君無しじゃちゃんと生きられないみたい

ピンポンとチャイムを鳴らし、『武道です』と声を掛ければドアの向こうからドタドタと忙しない音がした。そうして部屋の住人はガチャリと部屋を開ける。
ラフ」
現れた隆は首周りがよれよれの古いTシャツと短パンを履いたどこか情けない格好をしていた。そんな格好を見て武道が小さく呟けば、ムッと唇を尖らせて目を逸らす。
「しょうがないだろ、急に来るんだから」
「隆くん、事前に連絡すると色々張り切っちゃうでしょ?折角のオフなんだし、ちゃんと寛いで欲しくて」
可愛くて大好きな彼女が来るのに張り切らないやつなんかいないだろ」
「気持ちは嬉しいけど別にそこまで手厚くもてなさなくても平気っすよ。それに隆くんの完全オフな状態なんか見た事ないから見てみたくて」
どうやら武道は事前にアポもなく、今日唐突に三ツ谷が一人暮らしをする部屋へ訪問したらしい。全く決まらない、だらしない格好で困った様に頭を掻く隆に武道はクスクスと笑った。
「入って良い?」
「まあ、良いよ」
「片付けとかしなくて良いんですか?」
「別に見られてまずいもんはねぇしな。この際片付けしてねぇ俺の部屋の様子も全部見せてやるよ」
「あは、やったー!」
手に下げていた紙袋を置き、靴を脱ぐ。スカートを摘み、裾が床に擦れない様にちょこんと持ち上げた。
「お邪魔しまーす」
「おー」
もう随分と行き慣れた部屋である。慣れた様に廊下を歩き、迷う事なくリビングのドアノブを捻る。真ん中にテーブルが置いてある小さな部屋には一面に書類や本が散乱しており、いつもの愛しの彼女のために張り切った隆の家とは様相を違えていた。
「散らかってますね〜」
「いや、お前の家よりマシ」
「それもそうっすね」
「前片付けたばっかだけど、どうせお前の家散らかってんだろ?また片付けに行くからな」
「私は平気ですけどね」
「あの?ゴミ袋の山の下で?ゴキブリが潰れて死んでたような?汚ねぇ家で?」
「凄い圧
正面から感じる男の圧を受けながら、武道は部屋に足を踏み入れた。書類を踏まない様に十分な注意を払いながら進む。
「あ、ちょっと隆くん、そのテーブルのやつなんですか?」
「ん?スケッチブック」
「違います!そのカップ麺の事です!」
武道が指摘したのは黄色と黒のスケッチブックではなく、その横にあるカップ麺だ。既に半分以上の中身が無くなっているそれには箸が刺さったままであった。
「今日の夕飯はカップ麺なんすか?」
「あー、まあ」
「これだけ?」
「そうだな」
「料理しない?」
「めんどいしな」
「いや、まあ、うん。確かに料理が面倒なのは分かるけどさ、流石にカップ麺だけじゃ栄養的にいけないと思いますよ、私は。スーパーとかコンビニとかでお惣菜やらサラダやら買うとか、そうしましょ?もうすぐアラサーですし、健康に気を使って野菜取るべきだって」
「お前だって一人の時料理しないだろ?」
「基本コンビニ弁当と冷食ですけど野菜は入ってますし」
「同レベだよ、同レベ」
カップ麺から香るカレーの匂いに武道は息を吐く。食欲をそそる匂いである事に間違いはないが、それと同時にこれは人の手によって加工された、カロリー満載の食べ物である。美味しくはあるものの、身体に良いとは言い難い。
「私が来ると物凄い凝った料理出してくれるのに一人の時はずっとこんな感じですか?」
まあ」
「適当でも料理とかしないんすか?」
「面倒だしな」
隆くんって本当、人前ではしっかりしてるのに一人になると意外と雑ですよね」
「伊達に不良上がりじゃねぇからな」
「関係あるのかなぁ」
隆は彼女に夕飯を指摘されている間に少し片付けていたらしく、書類も本も置かれていないすっきりとした場所に座るよう、彼女を促した。手に持った紙袋をテーブルに置き、武道はスカートを整えながら座る。
「因みにその紙袋って何入ってんの?」
「えー、隆くんを倒すための激毒?」
「やるじゃん」
「というのは建前で」
「冗談じゃなくて建前なんだ」
「本当はこれです!じゃーん!」
無邪気に効果音を口ずさみ、紙袋から何かを取り出す。彼女の手にあるのは透明なタッパーだった。中に入っているのはコロコロとしたまんまるのクッキーだ。
「え、どうしたんだ、これ」
「手作りです!ウン千回の試行錯誤の元、出来上がった自信作っす!」
