「世一おはよ」
翌朝、見かけた彼女に声を掛けてみるけれど。昨夜の距離感は何処へやら、キュッと表情を固くした彼女は会釈をする。
「おはようございます」
「……あ?」
「…失礼いたします」
それから玲王の言葉も待たずにいそいそとどこかへ行ってしまう。あまりの不自然さというか、昨日との乖離に少し言葉を失って。訳が分からないと首を捻ると、横を通り過ぎようとした乙夜と烏がわざわざ声を掛ける。
「相変わらずやな」
「謝れた〜?」
「………いや」
玲王は思った。昨日の事を踏まえると、今までの彼女の冷たくてつれない態度は全部全部、自分のせいではない様な気がした。他に、自分以外に何かのっぴきならないものがあるのではないか。潔の態度が確かに柔らかかったあの瞬間は、確かに存在していたのだから。
考え込んでしまう玲王に二人は顔を見合わせる。そして悩まし気な玲王の肩に乙夜は手を回した。
「まあ、女の子なんて沢山いるから、次があるっしょ」
「フラれてねぇから。嫌われてもねぇし」
「お前は顔も地位も名声もあるし大丈夫大丈夫」
「聞いてる?」
昼食を取ろうと凪を引き摺り、練習場から出る。背中に『疲れたぁ』と呑気にぼやく凪の全体重を感じながら玲王は廊下を歩いた。ブルーロックの期間でみっちりとトレーニングをした結果、筋肉で凪のウエイトが少し重くなっている。嬉しい悲鳴だとは思いつつも自分の負担は計り知れず、押しつぶされそうになりながら担いでいた。
『まあ、別に自分の筋力トレーニングにもなるし』なんて取ってつけた様な言い訳をしながら息を吐く。食堂の入り口が遠くに見えてきたところで、視線の先に三人並んでいた。氷織と七星と、背の高い男子高校生に挟まれながら真ん中を歩くのは潔だった。
「…あ、潔〜」
ぐたりと玲王の背に全幅の信頼を預けていた凪だったが、彼女を見かけて顔を上げる。呼ばれて振り返った彼女は、玲王に運ばれる凪を見て苦笑いを浮かべた。
「自分で歩きなよ」
「じゃあ練習終わりに潔が迎えに来てさぁ、連れてってくれる?」
「引き摺っていいなら全然」
「痛いからやだ〜」
フランクに軽口を叩き合い、クスクスと笑う。玲王は彼女の横で二人のやりとりの様子を伺う二人に声を掛ける。
「お前ら何してんの?」
「もしかして潔にナンパしてる?」
「してへんよ。あんまり女の子に男のノリ押し付けん方がええと思う」
やんわりとした口調で、はっきりと返す氷織。凪は特段反省もしていなさそうな声で『ごめん〜』と謝罪をした。
「重そうやったから手伝ってんねん」
氷織の手元には水の入った大きな容器が一つ。中では水面がタプタプと揺れている。おそらく食堂のウォーターサーバーの替えのタンクだろう。
「俺もお手伝いだっぺ…!」
そんな七星の手には小さな段ボールがいくつか。二人の真ん中で潔は申し訳無さそうに『ごめんね』と詫びる。
「それ運ぶのも私の仕事なのに、持たせちゃった…」
「ええよ、気にせんといて。両手に重い荷物持ってる女の子おったら助けるやろ」
「そうだべ!でも俺も氷織さんに一番重い物持たせてしまってて、すっげぇ申し訳ねぇ…!」
「僕が先にこれ持ったからね、ほんま大丈夫やさかい」
そう言って三人でクスクスと笑った。繰り広げられる優しい世界に玲王は少しだけムッとする。そんな彼の様子に目ざとく気付く凪は玲王の肩を叩いて言った。
「おりる」
「あ?食堂まだだぞ」
「いい。それより玲王、荷物運び手伝ってあげたらいいじゃん」
「え?」
「へ?」
一同は目を丸くして、そしてすぐに氷織だけは目を細める。それから彼は凪をじっと見た。凪と暫し見つめ合い、はぁと溜息を吐く。それから重たい容器を玲王に手渡した。
「これ、貸1やから。折角僕ら楽しく話してたのになぁ」
「……………アリガトウゴザイマス」
「七星くんもその荷物貸し?玲王くんが全部持ってくれる言うてるわ」
『貸し?』と伺いを立てつつも七星の言葉は聞かず、強引に荷物を奪い取り、玲王の片手に上手く乗せる。それから『ええ〜!急に何でだっぺ〜?』と混乱する七星を『いいからいいから』と適当にいなし、凪と氷織は彼を連れて行ってしまった。
