天使と熱病③

ガイがセイカに振られた翌日、ガイはピュールのアトリエへアポ無しで突撃し、閉めようとするドアを無理矢理こじ開けて中へ入り込む。完全にうざったそうに眉を顰める友人を、これまた完全に無視したガイはアトリエの端にあった丸椅子に勝手に腰掛けて足を組んだ。
「ピュール聞いてくれ!」
「勝手に押し掛けて勝手に座り込んで、僕が嫌と言っても勝手に喋るでしょうよ、アナタは」
「セイカが!」
彼から出て来た聞き馴染みのある名前にピュールは目を見開いた。ガイを無視して自分の作業を進めようとしたが、ガイの口から出るとは思っていなかった言葉に思わず手を止める。
「セイカ?」
「セイカ!セイカだよ!てかお前俺に黙ってセイカと仲良くしやがって!」
「いや、だってキミ毎日忙しそうですし。ミアレに知っていながら会おうとしないのはガイの意思だと思って僕は何も言わなかったんですよ」
自分たちを尊重してくれたピュールの優しさは伝わる。ミアレにいる事を知りながら、会わなかった自分が悪いのも分かる。だがそれはそれとして、ピュールとセイカが仲良さげにしている事は妬ましくて噛み付かずにはいられない。ムッとピュールを睨み付けるガイの視線に鬱陶しく眉を顰めつつ、彼は言葉を返した。
「そんな目されても…ていうか、キミ、どの立場でセイカと仲良くとか言ってるんですか」
「セイカの事が好きだから、他の男と仲良くされるとムカつくだけ」
ピュールは『は…?』と声を上げ、目を丸くする。作業をしようと持っていたペンを完全に置いてしまい、ガイとの距離を詰めた。
「好き…?セイカが?」
「………そりゃ、昔は友達だと思っててそんな事は全然思ってなかったけど、最近再会して、そう思ったんだよ。元々、SNS見てて、すげぇ可愛くなったなとは思ってたけど……良いだろ、別にそう言うのがあっても。久しぶりに会って異性の友達を好きになる事だってよくある話だろうし」
「え、冗談ですよね?」
ピュールは顔を引き攣らせている。ふらふらと目を泳がせて、左の二の腕を摩った。ガイと合わない視線は分かりやすく動揺を示していて。ピュールはガイに再度確認した。
「そう言う悪趣味な嘘ですか?」
「は?嘘?違ぇよ。何でこのタイミングでそんなしょうもねぇ事言わなきゃいけねぇの?」
「いや、でも」
「…なんだよ」
「キミが、個人に執着する事なんてあるんですか…?」
「え、な、何?なんて?」
「キミ、そういうの興味なかったじゃないですか」
ガイは眉間を押さえた。疑い、探る様な視線を寄越すピュールにうんざりした様な声を上げる。
「それさ〜、何なの?俺セイカにも似た様な事さ、言われたんだけど。博愛主義者だと思った〜とか、そんな訳なくね?ユカリもカラスバも好きじゃねぇよ俺」
「いや、これまでのキミの言動を知っている人からすればそうなりますよ」
「何なんだよマジ。俺普通に恋愛も出来ねぇの?申し訳無いけど善人じゃねぇもん、俺。人の好き嫌いもあれば、特別大好きな女の子もいる」
「いや、そうなんだろけど…」
そんな事は分かっているのだが、ガイとはあまり結び付かないと言うか。特に恋愛や結婚を強制しないジェットの元にいるため、ガイは基本自由恋愛で、勿論特定の相手を選ばないと言うのも選択肢の一つなのだが。
若くして富と名声を得て、顔もそれなりに整っている青年に浮ついた話の一つもこれまで全く出ていないと言う事は、彼自身が恋愛や他者に興味を持てていないと言う事なのだ。休みの日になれば未だに人を助ける、以前からずっと変わらず残酷な程に平等な男が急に『好きな人が出来た』なんてすぐに信じられるはずもない。急ブレーキを掛けて九十度直角に曲がって来た様な変化を、ピュールは受け止めきれずにいた。
「……それって」
「それって?」
「…いえ、すみません。やめておきます」
「やめておきます?」
