神と信者は楽園にて

両親を亡くした自分を引き取った親戚家族は揃って宗教にその身を委ねていた。宗教家の両親と生まれた瞬間からその宗教に囚われていた一人娘。そんな彼らが、引き取ったにせよ他人である事には変わりない俺を宗教に引き入れようとするのは必然であった。
恵君、素晴らしい場所へ行きましょう。化粧をして綺麗なおばさんは俺の小さな手を引いて大きなビルに連れて行った。俺の隣でお姉さんは笑っていたし、後ろにはおじさんがいる。
意見の一つも許される事なく連れて来られた場所では神や終末、自身の罪の話などよく分からない事ばかり言われた。こんな話を聞くくらいならばあの偉そうな先生の話を聞いていた方がマシだと思った程だ。両親を亡くし、年齢以上にこの世を達観していた俺は幼いながらに『くだらない』と鼻で笑っていた。そんな事を今この場で態度や表情に出す事はなかったけれど。
何やら怪しい話が終わった後、マイクを持つ老人が落ち着いた声のまま誰かを呼んだ。それは『すくな』と言う名らしい。不思議な名前だと思った。
真っ白な服に身を包んだ中年の男二人に囲まれ歩いて来たのは一人の少年だった。おそらく俺と同い年程の少年は頭からベールを被り、真っ白な着物を着ていた。
彼を見た瞬間、俺はここに来て初めて顔を顰めた。何だか気味が悪かったのだ。それはまるで棺に収まる両親の身に付けていた死装束の様で、心が酷く騒ついた。まだ狭い世界しか知らない俺にとって白と言うのは死の色であった。
冷たい汗が頬を伝う中、少年は男に誘われるがまま、舞台の中央に構えられた異世界の様な空間のそのまた真ん中に置かれた座布団に座った。真っ白なベールに隠され、顔は良く見えなかった。辺りの人間が歓喜で叫き、泣く中で少年は一人静かに座っていた。
「両面宿儺様!」
「宿儺様!」
「宿儺様、私に救いをお与えください!」
大人達が一斉に手を伸ばし、指を組み、勝手に祈る。その光景は幼い子供でも一眼見れば分かる程の異常だった。
あれは神なのだろうか。可笑しな大人達の様子に影響されてしまい、俺は冷や汗を掻きながら少年を見る。ベールで顔を隠し、喧騒を物ともせずただ黙りこくっている様が少年の神聖さを掻き立て、本当に神ではないかと言う疑念を覚えた。
不意に少年は顔を上げる。ベールの下が見えた。そこには特別美しい訳でもない、普通の少年がいた。彼は目を細め、ニコリと笑う。普通だったのだ。普通とは到底思えない場所で、彼はあまりにも普通の笑顔をした少年であった。
ドクンと胸が鳴る。乾いた目に気付いて瞬きをした時にはもう少年は俯いていた。
(今の、俺に微笑んでいたのか?)
叫ぶ大人達。俺を見て笑う『すくなさま』。静かに心臓を鳴らす子供の俺。
最早何も目に入らない。俺はただひたすらに目の前の少年を渇望していた。
黄昏時の帰り道、俺は口を開く。道中の蛍光灯はチカチカと点滅していた。今にも消えてしまいそうだ。
「あの人は、一体誰ですか」
「あの方はね、神様なのよ。本当の姿を隠して子供に擬態をしているだけの、素晴らしい神様よ」
「これを見て!」
わざわざ道の端に立ち止まり、見せられた聖書なる何かに描かれていたのは化け物だった。顔が二つ、手が四本の大きな化け物。間違っても人には見えないそれを三人は濁った瞳で見つめる。
「両面宿儺様は何だって願いを叶えてくださるの。素晴らしい神様よ。恵君もこうして生きている事を宿儺様に感謝しましょうね」
アホかよ。今度は本気で思ってしまった。いや、あの少年はこんな化け物とは似ても似つかないし。それに、アンタ達よりも数倍綺麗な目をしていた。
異常の中にいる、それ以上の異常。不気味の中で微笑む普通の少年に俺が惹かれない訳がなかった。

