朝起きて顔を洗って、何人かと一緒にブルーロックの外周を軽くランニングしつつ。シャワーを浴びてから食堂へ行く。
食堂へ行くと既に食事を始めている者が潔と談笑していた。二子と同じテーブルで食事をする斬鉄と、二人が使うテーブルの側に立ち止まってクスクスと笑う潔。玲王はそんな彼女の後ろからテーブルに手を付き、顔を覗き込む。
「世一はよ」
「あ、玲王おはよ。よく眠れた?」
「おう。朝から大変だな」
「えー、仕事はまだまだ始まったばっかだよ〜」
そう二人でにこやかに言葉を交わして。ポーチに入ったスマホを見て、私仕事しなきゃと笑う。スマホをしまい直して、きっちりと纏まっている髪を何となく整えた後、玲王達に軽く手を振った。
「じゃあ、皆練習頑張ってね。怪我とか、自分のデータが確認したいとか、そう言うのあったら声掛けて」
「さんきゅ。世一も頑張れよ」
「はーい。無理しないで〜」
パタパタと食堂を出て行く潔を見送り、自分も朝食を貰いに行こうとした時。面倒臭そうな顔をした二子が声を掛けた。
「復縁した瞬間マウントですか。どう転んでも面倒臭い人ですね、あなた」
「別にしてねぇけど?」
「おはよう玲王」
「今ですか?」
「…え、今?おう、おはよう…」
うんざりした様子で嫌味を炸裂させる二子に首を傾げつつ、このタイミングで挨拶をけしかける丁寧な斬鉄に挨拶を返した。一緒に軽くランニングをし、共に食堂まで来た千切が後ろから肩を組んでくる。
「お前マジで二子の言う通り、復縁後の仲良しアピールすげぇな」
「ね、本当ですよ。俺のものですよ感出しすぎ。彼氏でもないのに女性は嫌がりませんか?」
「その復縁って言い方やめてくれるか?」
実際、確かに復縁した様なところはあるけれど。玲王からすれば別に縁は切れていないつもりだった。それに復縁と言われると付き合っている様で何だかソワソワしてしまう。
「潔はちゃんと皆って言ってたのにあたかも俺に声掛けましたよね感出して受け答えしてたのがめちゃくちゃ嫌」
「分かります。その後方彼氏面一番気持ち悪いですよ。アイドルが最も嫌いなタイプのファンだと思います。デブでハゲで清潔感がなくても普通に応援してる人の方が嬉しいです、多分」
「でもハゲデブと後方彼氏面の玲王だったら玲王じゃね?」
「…それもそうか」
「その例え話やめれねぇかな?」
絶妙に不快な例え話で盛り上がる二人にストップを入れて。さっさと食事を貰いに行く。朝食を受け取って、何となく二子の隣に座った。彼は特に動じる事も何かを言う事もなく、ご飯を口に運んでいる。その後で千切が来て斬鉄の横に腰掛けると、納豆を掻き混ぜながら玲王に話を振った。
「アイツ、結構凄いよな。指摘は的確だし、身体の異常とかすぐ気付くし」
「まあ、気が効くタイプだからな」
「あの人、僕と同じ目の使い方してるタイプで、フィールドの捉え方とか教えてくれます。多分、サッカーやってた人ですよね?」
「ああ、アイツは中学までサッカーしてたって」
「今はしていないんですか…っていうか、アナリスト目指してるって事は多分してないんですよね」
「サッカーで足の怪我して、それで流石にもうやめろって両親に止められて離れたって。アイツの両親って基本的に世一の望む事何でもさせてあげるってタイプなんだけど、その二人にお願いまでされたら、もう我儘も言えなくてって。まあ、女だし、あんまり怪我させたくないご両親の気持ちもあるから仕方ねぇよな」
玲王の両親が共々海外に出ている時。二人に内緒で何度か彼女の家に遊びに行ったが。その時にもてなしてくれた潔の両親は驚く程に優しくて平等な人で。近所のケーキ屋で買ったシュークリームを謙遜する事もなく『美味しいのよぉ』と呑気に笑う、そんな人達だ。
二人の差別をしない、媚び売りもしない、大人として子供に優しく接する態度が心地よくて嬉しくて。玲王も彼女の両親の事は非常に信頼していたし、好ましく思っていた。
そんなおおらかで優しい二人が止めるほどなのだ。只事の怪我ではなかったのだなと何となく察し、千切は同情したし、二子は神妙な顔をする。
「で、今は絵心の元で勉強してると。まあアイツ、中学の時とか地域の新聞に記事書かれる様な選手みたいだったし、優秀な分サッカーIQも高いし、目も肥えてるんだろ。出来ないのは悔しいけど、アナリストも結構楽しいって言ってた」