気になるところで止めてやめますだなんて言われたらもっと気になってしまう。何だよとガイが促しても一切口を開こうとしない友人に、彼も早々に諦めた。頑固で口の固いピュールをよく知っているからこその判断だった。
(それってなんか、あまりにも残酷すぎますね。…セイカが可哀想だ。あの時何のために、ガイを諦めて地元へ戻ったのか。…でも、別に悪い事ではないから、良い方向へ行ければいいけど…)
黙ったままのピュールに首を傾げる。ガイはそうだそうだと思い出し、ここへ泣き付いた原因を話し始めた。
「セイカが!他の男と会ってて!」
「あー、セイカの話しようとしてましたねそういえば」
「彼氏が欲しいって!言って!SNSで知り合った知らん男とご飯行っちゃった!昨日!」
「そうですかぁ」
「大学の時彼氏いたってマジ!?ピュール多分知ってんだろ!なんかセイカ周りのことすげぇ知ってそうだし!俺は全然知らねぇけどな!」
「知ってましたけど」
あっけらかんと返せば『ぐぬぬ』と頭を抱えた。妬ましさを宿した視線を向けれども、鬱陶しそうな顔で睨み返されるだけである。
「別にキミだって完全に疎遠になってた訳ではないでしょう?セイカは別に連絡先ブロックしてませんし。ガイに年始の挨拶はしたってセイカからも聞いてますし」
「いや、されたけど」
「どうせ必要最低限のやり取りで全然連絡取り合ってないとかなんでしょうけど、それってキミの匙加減でどうにでもなりません?キミ次第でセイカと再会するのだってもっと早かったはず」
「うぐ…」
「そうしなかったのキミの選択であって、責任ですよね?会わなかったのはあくまでもキミの意思」
「すみません俺が悪いです全てもうやめて」
「それで僕やデウロに文句言われても困りますけど」
「本当に申し訳ございませんでした」
まさしく効果抜群のロックブラストの様な連続攻撃にガイはもう意気消沈である。敗れたボクサーの様に丸椅子の上で項垂れる男に、ピュールは本当に容赦がなかった。だが、彼もガイから自業自得の末、こうなってしまった事に対し、面倒な文句を言われて腹が立っていたのだ。謝罪の言葉も跳ね除け、無慈悲にも続ける。
「そもそもセイカの何者でもないのにやれ彼氏がとか本当に何様ですか?」
「おっとやめてくれない」
「そりゃいるでしょうよ。キミも見ての通り、あれだけ綺麗になったんですから。日々の美容ケアも完璧で、メイクや服のセンスもあって、お人好しで優しい女性なんて世間は放っておかないですよ」
「…そりゃ、そうだろうけど」
「何もしないくせに、不満だけ言うのは傲慢です。日和ってセイカをデートに誘う事すら出来てないくせに」
「………俺そんな事言ってないだろ」
「前なんで連絡しないんですかって言ったら、セイカも忙しいだろうし、俺から連絡したらビックリさせちまうんじゃねぇかなぁなんて逃げ腰だったじゃないですか。どうせそんな調子だったら今の今までずっと何も言ってないんでしょ?まあ、それを抜きにしても再会したのが最近なのが答えでしょうし」
「………………あ、ちょっとガチで恥ずかしいかも」
「イケメンやり手若社長のくせに、ビジネス以外はてんでダメなんですか?」
「あんま今の話の流れでイケメンとかやり手とか言わないで欲しいです。悪口言われてるみたいで凄く心に来る」
若干涙目のガイを見て、ピュールも少し満足したのか『まあ、いいです』と口撃をやめた。もう分かりやすく肩を落とし、首を垂れるガイを一瞥し、デスクに置いたペンを取って作業を再開する。
「…次キミがすべき事は?」
「…………え?」
「この再会を無駄にしない事でしょう。ミアレの天使は皆の天使ですよ。取られても良いんですか、何処の馬の骨かも知らない男に」
「…そうだな」
ガイは背を伸ばす。それからパンと両手で頬を叩いた。深呼吸をして、スマホを取り出す。
「ガイ、誘います」
「勝手にしてください」
