監獄メイド⑦

青いユニフォームに身を包み、でもまだ試合には出られないからウィンドブレーカーを羽織った。他の選手が控え室から外へ出ていく中、玲王はゆったりと立ち上がった。
「ユニフォームに袖を通してる意味、あるといいんやけどね」
「そうだな」
「着るだけ着て何も無しって言うのも虚しいもんやん」
常にどこか冷たくて、温度感の無さそうな氷織もそんな事を言うのだなと思いつつ。連れ立って外へ出ると潔が帝襟や絵心と話しているのが見えた。
「…準備はよろしくね」
「はーい。任せてください」
「結果確認してから、だから皆にはちょっと待っててもらう形になるかもだけど、着替えたり試合後のミーティングしてたから丁度いいかな…」
「まあ、遅くなったらなったで待って貰えばいいので大丈夫ですよ」
「…まあ、そんなに出費かさむわけでもないだろうし、何頼むか任せる。迷った時はアンリちゃん以外の職員と相談してもらって構わないから、そこら辺の権限はキミにやるよ」
「分かりました」
三人で何か話しており、内容までは聞こえないが。その様子をぼーっと眺めていると会話が終わったみたいで、帝襟と絵心がこちらへ戻ってくる。俺達に軽く会釈して、戻ろうとする潔を乙夜が引き止める。
「試合に向かう俺たちになんか一言ちょうだい」
「え、一言?」
「頑張れの一つでも言ってくれたら元気出るよ〜?」
「困っとるやん、バカ。変な絡みしてやんなや」
潔に絡む乙夜の肩を烏が小突く。困惑中の彼女は絵心の顔色を伺うが、彼は呆れた様に溜息を吐いて何も言わず。乙夜以外は口を開かねど全員が彼女の言葉を待つ雰囲気が流れて、潔はおずおずと口を開いた。
「……えー、っと…んー…」
「急に振られて困ってんじゃん」
「女の子困らせてる〜!さいて〜!」
「ガキみてぇな野次…」
「……えっと、じゃあ」
遠慮がちにそう言えば、騒いでいた彼らも静かになって潔の言葉を待つ。斜め下を見て少し考えた後、彼女は真っ直ぐと彼らを見つめて笑う。
「勝てるよね。負けないでしょ?証明して見せて。皆のサッカーが正しいって」
「それじゃ、行くぞ」
鼓舞でも激励でもなく、それはただの圧でしかない。でもそこに大きな期待は乗っかっていて。きっとあのスタジアムの誰も自分達には期待していないのに、潔だけは真っ直ぐと信じてくれている。それを嬉しく思わないわけがなかった。彼女の期待は彼らのやる気に火をつけるには十分だった。
「何それ?脅し?」
「焚き付けられちゃった」
「ま、いっちょやったりますかね」
行くぞと急かす絵心の後について、フィールドに向かう。人によっては潔に手を振ったり、会釈を返したりと様々だ。一番後ろを歩いていた玲王はふと立ち止まり、振り向く。真っ直ぐに彼女と目が合った。
潔は両手を少し上げて拳を握る。頑張れとも言いたげに一度上から下へ小さく振り下ろすと。ポカンとした玲王は途端にくすくすと笑って、彼女のジェスチャーにピースサインで返した。
入場口の方から聞こえてくる客の声に玲王は耳を傾け、柄にも無く少し身体が強張った。気圧されて怖気付くも、潔の手と言葉を思い出して自分を落ち着かせる。まるで思い起こす様に自分の手を自分で包み込んだ。
「…大丈夫だよな」
幼稚園生の時、ピアノの発表会の前日に彼女は玲王の手を昨夜の様に包み込み、『うまくいくよ』と応援して笑った。それがはじまりだった。ピアノの発表会なんて別段緊張などしていなかったのだが、潔に手を握られると何だか勇気が湧いてくる様な気がした。大丈夫だと思えた。
潔はその後も玲王が色々な発表会やコンテスト等に出るたびに、手を握って安心させてくれるようになった。必ず『大丈夫』と言って『きみならできるよ』と信じてくれる。
彼女にとってはただの励ましなのかもしれないけれど、玲王にとってはおまじないだった。うまくいくための特別なものとして、彼の心は救われていた。だから今回も。今までとは比にならないくらいの注目度と、まだまだ不甲斐無い自分のスキルで安心する事は出来ないけれど。平均値一時間の自主練と潔が味方をしてくれているから。
