「それ、セイカの前で絶対に言わないでください」
「…は?え、何の話だよ」
「いいから、セイカの前ではそんな仮定の話を絶対にしないでください!」
穏やかな様子から一転、声を荒げる友人にガイはますます困惑の色を深めて。ただ彼女の事を思って言っているのは分かって、ガイも『ああ』と頷く。
(そんな事言われたらあの子はきっと壊れてしまう。十中八九ミアレからいなくなって、もう僕らはセイカに一生会えないんでしょうね)
もうこれ以上、セイカが悩んで苦しむ姿なんて見たくはない。彼女が時折考えては涙を流して頭を抱える様な、そんな仮定の話をガイからされてしまえば、セイカは耐えられない。拗れている積年の想いと後悔は、修復不可能な部分まで捻れて彼女の首を絞める事になるはずだ。
ピュールの珍しい大声で場の空気は微妙になって。難しい顔をしてポトフを口に運ぶガイは徐ろにテレビをつけた。画面の中ではニュースキャスターがカロスとガラルの首脳会議の報道をしていて。昔は半分も分からなかった内容が、今は大抵分かる事に自身の成長を感じつつ、だがその傍らでピュールの言葉が引っ掛かり続けていた。
(あの口ぶりだと、あの頃に何かがあるような…)
青春時代の、あまりにも激動な青く鮮烈な思い出の中に、何か重く沈殿する記憶が彼女にあるのか。第三者の言葉だけでは確証が持てない。おそらくセイカの中では美しいだけではない思い出を、彼女から聞き出さなくてはならない。ただそれだけは正解なんだと根拠の無い自信を持っている。
(多分、それが現状を変える鍵なんだろうな)
ビジネスの場で、ガイは何度も小さなチャンスを大きな物に変えて我が物にしてきたのだから。今回だっていつもの様に上手くやればどうにかなる。そう思うとカラトリーを握る手にも力が入った。
それから状況は変わらずしてある金曜日の夜。セイカの真意は未だ分からず、どうやらガイ以外の異性と会う事も続けている様で。最早ネトストくらいの頻度で彼女のSNSを確認しては、それっぽい投稿や知らない男からのリプライを見つけてイラつく。
そんな男も華の金曜日となれば少し上機嫌で。仕事を終わらせてからオフィスを出たガイはいつもよりも楽しそうに街を歩いていた。今日は久しぶりに自炊でもしようかとか、最近ハマり始めてしまったお菓子作りにでも興じようかだとか。この休みで何をして楽しむかばかりを考えていた。
スーパーに行きたいからと珍しく徒歩で帰宅をするガイは、ワイルドエリア20に設定された中心地まで辿り着く。その広場に面したポケモンセンターの前を通り過ぎようとしたのだが。施設前のベンチに座る知り合いを見つけて、彼は思わず声を掛けた。
「え、セイカ?」
「…あれ、ガイ?」
いかにもオフィスカジュアルな姿で、仕事帰りですとも言いたげな様子のセイカが座っていて。ふよふよと浮かぶスマホロトムを困ったように確認していた。
「仕事終わり?」
「うん」
「こんな所で何してんだ?誰かと待ち合わせ?」
もしかして男だったりするのかなんて、そんな探りも聞いてみるが、セイカは首を横に振った。その様子にガイは露骨に安堵する。
「実は…」
非常に言いづらそうにセイカは口を開いた。何せ、自分の自宅がある地区がバトルエリアに指定されてしまい、帰るに帰れなくなってしまったのだと言う。ガイは焦った様にスマホを取り出し、マップを開いてそれはどこかと聞けば。彼女は指をさして場所を伝えた。
「うわ…ごめん」
「でも前、バトルエリアはランダムでシステムの自動選出だから俺もどこ選ばれるか知らないってガイ言ってたし、しょうがないよ」
「とは言え、街をある程度ブロック分けして登録はしてる訳だしさ、ちょっとこの地区外す様に掛け合ってみるわ」