「……………実は誘ってくれるの待ってるって昨日言われた」
「はよ送れ」
「ビックリするくらい可愛かったんだけどセイカって本当に天使になっちゃった感じ?」
「はよ送って帰ってください」
ガイはメッセージの入力を順調に進めるが、途中で手が止まる。眉間に皺を寄せ、難しい顔をしたガイはピュールの名を呼んだ。
「このメッセージで大丈夫かな」
「うるさいですねキミ」
ピュールはズンズンとガイに近付く。それからガイのスマホを勝手に覗き込み、文章に目を通してからまた勝手に送信ボタンを押した。
「はい、送っておきました」
「は!?何してんだよお前!!」
「そうでもしないといつまでも送らないでしょう」
ピュールからスマホを奪い取って確認すれば、もうメッセージは送られていて。彼を睨めば、素知らぬ顔をして戻って行った。
「良いも悪いも、普通の文章ですね。当たり障りのなーい、下心も無さそーな」
「…下心ってこう言う時は見せた方が良い感じか?だってそういうの女性は嫌がるって…」
「相手によるんじゃないですかね」
「そう言うしょうもない事で嫌われたくないし」
「こんなに慎重なガイって初めてかもしれません」
「どう言う意味だよそれ」
ワァワァと言い合っているとピコンとスマホに通知が入る。見ればセイカからの返信の知らせの様で、ガイは身体を飛び上がらせた。
「返信!」
「日曜日だからスマホ見てるんですかね」
ガイはすぐにメッセージアプリを起動し、内容を確認しようとした。だが彼女は誘ってくれるのを待ってるとは言ったけれど、あれはもしかしたらリップサービス的なものなのかもしれないし。もしそうだったとしたら社交辞令を間に受けた事が恥ずかしいし、本当は行きたくないと思われていた事が分かっておそらく泣いてしまうだろうし。良い返事を望んでいるのに、悪い事ばかり考えて確認しようとトーク画面を開く手が止まる。
「………………オッケーでありますように、オッケーでありますように、オッケーでありますように!オッケーしてくれセイカ…!」
「大きな商談とどちらが緊張しますか?」
「マジで今!吐きそう!振られたらどうしよう!」
「どうしようも何もそれで終わりでしょうね」
「クソ、ピュールが俺に厳しすぎる…!取りつく島もねぇな!」
意を決してトーク画面を開く。悩んだ挙句、結局端的なガイの誘い文句への返信がグレーの吹き出しで表示された。
『昨日はありがとう。フラエッテ、絶対に大切にする。それで改めて、もしよければ一緒に食事に行きたいと思ってるんだけど、どう?』
『連絡ありがとう!もちろん!行こう!』
明るい返答にガイの表情は晴れる。その分かりやすい変化にピュールは大きな溜息を吐いた。明らかにうざったそうな彼の反応も全く気にせず、ガイは目の前のメッセージにだけ集中する。
『セイカはいつ空いてる?』
『そんな、ガイに合わせるよ。ガイに比べたら私なんか暇だもの』
絶対にそんな事はないのだ。彼女もフルタイム正社員で働いて残業もして。SNSの投稿からして、終業後にはミアレで新しく出来た友人や、会社の人たちと食事や飲み会をしたり。ガイ的には大変不本意だが、彼氏候補の男なんかとも会ったりして。それから人にお節介を焼いてミアレの天使なんて呼ばれたりもしているのだから、暇なはずがないのに。私なんかと言うセイカにそんなはずないだろと思わず呟いた。
「何がですか?」
「セイカが俺より暇だって話」
「まあ、ガイと比べたらそれは誰だって余裕があるでしょうけど、セイカ全然忙しいですよ。あの子人気者ですし。約束すれば僕とデウロは特に優先して予定入れてくれますけど、普通に平日も休日もセイカは予約でいっぱいです。カラスバさんはやたら絡みに来るし、カナリィさんとムクさんとも飲んでるみたいだし。ハルジオさんにも誘われてました」
「うーん、錚々たるメンバーだな」
