いばらの女王

俺を見下ろす冷たい視線が。トンと落とした膝を突く足が。自身の身体を抱き締め、時折髪を掻き上げる手が。俺を害する彼女の全てが全身をビリビリと駆け巡って、刺激した。脳漿に至る侮蔑は、きっと俺が出会ったどんな人間よりも離れ難い。
「イってろ、泥船」
言葉の棘が全身に刺さって抜けない。多分これは俺の初恋であり、忘れ難い程に印象的な一目惚れと言えよう。

忘れられないんです、貴女の視線が。吐き捨てる様な言葉が。いばらに囲まれた様な小さな痛みが全身を蝕んでいく感覚が。他の人は到底至らない様な加害を、心地よく思ってしまった。
「ねぇ、これって俺がおかしいのかな」
「そうやと思う」
本当にドン引きした様な視線を向けて、雪宮を見る氷織。眉間に寄った皺は深くなる。
「君が潔さんの事好きなんは勝手やけど、それは言ったらあかんよ」
「べ、別に踏んでほしいとか、そう言うのじゃなくて…!潔さんに性的興奮を覚えるのは普通の事でしょ?あんなに可愛い女の子なんだから」
「どう言う意味で?」
好きな女の子に性的興奮を覚えるだとか。健全な感覚を否定する事はないが。先程の流れから、雪宮の言葉の意味合いは本来の意味とはほんの少しズレたものに捉えられても仕方がない。
「キモいで」
「…俺は悪くないでしょ…それはあまりにも素敵すぎる潔さんがいけない」
「雪宮くんがキモいで」
「潔さんにちょっとだけ意地悪されてみたい」
「キモいで?」
氷織の言葉は一切聞こえていないのか、聞いていないのか、聞こえていないふりをしているのか。ドキドキと心臓を鳴らす雪宮は、どこ吹く風。氷織にとっては、目の前の美丈夫が人ならざるものに見えて仕方が無かった。
「…ずっと黙っていたが」
「黒名くんいたんだ」
「何を今更抜かしとんねん。みんなおるで」
雪宮の発言に我慢ならなかった黒名が口を挟むが。雪宮はそれをカウンター発言でいなし。自主練をする周囲の選手達の懐疑心が深まったのは言うまでもない。
「キモいぞ、雪宮」
「俺がキモくても君には何の関係も無いよね」
「うおーレスバ来た」
「ほんまにキモいからやめた方がええで、仮にもモデルさんなんやからさ」
「おい」
止まる事を知らない気持ち悪さに氷織と黒名が応戦していると。黙って雪宮を静観していた雷市が声を掛けた。
「潔もいるけど話し続けてていいのかよ」
「え」
「えっ」
「え?」
入口の方にちょこんと立っているのは可憐な女子高生。胸には大きめのタブレットを抱き締め、男子達を訝しげに見ている。
「…ごめん、氷織に用があって…」
「あっ、僕?そっか、ごめんな。気付かんで申し訳ないわ」
そう言って潔の元へ駆け寄ろうとした氷織を。雪宮はズイと押し退けて、我先にと潔の元へ向かう。先程の気持ち悪い発言から、潔にはあまり近付けたくない存在だったが。氷織を押し退けて潔の元へ足早に向かうと言う行動があまりにも予想外すぎて誰も制止できなかった。あの発言を聞かれたかもしれない状況で、この行動に出るとは思っていなかった。
「潔さん」
「はっ!はい!」
「好きです!俺と付き合ってください!」
唐突な告白に全員が呆気に取られる。あまりに突拍子もない言動に、最早誰も彼もが置いてけぼりだった。
「ぃ、嫌…」
「雪宮くん、嫌やて」
「キモがられてるぞ泥船」
「そこをなんとか!」
「そこをなんとか?」
「嫌です…」
「もう一声…!」
「競りやないねんで?」
ジリジリと彼女に近付く雪宮。完全に警戒し切った顔で雪宮から距離をとる潔。その間に氷織は身体を捩じ込み、雪宮から彼女を庇った。
「怖がっとるやん」
「…潔さんっ…!」
「コイツ黙らねぇ…!」
「もう一度泥船って呼んでくれる…?」
「ひっ…キモい…!無理…!」
あまりの気持ち悪さに取り繕う事もせずに。シンプルで短い拒絶をして氷織の後ろへ完全に隠れる。氷織の後ろでタブレットを壁に見立てて縮こまった。
分かりやすく単純明快な拒絶だった。そして彼女のその様子に、普通に傷付いていた雪宮が一番恐ろしかった。今までの発言が無かったかのように言葉に傷付く様は、その場にいた誰もが彼にサイコパスみを感じざるを得なかった。

1つ前へ戻る TOPへ戻る