雨が降りそうな暗い空の下。普段通り学校を終えて帰ろうとしたのだが。
「セイカ」
優しい声がしてスマホロトムから顔を上げれば、目の前にここにいるはずのない彼がいて。きっちりとスリーピースのスーツを着込んでいる。彼は見ないうちに背が高くなってセイカを頭ひとつ分高い位置から見下ろしていた。
「がっ、…ガイ?」
ガイは大きくて綺麗な花束を手に持っている。それをセイカの方へ差し出して、真剣な顔で言った。
「結婚してください」
セイカが息を飲むより先に隣にいた友人が悲鳴を上げた。至近距離で耳つんざく様な声が聞こえて思わず仰け反る。
「セイカ!セイカセイカ!その人誰!?」
「あっ、えっと、夏休みの時に」
「あのミアレシティで会った男の子!?」
友人は彼女を揺さぶっている。夏休み、三泊五日を予定して念願の一人旅に出たセイカが一ヶ月そこから帰ってこなかったのは有名な話だった。ポケモンとは無縁だった彼女が錚々たる面々を携えて帰国したのも相まって大騒ぎとなり。それは学校全体に広がり、セイカは校内でも有数の有名人となっていた。
そんな彼女がスーツの若いイケメンにプロポーズをされている。この状況を無視出来る人などいるはずもなく、周囲にいた他生徒や、様子を見に来た先生ですら固唾を飲んで見守っていた。
「……すごい注目されてるな」
「当たり前だよ!ちょっと、こんな所まで何しに来たの!?」
「ああ、セイカにプロポーズを」
「…嘘でも冗談でもないんだ…」
「冗談でこんな格好はしないだろ」
「そうだね。しないよね」
全身をまじまじと見て少し呆れ顔のセイカはガイの手を引く。そして周囲の野次馬にも聞こえる様に、大きな声で友人に言葉を掛けた。
「ごめん。ちょっと言ってくる!遠方からわざわざ来てくれたら友達の事!放っておけないし!」
「はいはい!友達ね、友達!」
友達の部分を強めに言ったのに軽く流されて。こりゃあダメだと額を押さえながら、セイカはガイを引っ張って行った。
駅前のカラオケに連れ込んで個室に入る。ミアレでは見た事のない場所に興味津々のガイだが、セイカにはこの場所を説明している余裕の一つもない。
「もう一度聞くけど、ここに何しに来たの?」
「プロポーズ。セイカと結婚したいと思って」
「ど、どう言う事?」
「だって、こんなに可愛いから!早くしないとセイカ誰かに取られちゃうかもだろ!?」
「えっ!?」
ガイの言葉に目を丸くして、真意を確かめたくて彼を見るけれど。真っ直ぐすぎる瞳に嘘を見出す事は至難の業でセイカは唸った。
「…ガイって、私がミアレにいた頃はそんな感じなかったよね」
「そんな感じ?」
「………私を、好きとか、結婚したいとか」
「…………お前が帰った後」
セイカにそう問われたガイは少し間を空けて口を開く。恥ずかしそうに頬を赤らめ、首の後ろを撫でた。
「SNS見て、楽しそうにしてるセイカがすごく可愛くて、電話とかするたびになんかドキドキするし」
「う、うん」
「でも電話だけじゃ物足りなくて、あの時みたいに、というかあの時以上に一緒にいたいって思うようになったんだよ」
あの時だってそこまで一緒にはいなかったと言うか。お互いに違う理由で街を走り回っては、時折同じ目的でアジトとしているホテルに集まって。それが何だか特別感があってセイカは楽しく思っていた。
ずっと同じ時を過ごしていた様に思うけど、実際は集まっていた時間の全てが濃かっただけにすぎない。暴走メガ進化を対処して、暴走兵器を止めて街一つ救ったなんて経験は、きっと後にも先にも出来ない。
「男と写ってる写真とか、SNSに上げてるだろ?それ見るたびに俺めちゃくちゃ焦ってさ、セイカはこんなに可愛いから、あ、制服も良く似合ってるし、可愛いぜ」
「あ、ありがとう…」
「セイカ本当に可愛いから早くしないと取られる!って思って、そう思ったら動かなきゃって」
「だから来たの?」
ガイはまた黙った。それから目を逸らし、苦虫を潰した様な顔をして眉間に皺を寄せた。