あの日、MZ団に助力し、共にミアレを救った人達がセイカに声を掛けている。その対応をするだけでも大変忙しそうだが、ピュールが言った人以外の人や、ガイ達が知り得ない彼女だけの知り合いの対応もあるはずだ。そう考えればあまりにも人気者すぎる彼女に、ガイは頭が痛くなってくる。特にあのメンバーに関しては、ポケモンバトルの腕や人としてのスペックも上位の層なので、ガイも勝てるかどうか怪しい部分ではあった。
「ちょっと自信無くなって来たな」
「諦めます?」
「諦めません」
ピュールの言葉に首を振ったガイはスマホに向き直る。それから既読をつけたメッセージに返信した。
『ランチだったら土日だし、ディナーであれば平日でもいいな。金曜夜とか』
『あ!いいね!華金!夜一緒に食べよっか!ていうか金曜日ってお休みの前だけど仕事忙しくないの?』
『まあ、社長は自分の匙加減で仕事上がれるし。時間はセイカに合わせられるぜ。今のところ、今週は定時後の商談も会食も無いし』
『そうなんだ。でも急に入る事もあるよね…うーん、お店も予約し辛いか。じゃあやっぱり来週のお休みにランチだ!』
『ごめんな、気使わせちゃって』
『気にしないでよ!忙しい人に合わせるのが普通ですよ!』
突然、数日前に何かビジネスの予定が入るなんて事は珍しくない。本当は金曜日の夜にお酒なんか飲んで、あわよくば何かしらが起こればと言うのを少し期待する自分もいたのだが。そう指摘されてしまったら納得するしかなくて、素直に従う事にした。
「なんでそんな残念そうな顔してるんですか?」
「金曜の夜飲みが土日のランチデートに変わったからですね」
「キミ、ワンチャンなんか起きたりとか思ってます?」
「ピュールエスパータイプか?」
「訳わかんねぇ事言ってないでください。女絡みの男なんて大抵ワンチャン狙いで行く馬鹿ばかりでしょ。ていうかキミはそれをセイカが望むとでも?セイカにとって不本意な事が起こってキミは嬉しいと思うんですか?」
「調子乗りましたすみません。ランチとても楽しみです」
ガイから漏れ出す一般的な男の思考を、ピュールはすぐさま修正する。それはセイカのためでもあったし、辛辣に接してはいるが何だかんだ大切なガイのためでもあった。ピュールは言葉にはしないけれど、二人と、勿論デウロも含め、MZ団の事が大好きなのである。
『土曜日でいい?ガイ今週は暇?』
『俺は大丈夫だよ』
土日に誘われれば大抵ガイは了承する。何故なら休日に気軽に誘える程の友人が少ないからである。名前を上げるとすれば、ピュールと、今はミアレを出てパフォーマーとして世界を飛び回るデウロくらいしかいない。ピュールだって休みの日に外に出るタイプでもないし、彼もまた仕事人間だし、要するに基本的に土日に予定は無かった。だからどちらでも構わないのだ。そう考えると、セイカよりガイの方が全然暇な様な気もするが、それに行き着いたピュールは静かに黙っていた。
『店は俺が選んでおくな』
『高いとこ?』
『そう言うのが良いならそれにするけど』
『高いとこはやだな〜、ドレスコードとかありそう』
『あるかもな』
『慣れてるね〜。でも私安くて気軽なとこがいいよ〜、高いと払えないもん』
『別に俺が払うから遠慮しないで良いけどな』
先程まで直接会話をしているのかと言うくらいスムーズだったやり取りが途切れる。それから少しして、彼女から返事が来た。
『いやいや、自分の分くらい払うよ』
『俺、デートは男が出す派だから大丈夫。遠慮すんな』
そう返すとすぐに既読がついて、だが返事は来なかった。数分待っても返ってこない言葉にガイはスマホを閉じる。
「気が済みました?」
「セイカの返信来なくなっちまった。なんか用事入ってんのかもな」
「電話で話すくらいのテンポ感でやり取りしてましたね」
「とりあえず行けそう」
「そうですか。じゃあおかえりください」
「ドライだなピュール。まあ、もう帰るよ」