小さくてまんまるの可愛いクッキーがタッパーの中で転がる。タッパーの中を覗いて目を丸くする隆にくすりと笑った。
「ウン千回は真っ赤な嘘で、でも試行錯誤は本当。お菓子作りなんてした事ないから色々分かんなくて大変でした」
「何で作ろうと思ったの?」
「うーん、何となく?特に理由はないんですよ、本当に。テレビとか、動画とか見て作りたいなって思ったから作っただけです」
「そうなんだ」
「うん、まあ、でも作った物を誰かに食べさせるんだとしたら隆くんが良いなって思った」
それは、何で?」
「逆に聞きますけど、君が私の彼氏だからって事以外に明確な理由って必要すか?」
隆は額を抑えた。どうかしたのかと顔を覗き込めば、指の間からは熟れた林檎の様に真っ赤な彼の顔が窺い知れた。
「武道のそう言う所な」
「はい」
「本当に好き」
「あら」
「いらない。俺は武道の彼氏だから彼女の作るお菓子を一番に食べる権利があるってそれだけでいい。面倒な理由とか全部いらない」
「うん、私もそう思うっす」
にこにこと花が咲いた様に笑う彼女に隆も思わず頬を緩める。そしてクッキーに目をやり、うっとりと見つめながら呟いた。
「あながち間違いじゃねぇよな、俺を倒す毒って」
「え、それは私の作る物はアホほど不味いって事すか?まだ食ってねぇのに?もしかしてめちゃくちゃ失礼してる?」
「違ぇよ。旨ぇモンてさ大概は身体に毒でな、揚げ物も炭水化物も、武道が大好きなポテチも身体にとっては栄養が偏ってて負担がデカ過ぎるジャンキーな食いモンなんだよ。アルコールだって癌のリスクを高める効果があるんだぜ?」
「二十ウン年人間やってるのでそれくらい知ってますけど!」
「そうカリカリすんな。俺にとってはどんなに黒焦げでも、砂糖と塩間違えても武道の作ったモンは何より美味くてさ、食うたびに過剰なくらいの多幸感でぶっ飛びそうになる訳」
「ほう」
「良く似てるんだよな。仕事終わりのビールみたいに気持ち良くて、アルコールが体中を巡る様な、何も考えずに唐揚げ死ぬ程揚げて死ぬ程食って、旨いのに油っこさで気持ち悪くなっちまう様な、そんなものに似てる」
「あ、無限唐揚げ、隆くんがツイッターで言ってたやつだ」
「そ。そう言う、危険な幸せに似てる。多幸感に隠れて気付かない内に身体を蝕んでいくの。俺もう自分で作るより偶に食える武道の料理が大好きでさ、もし何かしらの事があったとして、武道と離れる事になったら?俺は死ねるね。禁断症状出る」
「離れるつもりなんですか?」
そう言って悲しい顔をするものだから、隆はいじらしさに『ふふ』と小さく笑みを浮かべる。そして彼女の隣へ移動し、柔らかな手を優しく掴んだ。
「俺は離れるつもりないけど、実際何があるかは分かんねぇだろ。明日突然死ぬかもしんねぇし」
「それもそうすね」
「武道の作った物は全部、じわじわと体内を侵食して、離れる事も忘れる事も許してくれねぇみたいなそう言うモン。無くなると死にたくなるから、だから俺を倒す毒」
「なるほど」
「武道の料理以外あんま食う気しねぇからこうして適当に済ませてるんだぜ?」
「あ、まさかその言い訳のために言ってたりしません?」
納得してくんない?」
「それとこれとは別ですよ!」
長々とした彼の言い訳に武道も呆れ顔である。『お前の作った物が好きなのは本当だよ』と弁明すれば、ツンと尖らせた唇はふるふると震え、へにゃりと曲がる。表情をひきしめていた武道だが、隆の素直な言葉に照れ臭そうに破顔せざるを得なかった。
「とりあえず、このクッキーは全部隆くんにプレゼント」
「お」
「砂糖とお塩間違えてないし、焦げずに色味もバッチリなので失敗はしてません!安心してどうぞ!」
「やった。職場に持ってって自慢して良い?」
ほ、程々にどうぞ」
自慢したからと言って職場の仲間にクッキーを分け与える訳ではない。隆は自慢をするだけして全てのクッキーを一人で平らげようとしている。例え小さな小さなカケラだとしても、誰かに譲る気は毛頭なかった。
「いやぁ、やっぱ俺の彼女は最高だな」
「もう、すぐそう言う事言う。何でも良いですから早くカップ麺食べたらどうですか?麺伸びちゃいますよ」
「そう言えば武道は夕飯食った?」
「あ、はい。一応アポ無しですし、それで夕飯まで集るのは流石に卑しいよなって思って食べてきました」
「何を?」
