「お前ら、来たな」
くるりと椅子を回転させ、こちらを向いた絵心は偉そうに足を組む。それから玲王と潔を一瞥して、肘掛けに手を置いて頬杖をついた。
「御影玲王は晴れて二回目の呼び出しとなったわけだが、気分はどうだ?問題児くん」
「今度は世一もまとめて呼び出しなんて、用件はなんだよ。世一の態度とか、このループタイの件について関係のある話?」
「ああ、そうだよ」
あっさりとそれを認めた絵心は潔をじっと見つめて。彼女に向かって片手を差し出した。
「それ頂戴」
すると彼女はいそいそと首元のループタイを外して絵心に手渡す。自分が言っても全く渡してくれなかったのに、目の前の男相手には素直に言う事を聞く事実にモヤモヤして仏頂面になる。絵心は手元のループタイの宝飾部分を舐める様に眺めて、玲王を呼びつけた。
「来い」
「は?なんで?」
「お前に真実を見せてやる」
そう言われて若干の怪しさも感じつつも、やはり好奇心と今すぐにでも彼女を渦巻く謎の全てを解きたいと言う思いから絵心の元へ近付く。絵心の手元を覗き込むと、彼は指で宝石の側面をツゥっと撫でた。それから指に少し力を加えると、カチャリと微かに音がした。
そんな音の後、絵心の手元の宝石が真ん中で二つに分かれた。それは中が開くようになっていた。首に掛けるための紐も通っているため、それについては驚かなかったが、見せられた宝飾の中身に玲王は眉を顰めた。
「…なんだよこれ」
それは飾りの中には到底入っていないであろうものだった。少し分厚いSDカードの様なものは、つけられたミニマムのライトが小さく光っていた。赤い光はチカチカと点滅している。
「なんだと思う?」
「………教えてくれ」
「盗聴器だよ」
玲王はハンマーで殴られたかの様な大きな衝撃を感じる。驚きの反動で少しよろけた玲王を潔は横で心配そうに見つめ、身体を支えようと手を伸ばしかけたが。すぐに手を引っ込めた。絵心は盗聴器をデスクに置き、話し始める。
「これはお前の両親からの提案だった。ブルーロックの様子を共有して欲しい。息子がどうしているのか、報告が必要だとね。その対価としてウチに対して金銭的な援助をすると」
「……お前、俺の両親と一枚噛んでたのか」
「トレーニングルームや食堂、お前の寝室のカメラの映像は共有している」
「…寝室?寝室隠し撮りされてたのか?え、俺に無断で寝室の映像を?」
「でもカメラでは音声までは取れない。だからコイツに盗聴器を仕込んで、彼女をスパイとして派遣した」
「おい無視すんな」
ここでの生活の様子を無断で共有され、寝室まで隠し撮りされ続けていた玲王の動揺は完全に無視されて。淡々と事実を述べる絵心は彼らしくない、気を使う様な視線を彼女に向ける。
「俺の親戚のお嬢さんって言うのは全然本当。コイツがサッカーしてて、怪我をしてプレーするのをご両親に反対されてから、俺の元でアナリストとして勉強してるのも本当。その流れでここの手伝いを依頼したのも本当だよ。ただ、潔世一がまさか御影と関わりがあるとは、俺も想定外だった」
絵心が関わりがあるのはあくまでも彼女とその両親だけで。潔の祖父母までは知り合いではなかったのだ。だから彼女の他の親戚が何をしているかなんて、絵心は知らなかったし興味も無かったと言う。
「本来は俺の補佐としてアナリスト的な、お前達へのアドバイザー的な立ち位置を頼む予定だった。勿論、俺は反対したけどね。男ばかりの環境に女の子一人は危険すぎるし。でもコイツがやりたいって煩いし、ご両親も俺ならと言う事でOKが出てしまったから渋々ね。……だが、お前の両親の介入で変わった」
「…世一」
大丈夫だったのかとか、一体何を言われたのかだとか、心配が積もる。彼女の名前を呼ぶと潔はチラリと玲王の方を見て、困った様に眉を下げた。