ガイは椅子から立ち上がる。それからピュールの肩をトンと叩いてアトリエを出ようとした。
「あ、ガイ」
「ん?なに?」
「僕はこれでも、キミ達の事が心配で、応援してるんですよ」
「…ピュール…」
「キミのその身勝手なところは心配というか、腹立たしく、セイカを任せるには不安すぎるところもあり、正直総合的に見て相手としてはお勧めしかねる部分はありますけど」
「なぁ」
「どうか選択を間違えないでくださいね」
まっすぐで真剣な忠告を、ガイもしっかりと受け取って。『おう』と出した拳にピュールも応える様に手を前に出した。
その帰り道、のんびりとミアレの街中を歩いているとスマホが震えた。確認するとそれはセイカからの返信でガイは立ち止まり、開く。
『じゃあ、甘えちゃおうかなぁ。いい?』
「かわいい…」
小首を傾げ、上目遣いで聞いてくる姿が想像出来て、ガイは胸がいっぱいになる。もう何を言うにも何をするにも特別可愛く映ってしまうし、なんなら何もしなくたってリザードン級に可愛い。町のど真ん中で呟いて、道行くマダムにギョッとされたのに全く気付いていないガイは鯉に毒されている。
『勿論。上手いとこ選んどくから腹空かせてこいよ!』
『ドレスコードなしね!』
『わかってるって』
空白期間が驚く程長かったのに、なんだか昔を思い出す様なやり取りにガイは嬉しくなって。街中で思わず笑みが溢れて、大荷物の観光客に二度見された。
(良い店予約して、スマートに振る舞って、少しでも意識してもらおう)
そんな決意表明をして、グッと拳を握る。絶対にリスケやキャンセルにしないよう、仕事やスケジュールを上手い事調整しなければと、スマホでそのままカレンダーのアプリを開いた。
その週、ガイは死ぬ気で働き、休日に雪崩れ込みそうな仕事を全て終わらせて。その週の社長はなんだかいつも以上に鬼気迫っていたというのは、社員からのタレコミである。
無事今までで一番時間に余裕のある休日を取得し、その前日の夜から服に悩んでいた。少女漫画では女学生に描写の多いシーンだが、今大きなスタンドミラーの前で繰り広げられている光景は二十代後半に差し掛かる長身の男性が作り出したものだ。
「…硬くなりすぎず、ラフで、かっこいい」
ピュールにも頼ろうと思ったが、自分のデートぐらい自分でなんとかしたいガイは彼に連絡をしなかった。もししていたら辛辣な悪態は吐けど、きっとなんだかんだ手伝ってくれるのだろう。
SNSで着こなしを調べたり、ファッション系のアプリを参照にしながらなんとか組み上げたフルコーディネートで、翌日ガイは出掛けた。考え抜いた結果、結局白いシャツにブラウンのテーラードジャケットとワイドパンツのセットアップを合わせる簡単な仕上がりとなったが、極端におかしな服でなければ、何を着たところでガイにはよく似合っているのだった。
カジュアルなレザーブーツをコツコツと鳴らしながら、美しい石畳の上を歩く。待ち合わせ場所に着いたがまだセイカはそこにいなくて、とりあえず女性を待たせてしまう心配はなくなったなと息を吐く。腕時計を見れば集合時間十分前で遅いのが早いのかも微妙な時間だ。ただ早すぎて変にはしゃいでるなんて思われる事にならなそうで良かったとは思っている。
「…ガイ!」
スマホで購入したビジネス書を読んでいれば、ものの数分で彼女も到着した様だ。待ち侘びた声に顔を向ければ、いつも通り可愛らしいセイカが手を振っていた。
「ひゃー!ガイ早いねぇ。ごめんね、待った?」
「ん?全然今来たとこ」
「そう聞かれれば皆そう言うしかないか、聞き方が悪かった、ごめん」
「いいよ、マジで。行こうぜ」
二人は横に並び、歩く。ガイはスマホで念の為マップを確認した。知っている店ではあるが、少し入り組んだところに入り口があるため、万が一にも間違えないようにとの事であった。
「ねぇねぇ、どんなお店にしたの?」
