ガイはぼうっとしている。デスクに座って、斜め上を見上げ、呆然と照明を眺めていた。マスカットはただならぬ彼の様子に気まずそうにしている。
「………あの、ガイさん」
「…なに」
「仕事してください」
「してるよ」
「手止まってますよ」
指摘されてこれ見よがしに手を動かせども。結局大きな溜息をついて額を押さえた。
「何かありました?」
「…………んー…あったと言えばあったんだけど、俺が何かをした心当たりは全くないと言うか」
「そう言って結局貴方がやらかしてるなんていつもの事じゃないですか」
「…え、いつもの事じゃないですか?」
「セイカさんとのお食事で何かあったんですか?」
ガイが仕事を頑張った理由をマスカットは知っていて。彼がペースを乱される原因にも心当たりがあるからこそ、そんな話題の振り方をした。案の定、ガイはセイカと言う名前を聞いた瞬間、眉間を押さえ始める。
「…俺は何かをしてしまったのかもしれない」
「セイカさんにまた酷い事を?デート中に人助けとか」
「しないですよ、セイカとのデート中にそんな事…。それにそんな余裕も無いし。皆に好かれる彼女を落とすなら、俺も本気で行かないと…………ん?今『また』って言いました?」
「セイカさん怒らせて途中で帰られでもしましたか?」
「堂々と無視ですか…いや、怒った訳ではなくて、急に元気が無くなったというか…。笑顔がずっと引き攣ってて、お互いに向かい合って座ってもセイカと全く目が合わないし。それに食事を半分くらい残したんだよ。マスカットさんだって知ってるあの店のランチだぜ?口に合わないはずないのに」
あの隠れた名店の名を言われ、『ああ』と声を上げる。確かにあの店なら誰もが美味しいと言うだろうと彼も思った。だがセイカは沢山残してしまったという。彼女と食事をした事はないが、これまでのガイの話から聞くに、彼女が全然少食でないというか、むしろ大食い寄りなところはマスカットでも分かる事だった。
「貴方が何か余計な事を言って傷付けたとかではないんですかね」
「…言ってないはず。女性と話す時は、取引先の重役と話す時以上に言葉には気を遣ってる。特にセイカ相手の場合は。そんなしょうもない失敗したくない」
そんな事、白昼堂々とオフィスで言わないでほしいとマスカットは思った。別に女性との付き合いが悪いとは言わないが、仕事と比較してそれよりも大事と言われると社員達に示しが付かなくなってしまう。ただ普段はそういう事にも気を遣えるガイが何も考えずにものを言っている事が、彼の中での事態の深刻さを物語っている。
「食事のマナーがいけなかったとか、店員に対して横柄で減滅したとか、そう言った事は?」
「無いと思う、おそらく。マナーや礼儀を普段から気を付けてる事はマスカットさんだって知ってますよね」
「それもそうですね」
それはマスカットも良く知っている。何せそのマナーや礼儀を教え込んだのは他でもない彼だった。教えた事を十年近くやっていれば、もうそれは身体に染み込んでいくもので。プライベートはいざ知らず、スイッチの入った彼の振る舞いは完璧とも言えた。
「やはり貴方が知らず知らずの内に何かされたのでしょう」
「……その、なんだろう…原因、俺って決め付けてくる感じなんなんですかね…皆そうだけど…」
「こういうのは大抵男が悪いものです。私も妻や娘に訳の分からない理由で怒られる事があります」
マスカットの何だか重みのある言葉にガイは思わず黙ってしまう。だがすぐに再び溜息を吐いて、額に手を当てた。
「セイカを不快にさせたなら謝りたい。俺、セイカの事簡単に諦めたくねぇもん。なあ、マスカットさん、そういう時ってどうやって仲直りするんですか?」
「まあ、下手に謝っても火に油を注ぐだけですから、行動や態度で挽回しますね。数週間は絶対言いなりでいるとか、自分の家事の負担を増やすとか、欲しいものを買ってきてご機嫌を取るとか」
「そんな事でどうにかなるもんなのか…?物で釣って許されると思うな〜とか言われそうだけど」
