彼女面

イザナにポンと背中を押され、一向の前へ飛び出す他なくなった。武道は一瞬、困惑で目を泳がせるもすぐに眼前の女性達に眉を上げる。
「かっ、彼は、私の彼なのでっ!」
ギュッと鶴蝶の太い腕に自分の腕を絡め、抱き着く。だがしかし慣れない事をしているせいか、照れ臭さに耐えきれずに思わず女性達から視線を逸らす。こんなの恥だよ、そう呟かずともピクピクと痙攣する口の端と赤らむ頬は正直であった。
別に彼氏ではないけれど彼氏だと思い込んで自分勝手に振る舞う勘違い女。武道が鶴蝶に取る態度はまさにそれだが、本来彼女はその様な性格ではない。武道がこんな事をするのには、ちゃんと理由がある。
唐突にイザナに呼び出され、仏頂面の男に開口一番言われた。値踏みする様な鋭い目はじっとりと武道を睨んでいる。
「鶴蝶に馴れ馴れしいぞテメェ」
「おお呼び出してまで言う内容すか?」
「ア?」
「え、すいません
どうしてだか凄まれ、反射的に謝罪を口にする。そして何故謝ったのかと首を傾げる武道にイザナは舌打ちをする。
「俺はテメェと鶴蝶が馴れ合ってんのが気に食わねぇ」
「あは、弟を取られてジェラシーを感じてる複雑な兄心っすね」
「は?殺すぞ」
「ごめんなさい
関東事変やら色々な事が終わって、イザナとも大分打ち解けたと思ったがそうでもないらしい。軽口はどうしても許してくれない。
「だから鶴蝶に嫌われろ」
……ん?嫌われえ、何で?」
「そうすりゃテメェが俺や鶴蝶の前に現れる事も無くなるだろ?」
「あれ?私存外嫌われてる?」
その言葉には何も答えず、イザナは腕を組む。キッと彼女を一瞥し、鼻を鳴らす。
「男だろうが女だろうが、しつこい奴は嫌だろ?」
「男の人だと多少しつこくても嬉しいとかないんすか?構われない方が逆に嫌とか」
「それは別に男女どちらかに限定した話じゃねぇだろ。少なくとも鶴蝶はそう言うのを好まない。ハッ、テメェそんなのも知らねぇのか」
「すんませーん、私、カクちゃんとは六年くらいブランクがあるので」
イザナのマウントを軽く流す。彼は武道の言葉を更に流して、続けた。
「だからしつこくして嫌われろ」
「えー、嫌なんですけど〜。カクちゃんは私にとって大切なお友達の一人ですし」
「うるせぇ、つべこべ言うな。しつこい女で一番ウザいのは彼女面してくる女だ」
「問答無用じゃんそれは経験談すか?」
「だったら何だ」
「え、冷たっ超ドライ
面倒臭そうに溜息を吐き、再び舌打ちをする。ダルそうに眉を顰めたイザナは口を開いた。
「テメェは黙ってウゼェ彼女面して嫌われれば良いんだよ。分かったか?」
「分かったかってそんな、大切な友達に嫌われろなんて簡単に頷ける訳
「あ?文句あんのか?」
「な、ない
こうして武道はイザナの圧によって半ば強引に同意させられたのだった。鶴蝶の太い腕にしがみ付きながらぼんやりと考える。今までも今回の様に腕を組んでみたり、無駄に匂わせをしてみたりと色々やってきた訳で、そろそろ鬱陶しく感じるであろう頃なのだろう。
鶴蝶は優しい男で、武道に対しての不満や不快感を素直に表す事はない。しかしそれでも彼女でもないのに素知らぬ顔で彼女ムーブをしている事に対して、大なり小なりストレスを感じている事には間違いないと武道は感じている。完全に嫌われるのも時間の問題と言うか、もう既に嫌われているのかもしれないなと武道は遠い目をした。鶴蝶に聞かれない程の小さな溜息を吐いていると頭の上から困った様な声が聞こえた。
「あの、タケミチ」
顔を上げれば鶴蝶が眉を下げていた。そう言えば自分は彼の腕にしがみ付き、人知れずうんうんと悩みながらその腕に頬を寄せてしまっていた。頬に伝わる筋肉の逞しさにハッとして勢い良く離れる。
「ごっ、ごごごごめんなさいっ!」
「あー、いや、俺は別に良い、んだけど」
言葉を詰まらせる鶴蝶を見て武道は顔を青くする。幾らイザナに嫌われろと言われようとも流石に限度はある。顔や体を腕に寄せるなんてあまりにもはしたない。
「おい」
後ろでずっと控えていたイザナが武道に耳打ちした。先程彼女を女性達の前へ突き飛ばしたのは彼だった。
「黙ってくっ付いてろテメェは。怖気付いてんじゃねぇ」
「なっ!突然突き飛ばして来たのに無責任だっ!」
「タケミチ?イザナ?」
鶴蝶は心配そうな声で呼び掛けた。その声に振り返り、武道は一瞬目を泳がせた後、軽く頭を下げる。
「ごめんね、本当、流石に距離感ヤバいよねっ」
いや、まあ、距離感はヤバい、かもな」
「うわ、やっぱし」
……タケミチは、誰にでもそう言う距離感?」
彼の質問に武道は顔を上げた。それはどう言う意図での質問なのか分からずに、彼女はとりあえず急いで首を振る。
「まっ、まさか!」
「ああ、じゃあ俺だけなのか」
これは墓穴を掘ったか。武道の視界は黒くなった。イザナ的には大正解だが、武道的には最悪な選択をしてしまったのではないか。折角再会した幼年時代の友人とも、この様なしょうもない形で別れてしまうのかと言葉も出ない。
鶴蝶は突然、武道の柔らかな手にスルリと手を寄せる。そしてキュッと割れ物に触れる様な優しい力で武道の手を握って見せた。目を丸くして鶴蝶の顔を凝視する武道に彼は目を細める。
「何だか俺が、お前の彼氏みたいだな」
へ?」
鶴蝶はそれ以上何も言わず、行こうぜとイザナを促す。しかし武道の手だけは離さず、グイと引っ張った。少し恥ずかしそうな鶴蝶と握られた手を見つめながら困惑する武道のすぐ傍ではイザナだけが満足そうにほくそ笑んでいた。

