「皆さんにバレンタインのチョコ配りますのでっ!」
集会後、そう叫んだ武道に少年達は嬉しそうに笑った。コンビニの袋を手に下げる彼女の後ろで、エマは男達の露骨な態度に笑いを堪えている。
「…別に手作りとかじゃなくてコンビニで買ったお徳用チョコなんですけどねっ…ふふ」
エマの一言に少しだけ少年達のテンションが下がる。その様子がやはり面白くてエマは遂に吹き出してしまった。
「だって幹部だけでも手作りで対応出来る範囲超えてるし!貰えるだけありがたいと思えっての!」
そう言ったエマは袋に入ったチョコレートの大袋を開け、掴んだ小袋二つのチョコレートを万次郎の手に置く。彼は不満げに『ええ〜』と声を上げた。
「そんなどこにでもある様なやつじゃなくて何か特別なチョコ欲しい〜」
「うるさい!文句言うな!マイキーには別に手作りあげるでしょ!」
「エマのじゃなくてタケミっちのが欲しいんですけど!ねぇ、ないの?」
「すみません…勘弁してください…」
「手作りお菓子は?」
「手作りは無理ですっ!お菓子作りなんて出来ません!」
「えー!」
駄々を捏ねる万次郎に困った顔をする武道だったが、エマに促されて再びチョコを配り出す。何人かは文句の様な、少し不満の色が出た言葉を言われたが、感謝は忘れずに言ってくれた。しっかり文句は出るけれど、根は優しい人達なんだよなぁなんて武道が笑っていると次は三ツ谷の番となった。
「三ツ谷は〜、ちっさい妹ちゃんいるからいっぱい貰って。…何なら余ったやつ全部持ってく?」
「いや、そこまで貰う訳には」
「良いの良いの。どうせ余っちゃうもん」
「じゃあその余ったやつをまた配れよ!」
「マイキーは黙ってて!それは私とタケミっちの二人分だからそれ以上はダメ!残りだって三ツ谷じゃなくてその妹ちゃんにあげてる訳で!」
「ケチくせー!」
「はいはい」
万次郎らの野次を鼻で笑い、雑にあしらう。少年達のブーイングをフル無視して三ツ谷にチョコレートの大袋を手渡せば、彼は眉を下げて礼を述べた。
「はい、じゃあ終わり!集会終わりに集まってくれてありがと!ハッピーバレンタイン!解散!」
エマはそう叫び、手を叩く。むくれる万次郎の腕をギュッと掴み、帰ろうと促した。彼を引っ張って行く際、振り返ったエマは龍宮寺に呼び掛ける。
「バレンタイン当日にはチョコあげるから、ケンちゃん!」
今日はバレンタインの前日で、もう後一時間程すればバレンタイン当日となる。龍宮寺は一人、女子からの本命チョコが確約された事で周りから顰蹙を買っていた。さっさと帰って行くエマと万次郎を見て、龍宮寺を軽くど突いていた彼らも諦めた様に帰宅をし始めた。
千冬は一人残された武道に、送って行くと声を掛けた。彼のその誘いに笑って『ありがとう』と言った彼女だが、すぐに首を振る。
「んーん。大丈夫。ちょっと三ツ谷くんに用事あって」
「え?」
「じゃあ終わるまで待ってるって」
「良いよ。一人で帰れるし」
女が夜中に一人で帰宅なんて危ない。そう主張しようと口を開いた千冬に三ツ谷が言葉を挟んだ。
「俺が送ってくから大丈夫だ。千冬は帰って良いよ」
「………そっすか」
一瞬、ムッとした顔を見せた千冬だったが、三ツ谷に言われ、素直に背を向ける。顔だけ向けて『じゃあな』と声を掛ければ、武道は小さく手を振った。
一同が帰宅し、閑散とした境内で三ツ谷は首を傾げる。彼女が個別に用事なんて何だろうか。レジ袋の持ち手を握る手に汗をかく。幼い頃から妹の世話や家事を全て請け負い、普通の中学生よりも大人びている彼だが、三ツ谷も普通に年頃の少年なのである。歳の近い少女に個別に呼び止められれば、期待してしまうのも無理はない。ソワソワとした気持ちで言葉を待てば、武道は口を開いた。
「三ツ谷くん」
「何?」
「明日でも明後日でも!近い時にお時間、ありますか?」
「……時間?」
「時間!です!ありますか?」
それ以上の質問は許さないとでも良いたげに言葉を繰り返した。勝手にチョコを期待していた三ツ谷は少しだけ残念な気持ちになる。だが、今週の予定を思い起こし、彼女に答えを返した。