玲王は顔を上げた。難しい事を考えるよりも、今を見ようと決めた。数歩の遅れをすぐに詰め、観衆の真ん中へ勇む。
タブレットの画面に映る紫を見た時、潔は安堵の表情を浮かべた。あんな事を言ったけれど、彼女は彼女で心配はしていた様だった。
「…もう心配いらないかな」
凛も蜂楽もいるし、全員が凄い選手なのだからもう勝利の心配はしていない。完全アウェーのU-20追い風の雰囲気からからブルーロックの空気へ変容していく様をモニター越しからも感じて、潔は満足気に笑った。
「今のうちに掃除と洗濯として、皆が来るまでにご飯の準備も進めとこう」
試合後は勝っても負けても豪勢な食事を出してやろうと言うのは、帝襟の提案だ。勝てばケーキを頼むし、ピザも注文していいと絵心から半ば強引に許可を貰い、その判断と手配を潔が代行する事となった。
場の空気は完全にぐらついて、ブルーロック側の勝機は跳ね上がったが、相手には士道や冴がいるので慢心は出来ない。頼むのは完全に試合が終わってからかなと手元のスマホをポケットにしまった。
「…玲王のご両親も、ここで勝てば納得してくれるのかな」
それは玲王と自分の関係性の心配というよりも、玲王のサッカーの心配だった。そもそも息子を後継者にしたい両親は、玲王がサッカーをする事に懐疑的で。何か理由を付けて元いた場所へ引き戻したいと常々思っている様な人だから。ここで負けたら自分達の関係どころか、玲王からサッカーを奪う事になってしまう。
あんなに苦しそうに、でもどこか楽しそうに何かに取り組む玲王は初めてだった。幼少の頃から何でもそつなくこなしていた幼馴染みが、ここまで感情的になっているところはあまり見なくて。それほどまでに熱中出来るものと、人と出会えたのだと嬉しく思っていた。だから、彼からそれを奪わせたくないと思っていて。でも、それを阻止するのも玲王次第でしかないため、潔はただ祈るのみだ。
「あ、世一ちゃんいた」
「ごめんね、ちょっと手貸してくれる?」
こんな大掛かりな企画を絵心と帝襟で運用するのは到底無理な話で。勿論、彼女ら以外にも連盟職員は派遣されている。高校生相手だからと言ってあまり馴れ馴れしくするなという偉い人のコンプラ意識に反して、二十代程の若い女性職員はフランクに接してくれている(勿論、男性陣は潔さん呼びだが)。
「あ、今行きます!」
長いワンピースをふわりと揺らし、足早に駆ける。試合をずっと見ていたい気持ちもあるけれど、潔は仕事に戻って行った。
歓声と落胆とが入り混じる異様な空間の真ん中で、もみくちゃになって笑う高校生がいる。拳を掲げて喜ぶ彼らに、潔は目を輝かせる。最後のゴールを決めて勝利が確定した瞬間、彼女は『わぁ!』と歓喜の声を上げた。
「絵心さんすごい…!」
まず思い浮かべるのは自分の恩師の顔で。彼から教えてもらって、自分の環境では活かしきれなかった全てが成就し報われた瞬間がとても嬉しくて。自分勝手すぎて一緒にプレーしたくないと言われた過去も、怪我で何もかもを失った瞬間も、自分の存在そのものが救われた様な気がして。じんわりと胸が熱くなった。
玲王については私の言った通りだろという思いが強い。贔屓目関係無く、出られないわけが無いと思っていた。彼の隣にいる凪ばかりが注目されがちだが、玲王だってサッカー経験の浅い状況で招集された天才なのである。当たり前でしょと得意気な気持ちで、鼻たかだかにほくそ笑む。だが不意にハッとして時間を確認した。
「あ!デリバリー!頼まなきゃ!」
先程まで職員の人達の相談して頼もうと決めていた店にオーダーをしなければ。お祝いのケーキとピザと、それから。ここでの生活では到底見られない様な高カロリーな食べ物達を並べて、今日くらいはとお祝いするのだ。
職員の人達はそれぞれ別途に自分の仕事があって。子供達の祝勝に時間は割けないと大急ぎで自室に置いてあるというパソコンを取りに行ってしまって、今手配が出来るのは潔のみ。タブレットで電話番号を確認しつつ、自分のスマホに耳を押し当てた潔は試合の余韻に浸る間もなく、準備を進めた。