花垣武道は馬鹿だった。幼児でも見破れそうな拙い嘘で押し切れてしまうのだ。
鶴蝶はイザナにとってかけがえのない弟分で家族だった。身寄りのない自分に寄り添ってくれた男は確かにイザナの居場所だった。そして天竺は二人と大勢の楽園だった。
そんな安寧も稀咲によって壊されようとした。鶴蝶を疎ましく思った彼はどこからか銃を取り出し、その屈強な体を貫こうとする。それをイザナは身を挺して守ろうとした。だがそんなイザナでさえも庇って守ったのが花垣武道であった。脇腹で銃弾を受け止め、ダラダラと赤い血を流しながら稀咲の元へと歩き、彼を怒鳴っては弱々しい拳で殴り付けたのだ。ダメージこそ入らないものの、稀咲のショックは大きかった様で彼はその場で崩れ落ちた。カランと音を立てて銃を落としたのだった。
銃撃された武道は誰かが呼んだか銃声に気付いてやって来た警察らに保護され、大きな病院で治療を受けた。一時は生死を彷徨う様な状況にもいたらしい。
全くの赤の他人のイザナでさえ死んでしまったらどうしようかと狼狽えているのだから、幼馴染みの少女(彼女が女性だったと言う事は後々知った事実である)が撃たれた場面を間近で見てしまった鶴蝶のショックは計り知れない。真っ青な血の気のない顔でただ呆然と彼女の治療室を眺めていたのは記憶にも新しい。
そして無事に山を越え、死地から戻って来たと言う報を聞いた鶴蝶の表情をイザナは忘れられずにいた。いっぱいに見開いた目から大粒の涙をこぼす様を、安堵の息を吐きながらその場に崩れ落ちる様を。それはまるで戦地から生きて帰って来た家族と再会したかの様な、そんな温かな場面を思わせた。その後、蘭の揶揄う様な一言で彼の好意は露わになってしまったのだった。
それを全て見ていたイザナは思った。自分のせいで殺されかけた鶴蝶にはちゃんと幸せになってほしい。彼はただひたすらに思った。仲間達と過ごす幸せの形はもうあるのだから、次は愛する人とその生涯を共に出来る様な、そんな幸せをあげたいと思った。その幸せの形をくれる愛する人は、花垣武道だった。それだけの話である。
そのために彼女面をしろとイザナは言った。そんな事、武道の事が好きな鶴蝶が嫌がる訳も断る訳もない。鶴蝶以外のその他有象無象達を早急に出し抜くにはもうこれしかなかった。周囲に見せつけて外堀を埋めていく事、鶴蝶にも彼女は自分の事が好きなのだと勘違いして思う存分自惚れてもらう事、呆れるほどの粗治療だがイザナは鶴蝶の幸せを願っていた。
ゆらゆらと揺れる二人の手は優しく繋がれている。手を離そうとしない幼馴染みに困惑する武道と幸せそうにはにかむ鶴蝶。そんな二人の後ろ姿を眼前にイザナは笑った。
「まあ、馬鹿なまま流されとけや、花垣」

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