こんな事は初めてで、どうして良いか分からずに虎杖は釘崎にLINEを入れた。部屋を出て歩いて数秒の距離に彼女の部屋はあるのだがその僅かな時間さえ惜しく思った。
「ンだよ虎杖ぃ!」
釘崎は大きな音を立ててドアを開いた。部屋の中では服という服を引っ張り出し、頭を抱える虎杖。釘崎は小さく溜息を吐いて床に落ちた服を踏まない様に歩いた。
「何よ。」
「服!決まんない!助けて!」
「服散らかすなよ。」
「だって何着て良いか分かんねぇの!」
「……まぁ、私に頼っただけ英断ね。」
床に散らばった服を一つ一つ拾い上げて取り敢えずとベッドに放り投げる。全体的にパーカーやデニムが多いが意外にもスカートや女性らしいトップスも持っていた。
「アンタ意外と可愛いの持ってるわね。」
「最近買い始めた。」
「ほー」
と言うのも二人の同級生である伏黒と部屋の主である虎杖はつい最近交際し始めたのだ。出会ってからの時間を考えれば、交際に漕ぎ着けるまでが早すぎると言っても過言ではないが釘崎としてはやっとかという感覚であった。
「デート行くの?」
「ええと、デート行く為の服を買う、みたいな…それで自分じゃ分かんないから着いてきて欲しいって…」
「デートね。」
冷静に突っ込む釘崎だったがその心では腕を上げ、ガッツポーズをする。
(さりげなく次のデートも取り付けちゃうなんてアンタも隅に置けねーなぁ伏黒!)
伏黒の事を口下手な不器用だとばかり思っていた釘崎は見直した。今ならアイツにアイス奢れる。手を叩きたい衝動に駆られたがぐっと堪えた。
「どれ着てけばいい?」
「…そうね。とりあえず十月近いとは言えまだ暑いし半袖とかで良いと思うわ。ノースリーブとかショートパンツとかも貸せるわよ。」
「それは…良いや。」
虎杖は首を振った。そして自分の太腿を撫でる。
「あたし足も腕も太いし…」
「まぁ、別に無理強いはしないわよ。この中で決めましょ。」
別に無理に肌を見せろと言う気はない。露出せずとも可愛い服などごまんとある。
釘崎はベッドに腰掛け積み上げた服の山をあさる。パーカーやデニムに埋もれた可愛らしいトップスを引き出しては虎杖の方へと放り投げた。
「オフショルダー買ってんのね。」
「二の腕隠れるからまだ良いかなって思って。」
「シースルーのワンピースとか可愛いわよ。買わないの?」
「だって透けてるから誤魔化せないじゃん。」
「秋とか冬服なら袖長いしボリュームもあるから平気じゃないかしら?買ってみたら?」
「考えてみる。」
「あら、この花柄可愛い。」
「それすごい安かったよ。色もね、白だけじゃなくて紺色とかあった。」
可愛らしい服を一通り並べて釘崎は立ち上がる。普通に私も欲しい物あるなぁなんて顎を触った。
「そう言えばバッグは?リュックしかない?」
「これ見て。」
そう言って出してきたのは小さくて黒いショルダーバッグだった。何となく虎杖らしくないそのチョイスに釘崎は驚く。初めて会った時の『あたしパーカーとデニムしか無いし鞄もこれだけ』発言は何だったのだろうか。その時に提示されたリュックサックとは違い、とても可愛らしい鞄だった。
「恋って偉大ね…」
「…………恥ずかし…」
「そうよ!財布とスマホさえあれば遊びに行けるんだから鞄なんて小さくて良いのよ!デートにあんな無骨なリュック背負って行こうとか言い出したら締めてやろうかと思ったわ。」
「こわ…」
一度床に座った虎杖を立たせてトップスとスカートを身体に当てる。何度も同じ事を繰り返して首を傾げた。
「すごい悩むじゃん」
「可愛くしてやんだから黙って立ってて。」
「ん」
そう会話をしながら随分と考えあぐねていた。折角だから着せたい服が沢山あって悩んでいた釘崎は最終的に先輩である禪院真希を呼んで二人で見定めたのだった。
翌日、そうして最終的に決めた服を着て鏡の前で回った。
肩の空いたチェックのレイヤードトップスにハイウェストのデニムスカート。スカートなんて制服以外で履き慣れていない虎杖は何だかこそばゆい気分だった。鏡の前でくるくると回り、その度にふわふわと広がるフレアスカートを物珍しそうに見つめた。肩に掛ける鞄もいつもとは違う小さい物。いつもとは違うが沢山ある中で、唯一の見慣れた物は黒のスニーカーだけだった。
「やっぱ行くのやめたい…」