「それを言われない様に誠実でいるんですよ。一番大切なのは態度や姿勢です。物は謝罪の意を念押す物で、それ自体がメインではありません」
「ふーん」
「将来のためにも、女性に扱われる事は覚えておいて損はありません」
よくよく聞けば散々な事を言っているけれど、そう言うマスカットの顔はとても幸せそうな顔をしていて。人を愛する事って、そんな人と共に添い遂げる事ってそう言う事なんだなと理解するにはうってつけで。羨ましいと真っ直ぐに思った。
(俺はやっぱ、セイカとそう言う関係になりたい)
彼女とならきっと幸せになれると、そう思うんだと。ガイはどこまでも信じている。あの頃だって、そうだった。なら、これからだってそうに違いない。
「そうだ、ガイさん、ご存知か分かりませんが」
マスカットはそう前置きをする。それからタブレットを操作して画面を見せてきた。
「現在、ミアレ美術館で幻のポケモンの絵画を集めた企画展示を行っているそうで」
「あー、聞いたかも。貝殻の上のメロエッタの本物が展示されるって騒がれてましたよね?」
それは大きな貝殻の上にメロエッタが立ち、周りのポケモンや人間に歌を聞かせている絵画のレプリカではなく、滅多に見る事の出来ない本物が展示されると言う事で。ミアレで話題になっていた。
ガイもこれだけ話題になれば、少し気にもなっていたけれど。現在、見る事は出来ない。確かチケットはもう完売していて取れなかったはずだとガイが言う。するとマスカットは懐から封筒を取り出した。
「これをお受け取りください」
「…………え、これ展示会のチケット…?」
「是非、セイカさんと行かれては?」
「え、いや、このチケットもう売ってないんですよ!?ご家族とかと行かれたら…」
「いえ、あの、私も知人から譲り受けたのですが、そのチケット二枚しかなくてですね。折角なら家族全員で行きたいし、誰かが行けないのは可哀想だと言う事で、誰かに渡そうと思っていたんですよ」
そう言われて差し出された封筒を受け取った。中身をちらりと確認すれば確かにその展示会のチケットで、ガイはマスカットをちらりと見る。どこか心配そうな、申し訳なさそうな彼の表情を見て顔を緩めた。それにマスカットは笑い、良いのだと頷く。
「私はガイさんと長く一緒にいて、勝手ながらまるで息子の様に思っておりますし、そんな貴方に良い人がいて、その人と幸せになれると言うのなら応援したいのが親心と言うものですから」
マスカットが自分の事をそこまで大切に思ってくれていたとは思わず、見上げれば。マスカットは優しい顔をしてガイを見て笑っていて、何だか恥ずかしくなって目を逸らす。
「それにおそらくセイカさんを逃したら貴方に合う人を見つけるのは難しいでしょうし。それではガイさんは一生結婚出来ない様な気がするので」
「…ディスられてるよな、これ」
「頑張ってくださいね、ガイさん」
「あ、ハイ」
マスカットは激励の意味で肩を叩く。それから、私は外に行かなければならないのでと一言断ってから社長室を出た。一人になったガイは手元の封筒を見つめ、ゆっくりと頷く。
「…ここは好意に甘えさせてもらおう」
彼女が嫌だと言うなら泣く泣く諦める他ないが、まだセイカからは何も聞いていないし。それまでは頑張って行動してみるのだって許されるだろうと自分に言い聞かせ、封筒を通勤バッグへ大切に仕舞い込んだ。
所は変わってセイカの自宅である。一般的なマンションの一室に居を構える彼女は、ソファーに座りながらデウロに連絡を取っていた。今は仕事の都合上、イッシュ地方で暮らす彼女とは、お酒を飲みながら頻繁にビデオ通話をしている。
カラカラと酎ハイの入ったグラスを揺らしながら溜息を吐くと。電話越しのデウロは笑った。
『ガイのこと?』
「うん…ごめん〜溜息吐いちゃったぁ」
『いいよぉ。セイカの話聞くために通話してるもん〜。だから気にしないで。ほら、何でもお話ししてごらんよ。全部聞いてあげるからさ』