「よく行く美味いとこ。味は俺のお墨付きだから安心しろよ」
「ガイのお墨付きってそんな信用出来るものなの?」
「なんだよ、俺が作ったクロワッサンカレー美味いって食ってただろ?俺が作るものが美味いなら、俺の味覚信じろって」
セイカはあの山盛りのカレーとクロワッサンを思い出し、懐かしいと声を上げる。あの料理を囲んで談笑するのは、セイカやガイらMZ団にとってかけがえのない思い出であった。
「あれは美味しかったけどね、今食べるとしたらちょっと重たいかもね」
「はは、分かる」
「えー、分かっちゃうんだ」
今思えばカロリーも量もとんでもないもので。きっと三十代になれば、もうあのコッテリ料理を完食なんて出来ないのだろうし、なんなら今だって食べ切れるか怪しいところではある。若く、動き回っていたからこそ食べられた料理なのかもしれないとガイは思った。
「ガイは今も自炊してるの?」
「んー、土日とか、気が向いたら。平日はハウスキーパー雇ってるから作り置き作っておいてもらってるし、面倒な時は外食したり」
「ガイ稼いでるからね〜、そういう事出来るの羨ましいな〜、ちょっと」
「セイカは?」
「私は自炊だよ〜。そんな家政婦さん雇う余裕なんて無いし。ミアレ物価高いから結構カツカツかも」
「セイカいつも何作んの?得意な料理とかある?」
「地元の料理とかが多いよ。私も馴染みあるし。大学の時はカントーで一人暮らししてたから結構自炊歴も長いんだー、実は」
「じゃあ料理結構上手いんだ」
「いやー、それは自信ないなぁ。自分で食べる分には満足出来るクオリティーなんだけどね、人に食べさせるってなると怖いかも」
「彼氏、いたんだろ。食わせた事ないのか?」
「あるけど、あんまり美味しいとは言ってくれなかったし」
ガイは見ず知らずの過去の男に静かに怒りを向けた。自分がまだなった事のない立場にいながら、あぐらをかいては結局その椅子を捨てた贅沢者を鼻で笑う。
(セイカが作るものなんて全部美味しいに決まっているのに、ソイツはバカだな。だからこれ以上ないくらい優しくて可愛いセイカと別れる事になるんだよ。ガールフレンドが作ってくれた料理の一つも褒められない男なんて存在価値ないし、どうせセイカに振られたんだろうな。大正解だダボが。ざまぁみろ)
根拠の無い決めつけで、勝手に納得する。ミドルスクールの子供の様な幼い暴言を頭の中で吐き捨てた。
ただセイカと別れているのはガイにとって好都合である。相手がいるから諦めるしかない状況なんてものはもうなく、相手が美人をみすみす手放す阿呆だったからこそ懐に舞い込んできたチャンスである。
件の男が今更復縁を迫ったところで、というかどんな男が言い寄ったところでガイはセイカを誰に渡すつもりもない。これまで自分の気持ちを遠ざけて、誤魔化して来て、今日に行き着くまでに時間が掛かったからこそ、彼女に関して妥協する気は一切ないのである。ガイなりの反省であり、改善であった。ただ、それにしても。
「いいな」
「なにが?」
「セイカの手料理。俺も食べたい」
「んー…ガイほど上手くないよ、多分」
「食べてみないと分かんないだろ、そんな事。ていうか美味いし、絶対」
「なんでガイが言い切っちゃうの」
完全に言い切って決め付けの姿勢を取るガイにセイカはくすくすと笑った。だがその顔はどこか嬉しそうで、少し恥ずかしそうに緩やかなウェーブを描く髪の毛先を指に巻き付けた。
「そんな機会があったらね」
「いつかMZ団で集まれたら作ってくれる?」
「あは、楽しそう。ピュールはともかく、デウロ来てくれるかな?世界飛び回って忙しそうだよ」
「アイツ、セイカの事大好きだから多分お前が呼んだら飛んで来るよ」
歳の近い同姓同士、驚くほど大変な状況を一緒に乗り越えて来たデウロとセイカは誰よりも親しい親友同士で。お互い切っても切り離す事のできない、大切な存在だった。