「彼女に盗聴器やカメラを持たせて中の様子の映像を提供して欲しい。息子の様子を確認したいと申し出があってね。流石にカメラを持たせるのは何とか断ったけれど。そこからはまあ、さっき言った通りだよ。彼女がメイドとしてお前の家の手伝いをしていた事、お前らが予想以上に掃除洗濯片付けが出来なさすぎた事で、家事のあらかたも合わせてお願いする事になってしまったがな」
今は凪とは同室ではないため、分からないが。まず散らかすだけで片付けないのは想像に易い。他の奴らも結局男なので、まともに片付けるはずもなく。丁寧で几帳面な極少数がいつも文句を言って後始末をしているところをよく見た。実際玲王も凪の世話をしたり、他の奴らの片付けをしたりする事は多々あったため、その面倒さと言うか、片付けても片付けても物が散らばる鬱陶しさは感じていた。
「…じゃあ、世一はお前らに巻き込まれたって事か」
玲王は世一と絵心の間に入った。そして彼から隠す様に世一を自分の背中の後ろに匿う。
「大人の勝手な我儘に利用されて巻き込まれたって事かよ。胸糞悪ぃ。俺の事監視しようとしてた親父達も、金に目が眩んだアンタも、どこまでも最悪で最低じゃねぇか。クソ、腹立つ」
「れ、玲王様、言葉、ちょっと強いです…私は大丈夫ですから」
「世一が大丈夫でも俺がダメだから」
「……まあ、それは俺も悪いと思ってるよ。子供を巻き込むべきではなかった。すまない」
「あ、あの、無理言ってここにこさせてもらったのは私なので、しょうがない、というか」
「だからって子供にやらせる事じゃねぇから。親戚だからっつって易々と許そうとするな」
「わ、私は本当にそこは気にしてないっ、ですからっ!」
「そんで?この敬語の件も両親のせい?お前も一枚噛んでる?」
「こ、この件は絵心さん無関係でっ…!」
「この件に関しては、少なくとも俺の口から話す事ではないよ」
そう言って絵心は玲王の後ろの潔を見る。彼女は目を泳がせ、悩ましげな顔をした後、少し時間をおいて意を決した様な表情で玲王を見た。
「私が敬語を使っているのは、あなたのご両親にそう言われたから」
「…なんで?」
「恋人でも何でもない、ただの友達の私の距離感が危うすぎるからって。玲王様にはいつかつり合う女性が出来て結婚するから、馴れ馴れしいのは控えて欲しいって。要するに」
「邪魔だったんだな、世一が」
あの人達の世界では、彼女は平民どころか、最早自分達の使用人の一人程度の認識で。玲王の結婚相手として、認められるほどの場所にはいなかったのだろう。息子の世界を照らす彼女と、そんな彼女に少なからず惹かれている息子に気付き、おそらく邪魔になったのだ。全ては自分達の願望と支配欲に過ぎない。
「高校生になったら交流を控えて欲しいと言われて、…破ったら叔母さんが辞めさせられちゃうって、えっと」
「脅されたんだろ。言葉なんて選ばなくていいから」
「それで私、怖くなって、玲王のご両親なら本当にやりかねないって思って、玲王に連絡するのも話しかけるのもやめた」
彼女の祖母や叔母にはかなりお世話になっていて、家の秘密なんかも握られているのに。そんな人達をそうそう簡単に手放す訳もないので、おそらくたかが脅しにしか過ぎないし、辞めるにしてもこんな恨みの残りそうな形では彼らが許さないと玲王は分かるが。
彼女には玲王の両親がどんな人かなんて分かるはずもない。大人で、身内の雇用主で、全てにおいて自分より立場の強い人間に強く出れないのも怖気付くのも当然だった。立場を利用して子供を脅す自分の両親の情けなさに玲王も頭を抱える。
「それからは怪我とか、受験とかで忙しかったり、高校生になって環境変わって、慣れようとしてバタバタしてるうちに疎遠になっちゃったのは本当の話。でも、ご両親の指示があったから連絡は全部無視する様にしてた」