ビール片手にニコニコと笑うデウロにセイカも微笑み返す。一口アルコールを飲んでから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「…私、やっちゃった」
『なにを?』
「………上手く笑えなかったの、折角ガイが連れて行ってくれたお店で沢山お話ししてくれたのに、私、上手く笑えなくて」
『笑えなかった理由は?』
「ガイが、人助けより私を優先したから」
デウロは目を見開いた。片手に持っていたビールのグラスを置く音がする。
「…おかしいよね。だって、たかがそんな事でだよ?そんな事で私、どうすれば良いのか分からなくなっちゃって…デウロ?」
『…あ、いや、それは、びっくりするねぇ。私もびっくりしちゃったもん』
デウロはそうなんだぁと驚きの声を上げる。ビールの入ったグラスを爪でカタカタと弾きながら、セイカに同意した。
『あのガイがねぇ…たった一人を優先するなんてびっくりしちゃうよねぇ』
「…うん」
『それくらい本気なのかもねぇ』
セイカは大きく息を吐く。だよねと引き攣った笑みを浮かべて額を押さえた。
『なんか思うところあるの?』
「…うん。いくつか」
『いくつかあるかぁ』
十年もすればガイが変わるのも当然で。トップとして色々なものの良い部分も嫌な部分も見て来たであろう彼が、人の優先度を付ける事や救いの取捨選択を出来るようになった事をデウロやピュールは前々から知っていた。彼なりに大人になって頑張って、今回こうしてセイカの事を最優先で考えている事に、不幸になるからガイと付き合うのは絶対にやめた方がいい派閥であったデウロも感心の一言だが。その成長もセイカにとっては違和感でしかない事に少しだけ同情を寄せた。
(ガイちょっと可哀想だけど…まあ、昔の振る舞いが引き起こした自業自得だし、別にいいか。利子をセイカに返させた罰って事で)
真っ直ぐさは美徳だが、それが巡り巡って今の自分の首を絞めるとはガイも思っていなかっただろう。もう戻らない時間ではあるが、過去の積み重ねって本当に大切なんだなとガイの事も、今大成しているピュールの事も思い出していた。勿論、過去に積み上げた努力があったからこそ、今の盤石な立場を手に入れられているのだろうとデウロ自身も思っている。
「…ガイが本当に好きなのか、それとも私の事揶揄ってるだけなのか、わかんない」
『んー…まあ、ガイってちょっと思わせぶりなところあったよね、昔』
「そう、だね。…また、私、勘違いして苦しくなるのはやだなって。もうさ、大人なのにこんなの、振り回されてばかみたいでしょ」
『そっか〜…』
「結局、傷付きたくないんだ、もう。私自身のための保身なんだよ」
自嘲する様に鼻で笑った。セイカは立てた膝を腕で抱え、膝の間に顔を埋める。
「ガイが特定の個人を好きになるとは、どうしても思えないし」
(……約十年の空白期間がここまで影響を及ぼすとは………)
彼女がガイの気持ちを信じきれないのは、セイカの中でのガイのイメージがおそらく、あの時で止まっているからで。彼はヒーローみたいで、真っ直ぐで、平等で、特別や唯一を作らない人だと、未だに思っているのだろう。
『難儀だねぇ』
「それに、もし私の事が好きだったとして」
『うん』
「それが本当だったら、あの時の自分をまるっと全部否定されてる様な気分になって死にたくなる」
『………否定?』
「私がガイのためを思って身を引いたのって、さっぱり諦めて忘れようとしたのって、結局全部無駄だったんだって。そんな事しなかったら十年の空白だって、無かったのかもしれないし」
もしもの話をしたところで今更どうにもならない事は分かっているのに。考えざるを得なかった。自分がどんな思いで彼を諦めたのか、あの時の自分を、自分の選択を肯定したかった。間違いだと思いたくなかった。それが彼のためになったのだと信じていたかったのだ。
(…………結局、セイカ自身の問題でもあるのかも)
デウロは彼女の潤んだ声を聞きながら、そう思う。もうお互いだけでは解決出来ない領域にまで達してしまったのかもしれないと思うには十分過ぎる言葉であった。
