誰かがトントンと肩を叩く。そしてゆさゆさと優しく男の身体を揺らした。
「そろそろ起きよ〜。おーい」
可愛い声が聞こえて、それに応える様に『うぅん』と唸った。何度か瞬きをして(と言っても目はあまり開けていないので、出来てはいない)薄目のまま顔を向ける。
「ん…」
「起きてよ〜、ペパー」
「んぅ…んー…!」
また瞼をパチパチと動かし、それから大きく欠伸をして腕を伸ばした。低く唸り声を上げて背を伸ばせば、アオイはクスクスと笑う。
「少しは目覚めたかな」
「あおい〜…」
「はいはい。おはよ。朝ご飯作ったから一緒に食べようよ」
「あさめし…食う…」
「じゃあ起きましょうね〜」
アオイにグイグイと腕を引かれ、身体を動かす。彼女よりも大きな身体をゆっくりと動かし、のんびりと立ち上がった。それからまだまだ眠たそうな顔をしてのそのそとリビングへと向かう。
「先に顔洗う?」
「どっちでも…」
「じゃあ向こう行ってきて。顔洗ってちょっとは目覚ましてきてよね」
ポンと背中を押され、ペパーはゆったりと洗面所へ向かった。洗面台の前に立ち、ペパーはスローな動作で蛇口を捻って冷水を出し、パチャパチャと雑に洗顔する。少しでも冷水を浴びたのだから、ペパーも先程よりは目が覚めてきた様で呑気に大きく欠伸をしながらリビングへ向かった。
「マフィティフおはよう」
「ばふっ!」
姿を現した主人の足元にマフィティフが駆け寄る。優しい男の声に応える様にマフィティフが鳴いた。
「ペパー、コーヒー飲む?」
「おう。サンキュー」
「はいはーい。もー、人によってはランチかも?ってくらいの時間ですけど、もう!うちの人は遅起きで困っちゃうね〜マフィティフ。仕事が忙しいのは分かるけどやだね〜」
「わふ!ばう!」
「すみません」
「まあ、ペパーの場合、お仕事忙しいって事は繁盛してるって事だし、いい事だけどね」
ペパーは数年名店で修行した後、個人でレストランを開いた。そのレストランもありがたい事に今や大繁盛で、人手がギリギリなのである。そろそろ新たな求人でも出そうかと画策しているオーナー兼料理人のペパーだが、人手が増えていない現状では休みを取る事も少し難しい。
一日中働いているからこそ、休日は一日中死んだ様に寝てしまう。アオイだって理解はしているけれど、寂しい事には変わりなかった。お互いに休日が被った日にはどこかにデートにでも行きたいと願う彼女だったが、最近はもっぱら眠り姫のペパーにムッと頬を膨らませているのだった。
「ペパー知ってる?マフィティフ、イケメンなんだよ。構ってくれないペパーとは違って、私とお喋りしてお出かけしてくれんの。ね?」
「わん!」
「ごめんてアオイ」
「私ペパーと離婚してマフィティフと再婚しようかな」
「勘弁してください」
「ばふん!」
「得意げに鳴くなよお前も…」
長年の友兼相棒に妻を取られそうになって少しシュンとする。そんな彼をおかしそうに笑い、『冗談だよ』と一言言ってテーブルにコーヒーのマグカップを置いた。
「ほら、コーヒー淹れたし早く食べよ〜。フレンチトースト作ったんだよ!…本業の人に食べさせるのちょっとやだけど」
「俺もそう言うのやだって」
「もー、ごめんごめん。はいどうぞ旦那様。フレンチトーストのプレートでございます」
フレンチトーストにサラダ、ウインナーと立派なワンプレートが目の前に置かれる。それを見てペパーは嬉しそうに目を輝かせる。
「美味そう」
「上手く出来てると良いな。これはコーンポタージュね。缶だけど」
「良いじゃん。最近はどんなレトルトも缶も美味いからな〜。でも一番は誰かが作ってくれた飯だな」
「そっかぁ。じゃあ愛情だけはいっぱい込めたから不味くても何とかならないかな」
「絶対美味いから問題ねぇよ!今までだってめちゃくちゃ美味かったし!自信持てってアオイ!」
「はいはい、ありがと」
アオイが席に着いたのを確認してペパーは口を開く。『いただきます』と言えばアオイも続けて言った。ペパーはフォークとナイフを取り、フレンチトーストを切る。そして一口分、パクりと口に入れた。
「…んー!美味い!」
「大成功?」
「おう!バッチリ!」
「…ふふ、やった」
アオイは嬉しそうに顔を綻ばせた。頬をほんのりと赤く染めてはにかむ彼女を見て、ペパーも目を細める。『なあ』と優しく声を掛ければ、アオイは顔を上げた。
「なんか、幸せだな」
ペパーの一言にアオイは目を丸くした。それからくすりと笑い、『変なの』と呟く。
「こんな小さな事でいちいち幸せ噛み締めてたら、幸せすぎてその内死んじゃうよ、ペパー」
「それならそれで幸せだな」
二人は顔を見合わせ、くすぐったそうに笑う。その足元でマフィティフは満足そうに鼻を鳴らすのだった。