「…………本当は、普通に告白しようと思ってたんだけど。なんか、何かあげた方がいいかなと思って花買っちゃって、で、なんかプロポーズみたいだなぁって思いながら向かったらそのまま」
「ぷ、プロポーズしちゃったわけ?」
「ソウデス」
非常にバツが悪そうというか、恥ずかしそうに縮こまるガイ。それを見てセイカは思わず吹き出した。腹を抱えてひとしきりゲラゲラ笑ってからガイに顔を向ければ、彼は顔を真っ赤にして涙目でセイカを睨んでいる。
「あはは!ガイ何それ!」
「…………そんなに笑うなよ」
「笑うでしょ!あは!はー、おっかしー!」
セイカは指で目の端に滲んだ涙を拭う。バタバタと転げ回って乱れたスカートを直し、ガイを見て目を細めた。
「かわい〜」
「……………もういいだろ」
「よくないよ。急に訪ねてきて、プロポーズじゃなくてもびっくりなのに。ガイにびっくりさへられたんだよ、私!ねぇ、心臓止まったらどうしてくれるの?」
「どうするって…わかんねーよ…」
「でもそっか。ガイはプロポーズしてくれるくらい私の事大好きなんだぁ」
口角を上げて、にこりと微笑む。その表情は何だかひどく大人びていて、ガイはドキリとした。美しいブラウンアイに見つめられて、その視線から上手く逃げられずに見つめ返してしまう。彼女のちゃいろいまなざしに囚われて動けないでいた。
「そっか、ふふ」
「………セイカとなら、本当に今すぐにでも結婚出来る。その選択を、絶対俺は後悔しないと思う」
「んー、私はまだあんまり結婚まで気持ち追いついてないから、したくないかな。いきなり社長夫人なんて荷が重いよ」
『したくない』、その言葉にガイは体を固くする。これは振られてしまったのか。そう思ってなんだか目頭が熱くなってきて、唇を噛み締める。
セイカはそんなガイの肩を指で撫でて、腕を取った。ギュッと自分の腕を巻き付けて、頬を寄せた。その行動に、ガイは目を見開く。先程まで泣き出しそうだったのに、すぐに驚いた様子で顔を赤らめた。
「その花束くれる?」
「…あ、あげる」
「ちゃんと言って。私、言ってくれないと分からないなぁ」
「…!」
「でも、こんな事して私が何を思ってるか、分からない訳ないでしょ?ガイは別に鈍感じゃないし。むしろ色んな事に気付くもんね」
「せいか」
「ちゃんと言ってくれないと、私このままだと特に何の関係でもない男の人にくっつく奔放な人になっちゃうなぁ。ガイは私を嫌な女にしちゃうの〜?」
彼の腕に抱き付いて、ガイを見上げたセイカはにっこりと笑う。そんな彼女の肩に触れ、自分から引き剥がし。少し距離を取ってから立ち上がった。そして隣に置いていた大きな花束を手に取り、跪く。
「俺の、愛しい人。恋人になってください」
「………ふふん、じゃあ、私の一番可愛いとこ言って」
「えっ!?急に!?え、あ、そ、存在!」
「ふふふ!っあは!存在!」
「…だって、一番って言うから、セイカの事だし全部はダメって言うだろ」
「言うね。分かってるじゃん」
「だから、存在って言った」
「んふふ、抜け道すぎる〜!」
ケラケラと笑って、口元に手を当てて。楽しそうな彼女は可愛いけれど、自分としては先程から恥ずかしい事極まりなくて。腕の中にある花束をギュッと握っていたら。セイカはガイの手から花束を取って抱き締めた。
「いいよ。存在自体を愛してくれるんだったら、幸せになれそう」
「幸せにする!」
「そしたら絶対、私最優先ね」
「…善処します」
「うそ。いいよ、別に。他人のために走り回るのがガイだし。そういうガイが好きだよ、私。でも優先しなくていいって事じゃないからね。デートの時くらいは私の事一番にして」
自分の、こうなればもはや悪癖とも言えるものを受け入れて。いいよと笑ってくれる彼女なんてもう金輪際現れない様な気がするから。ガイは『いや』と言って彼女の手に触れた。