(セイカが、過去を捨てないとダメなのかもね。これ、ちょっとある種のトラウマだし。うーん、ちゃんと、今のガイと自分に向き合えればきっと、良い方向へ行くはずなのに。全部が怖いんだろうな、セイカ…私そんな劇的な恋なんかした事ないからどんな感覚かは分かりかねるけど)
想い合っているのは明らかで。第三者からはもどかしさを感じるくらいで。でも一歩近付くガイからセイカが逃げてしまって、おそらくガイもセイカの真意を計りかねているはずだ。だから、その気になれば爆速で変化する関係性は凍り付いたままなのだろう。
(ま、ガイには散々振り回された訳だし?少しくらい悩んで苦しんでもらわなきゃ採算取れないよねぇ)
ガイに振り回され、困らされた過去の記憶の数々を思い出し、デウロはビールを煽る。セイカを可哀想と思う気持ちはあるけれど、それと同じくらいガイに良い気味だと思う。
(そんで結果的に恋する乙女の健気な覚悟を無碍にして、蔑ろにした事になったじゃん?うーん、普通に重罪かな)
やっぱりガイってば、いいザマだよねなんて満足そうに頷く。こうして悩んで振り回されてる方が、デウロとしては清々するものだ。人知れず楽しそうな彼女がスマホの画面を見ると。セイカは一人で静かに泣いていて、酎ハイを少しずつ煽っていた。
ガイを小馬鹿にするのも別に良いけれど、対応しなければならない事は目の前にあって。泣いている親友に声を掛けようとデウロは口を開いた。
『セイカ〜…泣かないでよぉ』
「………こんな事で泣くのなんてティーンみたいで、恥ずかしいね…ごめん…」
『良いんだよぉ。だって私しかいないでしょ、今』
手を伸ばしたデウロだったが、電話越しで彼女の背中を摩る事は出来ない。静かに手を下ろして困った様に眉を下げた。
『ミアレいたら夜中でもセイカの家走って抱き締めに行くのに〜』
「……私、デウロと付き合おうかな…」
『おっ、大切にするぜ、お姫様』
「…ふふ」
おちょけるデウロにセイカはクスリと笑った。涙を流しながらも、楽しそうに笑う彼女にデウロも安心した様な顔を見せる。
ただ現状な何も変わっていなくて、どう慰めたって彼女の涙の根源的な理由を解決する事は出来ない。とはいえ、二人の間の情事に軽々しく首を突っ込んで良いと思えなかった。これはきっと二人で解決しなければ、その先に繋がらない。それでも泣いているセイカを黙って見ている事は出来なくて、簡単な助言を口にする。
『ま、ガイだってそれなりに真剣だと思うよ。そう言うタチの悪い冗談とか、揶揄いとかする様なタイプじゃないでしょ?うちのリーダーは』
「…分かってる…から、分かんない」
『もー、こう言う時はゆっくり寝て休も。今考えても答えなんか一生出ないと思う』
「そう、だね」
眉間をギュッと摘んで目を瞑る。セイカはまた溜息を吐いて、額を押さえた。
「うん、今日は寝よう」
『そうそう。それが一番病に効くんだから』
「病って」
『恋わずらいって言うでしょ〜?』
「…なんかその言い方はちょっとやだ」
『あは、だめ?』
「だめだよ、ちょっとおじさん臭いよ」
『えーっ!やだぁ!』
二人でケラケラと笑って数言言葉を交わし、通話を切った。目の端に滲んだ涙を拭ってセイカは立ち上がる。
「…ほんとに寝よっと。ね、アブソル」
デウロとの会話の最中も、彼女の横で静かにまったりしていたアブソルは、セイカの言葉に返事をする様に鳴いた。その鳴き声ににこりと笑い、わずかに残っていたお酒を飲み切る。空になったグラスを水で濯いで、濡れたシンクを布巾で綺麗にして。そのまま自分の濡れた手も適当に拭いていたら、アブソルが近寄って来た。
「ん?…あ、着信?」
アブソルはどうやらスマホの着信に気付いて教えに来てくれた様だ。口に咥えたスマホを受け取れば、撫でられるのを待つかの様にちょこんと座る。
「よしよーし。偉い偉い。ありがとねアブソル」