喧嘩をした。名前も分からぬクラスメイトを虐める、これもまた名前の分からぬクラスメイトと殴り合いをした。理由など単純だ。気に食わなかったから。
何不自由ない世界で何不自由ない生活をする甘ったれた子供の拳など取るに足らない。頬に強い一撃をくれてやれば少年はその場で崩れ落ち、泣きベソをかいた。それを無視して俺はその場をさる。
喧嘩の際に乱雑に掴み掛かった一人の少年の爪が頬を掠め、俺の肌が切れてしまった。小さな傷口から血が流れていく。滴る血を掌で乱暴に拭い、仕方なく保健室に向かった。掌に擦れて頬の皮が若干抉れる。痛かった。
「すみません」
そう言いながら保健室の扉を開ける。そこに保険医はいなかった。しかし保険医の代わりに奥に誰かがいたらしい。
「ん?誰?」
え」
奥のパーテーションの裏から現れたのは『あの』少年であった。神らしき少年は手に鉛筆を持ったままこちらを見る。
「あ、この前の人だ」
「やっぱあん時俺の事見てたのか」
「うん。全てを疑ってかかってる顔がオモロくて」
興味を持ったんだ。あどけない声でクスクスと笑う。恵は眉を顰めた。
これが神なのか?顔が二つ、腕が四本のあの化け物なのか?天変地異でさえも平気で起こしてしまいそうな異形を語るにしてはやはり、少年はあまりにも普通だったのだ。
「あれってさ、ヤバい宗教なんだって。ねー、オマエ名前何?」
「伏黒、恵」
「伏黒はさ神様とか、つか俺とか信じる?」
「いや
頷いた方が良かったのだろうか。俺は消されてしまう?困った顔の俺を見て少年はまた笑った。
「いんだよ、それで。信じちゃダメでしょ、あんなん。だって俺神様じゃないし。何も出来ねぇし。人の願いなんか知らないもん」
それよりも、と俺の横を通る。少年が手にしたものは救急箱だった。
「俺がやったげる〜」
「出来んのか?」
「出来るよ〜、多分。これ綿につけてぇ、バンソコ貼る」
少年は隣にある椅子を叩いた。ここに座れと言う事だろうか。誘われるがまま椅子に腰掛ければピンセットで挟んだ綿を頬に押し付けてくる。
「いてぇ!」
「声デケー」
先程まで彼がいたであろう机には筆箱、教科書、ノートと勉強の痕跡があった。純粋な疑問が口を突く。
「オマエ、教室行ってないの?」
「あー、何か、ウチの大人にダメって言われてる。君はコウショウな存在だから、レットウシュ?と一緒にいちゃいけないって。言ってる意味全然分かんねぇけどあんま良くない事は分かる」
「俺もそう思う」
「だからさ、授業とか保健室で受けてんの。本当は学校行かせたくないらしいけど、これってギムキョウイクなんでしょ?」
やはり可笑しな集団だと思った。彼は呆れる程に普通の少年で、そんな彼を大人達は狂った様に信望している。大人になるにつれて自分よりも小さな子供に縋りたくなっていくのだろうか。俺はまだそんな大人達の保護下にある幼い子供だが、それが異常である事はよく分かった。
「そーだ、俺さ、思い出したんだけど、俺オマエと同じクラスかもしれん。見た事あるわ、伏黒恵って名前」
「マジで?つかオマエに名前あんの?」
「あるぜ。俺、虎杖悠仁」
イタドリ、ユウジ。やはり両面宿儺などいなかった。俺の目の前に座る彼は人間だった。
「伏黒さ、何でほっぺ怪我してんの」
「喧嘩した」
「ヤバ!俺も喧嘩とかしてみてぇなぁ」
「無いのか?」
普通の子供は喧嘩などした事が無いはずだ。稀有な宗教団体に囲われている秘蔵っ子ではなくとも。
虎杖は楽しそうに頷く。彼は救急箱を探り、大きな絆創膏を手に取った。
「俺さ、体に傷付けると超怒られちゃうから運動も出来ねーんだよね」
「何かヤダな」
「やだよ俺も」
虎杖も困った様に笑った。俺の頬に絆創膏を貼り、そこを優しく叩く。
「いた、どり?さま?」
「何だそれ、良いよそんなん」
虎杖はさ、何で神様してんの」
「俺も知りたい。伏黒は普通の子?」
「いや、俺、親死んでる。引き取ってくれたの血の繋がりも無さそうな親戚」
「伏黒一人なの?」
「そうだ」
「俺も。親も爺ちゃんもいなくなっちった」
「あの人達何だよ。あん時のマイク持ってる人と、白い人」
「んー俺の世話してくれてる人?他人」
虎杖は伏黒と大して変わらぬ少年だった。血の繋がりのないイカれた大人達に囲まれた、可哀想な少年だ。俺は何とも言えない親近感を覚える。
「ねー、伏黒」
「何だよ」
「オマエあのまま大人達と一緒にあんな事すんの」
「抽象的すぎて分かんねー」
「え、だから、あのまま俺の事神様って思い続けんの?」
「だってそうしねーと生きれねぇじゃん。俺子供だし、親いねぇし。今の人達にハブられたら俺後死ぬしかねぇよ」
「俺と一緒じゃん。神様やめたらもう死ぬしかないし」
彼らは子供だった。だからこそどこへも行けない。その環境に雁字搦めにされ、気付かぬ内に首を絞めていく。大人のエゴに染まり、助けも来ずに溺れていくのだ。
「じゃあさ、伏黒だけでも俺の友達になって?あのヤバい場所でさ、俺達二人だけマトモでいようぜ。多分手、繋いでないとすぐおかしくなっちゃうと思う」
「俺も、そう思うから虎杖の友達になる」
頼れる大人など誰もいない中、俺は同い年の少年の手を取った。俺と同じで何も出来ない、頼りない存在のはずなのに虎杖は誰よりも信頼出来て、一番に頼れる人だった。きっとそれは虎杖も同じで差し出した俺の手を強く握る。その力はとても強く、真っ白な肌と細い身体からは想像出来ない程の力だった。
「大人になったら二人で逃げような」
「オマエ逃げられんの」
「どうだろ。俺が神様じゃないって事分かってくれなさそう」
「そしたら俺が連れ出してやる」
「多分、それ悪者になっちゃうぜ」
「良いよ別に。大人なら一人でも生きれるし」
俺は強くそう言った。それを聞いて虎杖は嬉しそうにはにかむ。
「お姫様を迎えに来る王子様みたいじゃん」
「王子様?」
「何かちっちゃい子が話してんの聞いた。王子様はお姫様を助けたり迎えに行くもんなんだって」
「俺、そんなチャラチャラしてねぇ」
「王子様ってチャラチャラしてんの?」
「してる。金ピカの服着てる。金持ちだから」
「伏黒真っ黒だから違うな」
「おう」
ギュッと虎杖の手を握った。久しぶりの人肌はとても温かかった。
虎杖は琥珀色の綺麗な目いっぱいに俺を映す。彼の嬉しそうな顔はどんな人間よりも、神様よりも愛おしくて離したくないと思った。
早く二人で、こんな世界から逃げ出せる日が来て欲しい。虎杖の細い手を握りながら未来を願った。

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