神様の仰せのままに

小指に結ばれた赤い糸。辿れば先にいるのは見知った幼馴染み。それは神様の思し召しとしか言えない。
毎年、十月に決められた人数の男女が神様によって赤い糸で結ばれてしまうそんな日本。絶対に切れない糸で繋がった二人はその時点で婚約者となり、老いて死ぬまで暮らすのが務めであった。
日本の人口数億に対して数百行くか行かないか程度の人数なのだから極めて低確率である。周りでそうなった子など見た事も聞いた事もないし、自分も無いだろうと完全に慢心しきっていた武道は小指を見た瞬間、目を見開いて固まった。それは鶴蝶も同じ様で驚愕して声すら出せない様だった。そしてその奇跡を目の当たりにしたイザナや万次郎も『はぇ…?』と情けない声を上げ、二人の小指を凝視していたのだ。
「…あ?」
「は、え、赤、え?」
当人達よりも目に見えて困惑する二人をよそに小指の赤い糸は千切れ、消える。しかし小指には真っ赤な線が残り、普通でない事は明白だった。
「…………ま、まじで?」
「あ、お、俺の、俺のタケミっちがっ!」
万次郎は絶叫する。しかし鶴蝶はそんな男などお構いなく、小指と武道を交互に見た。武道は俯き、手を震わせている。
「タケミチ?聞こえてるか?」
そんな彼女の手に触れようと鶴蝶が手を伸ばす。その手がほんの少し触れた時、武道は鶴蝶の手を弾いた。驚く鶴蝶、イザナと得意げな万次郎。そんな中、武道は顔を上げた。
「ぴぇ…」
蚊の鳴く様なか細い声で呻いた武道の顔は誤魔化しようもない程真っ赤に染まっていた。顔を上げれば鶴蝶と目が合ってしまい、急いで目を逸らす。鶴蝶はそんな彼女の表情に驚き、『えっ』と短く声を上げた。石の様に固まり、微動だにしない渦中の二人へイザナが話し掛けようと口を開いた時、突然武道が動いた。三人をその場へ置き去りに、彼女は疾風の如く走り去って行ったのだ。
「えっ、オイ花垣…」
「タケミっち!速っ!」
捕まえろと命令をすべく鶴蝶の方を振り返ったイザナだが、思わず頭を抱えた。そんな鶴蝶もまるで林檎の様に真っ赤な顔をしていたのだ。十月も終わりに近付いた頃、二人の運命は決定付けられてしまった。