アブソルの頭を撫でながら褒めてあげれば、あまり表情の変わらないアブソルも嬉しそうに尻尾を振る。可愛いなぁと思いながら鳴り続けるスマホの画面を見て、セイカは固まった。急に撫でる手が止まり、アブソルはセイカを不思議そうに見るも、彼女は画面に表示された名前に釘付けだった。
「…ガイから…」
このタイミングで電話が掛かってきて、上手く応対できる自信がセイカにはない。彼の事で悩んでいるのに、悩みの原因とまともに会話出来るとはどうにも思えなかった。
「で、でも、無視する訳にも…」
迷って、手を伸ばすけれど。通話ボタンを押す事は出来なくて、おろす。だが応えなければ彼からの印象も悪くなる様な気がして何だか怖くて。結局、散々迷った末に震える手で通話ボタンを押したのだった。
『……あっ、セイカ』
「…ガイ?どうしたの?」
『ああ、出てくれた、よかった』
緊張が解けて安心した様なガイの声にセイカは首を傾げつつ。再びどうしたのかと問い掛ければ、ガイは遠慮がちに話し出した。
『いや、…えっと、セイカの声が聞きたくて、ごめん、急に』
「…ぅ、ううん」
大丈夫とは言うけれど、内心は全く大丈夫などではない。心臓がバクバク鳴って仕方がないし、彼はどう言うつもりでそんな事を言っているのかと混乱している。こんな台詞は少女漫画で言えば、好きな人にしか言わない。
『この前平気だったか?』
「…え?」
『……もしかしてさ、俺、何かしちゃったかな…?』
ガイは何もしていない。これは自分が勝手に動揺しているだけなのだ。彼が罪悪感を抱く必要など全くないのに、ガイは低い声でどこか申し訳無さそうにしている。
「あ、ち、違うよ…!あの…えっと、ほんとは、あの、体調悪くてっ…!」
『…あ、そ、そうだったのか。それならそれでごめん。何も考えず連れ出しちまった。しんどかったろ?』
「あ、へ、平気!あの、毎月のこと、だから!」
わざわざ言わなくて良かったと気付いたのはそれを口走った直後だ。彼氏でも旦那でもない男友達に、女性特有の月の症状を知らせる様な事なんて気まずい事この上ないのに。ただ生理自体は普通に嘘で、自分の周期を知られる事にはならないだけまだ良い。それでも恥ずかしい事に変わりはないので、せめて無知であってくれと耳を澄ませるも、ガイは上擦った声を上げた。
『あっ、あ、…ぐ、具合悪かったらちゃんと休めよ』
非常に気まずそうな声を上げるガイにセイカは思わず頭を抱える。おそらく知っているのであろう彼に恥ずかしい思いをさせてしまった事に申し訳無さを感じた。
ガイは急ぐ様に話題を変える。そんな気遣いをさせてしまった事にも恥ずかしさと申し訳無さでいっぱいで、大きく溜息を吐きそうになった。
『そっ、それであの、俺、今日電話したのがさ!』
「う、うん」
『一緒美術館行かないかと思って』
「美術、館…?」
『マスカットさんから今やってる企画展のチケット貰ったんだよ。ほら、メロエッタの絵画の本物が来たって知らない?』
「あ、あの幻のポケモン絵画のやつ?」
『それそれ!』
それはセイカも気になっていた展示会だった。わざわざ事前予約をする気にはなれなくて、当日券がある時に行けたら良いなと思っていたのだが。チケットはオンラインで早々に売り切れ、当日券も無いという大人気の状態で、残念ながら行く事を諦めていたのである。セイカはワッと興奮した様に声を上げる。
「すごい!私それ行きたかったの!気になってたんだけど、まさかオンラインで完売しちゃうなんて思わなくて」
『セイカはこう言うのよく行くのか?』
「うん!企画展示とか結構好きだからよく行くんだけど、いつもは当日券全然あったし、今回も同じかなって思ってたら…やっぱレプリカじゃなくて本物があるからかなぁ。私の好きな絵とかもあるみたいだから行きたいなって思ってたんだよ〜」
楽しそうにそう話す彼女にガイは安堵の笑みを浮かべる。これだけ明るく話してくれているのだから、自分の事が嫌いになっただとかそう言うのでは無いだろうと胸を撫で下ろした。
『それなら行こうぜ俺と』
「え、行きたい!いいの?」