廊下に残された二人は騒々しさに立ち尽くし。それから潔が荷物を貰おうと手を伸ばす。
「す、すみません…あの、持ちますから」
「…いいよ。別にそこだし」
「いや、あの、そんな、玲王様にお持ちいただくわけには…私の仕事ですから」
「俺がいいって言ってんだからいい」
荷物を取ろうとする彼女に背中を向けて躱し、そそくさと歩いて行ってしまう。先へ歩く彼を見て焦った潔は小さく名前を呼んだ。
「ちょ、れ、れお…!」
「…名前」
「…!ご、ごめんなさ」
「俺そっちの方が嬉しいけど」
玲王はそう言っとフッと笑った。彼の手から荷物を奪えずに隣を伺う様に歩く潔に玲王はマイペースに話し掛ける。
「連絡なかった三年間、何かあったのか?」
「…ごめんなさい、受験とかで、立て込んでいて」
「本当にそれだけかよ」
「…はい」
「態度が変わった理由は?五歳から…大体十年とか?ずっと砕けた感じだったのに三年でそんなに変わるか?」
潔は黙ってしまう。答える気がないのだろうか。それとも答えられないのか。彼女の他人行儀な態度一つでは背景まで計り知れない。
「…本当に、この態度の理由が俺であれば謝るからさ。せめて謝罪の機会をくれねぇ?」
「ち、違うんです。本当に、玲王様は何も悪くなくて…!」
「じゃあ何でそんな態度なんだ?」
聞けども言葉を返してはくれなかった。一向に進展しそうにない状況に少しイラつきを覚えるも、潔に当たったところで別段改善されるわけでもないため、ぐっと我慢する。
「どうしたら今までみたいに普通に話してくれる?」
「…そもそも、その距離感がいけません。私たち、だって、雇用主と労働者の関係だから」
「…っ、お前のことメイドとか言ったけどさ、実際世一は御影が雇ったメイドじゃなくて、その家族ってだけだから」
「それでも身内が雇用関係にある以上、身分の上下は無くならないです」
「この日本に所得の差はあれど身分制度なんかないだろ」
「………それでも、ダメなんです。……上の立場にいるあなたには、私の気持ちなんかきっと分かり得ない」
そのどこか差別的な、区別的な言い方に玲王も頭に来る。先程まで努めて穏やかでいようとした態度から一転、機嫌が悪そうに顔を顰める。
「じゃあなんだよ、白宝にだって金持ちじゃない奴らは割といて、普通に同じクラスで勉強してんのに?でも、ソイツらが俺とタメで話してんのがいけないって事?御影コーポレーションの社員の息子とかいるけど、ソイツは特に俺に頭下げてなきゃいけねぇと?ソイツらが弁えない身の程知らずのクソ野郎とでも言いてぇのかよ」
「そ、そう言うわけじゃありません!」
「じゃあお前の言ってる事おかしいじゃねぇか。お前の言った事は、白宝にいる普通の家庭の奴らを否定してはじめて成り立つんだわ」
玲王の言葉に反論が出来ず、潔は黙った。唇をギュッと噛んで、肩を振るわせながら涙を堪える様子に玲王も熱くなりすぎたかと冷静になる。しかし彼女は鼻を一度啜った後、彼の手元から段ボール箱と水の容器をひったくって行った。
「は!?」
「もう結構です」
ずっしりと感じる荷物の重みに歩みが遅くなる。重たい物を引き摺りながら、なるべく早くその場を立ち去ろうとするが、勿論、玲王に捕まった。
「逃げんな」
「離してください。仕事しなきゃいけないので」
「話は終わってない!」
「する話なんて何もありません!」
「おい世一!」
「御影のあなたに、私達の気持ちなんて何にも分からないくせに!気安く世一なんて呼ばないで!」
強い拒絶に玲王の頭は真っ白になる。それからすぐにカッと熱くなって血が上った。
「あー!もうほんと意味分かんねぇよ!お前何なんだよ!何で俺を拒絶すんだよ!何かやったなら謝りたいのに、何でそこまでして距離取られなきゃいけねぇんだよ!謝罪の機会もくれないのはどうしてだよ!」
「もう良いから!放っておいて!」
「〜っ!まだ話は終わってねぇだろうが!」
一方的に終わらせて立ち去ろうとする彼女の手首を掴む。その衝撃で、掴んだ手で持っていた小さな段ボールが床に落ちた。角がグシャリと潰れて、少し不恰好な形に変化する。