「えっ!?いいよ、そんな、私だけのためみたいな事…!そんなの私だけ特別扱いで、他の人に申し訳ないし…!」
確かに、それは他の街の人にとっても言える事だし、彼女のためになりたいなんて私欲で動かすのはよろしくない。ガイは『そうか…』と申し訳無さそうな声をあげて、社内の情報システム部の部長へメッセージを入れようとした指をスマホから離した。
「あは、仕事にポケモンとかいちいち持って行かないもんね、その場を凌ぐにしてもポケモン自体がいなんじゃどうにもならないし」
「どうすんだ?セイカ、朝まで帰れないじゃん」
「それは今決めかねてとこ。一応、昔は気付けばベンチで一日過ごしてた!みたいな事もあったから最悪はそれとして」
それもあまり良くない事だし。当時は昼夜問わず走り回っている彼女が、そんな過ごし方をしていたと知って驚愕の声を上げたものだ。今はその破天荒さもなりを顰めていて、とりあえずは良かったのかもと思うが、選択肢としてある事はいただけない。あの頃に何も無かったのが奇跡的なのであって、今そんな事をすればたったの一夜でも何があるか分かったものじゃない。
「人に泊めてもらおうかなって思ってて、友達に連絡するか迷ってたとこ」
「ピュール?」
「男の人のお家には行かないよ〜」
ケラケラと笑う彼女の真っ当な危機感に安堵するが。先程まで『行く宛がないなら俺ん家来ないか』なんて誘うタイミングを虎視眈々と計っていたので。ガイの眉間はピクリと動いた。
「私ピュール以外にも普通に友達いるしね。会社の同い年の子とか。ガイだってそうでしょ」
そうと言いたい所だが、ガイにピュールやデウロ以外に親しい人間は正直、思い当たらなくて。他人に親切なくせしてガイの交友関係はあまりにも狭い。
居心地が悪くて手を突っ込んだポケットの中で手を開いたり握ったりしていると。指先に何か金属が当たった。それを取り出すとミニチュアなクレッフィの様な鍵束で、ガイはすぐポケットに戻そうとする。その中の一つ、一際古めかしい鍵が目に入って、彼は突然声を上げた。
「あ」
「え、なに?」
突然声を上げたガイに驚いて瞬きをするセイカ。そんな彼女ににこりと笑って、ガイは恭しくお辞儀をした。
「お客様、おすすめのホテルがございますが、いかがでしょうか」
「へ?」
チャリンと鍵束を指で回して、握る。錆びた鍵を片手に彼女にウインクまでして、手を差し出した。
「ミアレを知り尽くしたこの俺が、おすすめするとっても素晴らしいホテルですよ。古式ゆかしい情緒のあるホテルです。どうでしょう、お嬢さん」
「…………ふふ、あはは、えー、何それ、なんか懐かしいね」
セイカは楽しそうに笑って、手を口の前で合わせる。彼女は笑いすぎて目の端に涙を浮かべながら、ガイを見上げた。そして彼の手を取って立ち上がる。
「ふふ、素敵なホテルマンさん、連れてってくれますか?」
「勿論、レディ。お手をどうぞ」
さっと彼女の手を引いて目的地に向かう。鞄も持とうと手を伸ばしたが、これは私の通勤バッグだからと断られた。ガイは鞄を寄越せという意思を示した手を下ろして、そのままセイカの手を引いてエスコートを続ける。完全にどさくさに紛れて、そのままの流れでスキンシップをするずるい男だった。
エスコートされながら歩く街はなんだかいつもと違って楽しくて、ドキドキもして。あの頃に戻った様な感覚がセイカの中にはあった。楽しいなぁと自然と笑顔が溢れて、時折『ふふふ』と小さく笑い声を上げる。手を引かれて楽しそうな少し子供っぽい彼女が可愛くて、本当に可愛くて仕方なくて。チラリとバレない様に彼女を見ながら、ガイもまた密かにニヤニヤと締まりのない顔で笑っていた。
(あー、ヤバい。本当にセイカが可愛くて、可愛くてたまんねー。想いの丈、全部もう爆発して溢れそう)