『良くなかったら電話なんかしてねぇよ』
「わ、やった!」
セイカは嬉しそうに声を弾ませる。気まずさはどこへやら、行きたかったところへ行ける嬉しさが勝っているようだ。
「いつ?日付指定?」
『うん、来週の日曜日』
「あ、大丈夫!行けるよ!予定空けるし!」
『良かった』
楽しそうな彼女の様子にガイも自然と口角が上がる。はしゃぐ彼女が可愛らしくて、ニヤつきは隠し切れないし。一人だから良いかと可愛さにニヤニヤしていたら、セイカからも願ってもない申し出が上がる。
「じゃあご飯も食べに行こうよ、今度は私がお店決めて奢るから!…ま、高いものいっぱい食べてるであろうガイの口に合うかは分かんないけど」
『え、いいのか?また一緒にご飯言ってくれる?』
「う、うん。この前のは私が悪いし」
『じゃあ、お願いしようかな。金は俺に出させて』
「いや、それは」
『だから、デートは男側全負担派なので、俺。女性には払わせたくないな』
「…そのデートって」
それが本気がどうか、確かめる言葉の続きが出て来なくて。最終的には何でもないと尻すぼんだ。
『その代わりいつも以上にすげぇ可愛くなって』
「…え」
『ちゃんとデートしようぜ、俺と』
「…っ、ねえ、デートって」
意を決して聞いてみようかと思えば、ガイは急いで会話を終えて。一歩的に『じゃあまた』と告げては通話を切った。セイカだけが置いてけぼりにされて、ヤンヤンマの様に一瞬で通り過ぎていったやり取りにしゃがみ込む。足元ではアブソルが心配そうな顔をして覗き込んでいた。
「…どういうつもりなの…」
ガイの真意なんてわかりっこないし。昔から何を考えているのか分かりづらいところがあるから、今も何を考えて美術館なんていかにもなデートスポットを選択しているのか知り得ないのに。デートと明言していても、彼の事だから他意なんてないのかもしれないし。勘違いで今まで苦しくてセイカ自身もそれに散々悩まされている最中なのに、関係性は続けたいし一緒にいたいと思うのも彼女のエゴであり、我儘だった。
(…分からないって泣くくせに、一丁前に手放したくないとは思っちゃうから、本当に女々しくて自分が嫌になる)
結局、一人でに悩んで今のところ得た気付きは自分の厄介で図々しい部分だけで。ガイの事がより好きになるのと同じくらいの速度で自分が嫌いになっていった。
(いっその事、私の片想いって確信があったならどれだけ気持ちが楽だったか)
ガイを信じる事も、期待も、何なら彼に夢を見る事すら怖くて仕方が無くて。セイカは込み上げてくる涙も欲も全て飲み込んで、ただ現状維持を望んだ。
対してセイカに思い付きで電話をしたガイは自宅のソファーに倒れ込む。それからクラブよりも赤い顔を手で隠した。
「〜っ!やり過ぎたよなぁ」
格好良く思われたくてスマートさを意識してみたら、思った以上にキザったらしい台詞を吐いてしまって。自分の事のはずなのに自分の想定外の言動に丁度驚いていたところだ。
「可愛くしろったって、セイカは頑張らなくても可愛いのに」
一周回ってとても失礼な言葉になってしまったのだろうか。考えても先程の言葉がギリセーフかアウトかが分からず、グレーゾーンを彷徨っている。まあ、少なくともタイミング的に大正解とは行かないだろうと言うのは分かる。
(急に口説くみたいな事言ってセイカも困ってたし、絶対)
電話越しに聞こえた上擦った様な短い一声は好意的なものではなく。内包しているものはただひたすらに困惑だと、こちらもいとも簡単に把握できるもので。軽度でも既にやらかしてしまっているのだろうし、これはもしかしなくたってアウト一択だとガイも思っている。その上で耐え難いくらい恥ずかしくなって強引に通話を終わらせた事も相俟って、非常に情けない印象になってしまったに違いない。
「…っあー!恋愛下手くそすぎる俺!」
そう叫んで広い自宅でふよふよと自由に飛び回るフラエッテを一瞥したら。さも呆れた様な顔をして『きゅう』と鳴かれてしまい、余計恥ずかしくなった。