「凄い人だったんですね」
「まあ、俺からすれば繊細で怖がりで泣き虫なただの女の子だけど」
「そういうとこ」
「そういうところです」
散々指摘された態度を最速で再び取る。指をさされるけれど、玲王には何が『そういうところ』なのかわからず、『はぁ?』と言葉を返した。
「お前は凪といい潔といい、他人に情緒振り回されすぎやな」
空になった食器を下げようとしている烏が立ち止まり、野次を飛ばして立ち去る。その後ろから乙夜が来て、玲王に余計な事を聞いた。
「二人が仲良くなったところで、俺と世一ちゃんの仲も取り持ってくんない?」
「帰れ」
「取り持ってもらわないといけないくらいの距離感なの?乙夜」
「んー?別に?他の奴らとおんなじ感じだけど?より仲良くなるために、手伝って欲しいだけ」
「無理。お前みたいな奴と関わってほしくない」
「厳しすぎだろ」
バッサリと切り捨てて手をヒラヒラとさせ、追い払う様な仕草を見せる。随分と雑で酷い対応だが、乙夜は特に怒るでもなく『ちぇ〜』と冗談めかして唇を尖らせた。それからふと、『純粋に疑問なんだけど』と前置きをして玲王に問い掛ける。
「それはそうとしてお前は世一ちゃんの事が好きなの?男女の仲的な意味合いで」
「そこ掘り下げて良い話なんですか?僕気遣って何も言わなかったのに」
「あ?別に好きだけど。かわいいし」
思った以上にはっきりとした返答に、困るのはそれを聞いていた面々で。乙夜でさえ、『お、おう…』と若干引き気味な反応を見せる。とは言え、これ程までにあっさりと認められてしまうと逆にどう言う意味で好きかどうかが分からなくなってしまう。本当に恋愛的な意味なのか、それとも単純な人としての好意なのか再度確認する事も何となく憚られ、千切と二子と乙夜で視線を交わし探り合った。
「世一は残酷なんだよ」
不意に玲王が口走る。具材が底に沈澱している味噌汁を箸で軽く混ぜながら整えて。一口飲んで息を吐いた。
「色々なところに気遣うタイプだし、基本遠慮がちだけど好き嫌いとか是非とかはしっかり持ってて、こだわりは強くてさ。自分にとって嫌とか不快とかってなったらすぐ興味失くすんだよな」
いつも笑顔で優しくて誰もに人あたりが良いと言われる様な潔が、他人の取捨選択をする様な冷たさを持っているだなんて誰も思いもしない。彼女のその面は自分だけしか知らないと言う強い優越感に玲王は浸り、嬉しそうな様子で口角を上げた。
「でも俺の事はすげぇ気に掛けてくれて、優しくした怒ったりしてくれるところが俺は嬉しくてさ。対等でいさせてくれるんだよ、いつだって。自分ではメイドって言ってるくせに」
ぎゅっと握り締めた手をもう片方の手で包み込む。過去を回想する様に目を瞑り、ゆっくりと開いて掌を撫でる。
「それにどれだけ救われてたかなんて、多分アイツは知らねーもんな」
そう言う玲王はひどく優しい顔をしていて。その顔を見ているとこれ以上追求するのも野暮な様に思えてしまって。千切達はどこかうんざりした様な顔で『あっそお』と軽くいなし、各々のすべき事に戻った。
U-20との試合が明日に差し迫った頃。何となく眠れないでいた玲王は外に出る。普段は許可がなければ出られないのだが、最早この時点で脱走する可能性のあるものもいないだろうと言う絵心の判断のもとでの解放だった。寝られない奴は夜風にでも当たって落ち着けと言う絵心からの気遣いでもあるのかもしれない。
スウェット姿ではあるが、ブルーロックの周りを軽くランニングしていると。木の生い茂る周囲の中、一箇所だけ開けている場所に潔がいた。シルエットの緩いカーディガンを羽織り、髪をヘアクリップで纏めた彼女は、林の真ん中で空を見上げている。
「…世一?」
「ん?玲王?」
「何してんだお前、こんなところで」
「あー、なんか眠れないから夜風当たってた」
そよぐ風が肌を撫でていく。潔はその風を気持ち良さそうに受け、目を細めた。
「玲王は?ランニング?」
「っていうか、俺も夜風にあたりに」
「あは、さっきも何人か周り走ってたよ。二子とかも『なんか眠れなくて』って。皆一緒なんだね」
「隣いい?」
「うん」