「土曜なら」
「じゃあ土曜日!一時ごろに渋谷駅!集合です!」
「えっ?」
「電車乗るのでお金持って来てください!」
勢い良くそう伝え、片手を上げてその場を去ろうとする。勢いに飲まれてぼうっと立ち尽くす三ツ谷だったが、夜中の暗闇へズンズンと歩いて行く彼女を見てハッとした。一人で帰ろうとする武道の後を追い、送って行くとその背中に声を掛けたのだった。
そんな約束をしたのが数日前。言われた通り駅前で待っていれば、数分後に武道が着く。白いボアコートに黒のショートパンツとタイツを履き、ショートブーツを身に付けた彼女がパッと顔を明るくさせ、駆け寄って来た。
「お待たせしました!」
「いや、マジで今来たところ」
「それなら良かったです!行きましょう!」
万次郎の言うダサさはなく、可愛らしい格好に三ツ谷はドキドキしてしまう。ちょこんと結ばれた髪を彩る赤色のシュシュがふわふわと揺れ、三ツ谷は少し緊張した。
「今日は突然ごめんなさい。来てくれてありがとうございます。嬉しいです」
「あ、お、おう…その、それで今日はどこへ…」
「えっと、三茶の方です」
「三茶…分かった」
「…あっ!ごめんなさいお金足りますか?そっか…行き先だけ先に言えば良かった…ご、ごめんさい!」
「いや、大丈夫。往復の分ちゃんとあるから」
焦る彼女を宥める様に言い聞かせれば、安堵の息を吐く。当日に駅だけ伝えられ、どこに行くかの詳細は分からないこの状態は何だかバラエティ番組の様だ。愛らしい女の子と二人で出掛けているはずなのに、何だか複雑な気持ちになりながら切符を買った。
目的の駅に着き、『ここからどこへ』と聞いた男の手を武道は引く。小さなメモ帳を片手に街中を歩き、立ち止まった場所にはお洒落なカフェがあった。白と優しいブラウンが基調の落ち着いたカフェだった。
「ここです!」
「カフェ?」
「カフェです!」
武道は店の扉を押し開け、中に入る。カランと綺麗な音が鳴り、レジの前に立っていた店員の女性がにこりと笑って挨拶をした。店員に言われ、先に席を取る。店の端にある二人席のテーブルに荷物を置き、店の入り口にあるショーケースの方へ向かった。
「…ここでお茶すんの?そのために俺に着いて来てほしかった?…最初からそう言ってくれれば良いのに」
「あの、そうなんですけど、三ツ谷くん、この中のものから好きなやつ選んでください!私が奢ります!」
得意げな彼女の言葉に三ツ谷は目を丸くする。どれにしましょうとショーケースに向き直る彼女に焦った様に声を掛けた。
「えっ、ど、どう言う事?」
「へ?だから奢るって」
「何で?急に?」
「…急だと思いますか?」
武道は三ツ谷をジッと見つめてコクリと首を傾げた。心なしか頬がポッと赤い。彼女のその姿に何も言えなくなってしまい三ツ谷はグッと口を噤む。
目の前に並ぶのはチョコレートのお菓子ばかりで、何ならカフェの名前にもチョコレートが入っていて。それでいて数日前はバレンタインだった。全ての要素がどんどんと紐付いていって答えを形作っていく。その結果、三ツ谷の『もしかして』の期待が止まらなかった。
彼は動揺を必死に隠しながらショーケースの中を覗く。そして一つ、中にチョコレートの入ったパイの様なお菓子を指差せば、武道は元気に『分かりました』と返事をした。
「じゃあ私買って来ます!席戻ってて良いですよ!」
「あ、う、うん」
「あ、三ツ谷くん飲み物どうします?」
「か、カフェラテ…」
「はーい!」
三ツ谷は武道が頼んでいる間、後ろでカフェラテの値段を確認する。チョコレートは奢りだとしても、飲み物まで出してもらうつもりは毛頭なかった。
三ツ谷は武道より早く店員の女性からトレイを受け取り、テーブルへ持って行く。『座っていて良かったのに〜』と呑気に笑う彼女の声を背に受け、席に着いた。
「私ブラウニーにしちゃった。えへ。いただきまーす。三ツ谷くんも食べてくださいね?」
「あー、あの、ちょっと良いか?」
