散らぬ花火

「カクちゃんいた!」
ちょんと袖が引っ張られる感覚がした。鶴蝶が振り返ると武道はにへらと大きな口を開けて笑っている。
「探したんだ〜」
「俺を?」
「そうだけど」
「マイキーとかイザナじゃなくて?」
「探さなくても目立つじゃん」
彼はどうしてだか懐疑的で、でも嬉しそうに笑った。どこか自分に自信がないというか、何だか自我すら薄い様なそんな鶴蝶を武道は小突く。
「自分に用は無いって若干決めつけ入ってんの何なのー?私だってカクちゃんに用事あるもんちゃんと。用事無くても話し掛けるよ?小学生からの仲じゃん」
「小学生までの仲な」
「え、悲しい事言わないでよ。ひど」
「嘘。小学生から少し間を空けて中学生までの仲」
「ちょっと伸びたね」
そう言って彼女ははにかんだ。そして軽く辺りを見渡して、コクリと首を傾げる。
「そう言えばカクちゃんはどうして皆から離れた所いるの?もしかして具合悪い?」
「いや…神社懐かしいなと思って、見てた」
「あ、懐かしいよね。一年生の時一緒にお祭り行ったの覚えてる?」
「覚えてる!スーパーボールスゲェすくった!」
「ね!カクちゃん大きいのいっぱい取ってなかった?」
「タケミチこそ赤色のとキラキラのやつばっか取ってただろ」
彼がまだ渋谷に住んでいた時、一度だけ二人で近所のお祭りへ遊びに行った。その場所がこのいつもの神社だった。その時はまだ七歳で二人きりで夜道を歩かせるのはとてもじゃないが出来ず、鶴蝶の父が引率として二人について歩いていたのだ。懐かしいなぁと目を細める鶴蝶。今は亡き父の姿を思い返して切なくなった。
武道はそんな彼の手を握る。目を伏せた彼を励ます様に、寄り添う様に、そっと鶴蝶の大きな手に触れていた。顔を上げた彼女は『あのね』とワンクッション置いて言葉を続ける。
「私、カクちゃんにお願いがあるんだけど」
「ん?何?」
「……私と一緒に花火大会行ってほしいんだ」
誰にも聞こえない様にこっそりと耳打ちした。けれど鶴蝶の耳元にはしっかりと届いたその言葉に、彼も目を見開く。
「え」
「横浜の、花火大会。あるんでしょ?行ってみたい。一緒に行かない?連れてって?」
「おれ?」
「俺だよ。俺に言ってんの!」
「イザナじゃなくて?」
「俺!何でイザナくんに言うの?」
「マジか」
鶴蝶は信じられないと言った表情を見せる。動揺が隠しきれず、キョロキョロと忙しなく目を動かし続けていた。その様子を見た武道は呆れた様に息を吐く。
「何なんだよー、その反応」
「いや、俺なんだと思って」
「なんで?だめ?」
「いや、花火大会なんてマイキーとか、あと松野とかと行くと思ってた」
「それはそれでまた行くよ?お祭り。でもお祭りって行くのに回数制限ないじゃん。誰と何回行ってもいいじゃん。だから私、カクちゃんと行きたいんだよ」
「え、ああ…ありがとう…?」
「それで、行くの?行かないの?」
武道の質問に返す答えは一つだ。鶴蝶は追求する武道に急いで言葉を返す。首が取れんばかりにコクコクと頷けば、彼女は『やった!』と破顔した。
「そっか、じゃあ、約束ね!詳しい事はまたメールするからね!」
「おう」
「あとね、私、その時浴衣着て来るから!」
「…ゆ、かた…」
「それだけ!」
そう言葉を続けて歯を見せて笑った武道は、すぐに鶴蝶へ背中を見せる。そして呆然としている鶴蝶が我に帰って口を開くよりも先に、彼女は集団の中へと消えていってしまったのである。もう既に見えなくなっていて、何だか全てが夢の様な気がして仕方がなかった。ふわふわとした気持ちのまま、鶴蝶はただ一人、何とも言えない気持ちを抱いてその場に取り残されたのだけど。
それは幸にも夢ではなかった。詳細のメールが届いた時、花火大会の前日になった時、その実感がジワジワと現れて身体が熱くなっていく。踊り出しそうなくらい舞い上がった気分で、鶴蝶は当日を迎えた。
花火大会に訪れた客でごった返す駅で彼女を待つ。浴衣を着て来ると宣言された以上、自分も何かそれに合わせて来ようかとも一度思ったが、やめた。周りの人間に着付けが出来る人間なぞ、誰もいなかった。