申し訳無さそうに眉を下げ、俺の顔色を見ながら話す彼女に玲王は言葉が出ない。彼の両親がしてきた事も、彼がしてきた暴力的な怒りも、どこまでも親子でしかない態度だった。御影が潔と言う少女を抑圧して傷付けていたのだと知って、何を言えばいいのか分からなかった。謝罪しても、今更何を許すと言うのか。両親の言葉も、玲王の態度も潔の心をナイフで突き刺す様なものだったろうに。
「…ごめん」
「……いえ、あの、玲王…さま、は、悪くないから」
「何も知らなかったとしても、それでも世一を傷付けた事実は変わらないから。ごめん。お前は俺の事、許せないかもしれないけど」
彼女に向かって頭を下げて。困り果てる潔に謝罪をして。それでも玲王にだって譲れないものはある。
「俺は、世一と昔みたいでありたい」
「玲王様が謝るべきではなくて、貴方を傷つけたのは私だから、それを望むのも懇願するのも私の方で」
「…それは、世一もそうでありたいって思ってくれてるって事?」
潔は返事をする事も頷く事もせず、ただ玲王を見つめていた。だが何も言わずとも思いは全身に伝わってきて、玲王は優しく目を細める。
「……そっか」
「…ごめんなさい。わたし、家族を守らなきゃって、それで玲王様の事を遠ざけて」
「当たり前だろそんなん。お前は何にも悪くねぇんだから謝んな」
先程までは触れる事を躊躇った玲王の手はゆっくりと彼女の頭に伸び、優しく頭頂部を撫でた。一瞬身体を強張らせるも、特に抵抗せず彼の手を受け入れて、潔も大人しく撫でられている。恥ずかしそうに目を逸らす彼女に玲王は満たされた様な気持ちになった。自分は嫌われていなかったと言う安心感と、解かれた警戒心に安堵する。
「…じゃあ、こっから俺が何とかするから」
「…え?」
「おい、俺のスマホ貸せ。もしくは電話」
絵心にそう言うと、彼は帝襟に指示を出す。その指示通り、彼女は玲王のスマホを手にして来た。帝襟からスマホを受け取り、慣れた手付きで操作して電話を掛ける。それから数コールで電話に出たのは彼の父親だった。
「聞いてただろ。子供相手に大人気ない事をするな」
『………私達は別に脅したつもりはないがね。少し話をしただけだよ』
「よく言うよ。結局自分にその気はなくたって相手がそう捉えたら脅しになる。だからアンタがやった事は脅迫だよ」
玲王が指摘をすると父は鼻で笑った。こちらには沢山の期待と要求をするくせに、自分の意に反した事や指摘は軽くあしらおうとする。そう言うところが腹立たしいと玲王は常々思っていた。
「あの人達の立場上、そう簡単に解雇なんて出来ないのに適当ばっかだな」
『仮定や万が一の話だろ?ビジネスだってそう言う話を用いる事もある』
「これはビジネスじゃねぇだろ。誤魔化すな」
『…………親に対してその言葉遣いはいささか問題だな、玲王』
「じゃあアンタも人の交友関係にケチ付けるのはやめろ。誰と付き合うのか、それは俺が決めるし。結婚相手も指図されるつもりはないから」
電話の奥から『私はあなたのためを思って!』と叫ぶ母の声が聞こえる。それを無視して玲王は言葉を続けた。
「俺の監視もやめろ。アンタらの思い通りにならないからってやっていい訳ねぇんだから」
『…それらを止めさせる条件は?提示しないのか?』
「は?」
『親だから、お前の言う事を何でも聞いてやると思わない方がいい。要望には対価が必要だ。つり合う何かをお前が提示しろ、玲王』
玲王は自身の罪を認めない往生際の悪さに歯を食いしばる。だが感情的なところを見せたら指摘をされて揚げ足を取られてしまうため、静かに深呼吸をし、昂った心を落ち着かせる。
「………わかった。じゃあ条件だ」
玲王は潔の顔を見る。ひどく心配そうに自分を見つめてくる彼女を安心させる様に僅かに口角を上げて、それからまっすぐと言い切った。
「……今回の、U-20代表戦で俺達ブルーロックが勝つ。そして、俺の名前を世間に知らしめる。サッカーでも将来性があって、成功出来るって証明してやる」