「………カクちゃ…」
真っ赤な顔をして玄関に立つ武道と向かい合う鶴蝶。お互いに黙り込む中、割り込んで来たのは武道の両親だ。
「鶴蝶くん久しぶりねー!まー、大きくなって!」
「ご両親の事は聞いているよ。大変だったね」
「あ、ハイ…」
「こんな所じゃ何だし、入って。武道退きなさい」
実の娘は雑に払い、鶴蝶を優しく招く。彼女の両親に言われ、鶴蝶も腰を低くしながら花垣家の敷居を跨いだ。
「もー、本当、運命って残酷ねー。うちのガサツで可愛さのカケラもない娘が相手なんて、ごめんなさいね」
「えっ」
「母さん、鶴蝶くんが困ってるから」
「ま、ごめんね」
にこやかに謝りながら武道の母は鶴蝶にお茶を出す。そして彼女の父は隣同士で座る鶴蝶と武道の目の前に一枚の紙を置いた。
「これは赤い糸届けだよ」
「んぐっ」
父の言葉に動揺し、思い切りお茶を飲み込んで咽せてしまった武道。忙しない娘に母は大きく溜息を吐いた。
「ちょっと落ち着きなさい」
「基本的な記入事項は婚姻届と変わらないよ。住所と本籍とご両親の名前とエトセトラ。まあ、婚姻届とは違うから気軽に書きなさいね」
「は、ハイ…」
「因みに結婚する時はまた婚姻届を出さなきゃいけないんだ。でも二人が十八歳を越えたらすぐ出せって訳じゃない。そこは自分達のペースで色々考えてくれて構わないから」
「ハイ……」
「他の結婚と違うのは離婚出来ないという事、浮気や不倫には特殊法令が適用されて前科が付く事、勿論、籍を入れなくとも他の人間とは結婚出来ないという事も覚えてほしい」
「ハイ………」
鶴蝶の返事はどんどん小さくなっていった。その横の武道はただ目を回していた。そんな二人の様子に彼女の両親は微笑ましそうに笑う。
「相手がこの子でも神様印の運命なんて幸せなのよ?神様直々に祝福されている様なものじゃない?縁起が良いわ」
「武道は確かにお転婆でヤンチャだが優しい子だよ。心配はいらない、と信じたい」
自分の娘の事だがいまいち自信は持てなかったらしく、最終的には父の声は小さくなっていた。先程からずっと失礼な両親に言われるも、武道的にはそれどころではない。椅子に腰掛け、激しい貧乏ゆすりをする彼女を母は叱った。
「武道はこんな感じだし、まずは鶴蝶くんから書こうか。書いてる中で分からない事があったらおじさんに聞きなさい」
「…………ハイ…」
震える手でボールペンを握り、名前を書く。捨てたはずの苗字と大切な名前。それを一つ一つ丁寧に書き記した。そして住所と本籍と、両親の名前
忘れたはずなのに本当は忘れられてなんかいなくて、何の問題もなくすらすらと書けてしまう。やっぱり無理だったんだな、忘れる事なんて。紙に書かれた両親の名前が何だかあったかく感じてしまって鶴蝶は少し涙ぐんだ。
「…カクちゃ」
「次は武道よ。さっさと書きなさい」
鶴蝶に声を掛けようと顔を上げた武道。だが母の一言に遮られ、声を掛ける事は叶わなかった。そして彼女は鶴蝶以上に指を震わせながらひどく慎重に多くの事を記入した。
ニコニコと笑った武道の母は『二人で役所まで行って提出して来たら』と提案した。その提案に父も乗ってしまい、二人はこの状態で役所まで共に行く事となったのだ。並ぶ二人は体を強張らせ、お互いを執拗に意識しながら歩く。お互いにお互いの事をチラチラと見て、目が合えばその瞬間、勢い良く目を逸らすという事を繰り返していた。以前の親密さなんてものは跡形もなく、あるのは絶妙な気まずさのみだった。
「………あの、さ…タケミチ」
びっくり。武道は肩を飛び上がらせる。彼女は顔を上げる事なく、俯いたまま返事をした。
「なに…?」
「……何か、災難?だったな」
「…何が?」
「え、っと…状況?」
「かく、ちゃんは、…私とそういう関係になってしまった事が、災難だと思うの?」
「えっ?いや、そんな訳じゃ」
「……そうだよね、だって私、ガサツだし、男に混じって喧嘩するし、女の子らしくないし、…ごめん。それ出しても婚姻届さえ出さなかったら結婚した事にはならないし、…バレなかったら他の女の子と付き合えるし結婚は出来ないけど…内縁関係とかにはなれるから…」
声が震えていた。武道は突然走り出し、その場から逃げようとする。それを予感した鶴蝶は駆け出しそうな彼女の手を掴み、握った。
「ちょ、っと待て!」
鶴蝶は黙り込む彼女の手を引く。くるりと振り返った武道は大きな瞳から涙をボロボロと溢して静かに泣いていた。それを見て鶴蝶は目を見開く。
「ゃ、やだ…」
「ちがっ、タケミチ、俺はそんな事が言いたい訳じゃなくてっ!」
「じゃあ、なに?」
「…最初はタケミチの事、ただの幼馴染みとしか思ってなかったよ」
「じゃあ良いじゃん。さっさと出すだけ出して帰ろう」
先へ行こうとする武道の手を強く握った。彼女は鶴蝶から目を逸らし、黙って泣いている。
「赤い糸が見えた時、顔真っ赤にして照れたタケミチの事、すげぇ可愛いって思ったから、……満更でもない、というか、正直、アリだなって…」
「はぇ…いや、でも、そんな」
「…だからさ、少しだけ、俺達向き合ってみよう。…いや、状況的には訳分かんねぇし、めちゃくちゃ恥ずかしいけど」
「……あの、…あのね、カクちゃん」
鼻を啜り、涙を拭いた武道は鶴蝶を見る。彼女は環境音によって簡単に消えてしまいそうな小さな声で呟く。
「向き合うとか、…違くて、私は、…最初からカクちゃんの事が」
「……え」
バクバクと心臓は高鳴り、何だか息が上手く出来ない。顔を赤くして俯く彼女がいつも以上に可愛く魅力的に思えてしまって鶴蝶はゴクリと唾を飲み込む。彼女にひどく触れたくなった。それは衝動的だが、心の底から思っていた事だった。掴んでいた手を離し、鶴蝶は武道の頬に手を伸ばす。
武道が顔を上げる。二人の視線がぶつかる。林檎の様な頬に鶴蝶の傷だらけの手が触れるその瞬間、鶴蝶は吹っ飛んだ。
「はっ!え、カクちゃん!」
「タケミっちと運命だったからって調子乗ってんじゃねぇよハゲ!」
「俺はハゲてねぇっ!」
鶴蝶を蹴り、吹っ飛ばしたのは万次郎だった。無敵の彼は至極不機嫌そうな顔をして道端に転がる鶴蝶を見下している。
「タケミっち泣かせてんな!殺すぞ!」
「ま、マイキーくん!私、カクちゃんに泣かされてなんかない…」
「ちょ、止まれ止まれマイキー!」
共に来ていた堅が鶴蝶に追い討ちをしようとした彼を羽交締めにする。暫く暴れていた万次郎もようやく落ち着いた様で静かに鶴蝶を睨んでいた。武道は転がっている鶴蝶を起こす。
「大丈夫?」
「悪い、ありがとうタケミチ」
「赤い糸なんてくだらねぇモンのせいでタケミっちが泣くんなら俺はテメェを許さねぇ」
「マイキーくん…」
万次郎の言葉を受け、鶴蝶は彼を睨み付ける。そして突然、側に立つ武道の腰を抱き寄せた。
「こうなった以上、俺は責任持ってタケミチを大切にするし幸せにするから」
「か、かかかカクちゃっ…!」
「タケミチの運命になれなかった負け犬風情は黙ってろよ」
鶴蝶も手の早い不良で熱気盛んな少年である。いきなり飛び蹴りを食らわされた事に普通に腹を立てていた様だった。ニタリと笑い、全力で煽る鶴蝶。彼の思惑通り、万次郎はその挑発に乗った。天竺の喧嘩屋と東卍総長の大喧嘩が道のど真ん中で始まり、あの龍宮寺堅ですら諦めた激しすぎる喧嘩も通り掛かったエマの一喝によってやっと収束したのだった。

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