「…カクちゃん!」
騒がしさの中で、可愛らしい声が聞こえた。俯いて携帯を弄っていた鶴蝶はそれに気付いて顔を上げる。そこにいたのはいつもとは違って、浴衣姿で華やぐ武道だった。
黄色と黄緑色の花が散る、爽やかな浴衣に深緑の帯を合わせている。髪は緩いお団子スタイルで纏められ、浴衣に近い色をした花の髪飾りで飾り立てられていた。年齢の割にかなり大人っぽい風貌である。友人達と馬鹿をやってはしゃぐ姿は何処へやら、落ち着いた艶やかさが醸し出されていた。
「おっす!」
「…おう」
「まだ集合十分前だけどいつ来たのカクちゃん?もしかして待った?」
「いや、今来たところ」
「それ気、使った?」
「いや、マジ」
本当に数分前に着いていたため、気を使ったわけではない。武道は『そっかぁ』と笑って髪を整える素振りをした。
「じゃーん!見て!浴衣だよ!」
「………おう」
「……なんかないの?」
「えっ、あっ……えっと、…いい、と思う」
「…いっか」
浴衣の少女を目の前に鶴蝶は挙動不審である。キョロキョロと目が泳ぎ、爪を立てて首をかく。武道はそれをチラリと横目で見てから、人混みに目線を移す。
「人すげぇいんね〜」
「そうだな」
「屋台いっぱい出てるね」
「ああ」
「カクちゃんご飯済ませてきた?」
「いや」
「じゃあここで買って食べよ!」
「…良いけど…場所あるか?」
あるはずもない。道は人でごった返し、広場も人でひしめき合って空いてる席も場所も無い。買ったところで食べる場所などなく、武道は首を傾げた。
「うわぁ…どうしよ…」
「買って俺ん家で食う?エアコンついてて外より涼しいし」
鶴蝶の一言に武道は目を見開いた。先程から自分の隣で自分の姿を見て、挙動不審になっている男が急にそんな事を言い出したのだ。唐突な急カーブに武道も驚きを隠せない。
「…浴衣には挙動不審なくせに女の子は連れこめんの…?家に…?」
「あっ!違っ!」
「やるねぇ、カクちゃん」
「違っ!違ぇっ!ちょ、そんな、下心とかっ!な、っタケミチ!」
「………んっふふ。挙取ってるカクちゃん面白…だいじょぶ!ちょっとびっくりしたけど、冷静になればカクちゃんそんな事しないって分かるし」
「…揶揄うなよ」
揶揄われて慌てて、バッと体温が上がってから少し落ち着いたと同時に、緊張も解けたのかいつも通りの彼が戻って来た。ムッと唇を尖らせ、ガタイに合わぬあどけない表情をする。それ見て武道はケラケラと笑い、人混みの中へと一歩踏み出した。
「…じゃあご飯は買ってカクちゃん家で食べよっか。決まりね」
「おう。…誓って何もしねぇから。なんかしたら俺の事殴ってでも止めて逃げてくれ。躊躇うなよ。タマ潰す気で来い」
「なーに言ってんだか。ほらほら、行くよ。ご飯買って、花火見えるとこ行こ。ね?」
彼女はカランコロンと下駄を鳴らし、ズンズンと歩いていく。人混みに紛れて消えようとしているその後ろ姿を鶴蝶は慌てて追い掛けた。
駅から少し離れるともうそこには出店があって、そして人でひしめいていた。人の流れなんてものはもうバラバラで、色々な方向へ人が歩いてはその度にぶつかって流れが滞っている。あまりスムーズには前に進めなかった。
「すげー人」
「な。やばい」
「花火見れるかな、ここで」
「まあ、最悪俺の家からでも見れるし、無理そうだったら飯買って俺ん家行こうぜ」
「おー!」
「そう言やタケミチ下駄履き慣れてんのか?靴擦れとかねぇ?」
「ん?あー、実はこの日のために慣らしといたんだよね。だから靴擦れの心配は無し!だと思う!…ごめんねなんか、靴擦れした女の子をおぶるみたいな少女漫画展開用意出来そうになくて」
「せんでいい」
確かに浴衣で来た彼女が靴擦れでも起こしたら、おんぶでもすれば良いなんて、どこかで見た少女漫画を思い出して少しドキドキしていたけれど。何だか指摘されたみたいで恥ずかしい。鶴蝶がじっとりと睨むと彼女は悪戯をする子供の様なあどけない顔をした。それに呆れた様な声音で言葉を返せば、武道は歯を見せて笑う。