薄く化粧をした顔にも、編み込んだハーフアップで整えた髪にも触れられずにしゃがんで膝を抱える。
「こんな可愛い感じの服やっぱ似合ってねーもん…買うんじゃなかった…」
そう弱音を上げるが、服も化粧も全て虎杖によく似合っている。しかし似合っていると言ってくれる人は近くにはおらずに自信のないままその場にしゃがんでいた。
突然、スマホから大きな音が鳴って虎杖は肩を震わせた。虎杖はスマホを手に取り、画面をスクロールする。
「や、やば…行かなきゃ…」
立ち上がった虎杖はスカートをはたき、鞄の中身を確認する。スマホと財布とICカード。最低限は入ってる。よし。
意を決した虎杖は肩に鞄を掛け直して部屋を出て行った。
*****
遅いなと腕時計を見る。半袖のシャツにジーンズを履いた軽装だがとても様になっている。単に伏黒の顔が良いからであった。
「ごめん伏黒お待たせ!」
声の方へ振り向く。そこにはスカートと髪を揺らす少女がいた。その唇は薄らと桃色に染まっている。
「その服」
「……ご、ごめん…」
一歩後ずさって前髪を触る。
「ちょっと恥ずかしいね…あんま似合ってないし…」
「可愛い。」
「…ホント?」
「おう。すげぇ似合ってる。可愛い。」
すると虎杖はしきりに耳に触れた。その頬は茹で蛸の様に赤い。
「あ、そ、そっか、…そーかな」
「そんな服持ってたんだな。いつもズボンとパーカーだろ。」
「可愛いって思って買ったの。」
いたたまれなくなった虎杖は誤魔化す様に伏黒の手を取る。
「行こ?」
グイと引っ張れば伏黒も大人しく着いていく。掴んだ手さえ恥ずかしくて、虎杖は気付いてすぐにも離してしまうのだが。
大きなショッピングモールに着いてその混雑さに驚いた。それもそのはずだ。今日は休日なのだから。
「混んでるね」
「そうだな。服屋ありすぎて分かんねぇな。」
「…あの、伏黒人混みとか得意じゃないだろ?大丈夫?」
「オマエがいるから平気。」
虎杖はチラリと横を見る。涼しげな表情の伏黒に単調なシャツはよく似合っている。
(服分かんないって言ったって着れば何でも似合うしなぁ…)
別に伏黒カッコいいし、持ってる物を着て来たところで大した文句はない。まぁ、これもデートの口実ならば仕方ないかとにやける口元を窄めた。
「まず試しに近くのお店見てみよっか。」
「任せる。」
歩いて数秒の位置にあった店は街を歩けばそこら辺で見る様な店だった。有名と言うより最早国民的なのかもしれない。面白味はないけどなぁ。畳まれた洋服が所狭しと詰め込まれている陳列棚を眺めた。
「メンズ服って結構高いイメージある。」
「この店のは平気だろ。」
「そうだね。」
これなんかどうと紺色のシャツを差し出す。伏黒も別に嫌ではないらしく、買ってもいいなと頷いた。
「なんかさぁ、五条先生なら何渡しても普通に似合いそうじゃん?短パンとかも着こなしちゃいそう。」
「それはサングラスのおかげでもあるんじゃねぇの。」
「そう、なんだけど〜…何かなぁ、伏黒はやっぱ選んじゃうね。」
「そうか?」
「だってまぁ、バスケみたいな緩い短パン履くならまだ大丈夫だけど海で履いてるみたいなチャラい短パンとか似合わないし。釘崎大爆笑でしょ。」
「俺も履かねぇよそんな身の丈に合ってねぇもん。」
「でもデニムとか似合うよ。てか選ぶ必要もなく今のコーディネートで十分だと思うけど。」
すると伏黒は顔を顰める。別に怒っている訳ではない。単純に困っているだけなのだ。その表情の意味にいち早く気付く虎杖はどうしたのかと首を傾げる。
「……オマエはそうやって可愛くお洒落して…俺だけ浮くの嫌なんだよ。」
「浮かないと思うけど。男の人の服ってこんなもんだろ?」
「…………うーん…」
「あんま悩まなくても伏黒カッコいいよ。」
伏黒のカッコいい顔でどんな服着てても相乗効果ね。手でピースを作って伏黒に向けた。彼は耳まで顔を赤くして黙り込んだ。目を逸らしてピースサインなど目に入っていない。
伏黒は本気で照れていた。目を伏せ、しきりに首の裏を掻く伏黒がとても可愛く見えた。肩から落ちてしまいそうなショルダーバッグを掛け直して笑いかけた。
「まぁ、別にここだけじゃないし色々見に行こ!レイヤードスタイルとか着てみたら意外と似合うんじゃない?」
「…れいやーど?」
「重ね着って事。あたしが今着てるやつみたいな。このノースリーブ黒でシャツはチェックだろ?違う服重ね着するの。」