それはデウロとセイカの間だけではなく。ピュールも同じだし、ガイにとっても同じで。MZ団はお互いがお互いを大切に思っている。ただ、ガイに対してはセイカ関連で思うところがある様で、デウロとピュールは若干強めに当たりがちだった。
「皆すごいよね。ダンサーにデザイナーに社長って、全員有名人。私だけ普通の人だよ。普通の会社で働いて、華やかさとは無縁で、普通に生活してるだけ」
「良いじゃん。別に有名になったからどうだとか、普通だからいけないとかないだろ」
「私だけ何もないから気後れしちゃうねって話」
確かに肩書だけ見ればそうなのだが、実際MZ団を立ち上げたのはガイでも、彼らを一つにしたのはセイカなのである。自分達の関係性がここまで親密になったのは彼女のお陰である事を全員が理解しているのに、セイカ本人だけ知らない。
そもそもミアレどころか、おそらく地球上の誰よりも可愛いくせに何に謙遜しているのかとガイは疑問だった。今日のワンピースもセイカに良くお似合いだし、髪を耳に掛けて覗く顔が可愛らしいのは当たり前だし、鮮やかに色の乗った爪の先まで寸分狂わず愛おしい。
(………可愛いならそれだけで良いのにな)
俺の事をこれだけ狂わせて苦しめておいて。ずっと動悸は激しくて、身体は熱くて、口内は甘酸っぱい味がして。自分ではどうしようもない感覚に振り回されているのに、セイカは分からずに眉を下げて首を横に振るのだ。それはもはや天使と言うよりも悪魔で、こちらを意図して揺さぶっている様にも思えてくるけれど。それでも良いかと思うのは、きっも惚れた弱みだ。
「セイカは」
少し寂しそうな彼女に自分達にとって大切だと言う事を伝えようと口を開いたが。その言葉は他者によって簡単に遮られてしまった。
「おーい、社長さん!」
男性が手を上げ、ガイに声を掛ける。声の方向に顔を向ければ男性はニコニコと笑いながら近付いて来た。
「ちょっと付き合ってくれないか?」
「なんだよ?」
「いやさぁ、今ココドラを育ててるんだけどさ、ZAロワイヤルに出す前に一度誰かと戦って技とかどんな感じか確認しておきたいんだよ」
男性の足元には小さなココドラが寄り添っている。ココドラは可愛らしい声で鳴いてガイを見つめている。男性がしゃがんでココドラの背中を優しく叩いてやると、ココドラは気持ち良さそうに目を細めた。セイカはその微笑ましい様子を見ながら、ガイの後ろで笑う。
(ガイ、変わらず街の人に頼られてるんだな〜)
どこか懐かしい光景にセイカは安心を覚えた。自分よりもずっと凄い人になっても、結局のところ何も変わらない事にほっと心を撫で下ろす。
「あ、私じゃあお店先に行って」
「悪い。今日はちょっと」
「──え」
パンと風船が破裂した様な、冷水を頭から掛けられてしまった様な。そんな強い衝撃が全身を襲ってセイカは硬直する。緩く口角を上げたガイは、男性に片手を上げて彼からのお願いを断ったのだ。
「レディを連れてるんだ。分かってくれよ」
パッと両手を上げて、アピールをすれば。男性は笑って頷く。
「ああ、そうかそうか!こりゃ悪かった。天使とランデブーの最中にな、申し訳ない」
「……折角約束を取り付けられたんだ。アンタもご存知の通り、ミアレの天使は人気者でね。俺は今日この日に賭けてると言ってもいい。バトルはまた今度相手するから、今日のところは悪いな、頼むわ」
「いや、俺こそ水差して申し訳なかった。今度頼むよ。応援してるぜ、社長。頑張れよ」
コソコソと二人にしか聞こえない声量で会話をし、男性がガイの肩を叩いては楽しそうに笑っている。何を話しているのか、セイカの耳までは聞こえて来なかった。だが丸聞こえだったとしても彼女はそれどころではない。呆然と、ただ目の前の男を見て瞳を震わせた。
男性がその場を去り、ガイはセイカを見る。だが、ただならぬ彼女の様子にガイも笑顔から表情を変えた。