「カクちゃん何食べたい?」
「あー、…なんかガッツリしたもの」
「何だよそれ〜。あ、あっちに唐揚げとフライドポテトのお店あるよ?どっちも一緒に売ってるっぽい!」
「…あっ、バカ!タケミチ!」
あちらこちらへ興味を向けていた武道だが、魅力的な文字を見つけて指をさす。そして人の間を縫って先へ行こうとした。そんな彼女の後を急いで追い掛け、細い手を掴んだ。
「…!」
「先先行くなよ!はぐれたら集合できねーぞ!」
「………うん」
「俺だって別に特別背が高い訳じゃないし、こんだけ人いたら埋もれちまう…って何?どうした?」
「…んーん。何でもない。ごめんね」
少しの間を空けて武道は首を振る。数秒目を泳がせ、それから小さな力でキュッと鶴蝶の手を握った。
「行こ!」
「えっタケミチ」
「早く!早く買って花火見よ!」
そのまま緩い力で手を引き、彼を誘う。鶴蝶は困惑した。今は成り行きで手を握ってしまったけれど、同世代の少女の手に軽々しく触れて良いのか迷った。指摘しようかとも思った。その上、彼女の握る力は弱く、振り払おうと思えば言うまでもなく簡単に出来たのだ。だがそれを知って尚、鶴蝶は武道の手を握り続けた。それは彼自身にも彼女の手に触れていたい、確かな理由があったからである。
武道は鶴蝶の手を引いたまま、目当ての出店の前に行く。店先に書いてある値段と、並んだプラパックを見て『どうしようか』と耳打ちした。
「…沢山買っても一応俺が食えるし。残ったら冷蔵庫入れときゃいいし」
「じゃあ欲しいものいっぱい買う?」
「…まあ、ほどほどにな」
『いっぱい食べようね』なんて呑気に笑って、彼の手を引いた武道は店主の男に注文をする。商品の入った袋を受け取って歩き出そうとする彼女の手から鶴蝶は袋をひったくり、手に下げた。
「俺が持つよ」
「…カクちゃんもそんな事出来るようになったんだねぇ。昔は私と一緒になって喧嘩してやんちゃしてたのに」
「喧嘩は今もしてるけどな」
「女の子への気遣いを覚えるなんて素晴らしい事ですよ?」
「…バカ、茶化すな」
彼女の頭頂部にトンと軽く手刀を入れる。痛くもないのに『痛い痛い』と訴えるけれど、鶴蝶は『嘘つき』と言ってニヤリと笑みを返した。そんな彼に武道はまた楽しそうに笑って横に並ぶ。
「次何買う?焼きそば?焼き鳥?あっ、ねえ、ケバブとかあるんだけど!見てあれ!すご!肉塊!」
「肉塊…」
言い方に引っ掛かって思わず復唱する。自分の言った事など一切気にしない武道は『どこに行こうか』、『何を買おうか』と落ち着きのない様子だ。
そんな彼女の手を鶴蝶は自分の手でトンと触れる。ハッとした顔をして彼の方に顔を向ければ、鶴蝶は眉を下げ、仕方無さそうに笑っていた。
「こんな調子じゃまた迷子になるだろうし、手でも繋いどくか?」
パチパチと瞬きをする武道。反応を見て一瞬で『やってしまった』と自分を悔いた鶴蝶は発言を撤回しようと慌てた。だがその言葉も彼女によって必要が無くなった。鶴蝶の手にスルリと自身の手を絡ませ、ギュッと握る。
「私が迷子になるんじゃなくて、カクちゃんが見失うからいけないんだよ」
髪の隙間から覗いた耳はポッと真っ赤になっていた。武道の突然の行動にひどく驚いた鶴蝶だったが、繋いだ手を離す事はなかった。
焼きそばだったり、フランクフルトだったり、きゅうりの一本漬けだったり、食べたい物を何も考えず買っていたら凄い支出になって二人で驚いた。手に下げられたビニール袋の量に顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。その頃にはもう荷物がいっぱいで手も繋げなくなって離していたけれど、お互いの手の感覚、握る力はしっかり覚えていた。忘れる訳もなかった。
屋台の近くは人でごった返しており、とてもではないがゆっくりと花火を見れる状態ではなかった。どうしようかとお互いに顔を見合わせて、鶴蝶がおずおずと口を開く。
「……しゃーねーから家行く?」