「優先する。セイカの事。誰かを一等に大切にしたいって、こんな気持ち初めてなんだ俺。ミアレの皆の事が大切だったのに、今はセイカだけ飛び抜けてる。ミアレで、世界で一番、俺にとって大切」
「………なんか、ガイから面と向かってそう真剣に言われたら、マジ度高そうでちょっと恥ずかしい」
「高いぜ、マジ度。プリズムタワーくらい」
「高ぁ」
最先端の細い部分がまだ折れていなかった頃。青空に向かって堂々とそびえる美しいタワーを思い起こし、楽しそうに笑った。それからほんのりと赤い顔ではにかんで、花束で少し顔を隠しながら言う。
「じゃあ、よし。貴方の恋人、なってあげる」
「…………よかった」
「大切にしてね。お姫様扱いしてくれないとその内ケーシィみたいに逃げちゃうよ」
「勿論、宝石よりも丁寧に、蝶よりも花よりも丁重に、大切にさせていただきますとも、俺の可愛いプリンセス」
オッケーをもらって安心したのか、ガイは緊張が解けた様な軽やかな顔をして。元の調子が戻ってきたのか、少しおどけて見せる。
「卒業したらミアレに来てくれる?」
「私、大学行くつもりだし」
「ミアレの大学でいいだろ」
「良いだろってそう簡単に行く事でもないでしょ。そうならそうで親に話さなきゃだし」
「…じゃあ、俺が説得する。ご両親に挨拶もしたい」
「………結婚前提?」
「勿論。離す気は更々ねぇよ」
はっきりとそう言い切ったガイに、セイカは本当に照れ臭そうな顔をして。『むぅ…』と声にならない声を上げて目を逸らした。
「…はやいよ。今後何があるか分かんないのに。超綺麗なさ、カルネみたいな人がガイの事口説いてきたらそっち行くかもだし」
「いや、絶対無い。ていうかカルネよりセイカの方が可愛いぜ」
「大女優と比べないで!並べられたくないです!あのレベルの美人と!」
「…でもそうか。セイカにとって結婚はまだ早いなら、ご両親への挨拶はまだしない方がいいか」
「そうだよ。私まだ社長夫人になる覚悟出来てないし」
「俺まだ社長じゃねぇねどな。見習い。研修中」
「うん。だから覚悟が出来たら迎えに来てね。連絡あげるから、その時はガラルのギャロップに乗ってここまで来て」
「…え、カロスにいねぇ。カエンジシで許してくれないか?オスの」
「うわ、猛々しい。王子様っていうか軍師じゃん」
ガイの冗談に表情を緩めたセイカは席から腰を浮かせて。床に膝をつくガイの側に自分も膝を突き、彼の頬に唇を落とした。ヤヤコマがきのみを啄む様な軽いキスだった。それでもガイは顔を真っ赤にして瞳を揺らした。
「別に挨拶だって結婚とか同棲とかだけじゃないとしちゃいけないって事もないし」
「…え」
「この花束、いきなり持って帰ったらお母さんびっくりしちゃうからさ、代わりに説明してくれる?」
「……ま、マジか」
「私にキスさせたんだからそれくらいして?」
「キスは勝手にしたんだろ……まあ、挨拶する気持ちの準備は事前に済ませてきたから大丈夫だけど」
「じゃ、いこ?」
立ち上がって側にあった自分のリュックを背負う。きっちりとした学生服に大きな花束は何だか異様な出立ちで。あまりにも突発的すぎた自分の行いをまざまざと感じられて、ガイは自分のしでかした事に時間差で恥ずかしくなってきたけれど。それでもセイカがひどく幸せそうに笑っているから、まあ良いかなんて目を細めた。
プロポーズなんかするつもりは直前まで無かったし、挨拶する準備なんて本当は何にも出来ていない。今だってセイカの親に会う事に、もう心臓が飛び出そうなくらい緊張している。だが社長として振る舞うために学んだ全部を生かして、ガイは綺麗に笑った。今まで以上に、きっと上手く笑えている。だってこれは自分にとっても嬉しい事だから。
セイカに話せばきっと『格好付けだね』とまた楽しそうに笑うのだろう。揶揄う様にはにかんで、リーシャンの様に軽やかに肩を揺らすのだろう。それでいい。彼女のために、男ならその程度の見栄を張ってなんぼだろと自分に言い聞かせ、気を引き締めたガイは優しく手を引いてくる彼女に応えて部屋を出て行った。