一言しっかりと断り、彼女の隣に立つ。潔が見ていた方に顔を向けれども、そこにあるのは何の変哲もない半月である。
「ここ星綺麗だよね。人気無いから」
「ほんとにな、無駄な光がない」
建物が周囲に無い分、光が少なく星が綺麗に見える。潔が手を持ち上げ、『あれなんだろうね』と指差す明るい星に目を凝らし、玲王は『飛行機じゃねぇの?』と冗談めかして答えた。何だかおかしくなって、二人で顔を見合わせてくすくすと笑った。それから深く呼吸をした玲王は息を吐き、口を開く。
「スタメンになれなかった」
「…うん」
「凪はもうどこまでも先にいるのに、俺はその背中を追い駆けるだけ」
そんな事ないと思うけどと潔は思ったが、口にする程野暮ではない。何を言おうか迷って目を泳がせた後、玲王の方を見ないまま問い掛ける。
「くやしい?」
「…悔しいけど、なんか、…悔しいというよりも…」
そこで言葉を詰まらせる玲王。潔としてはあの御影玲王にここまで大切に思われる存在が出来たのだ(自分の事は完全に棚に上げている)と言う感動と、それから彼らの危うさを感じていた。きっと今の彼は凪に置いて行かれていることに恐怖と憂いを感じているのだろう。泥沼へ沈んでいく片方の手を離さず、自分も泥沼へ共に沈んでいく様な愚かさが玲王にはある様な気がして。
何となく危機感を感じるも、彼女は何も言わない。二人の行く末を危惧するよりも、今は隣に立つ男の不安と嘆きを受け止める事を最優先にした。
「…二人で世界一になるって約束したのにアイツだけ先に行って、俺は後ろで隣に立つ事も出来ずにベンチだなんて、だせーな」
「……玲王は、みんなよりプラス一時間多く練習してるってデータ出てるんだ。これは一週間の練習時間の平均値から概算したものね」
それは彼女がタブレットで確認していた原体験に基づく情報だった。実際に計測し、計算された数値は事実だけを映すもので、それは確かに玲王の努力を具体的に提示していた。
「みんなより一時間多く自分の時間をサッカーに費やしたんだから、何だって出来るよ玲王なら」
「……そうか?」
「うん。玲王の事、一番知ってる私が言うんだから」
「おー」
「それにベンチならフィールドに立つチャンスが完全に無いってわけでもないじゃん?」
潔は彼を見守ってきたのだ。小さい頃からずっと。まだ玲王の手が柔らかくて、小さかった時から彼の隣で玲王の凄いところを全部見てきた。
「玲王はやらなくても出来るのに、今は本当に毎日めっちゃ頑張ってるんだから、いつもの何倍も上手くいくよ」
「…んー」
「玲王が頑張ってるところ、私は全部知ってるから、知ってる上で大丈夫だって思ったんだよ。だから安心しなよ。ほら、そんなに浮かない顔しないで」
目を伏せる玲王に笑い掛ける。手を伸ばし、指で軽く頬を突くと玲王は迷惑そうに避けた。
玲王はケラケラと笑う彼女を見て、視線を逸らす。斜め下に視線を落とし少し考えた後、意を決して口を開く。
「手握ってくれるか?」
「手?うん」
「それで、大丈夫って言って」
パチリと瞬きをし、すぐに表情を緩める。潔は何も言わずにただはにかんだまま。玲王の右手に優しく触れ、両手でしっかりと包み込んだ。
「…玲王なら大丈夫だよ」
幼稚園の頃よりも、小学生の頃よりも滑らかで大人の手をした彼女だが、温かさは何も変わらないままで。自分がここまで上手くやれてきた理由の一つが身に染みて分かる。何かあるたびにこの手の感触を思い出して、潔からずっと勇気を貰い続けてきていたのだと改めて思い知らされた。
「玲王なら出来るって、私は知ってるから。玲王の努力、ちゃんと見てた。だから、大丈夫」
玲王の手を包みながら、彼女はまるで祈る様に指を組んだ。潔のはっきりとした言葉を聞いていると、なんだか本当に大丈夫な様に思えてくる。高く波打つ心が次第に穏やかに凪いでいくのを感じた。
玲王は夜の風の中で深く息を吸う。それから息を吐くと、一緒に不安や恐怖が全てスッと抜け切ったような気がして。固い表情が緩んで、玲王は優しげで少し照れ臭そうな顔でニッと笑う。そして、彼女の手にもう片方、左手を上から重ねて触れた。
「大丈夫だな、世一が言うなら」
そう返すと潔はニコニコと笑って軽く頷いた。大丈夫と包む手はどちらも離さないままで。彼女の激励を頼りに、玲王は試合を迎える。