過ごすたびに好きだと思い続けて。どんな事をしてても驚く程可愛くて。皆の天使を自分だけの女の子にしたい気持ちは膨れ上がるばかりで。今この瞬間みたいな幸せが、この先もずっと続いていけば良いし、続くような関係になりたいと心から思った。
そうして辿り着いた目的地はホテルZだ。セイカも想像通りの場所だった様で楽しそうに『久しぶりだ〜!』と歓声を上げた。それからハッとしてガイに質問をする。
「でもさ、ホテルZって今誰も経営してないよね…?」
「まあ、鍵は俺が持ってるから管理権限は俺にあるしな」
「…え、今泊まれる状況…?」
セイカは少し不安そうな顔をする。そんな彼女を安心させる様に優しく笑い、ガイは鍵穴に鍵を挿した。
「大丈夫。営業はしてないけど、メンテナンスは定期的にしてる。まあ、俺の仕事の息抜きみたいなもんで週一くらいは清掃しに行ったりしてるから」
そう言えば彼女はとても安心した顔をして。なら大丈夫だねと息を吐いた。
鍵穴に挿した鍵を回せば、錠が開く小さな音がする。その音の後に挿した鍵を回収して、ドアを引けば、あの頃となんら変わらないホテルZのロビーがあった。
「わぁ!変わってない!」
「だろ?」
「あは、ただいま、AZさん」
彼の名前を呼んでも、返事は来ない。当たり前だ。だが、何故だか何処かにいる様な気がして不思議と寂しくはなかった。
「フラエッテ」
ガイがポンとボールを投げてフラエッテを出す。彼女は宙でくるりと回ってセイカの頬に手を伸ばし、頬擦りをした。
「わー!あはは、擽ったい!元気そう!」
「きゅう!」
「フラエッテも今日はここでゆっくりしようねぇ」
フラエッテは嬉しそうにくるくると二人の周りを回り、一人でにふわふわとホテルの中を散策し始めた。彼女の伸び伸びとした様子を二人で見ながら、ガイはカウンターの裏に行く。
「…っと、これが部屋の鍵。ほら」
「…あ、私が泊まってた」
「202号室をご所望かと思いますので、ご用意いたしました。これも特別なお客様のためです」
「ふふ、懐かしい」
かつて自分が自室の様に使っていたホテルの一室にまた泊まれるだなんて。なんだか嬉しくて楽しくて、はにかんでしまう。
「とりあえず部屋行って荷物置いて来いよ」
「うん。パジャマとかはまだ備え付けてあるの?」
「おう。定期的に洗ってるから綺麗だぜ」
「マメだねぇ」
「でもやっぱ古いからさ、古い匂いするんだよな。悪い匂いじゃねぇけど、あんまり好きじゃない人だっているだろ?もし俺が今後ホテルを運営するってなったら流石に新しいやつ発注するつもり」
「お年寄りの匂いみたいな?」
「ま、そんな感じかな」
「えー、落ち着かない?私は好きだよ」
「それならよかった」
ガイはエレベーターの呼び出しボタンを押しつつ、フラエッテに客室へ行くと声を掛ける。フラエッテはきゅるきゅるとまるで返事をする様に鳴き声を返した。
「エレベーターもメンテナンス入れてるから全然現役。まあ、年代物ではあるからそれでも怖いかもだけどな」
「ふふ、あの時からガタガタしててちょっとヒヤヒヤしてたけど」
少し待ってやっと来たエレベーターはゆっくりと扉を開ける。それに二人で乗り込んで、二階のボタンを押した。ドアはガチャガチャと音を立てて閉まり、ゆっくりと上に上がっていく。ガタガタと汽車が走る様な音で上昇し、二階でゆっくりと扉が開いた。
そこから各々の部屋に分かれようとセイカがひと足先に歩いた時、ガイは彼女を呼び止める。セイカは立ち止まって身体ごと振り返った。
「なに?」
「飯食った?」
「あ、私食べちゃった」
「ああ、じゃあ何か作る必要はなさそうだな。…なら買いに行くのも面倒だし、俺はホテルに備蓄した非常食でも拝借しようか」
「ええ!ご飯ちゃんとしたもの食べなきゃだめだよ…!」
「明日食うよ、その分」
