呪われた。伏黒との合同任務で、二手に分かれた時に出会った呪霊に呪いを掛けられてしまった。その呪いを追い駆け、消滅させる前に呪いは自ら消滅したのである。あたしの目の前で、呪いは身体から煙を上げて消えた。それならば呪いは解けるだろうと思えど、どうやらそうはいかないらしい。何故だか脳内に声が広がる。
『オマエに世界が滅亡する呪いを掛けた。解く為には運命の王子様とキスをしなければならない。』
「…………なんて?」
あたしは思わず脳内の声に返事をした。勿論、言葉が返ってくる事はなく、淡々と決定事項を喋るのみ。
『この事を人に話せば、すぐにでも世界は滅亡する。』
それだけを言い残してパッと声は消えた。それ以降、もう何も聞こえずにあたしは溜息を吐いた。
伏黒と合流して、大丈夫だったかという言葉に頷いた。いや、大丈夫じゃねぇよ!運命の王子様とキスしないと世界滅亡しちゃうんだわ!
一度話してみようかとは思ったけれど、そうした事で本当に世界が滅んでしまったら困るどころではない。あたし馬鹿だけどちゃんと考えられる馬鹿なんだから!
高専に着いて、任務の報告をして、夕飯を食べて風呂に入ってダラダラする。そんな時間の中、あたしはひたすらに考えた。運命の王子様って何だ。
それはディズニー的な本物の王子様なのか、あたしの好きな人の事を言うのかは全く分からない。王子様とキスをしないと世界が滅ぶという何とも抽象的な情報しか手元には無かった。ていうか好きな人いませんけど!?
それならあたしの事が好きな人でも良いのかな、なんて思うけれどあたしの事好きな人っているの?髪短いし、女っぽいのって身体くらいじゃん!あとは戸籍かぁ!望み薄!
このまま何もせず世界が滅ぶのか、あたしにも無事に青い春が来るのか、先が分からない。悩んで悩んで悩みまくっているうちに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
いつも通りの時間に起きて、いつも通り朝ご飯をたくさん食べて、授業を受ける。今日は任務も無くて授業が終われば先輩達と組み手やら何やら。そんないつも通りの行動も身に入らない程に、やはり昨日受けた呪いの事が気になって気になって仕方が無い。授業中もボーッとしてしまって五条先生に苦笑いされてしまった。
「虎杖、オマエ平気か?具合でも悪いのか?」
実技訓練の場所へ移動する為に廊下を歩いていると伏黒に心配された。朝から昼までずっと様子の可笑しいあたしを気にしてくれていたのだろう。
「平気平気。心配かけてごめんな。」
そう返せば、それなら良いと伏黒は先を歩いて行ってしまった。あー、あたしも早く向わなきゃ先輩に怒られる。
予定時間より一分くらい遅れて、やっぱり先輩に怒られた。悠仁は組み手倍なと言われたけれど、まぁ、しょうがないか。
パンダ先輩や真希先輩と連続で組み手をして、終わった頃には夕暮れだった。息も荒く、ヘトヘトになっている所を、一足先に終わった釘崎と伏黒には哀れみの視線を向けられた。でも身体を動かして何となくスッキリはしたし、悪くは無いかなぁ。
「お、悠仁。」
「あ、せんせー!」
シャワーを浴びに行こうと寮に向かって歩いていた時、向かいから五条先生が歩いて来て、あたしは挨拶をした。
「こんちは!」
「はいこんにちは。今日どうしたの?ちょっとボーっとしてたけど。」
「…あー」
「別に無理に聞こうとは思わないけど、授業はちゃんと聞きなさいね。」
「ごめんなさーい。」
「何その生返事〜。授業聞かない生徒にはキスしちゃうぞ〜!」
まるで犬にでも言うように、本当に軽く冗談のように言った言葉にあたしは思わず顔を上げてしまった。
「…何その反応。」
「……っあ、あ〜〜!」
誤魔化すに誤魔化せず、先程までヘラヘラと笑っていた五条先生も微妙な顔を見せる。物凄く気まずい空気が二人の間を流れていった。
いや、正直誰でも良いからキスは欲しい。倫理観とか常識とか全部抜きにして、先生相手でも良いわ、いっその事。世界滅亡との天秤に掛けられれば、何だって勝る。
「あー、えっと、キスってどんな感じなんだろうな〜とか、考えてたから。ほら、映画観て、そう思って〜!」
「…へぇ」
「あたし、死刑決まってるし、キスも出来ずに死んじゃうのかなぁ、みたいな!そんな事考えたりして!だからあんま気にしないで…」
「キスしてあげようか?」
あたしは思わず声を上げた。『へ…?』と至極情けない声だった。大きく泳いでいた目が五条先生をまっすぐ捉える頃には、先生はあたしの頬に手を添えていた。いや、待て待て。ガチなの?