「…セイカ?」
「………あ」
青白い顔をした彼女の名前を呼べば。セイカはガイに視線を向ける。
「どうした?体調悪くなっちゃったのか?」
「あ、…いや、ううん。大丈夫だよ」
「本当か?」
到底大丈夫には見えない表情だが、彼女がそう言うのなら過度に心配しすぎるのもうざったい様な気がして。ガイはコンディションに関して、それ以上の追求をしなかった。
「…ガイ」
「なに?」
「さっきの人、良いの?貴方に頼み事してたじゃない」
セイカが首を傾げてそう問えば、ガイは瞬きをした。それからあっけらかんとした様子で言葉を返す。
「良いよ。相手してたら店の予約時間遅れるだろ」
(昔はそんなの関係無く誰かのために走り回っていたのに)
あの時、何度約束をすっぽかされたのだろうか。あの時、大仕事を終えて何度一人で帰らされたか。自分や親しい人よりも赤の他人を優先する彼のズレた優しさが、彼の可愛らしいところで。今も昔もそのはずなのに。セイカは震える手を抑えるために強く握り締める。ガイが、変わってしまったとでも言うのだろうか。彼女はまだ喋ろうとしている目の前の男の次の言葉を待った。
「それに俺は、セイカといるならセイカを優先したいよ」
照れた様にそう言うガイにセイカは言葉を失って。静かに目を伏せた。
(変わってしまった、あの時のガイはもういないって事?じゃあ、それじゃあさ、…あの時の私の決断って、一体何だったの)
セイカはガイに淡い思いを寄せていた。すられた鞄を取り返すためにポケモンをくれて、滞在場所すら決めていなかった彼女に無料でホテルの一室を提供して。一緒に問題ごとに対処して、好意を寄せない訳がなかった。多少のだらしなさは許せたし、もうそれすら可愛く思えていたくらいで。
そんな彼女がガイを諦めたのは、ガイのためでもあり、自分のためでもあった。彼の次期社長としての日々にセイカは不要で。いくら側にいても脈なんて大層なものは感じられず。これ以上一緒にいれば自分の心が壊れてしまう事を危惧してセイカは地元へ帰って行った。今回ミアレに移住したのだって、ガイに会いたいなどでは全く無く、ただこの街が大好きなだけだ。あの日、ミアレから離れてから、次は腰を据えて暮らしてみたいと常々思ってはいたのだ。決してその様な他意はない。
伝わらないと思った想いを諦めて、全部捨ててこれまでの来歴を組み上げてきたのに。忘れようとして、ようやっと忘れ始めてきたのに。他人から再度始めて、次は純粋な友達として長く付き合えると思っていたのに。
良い思い出として綺麗な部分だけラミネートしてアルバムに入れて、過去の記憶の1ページとして時折懐かしむ様な、そんな一般的な消費をこれまで繰り返し続けていて。それで良いと思っていたし、最近はもうそれで満足できたと言うのに。今更そんな脈のありそうな事を言われて、彼は目の前で照れた様に笑っている。
セイカは言葉を素直に受け取る事が出来なかった。かつての自分を全否定されている様な気持ちになって、息が苦しかった。自分を優先してくれると言う、彼の大きな変化を酷く恐ろしく思った。
(…じゃあ、私はあの時どうすれば良かったんだろう)
気持ちを伝えていたらチャンスがあったのか。怖がらずに踏み込めば道が見えたのか。もう過去をとやかく言ったってどうする事も出来なくて、ただ黙り込んだ。追想はただ自分を惨めにするだけだ。
「行こうぜセイカ」
ガイはセイカに手を差し出す。あの時よりもはるかに大きな、大人の男性の手をしていた。
彼女はその手を取る事が出来なかった。ただ平気なフリをして『うん』と頷いて笑い、ガイの半歩先を歩く。僅かに息を呑んだ音が聞こえたけれど、背後を振り返る事がセイカにはどうしても出来なかった。

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