「混んでるしなぁ。家からでも花火見れる?」
「見れるよ。…ちょっと小さいかもだけど」
「良いよ良いよ。ご飯も持ったままだし、帰ってご飯食べながら見る?」
『そうだなぁ』と唸る鶴蝶。だが明確な答えを言う前にもう二人は踵を返していた。人混みから抜けて徐ろに駅の方へと歩き出そうとすると、アナウンスが聞こえてくる。ウグイス嬢の様な声の女が、もう後五分ほどで花火が始まると案内をした。
「…五分で帰れる?」
「すまん、無理」
「じゃあちょっと空いてるとこ探して何となく歩いてこー」
「…なんか悪い」
「何が?」
少しだけシュンとした鶴蝶の後頭部を武道はポンと叩く。突然叩かれて目を丸くする鶴蝶だったが、意気揚々と前を歩く彼女を見ているとなんだか癒されてしまって不甲斐無い様な、恥ずかしい様な、そんな気持ちを吹き飛んだ。
中心地から離れると人が減って歩き易くなってくる。花火が始まる前に帰宅しようとする人は少ないからだろう。二人で横になって歩いても不自由ない快適さだった。
「特に場所探さなくてもここら辺で端っこ寄ってれば花火見れそうだね」
「確かにな」
「そこでいっか」
そう言って二人は立ち止まった。駅へと続く道の端に寄り、手摺りに手を置きながら夜空を見上げる。都会の眩い灯りで星はあまり見えなかったが、雲一つない綺麗な空であったし、祭りの明かりもよく見える。周囲には他にもそうしてその場で立ち止まって空を見上げる人や通行がてら花火を待ち望む人が沢山いた。
「横浜ってなんか歩いてるだけで楽しいね。中華街は前イザナくん達とも一緒に行ったけど、また次は明るい内にみなとみらいとか回りたい!」
「マジ何もねーけど。山下公園とかただの広場だし。あーでも、赤レンガ、クリスマスの時期になるとクリスマスマーケットとかスケートリンクとかやってるぜ?」
「えっ、良いじゃん。スケートしたい」
『次はクリスマスかなぁ』と彼女は笑った。それから暫し黙って迷った様に視線を泳がせてから『あの』と彼に声を掛ける。
「あのね、マジ、今更かもしんないけど、…カクちゃんて彼女とかいた?いたらごめんね。多分花火大会とか彼女いたら普通は彼女と行くもんだし」
「あ?いねーけど。逆に聞くけどこんな坊主のヤンキーが女にモテると思うか?顔に傷がある奴に女が寄り付くかよ。いねぇわそんなもん。心配しなくても…今日、タケミチと来れてすげぇ嬉しいよ」
「あっ、うん…」
そしてまた彼女は考える様な表情を見せる。それから数分の静寂が二人の間を流れて意を決したのか、武道が微かに口を開いたその時。ドンと大きな音がした。
夜空を駆け上がる一本の光の線は一瞬スッと消える。そして直後にパンと激しい音を立てて暗闇に鮮やかな華を咲かせた。
「花火…!」
「始まったな」
オレンジ、赤、緑、青。カラフルな花火が打ち上がっては、大輪を咲かせた途端、一瞬で消えてしまう。それは絶え間なく続き、空を彩っていた。火花が弾けると黒い空がチカチカと明るく点滅する。
「すごっ…!」
武道がポツリと言葉を溢す。しかしそんな彼女の言葉を掻き消すほど、周囲も盛り上がっていて女性の感嘆の声や立ち止まって空を見上げる通行人の感心した声が続々と上がった。
武道は今どんな顔をして空を見ているのだろう。ふとそう思った鶴蝶は花火から視線を逸らし、彼女を見る。そして『あっ』と声を溢した。
彼女の大きな瞳に花火が映っている。夜闇のせいで普段よりも暗い青の瞳にパッとカラフルな光が映り込んだ。それが何よりも美しくて鶴蝶は思わず声を上げた。彼女の瞳を通して花火がパラパラと散っていく様まで静かに見ていると、視線を察した武道が彼の方へ首を向ける。そうするとお互いに嫌でも視線がぶつかって、見つめ合う形になった。一瞬目を見開いて、それからじっとりと鶴蝶を睨んだ彼女は『なんだよ』と首を傾げる。見惚れていたなんて言えるはずもなく、煮え切らない返事をすれば武道は息を吐いた。
一歩だけ鶴蝶との距離を詰める。少し思いあぐねた様な表情の顔を上げ、すぐにキュッと眉を上げる。それから彼に唇を寄せ、鶴蝶にしか聞こえない様に囁いた。