料理を手配し、届く時間を帝襟に連携する。厨房の調理担当と協力しながらこちら側で準備するものの調理を進め、食堂をセットする。
恐らく皆は既に戻ってきて、ミーティングなどで時間を稼いでもらっているところだろう。潔としても一番に何か言葉をかけてあげたかったが、仕事がある。出来上がった料理を長いテーブルの上に見栄えよく並べ、食器を用意したり、消毒したりと忙しなく動いた。
「お婆ちゃん、おばさんだったらもっと手際良く見栄えよく出来たんだろうねぇ」
メイドと言っているけれど、別段御影の家に雇われているわけではなく、ただ祖母や叔母に憧れて自称しているだけなので。二人の手伝いをする程度で特に本職では全くないため、まだ少し覚束無いところはある。どんな風に料理を置いていくかというのも難しくて、テーブルから大皿が三分の一はみ出してしまう事もあり。改めて彼女らのやっている事は思った以上に複雑だという事を知った。
埃を立てない様に歩きつつも、なるべく作業は早めにテキパキ動いていると。廊下から複数の足音と賑やかな声が聞こえた。外で頼んでいるものはまだ届いておらず、間に合わなかった事に申し訳ない様な気持ちになりつつ。手に持っていたフライのバットを置く。その内に食堂のドアが開いて、賑やかな声と共にゾロゾロと中に入ってきた。
「おわ、すげー!料理めっちゃある!」
「やほー!いさぎー!勝ったよー!」
「世一ちゃん見てた〜?」
料理の山を見て騒ぐ人や、一番に潔に声を掛けてくれる人と反応は様々で。潔はニコニコと笑顔を返す。
「うん、見てた。やるじゃん。おめでとう」
「俺のスーパーゴールとか!」
「お前は決めてねぇだろ」
「決める直前までは行きましたー!」
「でも皆本当によかったよ。楽しそうにサッカーしてて、想定以上、だったね」
「あんなん楽しないわ、アホ」
「やっぱ代表選手相手はキツイね」
「え、俺らデータ越え?」
「データ越え」
「おー!やった!」
ボケなのか本気なのか分からない言葉に突っ込みを入れて、テンポのいい会話をして。いつもの楽しいやり取りに和んでいると。玲王が無言で前に出て来た。人を押し退けて前に出ると潔の方へ少し駆け足気味で歩いていく。
「玲王どうした」
玲王の唐突な行動に誰もが驚いていると、当の本人は何も言わず、潔に手を伸ばす。それから背中に手を回し、無言で抱き締めた。
「えっ!?れ、れお」
「ちょ、おま」
幼馴染みとは言え、流石に何の断りも無しに女の子に抱き付くのは不味いのではないかと。気まずい様な、焦った様な空気が流れた時。玲王は潔を強く抱き締めながら呟いた。
「見てたか?」
シャワーを浴びて来たのであろう、清潔な香りが鼻を掠める。いつもより少しだけ低い声に、玲王も緊張して、不安だったのかもしれないと思う。それが自分との関係なのか、サッカーの事なのか、玲王が中心に考えている事までは察してあげられないけれど。潔はただ静かに玲王の背中に手を回し返した。
「見てたよ」
潔がそう答えると、玲王は息を吐く。身体の強張りが取れて、ずっしりと重さを感じた。
「わ、わ!お、おも!」
「これでもう玲王様とか禁止な」
「もう言ってないでしょ〜」
「離れんのも禁止な。ずっと一緒にいろよ」
「ええ〜」
なんてやり取りをして笑っていると。騒然としている外野の誰かからふと呟きが溢れた。
「なにそれプロポーズ?」
「えー、冗談でしょー?ね、玲王」
玲王はスンと黙ってしまう。様子の変化に横を確認すると、耳を真っ赤にして玲王は口を噤んでいて。ただ抱き締める力だけは変わらずに、手は少し震えていた。
「………え、れお」
呼びかけても何も答えないまま。何も答えてくれないから単に恥ずかしいのか、本気の言葉なのか彼の意思は正確に汲み取れずにいた。
抱き締めあったまま黙る玲王と困惑する潔と、それを見るその他多数。玲王以外はもはやどうしていいか分からずに祝いの席が始まる前に、その場の空気が微妙になってしまったのは言うまでもない。

1つ前へ戻る TOPへ戻る