「…ガチ?」
「悠仁は僕じゃ嫌?」
「いやぁ、その」
実際にやろうという雰囲気に変われば、あたしだって尻込みする。これで五条先生のお陰で世界滅亡回避したらどうしよう。てか、世界滅亡回避したとかどうやったら分かんの?
心の整理はつかないけれど、やはり世界滅亡と天秤で比べられてしまえば腹を括る他ない。目を瞑って口を閉じる。渾身のキス待ち顔だ。
五条先生がゆっくりと近付いて来るのが分かる。息遣いまではっきりと分かる距離に、人の熱を感じてあたしはより一層目を瞑った。
突然、後ろに手を引かれてよろめく。『うわぁ』と情けなく叫んでしまった。手を引いたのは伏黒で、手にはレジの袋がある。どうやら近所のコンビニまで行っていたらしく、少しだけ見えた中身はアイスだった。
「生徒相手に何してんだアンタ!」
「キス。」
「キッ………そういう常識はちゃんと備わってると思ってたんだがな!」
「いやぁ、悠仁が煽ってくるからさぁ、我慢してたんだけど。」
「…………オマエ、五条先生と付き合ってんのか?」
その問いにあたしは全力で首を振る。まさか、そんな、ないない!こんなイケメン彼氏、恐れ多いです!その言葉に五条先生は笑って『嬉しいねぇ』と言った。
「虎杖に触んな淫行教師!」
「え、ひで〜。」
強く言い放って伏黒はあたしの手を掴んで引っ張っていった。五条先生は少しだけ残念そうに肩を竦めていた。
「何で付き合ってもねぇのに」
「あ、い、いやぁ………」
「オマエはそういう事、だらしねぇ奴なのか?」
「べ、別にそういうわけじゃ…」
「じゃあ何で五条先生とキスなんかしようとしてたんだ。」
元々は五条先生が吹っかけた事だし、あたしも世界滅亡の天秤と比べたらファーストキスくらい大した事ないとか思ったから。キスしないと世界が消し飛ぶなんて言われたらそりゃあ、誰彼構わずキスしたくなるでしょ!そう叫びたい衝動をグッと堪えて言葉を濁し続ける。
てか、今日の伏黒ちょっとしつこいな。何で?あたしの事好きなの?
「じゃあ俺とでも出来んのかよ。」
「……んえ?」
突然の変化球に変な声で返した。伏黒を見れば恥ずかしそうに顔を赤くしている。眉間に皺が寄っていて、怒っているようにも見える。
「あの淫行教師は良くて、俺は駄目なのかよ。」
「…伏黒は良いの?」
「………別に、オマエなら!良い!」
ちょっと意地になっている気がする。勢いだけでそう叫んだ伏黒はあたしの顎に手を掛けて上げる。
「本当にするぞ。」
きっとここが伏黒的にもあたし的にも引き返す最後のチャンスだったのだろうけど、この状況でのキスはやはり助かる。だって世界滅亡するらしいし。
何も言わないあたしを見て、僅かに歯を食いしばった後、グッと顔を近付ける。あたしのファーストキスは伏黒かぁなんて思うけれど、大した未練はない。いや、でもこれで世界救われたらあたしの王子様って伏黒じゃん。今後どうすりゃ良いの。
あと少し、ほんの少しでキスをする。そんな距離まで近付いたとき、首元で口がパカリと開いた。
「思春期だなぁ、伏黒恵」
嘲笑するようなそんな声に伏黒は後ろへ退く。首元にはパックリと逆三角に割れた口があった。そこから下品な笑い声が漏れており、不快な事この上ない。
「ほれ、小娘と接吻を交わさんか。」
「…………オマエッ」
「分かりやすい子供だな。そんな態度じゃいつまで経ってもこの愚鈍な頓馬女は気付かんぞ。」
「とっ…!宿儺オマエ言いたい放題言いやがって!」
パチンと首元を叩けば宿儺の口は消えていった。全くもって騒々しいだけの奴だ。
「あー………ごめん。伏黒。」
何となく気まずい空気に思わず謝罪を入れると伏黒は別にと小さく呟いた。そして黙って男子寮へと走っていってしまった。
「ふ、伏黒何だったんだろう。」
五条先生とはキス出来なかったし、伏黒ともキスが出来なかった。これからどうすれば良いのだろう。お願いです、キスしてくださいなんて言えるはずもない。さっさとキスしないと世界だって危ない。
どうすれば良いかわからずにあたしは唸った。お願いです、地球さん。もう少しだけ耐えてください。何とかしてその運命の王子様とやらを見つけてみせるから。誰に言うでもなく、心の中でそっと手を組んで祈った。