「思わせぶりだね、大概」
「…なんだって?」
「手を繋いだり、優しい言葉を掛けたり、思わせぶりだねって言ってる」
パチンと瞬きをして彼女を凝視する。武道はそっと目を逸らし、下を通る道路へと視線を注いだ。
「勘違いされちゃうよ」
「…それじゃあ、お前だって手を繋いだし、彼氏でもない男と出掛けるのに浴衣なんか着て可愛くオシャレしてくるし、勘違いされるぞ」
「……浴衣を着てきただけで勘違いされるって言うのはかなり心外だけども」
形が崩れてほつれた髪を耳に掛ける。道路を通る車を延々と追っていた瞳は再び鶴蝶に向けられた。
「勘違い出来るんならしてよ。思わせぶりに振る舞ってる意味がなくなっちゃうじゃん」
「…………は?」
彼女の青い目はジッと鶴蝶を見つめている。大きな瞳は細められた。口角は僅かに上げられる。ほつれた髪が吹いた風にバッと煽られて靡いた。
バクンと心臓が鳴った。頭の中がまるでサイレンの様に五月蝿い心音で満たされていく。軽く眩暈がして、思わずよろけそうになった。喉が急激に渇いて仕方がない。そのせいで上手く言葉が絞り出せなかった。
「浴衣着て男媚びだとか、広い意味で取ればそう言うのはちょっとお門違いなんだけど。でも私、心外とか言ったりしたけれど、まあ、本来の思惑で言えばそれって間違ってないし。私はね、カクちゃん。カクちゃんのために浴衣を着たんだよ」
「〜っ!」
「君に可愛いと言って欲しくて、浴衣を着た。君に気付いて欲しいと思って手を繋いだ。構って欲しくて揶揄った。私がこんな事してる理由、カクちゃんには分かる?」
少し食い気味で『分からない訳ないだろ』と言葉を返した。自分の手をギュッと握り締め、耐える。鶴蝶の心はもう簡単に転げ落ちてしまいそうだった。
「そんな事言われたら俺だって自惚れちまうだろ…!」
「だから、自惚れろって言ってんじゃん!勘違いしろって言ってるよ!聞こえなかったの!?」
「き、聞こえたけど…!」
信じたいけれど、どこか信じ切れなくて。狼狽える鶴蝶を武道は睨む。モダモダと焦ったい言葉にほんの僅かな焦燥を感じて武道は鶴蝶の腕を引いて耳元で囁いた。
「私はアンタの言葉で聞きたい。我儘だけど、告白されるのが憧れだったりするから」
「ちょっ」
「アンタの気持ちなんか私には分かんないけど、手を握り返してくれたって事は私だって勘違いしても良いって事でしょ!だから賭けたいの!アンタがその言葉をくれるパーセンテージに!欲しい言葉をくれるって期待してんの!」
「………あー、もう」
「…だから早く、勘違いして自惚れろよ!」
花火の音が断続的に鳴っている。先程まで風流さを感じていた音が急に煩わしい雑音に聞こえて仕方がなかった。口を開いて伝えたはずの言葉はちゃんと彼女に届いているのか。そう思って周りに聞こえない様、囁くために耳に近付けた口を離した。そこで見た彼女は真っ赤な顔をして本当に嬉しそうに笑っていたから、多分上手くいったのだろう。
花火なんか目ではなかった。何ならもう帰りたい気持ちすらあった。だが隣で笑う彼女が幸せそうにしていたから、何だって良くなった。打ち上がっては消える花火を背に、彼女は言う。
「もう帰ろう。私は花火よりカクちゃんといっぱい話がしたい。やましい事なんかなしで、ご飯食べながらゆっくりしよう。二人きり、絶好の機会だから」
そんな愛らしい申し出を無視する程、無欲でも人でなしでもない。二人きりと言う言葉にぐらりと眩んで、遂にはその場からも離れて駅へ向かった。目指すのは自分の部屋。トレーニング器具が置けるくらいの自室で、二人でいるには少し狭いかもしれない場所で、彼女と一緒にいたい。何よりもそう思った。
パッと彼女の手を取り、鶴蝶は前を歩く。その背中に、武道はポツリと言葉を掛けた。
「やましい事なんか、まだ無しだからね!」
「…っはは、分かってる!」

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