「えっ、あ……スーパーで値引きされてた筑前煮と安く売られてたメンチカツと賞味期限切れ前日で特売に掛けられてた春雨スープにチルドのご飯様っす」
何とも、哀愁のある食生活。独身男の食事かよ」
「メンチ美味しかったですよ」
「つかお前野菜は?サラダは?筑前煮はノーカンだろ」
「えっ!蓮根に里芋に牛蒡に人参ですよ?」
「まあ、別にわざわざ指摘しなくとも一汁三菜だったら副菜一個足りねぇしな。だとしても筑前煮はメインだろ。メンチとタイマン張れるメインヒロイン」
「何それ、変な言い方しないでくださいよ」
武道は自身の安売りを徹底的に狙った少し侘しく質素な食生活、妙齢の女性とは思えない程の地味で映えない食事にほんの少しだけコンプレックスを持っていた。かと言って自分で自分のためにわざわざ料理をする気も起きないし、これからも値下げシール探しを止める気もない。そんな事もあり、隆からの質問にギクリと身を固めていたが、武道は彼の物言いに小さく笑い声を上げた。
やっぱ武道の飯は俺がちゃんと指導してかないとダメだな」
「どの口が
「良いじゃん。武道の飯に口挟んでく事によって俺の食生活も改善される訳だし」
「一緒に住むみたいな言い方」
「いつか住むだろ?つか俺としては今すぐでも良いけど」
「私としてはまだ一人を楽しんでいたいです。だって結婚したらずっと二人でしょ?別にそれが悪い訳ではないですけど、その後ずっと一人でいる機会ってもうないじゃないっすか」
「そうかもな。じゃあ俺がプロポーズして結婚するまで一人を楽しんどけ」
「あは、そうします」
ほんの少しだけ伸びてしまった麺を啜りながら、隆はニカリと笑った。早急に残りを食べてカップに残ったカレー味の汁を飲み干し、食べ終わった箸やカップをシンクに投げる。
「武道、腹に余裕ある?」
「え、まあ、多少は」
「アイス食わね?外に買いに行く事にはなるけど」
「あ、食べたい!」
「クッキーは勿体ねぇからちょっとずつ食うとして、それとは別に俺は無性にアイスが食いたくてしかたねぇし。ほら立てよ、コンビニ行こうぜ」
「はい!」
差し出された隆の手を取り、立ち上がる。彼は自分の鞄を持とうとした武道を制止した。
「鞄は良いよ。家の鍵閉めてくし、盗まれる心配は少ないだろ」
「そう言う心配してるんじゃないんですけど」
「欲しいもの俺が買ってやるから心配すんなって」
「それが問題なんですけどっ!隆くんてば無駄遣いばっかり。家賃も私みたいに安い所じゃないし、料理する時も結構食材拘ってるっぽいし、私と会うたびに私宛のプレゼント買ってるし、もっと出し渋りましょ。お金大事ですよ」
「えー、良いじゃん。武道困ってる?」
「後々困るのは君でしょう。生活費もそうですけど将来的に独立する時とか、生まれる子供のためとか、そう言うもののために貯めておいてください」
「俺、意外としっかり者だから貯金は抜かりなくしてる。だから心配しなくても平気」
「しっかり者なのは知ってますし、隆くんが良いなら良いですけど
不服そうな彼女の手をギュッと握り、軽く引く。少し足のもつれた武道のためにピタリと立ち止まり、笑い掛ける。
「そう言うお金の管理とか、心配だったら武道がやって良いよ」
「また一緒に住むみたいな言い方」
「今じゃなくても結果的には一緒に住むだろ」
「まあ、そうかもしれないですけど」
「そうかもじゃなくて、そう」
「念押し」
「だって一人だと食事も雑だし、金遣いも心配になるくらいとか、そんな奴一人にしてたら近い内に死んじまうぜ?武道無しじゃちゃんと生きらんねぇみたいだし、責任持って一緒にいてくれないと」
「えー、重い」
「嫌い?」
「三ツ谷隆が重いって事はちゃんと確認済みの事実ですから、君は気にせずダメになってください。ダメ人間台頭の私の隣に並ぶんならね」
「お前レベルのダメ人間の横に並ぶのは嫌だな」
「うそ、そこは頷くべきでしょ」
ケラケラと声を上げて笑う隆。そうは言えども決して彼女の手は離す事なく、優しく握られている。楽しそうな彼の横顔をじっと見つめていた武道は優しく微笑む。早く行こうと逆に手を引いて促してやれば、一瞬だけ目を丸くするも『分かった』と頷いてズボンのポケットにスマホを入れた。

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