料理もお菓子作りも気分ではあったけれど、彼女が食べないならわざわじしなくて良いと思って。ガイは早々に手間を放棄した。
「つかさ、後で屋上行こうぜ」
「お、いいよ」
「俺が飯食ったら部屋まで迎え行くから、その時に。だからそれまでは部屋で休んで待ってて」
「オッケー」
「今日は特別なもんが見れるから、楽しみにしとけ」
「…?特別なもの?」
聞いてもガイは何も言わない。得意げな顔で秘密なんて言って人差し指を立てる。そして自分の部屋へ歩き、入って行くガイを見届けて、セイカも客室へ入った。
ジャケットと鞄を置いたガイは再び下に戻る。ホテルの物置にある有事の際の備蓄用食品を取り出し、いくつか拝借する。レトルトのものをレンジに押し込んで、飲み物を用意して、缶切りでフルーツの缶を開けて。簡単な夕食をロビーのミニテーブルに広げてフォークを握った。
一人で食事をしているところにフラエッテが近寄ってくる。MZ団の作戦会議室だった部屋から出てきて、ガイの隣に並んだ。開いたドアの奥には未だピュールが作成したMZ団のロゴの旗が飾られている。
「なあ、フラエッテ。今日のセイカ、なんかすげぇ可愛かったんだよ。いや、いつも可愛いんだけどさ、なんか、特別」
「きゅるる?」
「特別可愛い。……あー、ああ、んー、多分、なんか昔に似てるから?昔のセイカみたいで、なんか凄い懐かしくて、好きだなって」
「きゅう」
フラエッテは急に怪訝な顔をして、低い声で鳴く。フラエッテの変貌にガイは食事の手を止めるも、何となく怒りの意味を察して首を振った。
「いや、今も好きだよ、可愛いし。当たり前だろ。だからそんな顔すんなって。疑ってんの?俺を」
「きゅ」
「そんなはっきり縦に頷かれても」
フラエッテもMZ団を近くで見て来たのだから。フラエッテなりに全員の事を理解していて。その上でしっかりと頷いて、意思を示す。フラエッテにとってもこの手の話題におけるガイは全く信用ならない様だった。
「…ピュールといいデウロといい何なんだよ…全然信用されてねーじゃんか。特別を作らないだとか、個人に執着しないとか、優先順位を付けられないとか、…博愛…主義者、とか」
博愛主義者と言ったのは確かセイカで。ピュールやデウロどころか、ガイが一番信じて欲しい相手であるセイカですらそう思っていて。その認識はあったけれど、きっとアピールを重ねて行く内に彼女の中の理解も変わって行くのではないかってそう思っていたけれど。
何も変わっていない可能性が、急浮上する。漫画や映画のどんなに鈍感なヒロインですら気付く様な、露骨な振る舞いをして。遠回しだけど、そんな気があるのではないかと勘違いしてしまう様な言葉も選んで。自分の元へ彼女の気持ちが落ちてくればいいと思っていたのに。セイカは何も変わってなくて、それはあの時から認識のアップデートはされていなくて。だからこそ美術館でミアレを祈るのだと断言したのかもしれない。ガイがまだ、あの頃から何も変わっていないと信じているから。
ピュールの事も、デウロの事も二人の変化を受け入れていて。ガイだけが、セイカの中で更新されていない。あの頃のまま、ヒーローのままで神様の様に平等なのだと思い込んでいる。
結局、全部確信が持てないため仮定でしかないのに、ガイは何だか腑に落ちた様な心地がして。それ以外の可能性も残されているのに、そうにしか思えなかった。
「…決め付けは良くない、けど…そうとしか思えない」
その仮定に行き着いたところで、ガイはまだいまいち納得がいかない。これまで、何度だってガイの変化を見て来たはずなのに、何故ピュールやデウロの様にそれを受け入れて飲み込む事が出来ないのか。頑なにミアレを守る、平等な英雄だと思い込んで、そのイメージを手放さないのか。