握る手の力は強い。玲王は冷静になんてなれず、感情のままに怒号を浴びせる。
「お前だって俺が今までどんな思いで御影として生きてきたのか知らねぇくせに!自分の事棚に上げて、俺の事何も分からないやつ呼ばわりなんて随分とナメた事言うじゃねぇかよ!大体」
顔を上げた玲王は激情の言葉を止める。目の前の潔はハラハラと静かに涙を流していた。潤んだ大きな瞳から、とめどなく溢れている。怯えた様な、悲しそうな顔をして彼を見つめる潔は小さな唇を動かす。
「い、いたい…やめて、ください…」
その声でハッと気づいて彼女の手首から急いで自分の手を離そうと思ったけれど。彼女の後ろから猛スピードで駆け寄ってきた凪に羽交締めにされ、無理矢理引き剥がされた。氷織は潔の前に立ち、玲王から守るようにする。
「な、何してんの玲王!?相手女の子だよ!?」
「ほんま、もう!ありえへん!凪くんがいらん気効かせるからこうなんねん!玲王くん何もかもあかんわ!怒鳴り合いじゃ現状の解決なんか出来るわけないで?」
「…〜っ!世一、あの、お、おれは」
自分のしでかした事に冷静になって気付いて、顔を青くした玲王は。謝罪と情けない言い訳を連ねるために彼女に声を掛けたが。それすらも許されず、放送が掛かる。
『おい御影玲王、ちょっと俺んトコ来い』
いつも通りの淡白な声だ。だが、理由も何も説明もなく、ただのそれだけ。いつもよりも言葉が少し荒く、格段に説明不足な事から絵心も非常にイラついている事を全員が何となく察した。
「御影くん、ちょっと」
その放送から数秒後、パタパタと小走りの帝襟は困った顔をして声を掛けてきた。彼女に連れられながら、一度後ろを振り返ると、顔を覆って泣いている彼女がいる。だがそんな彼女に寄り添う資格は、今の玲王には一切ない。
連れられ、普段は立ち入らない管理ルームへと足を踏み入れた。大きなモニターには選手データやリアルタイムカメラの映像など沢山の情報が並んでおり、四六時中監視している様だった。そのモニター側を向く、大きなチェアがくるりと回転し、だらしなく座る絵心が開口一番に玲王に怒る。
「お前…だからあれほど気を付けろと。距離感を誤るなと!忠告したはずだ!」
「…別に、俺としては誤った距離感でいたつもりはない」
「泣かれたのにか」
絵心の追及に玲王は息を飲んで。それから反論出来ずに黙った。
「アイツにもアイツの事情がある事を汲み取ってやるべきだろう。大人になれ、御影玲王。…俺はこんな事を諭すためにお前を呼んだわけじゃない。サッカー以外の事で手を煩わせるな」
「………アイツの、事情って言ったって…三年で態度が変わる事情って何だよ…俺への態度が変わる理由で俺が関わってない事なんかないだろ。だから何かしてしまったのなら謝罪がしたいって言ってるだけだろ!俺なんか間違ってんのかよ!?」
「少なくとも今やる事ではない」
「今やんなきゃまた連絡取れなくなるかもだろ!?今まで三年もやり取りしてねぇんだぞ!」
「…随分と余裕だが、お前は今、公私混同をしてどうにか出来る状況なのか?御影玲王」
絵心に言われた事に反論が出来なくて。悔しい様な、納得する様な何とも言えない感情のまま、玲王は黙った。
静かな玲王を見て絵心はこれ見よがしに溜息を吐く。それから眼鏡のブリッジを押し上げ、足を組み直した。
「アイツにも事情はあるし、お前の預かり知らぬところで話が進んでいる事もある」
「…は?」
「お前は一度冷静にアイツを見るべきだ」
「…アンタなんか知ってんのか?」
「他人の口から真実を聞いてお前らの問題が解決するのか?」
言い負かされて黙る玲王を手で払う素振りを見せた。『もう行け』とぶっきらぼうに短く言い、絵心は玲王に背を向け、モニターと向かい合う。声を掛けたところで返答は無さそうで、それを察して早々に諦めた玲王は部屋を出た。
だが、ただ一つ得られた確信がある。それはやはり彼女には何かが関わっていると言う事。潔の態度は彼女の意志ではない可能性がある。勿論、ブルーロックで生き残る事は最優先だが、同時に彼女の真意や事情を知らなければ。監獄へと戻る道で玲王は拳を握った。