伏黒は眉を下げた。自信なさげな困り顔に虎杖は思わず口元が緩む。
思った事を言わないのが伏黒だ。恥ずかしいも楽しいもほんの僅かな眉の動きだけで表現する。釘崎には面倒臭いと言われ、何を考えているか分かりづらいと誤解されてしまう伏黒だが、虎杖には何となく何を考えているのか分かる。基本的に無表情だからこそ、伏黒が意外にも感情豊かである事実に虎杖はそこはかとない可愛さを覚えるのだった。
「そんな顔しなくてもマジで似合うから大丈夫だって。ほら、見に行こ?別に服屋さんここだけじゃねぇし。」
虎杖は伏黒の小指に触れる。細くて硬い小指を優しく握った。
行こうよと軽い力で引っ張る虎杖の手を、伏黒は優しく振り解いた。驚いた様な顔で振り向く彼女の手を掴んで握る。手汗の凄い、湿った手だった。突然の事に小さく声を上げて、伏黒を見つめてしまう。
「あの、えっと……い…嫌、だったか?」
顔は真っ赤になって茹っているのかと錯覚する程に熱い。伏黒に釣られた様に顔を赤らめる虎杖は言葉を詰まらせる。ええっと…とワンクッションを置いて震える声で呟いた。
「嫌じゃない、デス…」
手汗でベタベタの伏黒の手を握り返し、手の甲をもう片方の手で包み込む。濃い色のチークも意味をなさない程に赤い顔で握った手に僅かな力を込める。
思考も呼吸ですらもフリーズした伏黒は目を泳がせる。やはり困った様に眉を下げた後、やっとのことで絞り出した言葉は弱々しい物だった。
「……はい………」
結局の所、服なんて買わなかった。服を選ぶどころではなく買えなかったというのが正しい。店を何軒回ろうがそれは変わらず、それでもただ繋いだ手だけは決して離そうとしなかった。
伏黒に手を引かれて一歩後ろを歩く虎杖も、その手を引く伏黒もどちらも顔はトマトの様に赤い。熱を逃す様にほぅと息を吐けども温度は変わらない。
とうとうショッピングモールを諦めて外に出た。しかし手汗で滑る手が離れない様にキッチリと繋いでいた。
ショッピングモールは海の近くにある。ガードレールのその先に青い海は広がっていて、強い潮の匂いと寄せては返す小さな波の光景があった。
波が打ち寄せる小さな音に虎杖は静かに耳を傾ける。そうする事で何とか冷静さを保てていたのだった。
「…虎杖」
「…あ、え、な、なっ…なに?」
気まずくはないけれどバツの悪い沈黙を破ったのは伏黒で。突然の事と意外性に思わず肩は飛び上がる上に声は裏返る。立ち止まった伏黒はゆっくりと口を開く。
「ごめんな。別に格好付けた訳じゃねぇけど、その、何つーか…」
「いや、伏黒のせいじゃねぇし…こう言うの…あの、慣れてないあたしもダメかなぁ、みたいな?」
「……慣れてたら慣れてたで少し嫌だな」
少し上の横顔を見上げる。不機嫌そうに細められた目と僅かに尖る唇が見えた。やっぱコイツ可愛いなぁなんて思ってはほんのりと歪む口元を隠そうと唇に力を入れる。
「あのねぇ」
その言葉に伏黒は虎杖の顔を見た。何だか今日一日で初めて目が合った様な気がしてひどく安心した。花が咲いた様に顔を綻ばせた。
「手、繋いだ事も、つかデートしてる事自体めちゃくちゃ嬉しいし楽しいんだかんな?」
「…そうか。」
「伏黒が彼氏であたしが彼女で、めっちゃ付き合ってる感じする!」
「事実付き合ってんだろ。」
「そうだね。」
デニムのスカートが潮風にはためく。二人の間を風が駆け抜け、上がり切った体温を冷ましていく。
「次どこ行こっか。」
「…今日はもう終わりか?」
「まだ、だけど!お昼食べながら次どこ行くか話そうよ!」
ね?と首を傾げる虎杖がとても可愛くて、伏黒もほんの僅かながらに口角を上げる。柔らかくなった伏黒の表情に少し安堵を浮かべて虎杖は横に並んだ。
「次のデートで名前呼び合うの頑張ってみる?」
「オマエ出来んのか?」
そう問われて虎杖はすぐさま答えを返す事が出来なかった。黙り込んで目を逸らすのだから答えを言っている様な物なのだが。
先程まで虎杖を引っ張る様な形になっていた腕が身体の真横につき、まさにカップルの様に手を繋ぐ。緩やかに繋がれてそれでも離れない二人は昼食の予定を話しては笑うのだった。
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