十年も間が空いていれば、当時のものから現在へ情報を更新するのにも時間が掛かるはずで。未だ飲み込めないのも仕方ない様な気がするが、それだけでは説明がつかない様な気がしてならない。
ガイはふとピュールの言葉を思い出す。食事中、『セイカの前でもしもの話をするな』と怒ったあの時である。それを思い起こして、ガイは思考した。それから、また一つの仮定に辿り着く。
「あの時の、どこかのタイミングで、セイカの中で俺に関する何らかの問題があった…?」
もしそうだとして、それが何なのかガイには全く分からない。思い付く事と言えばサビ組関連や、半ば強引に暴走メガ進化ポケモンの鎮圧をさせた事だが。何にせよ、本人に聞かなければもうそれ以上の事はガイには分からない。
「………問題解決をするだけだから、仮定の話はしないし、過去の話を聞き出すくらいなら平気、だよな…?簡単に、思い出話をするだけ」
このまま立ち止まり続けても答えになんか辿り着けないのは分かりきっている。ピュールに言われた事が少し気掛かりだが、律儀に守り続けていてもどうにならない。それなら大丈夫だよなとガイは自分に言い聞かせ、食事を胃に詰め込む。側でそんな彼を見ていたフラエッテは、酷く不安そうにしていた。
食事を終えて洗い物をした後、ガイはすぐにセイカを迎えに行く。考えすぎて強張った顔を解して、笑顔を作った。相手を怖がらせない様に優しい顔を作る事は慣れていて、そう言うのが必要な仕事をしていて良かったとガイは思った。
セイカのいる客室のドアの前に着いて、深呼吸をする。それから優しく、トントンとドアを叩いた。
「セイカ、いるか?」
「あ、うん!」
すぐに部屋のドアを開けたセイカはガイを見てにこりと笑う。行こうかと言ってドアを閉め、鍵を履いているテーパードパンツのポケットにしまった。
エレベーターで屋上に上がる。屋上からは苔むしてボロボロのタワーやミアレの街の様子が見えた。近くに設定されたバトルエリアでは多くの人が楽しそうに戦っている様子だって、よく見える。
「セイカ、こっち」
タワーを背にしたソファーの奥に座れば、セイカもちょこんと控えめにガイの隣へ腰を下ろす。二人で振り返る様にしてプリズムタワーを見上げて、セイカは懐かしそうに目を細めた。
「プリズムタワー自体は変わっちゃったけど、景色はほんと、変わんないな〜」
「な。…実はさ、タワー再建の案も検討中で」
「え、そんなの、ここで私相手に話しちゃって良いの?情報漏洩でしょ…?」
立場は違えど同じ社会人であるセイカはガイの話題に危機感を覚える。まだまだ全然社外秘で、なんなら上層部しか知らないので、確かにその通りではあるのだけれど。ガイは楽しそうに笑って『大丈夫』と言い切った。
「セイカなら誰にも言わないだろ」
「そう言う問題じゃ……はぁ、もう、分かったよ。その代わり、私以外にそんな社外秘話しちゃダメだからね」
「当たり前だろ。セイカだから話したんだよ」
セイカ以外には、ピュールやデウロ相手でさえもそんな社外秘は言わないから。そんな意味合いだって含まれているけれど、絶対にセイカには伝わっていない。昔は言葉の奥深くに含まれた意向を全く汲み取れない様な鈍い人ではなかったはずだがと疑問に思うも、ガイは言葉にしない。
「プリズムタワーってさ、やっぱミアレのシンボルだからさ。ミアレだけじゃなくてカロスの問題として、観光資源的な部分でも再建は求められてるんだよな」
「…でも、フレア団の事件があって、五年後にタワーのアンジュの件があって、タワー再建しますって…大丈夫なの?その…住民の支持とか…」
「まあ、それは流石に予想してるよ。アンジュの件については俺の口で直接詳細を伝えられるし、…かつてフレア団からカロス地方を救った元チャンピオンがその時の話をしてくれるって約束してくれてはいるし、F…フラダリさんも、思い出してる事はあるから出来る限りの情報は提示するとかで」