『ほう』
「負けたらアンタの言う事聞いてやるよ。世一と縁を切れだとか、決められた結婚相手と結婚して経営を継げとかな」
そう啖呵を切ると父は笑った。それから半ば馬鹿にした様に『素人に毛が生えた様なお前達が現在の日本代表と戦って勝てるとでも思うのか』と言う。その言葉に一連のやり取りを聞いていた絵心も眉間に皺を寄せる。だが、世間の評価はこうなのだ。玲王の父が特別馬鹿にしているのではなく、誰もがそう思っている。
父はひとしきり笑って、息を吐いて。半笑いの声で玲王に返事をした。
『いいだろう。それが出来れば、な』
「…出来ても破るなよ」
『約束は破らないさ。信用に関わる。…まあ、口頭契約じゃあ少し不安だがね』
「………聞いてただろ、絵心さん」
「…まあ、聞いてたけど」
「スピーカーで通話をしているから、この話を聞いている第三者がいる。そいつが証人だ」
『…ふぅん。それじゃあ私は忙しいんでね。彼らによろしく伝えておいてくれ。玲王、出来なかったら、分かっているな?』
「………じゃあ」
父の圧を無視して黙って電話を切る。それから『うるせぇやつ』と小さな声で悪態を吐いた。
「絵心、それ捨てといて」
「ああ、盗聴器」
「カメラも撤去で。特に俺の部屋にあるやつ」
「はいはい」
「勝たなくいけなくなっちまったから」
「……それは、言われなくとも俺はそれを望んでいる」
「お前が監督だろ」
「実際にプレーするのはお前らだ」
スマホを返せと手を伸ばす絵心の掌に雑にスマホを押し付け返す。それから玲王は潔の手を引いて部屋を出た。
「れ、玲王さま」
「敬称いらない。もう誰にも聞かれてないだろ」
「………玲王」
「おう」
「よかったの、あんなこと」
絵心の部屋を出て扉を閉めて、少し歩いたところで彼女はそう言った。玲王は彼女を安心させる様に手を強く握って答える。
「当たり前だろ。俺達が勝つし。それとも、お前も勝てないって思ってる?」
「思ってない。玲王も皆も、死ぬ気で無茶してるとこ、沢山見てるから。勝てるよ、絶対」
彼女の言葉ははっきりとしていた。強く言い切る事に玲王はひどく嬉しそうに笑い、彼女の手をグイと引いて引き寄せた。
「だろ!?」
「わっ!」
「だから世一も全力で俺達をアシストしてくれよ」
「…うん」
そうは言い切れども、どこか不安げな彼女の返事を受けて。手持ち無沙汰な片方の手を持ち上げ、彼女の手を両手で包み込む。
「言ったじゃん、俺」
「玲王?」
「世一に何があっても俺が守るからって」
それは小さな頃、彼女に言った言葉だった。それを聞いた彼女は目を見開いて、ゆっくりと瞬きをして。それから目をキラキラとさせて玲王を見た。表情から溢れる嬉しさが玲王にはこそばゆくて、嬉しかった。
「だから大丈夫」
「……玲王のくせに」
「あ?なんだよ」
「ありがとう」
「おう」
「戻ろう。玲王まだご飯食べてないでしょ。食事ちゃんとしないと、身体壊しちゃうよ」
潔が玲王の手を引いて、それに彼は素直に従う。幼少期に何度も彼女に手を引かれて連れられた事、そして彼女を自分も連れ出した事を思い出して本来の潔が戻って来た事を実感した。
全身から嬉しそうな雰囲気を漂わせる玲王を一瞥して。彼の手を引きながら潔は呟く。
「玲王が傷付くような事言って、玲王に酷い態度取ったの、ごめん」
「…それ言ったら俺だって何度も酷い事言ったし、詰めちゃったし、泣かせたから、ごめん」
「……そうだよ。玲王、迫力凄かったから」
「お前、俺が謝ってんのに」
「玲王は経営者には向かないかもね。感情的になりがちだし、パワハラって言われちゃうよ」
「……かもな」
「だから勝たなくちゃ」
潔の言葉に玲王は短く息を吐く。真っ直ぐと自分を見つめてくる彼女の目を玲王もまた真っ直ぐと見つめ返し、目を細めた。
「もちろん」