「Fさんも…」
「納得してもらえる様な準備は俺達の方でも進めてるんだぜ。ていうかそもそも、悪いのはAZさんの作った兵器と、まあ、結果的には恐ろしいものになっちまったアンジュであって、タワーに罪は無いからな」
「…それはそうだね」
「あのままタワーが厄災の象徴だって思われ続けんのはさ、タワーを作った人たちが浮かばれないだろ」
「確かにね」
それなら良いのかななんてセイカは首を傾げれば。俺はこのまま進めていければ良いなとガイは微笑んだ。
「また綺麗なプリズムタワーをここから眺められる様にしてぇなぁ」
「そしたら、あの頃と変わらない景色がまた見れるんだね。それはちょっと良いな」
「……セイカにとって、俺達と走り回って街を救ったあの頃は、楽しかった?」
「楽しかったよ?まあ、あの無茶は若いから出来てたのであって、流石に今は出来ないけど」
「…俺もだよ」
それはきっと、皆も同じだ。デウロはともかくとしても、あの時街を救ったメンバーはもうあの時と同じ様に動けない人だっている。ポケモンバトルから離れたセイカは、その最たる例だった。
彼女がガイの言葉に『えー』と笑って。くすくすとおかしそうに肩を揺らしながら言った。
「でもガイは今だって困ってる人を助けてるし、ミアレのために何かをしてるんだから、何も変わってないじゃん」
「……いや、まあ、それはそう、…そうなんだけど」
「貴方はずーっと、変わらず善い人だから」
ぞわりと背筋に悪寒が走る。彼女から銃でも突き付けられている様な感覚になって、ガイは眉を顰めた。その気持ちの悪い違和感を指摘せずにはいられなくて、やめてくれないかと口を開きかけた時、彼女のスマホが鳴る。
「えっ、あ、ご、ごめん」
「…出て良いよ。大丈夫」
今じゃないだろなんて止める権利は無くて。たかが友達にそう不機嫌そうに言われたら、大体の人は薄っすらと不快に思うのだろうし。それに少し考える時間が欲しかった。彼女の発言を噛み砕き、整理しておきたい。ガイは笑って彼女を促す。セイカもガイに促され、席を立ってスマホを耳に当てた。
「…もしもし」
(…昔…やっぱりセイカは昔に拘ってる。でもそれがどうしてなのか、理由は全く掴めない)
彼が掴んだ事は、セイカが変化を恐れているであろう事で。ガイの変化だけ頑なに受け入れようとはしないで昔の彼に当てはめて、昔の尺度でガイの可能性を測る。
(何をそんなに恐れてるんだ…俺が変わる事の何が嫌で)
「………復縁って、なに?」
そこまで考えて、ふと耳に挟んだセイカの言葉にガイは顔を上げた。これまで考えていた何もかもが全部吹き飛んだ。今のガイはセイカにしか意識が向いていない。先程の考えなど、最早毛ほども覚えていない。
「しないよ。勘弁して。……そりゃ私だって悪かったよなって思ったからブロックしてないだけ」
(復縁…相手は元カレか)
セイカはモテる。当たり前だった。おしゃれで可愛い、皆に優しい『ミアレの天使』が放っておかれるはずもない。黙って何もしないだけでも引く手数多なのに、今は彼女からも行動をしているのだから。その内すぐに相手など見つかってしまう可能性だってある。ガイ以外の誰かで。
「……自分で浮気して、彼女に振られて浮気相手にも捨てられて、元カノに縋るってキモすぎる」
(………結っ構壮絶な話してんな…ていうかセイカはそんなバカ男と付き合ってたのかよ。そりゃ料理作ったとて褒めねぇわ)
セイカの元カレが常識的とは言えない人間である事は今の会話で明らかだが。そんな事を言ってられない程、過去にやらかしまくっているガイに、自分もその男と同じくらいのヤバくて危険だなんて自覚は一切無い。デウロに面と向かって『ガイと付き合うのは本当にヤバい』と言われても、その理由が借金以外で思い当たらなかった男だ。ガイの発言はどんぐりの背比べであったし、セイカに男を見る目はない。
「流石に無理。ごめん。もう切る。二度と連絡してこないで」
最後にスピーカーでもないのに僅かでも聞き取れるくらいには、大声で叫んでいて。セイカは眉を顰めながら電話を切り、スマホを操作した。
電話越しの相手はとんでもないド屑で、無しだとしても。セイカにはそれ以外が沢山いる。その中の人間が自分以外全員無し、とは言い切れない。自分以上に富や名声を持っている人間はそうそういないとは思えど、セイカはそんな事で靡く人間ではないし。だからこそ好きになったところもある。
「…ごめん!ホントごめんね!途中に申し訳ない!もう掛かってこないと思うし、大丈夫!」
「あ、お、おう…」
謝罪をしてセイカはガイの隣に座る。そして先程の事を掻き消すように『あのね』と自ら話題を振ろうとしたが。最後で響く爆音にセイカは振り返った。
「…〜っわぁ!」
「…はじまったか」
「……もしかして、ガイが言ってた特別な事って」
「そ、花火。今ルージュ地区でイベントしてて。それで打ち上げてる。セイカのところの言葉で言うと…」
「おまつり?」
「それだと思う。フェスティバルって言うには規模が小せぇからイベントって言った」
セイカは『へぇ』と声を上げて空を見上げる。空には色とりどりの火の花がパッと開いてすぐに消えて行く。やはり花火には慣れているのか驚きや物珍しいものを見る様な表情はなく、楽しそうに、どこか懐かしそうに目を細めている。
「きれい…」
「すげぇ?」
「うん」
これ、クエーサー社が協力してるんだぜなんて自慢したい衝動に駆られたけれど。今それをやられればきっと誰だって鬱陶しく思うし。自慢話で雰囲気を壊されて嫌な思いをさせたくはなくて、ガイは黙った。
スマホロトムで何枚も写真を撮るセイカ。打ち上がる赤や黄色の花火に子供みたいに歓声を上げて、手を叩いて笑って。ガイはまた、可愛さを噛み締める。セイカへの愛情や好意が全身を駆け巡って神経を痺れさせて行く。指先までが僅かに震えて、ギュッと力を入れた。
「すごいよ、ガイ!」
でも、隣に座るセイカはガイの恋人ではない。未だ彼女は誰か、ガイ以外の人間の手中に収まる可能性があって。今後、彼女と花火を見るのは、自分以外の人間かもしれないと思うともう何も考えられなくなる。恋というものは人を盲目にし、思考を奪い取る。美しく、楽しいものでありながら、身の毛もよだつほどの恐ろしさを持ち合わせていた。
「……?ガイ?」
本当は、ゆっくりと探りを入れて行くべきだった。何の解決もなされていない今、その過程を飛び越えるのは悪手以外の何者でもなく。もっと冷静でいるべきだったのに。
恋という熱病に浮かされたガイに正常な判断は出来なかった。これまで考えていた事全部が頭から消え去って、残されたのは焦燥と欲望と愛である。だれかに奪われるかもしれない恐怖が、これまで自分の意志で秘めてはやっと表に出す事の出来た愛おしさが、ガイの全身を一気に侵食し、脳を犯す。一緒に花火を見るのは、その薬指に指輪を通して一生を寄り添って行くのは、全部自分しか許せなくて。このままだと手からすり抜けていってしまう彼女を、野放しにしておく事なんてガイには出来なかった。
様子がどこかおかしいガイを心配そうにセイカは覗き込んだ。だがその心配も無駄骨で、隣にいる恋の奴隷と化した彼に理性などない。
「ガイ?どうしたの…」
「好きだ、セイカ」
花火の大きな音にも掻き消される事なく、それは確かにセイカの耳に届いて。セイカは目を見開く。
ハッと、半開きの口から薄い呼吸音がして。彼女は浅く息を飲み込んだ。