三ツ谷は小さく手を挙げる。何だろうかと首を傾げれば、彼は首元をガシガシとかいた。
「その…今日ここへ連れて来てくれたのは、…ば、バレンタインだからって事で良い?」
「…察してくれないと困ります」
「あっ…うん…」
「それで、三ツ谷くんの聞きたい事は何ですか?」
「あー…いや、個別にチョコ渡すだけだったらあの時にさっさと渡せば良かっただろ?別に手作りとか買った物とかはどうでも良いけどさ、何でわざわざこんな所に連れて来てくれたのかなって」
武道は三ツ谷から目を逸らす。頬どころか耳まで真っ赤にして彼女は震える唇を小さく開いた。
「あの…それは…」
「うん」
「三ツ谷くんにチョコあげると、三ツ谷くん、妹さんにそれあげちゃうかもしれないじゃないですか。優しいから」
確かにそうしてしまう可能性は大いにある。強く強請られてしまうと彼は小さな妹達に強く出れない。三ツ谷は否定が出来ずに黙っていた。
「私は、私のあげたものは全部三ツ谷くんだけに食べてほしいなって思ったので、三ツ谷くんだけ個別に呼び出したんです。買った物渡すのでも別に良かったんですけど、こういう所で食べた方が美味しいでしょ、多分」
「手作りは?」
「…手作りは私にはレベル高すぎるので…」
「まあ、お菓子作りって難しいもんな」
三ツ谷のフォローに武道は項垂れる。彼女の手作りのお菓子を食べられないのは残念な気がしたけれど、こうして呼び出されただけで及第点。三ツ谷の心は期待で一杯だ。ドキドキと胸が高鳴る。
「なんかズルくてごめんなさい。妹さんに凄く悪い気がするから二人にもどこかで何か買って帰りましょうか」
「それは良いよ。この前チョコすげぇもらったし」
「でも…」
「言わなきゃ分かんねーよ。それよりもさ、俺まだ聞きたい事あるんだけど」
「………なんか、あんま聞きたくないし答えたくないんですけど」
「ダメ。答えて」
三ツ谷に真っ直ぐ見つめられ、武道は唸る。彼女はカップに入った温かなミルクティーを一口飲んだ。
「俺を個別に呼び出したのは何で?」
そして彼のこの一言で思い切り飲み込んでしまった。喉の変な場所に入り込んでしまったのか、武道は軽く咳き込む。目の端にはじんわりと涙が滲んでいた。
「理由があるから呼んだんだろ?」
「…そりゃ、…そうです、けど」
「教えて」
「……三ツ谷くん、理由くらい察してるんじゃないですか?」
「…分かんねーし」
「ていうか、それこそ察してくれないと困ります。女の子に全部言わせちゃうんですか?甲斐性無しですよ」
「うーん、そっか」
彼は何か考える素振りを見せる。気を紛らわせる様に、ミルクティーに映る自分の顔をぼんやりと見つめる武道の手をちょんと突ついてこちらを向かせた。
「じゃあ期待して良いって事だよな?」
「……き、期待…」
「バレンタインにこんな特別な事してくれるってそういう事じゃねぇの?」
「そうだったら、どうしますか?」
「…まあ、とりあえず食べよっか、これ」
武道の追及から方向転換をする。三ツ谷の言葉に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした彼女は、すぐにハッとして頷く。三ツ谷がどう行動してくるのか分からずに、困惑したままブラウニーに手を付ける。彼はチョコレートのパイをフォークで切り分けながら緩やかに口角を上げた。
「後でな」
「あとで?」
「良い返事くれたら嬉しいな」
良い返事って何の。疑問には思ったけれど、全く分からない程、鈍感でもなくて。自分の思惑を踏まえて考えてみれば、答えはあまりにも明白だった。口から激しく拍動する心臓が飛び出て来てしまいそうで何も言えない武道に三ツ谷は更に追い討ちをかける。
「来年はタケミっちの手作りが食べてぇな〜。手作りなんてそんなん、ちゃんと本命じゃん?」
「えぁ…」
「何なら来年は俺ん家で一緒にお菓子作るか。お家デートする?」
デートという単語に頭が爆発しそうになった。耳の奥からはツーと細く耳鳴りが聞こえた様な気がして仕方がない。武道は最早恥ずかしさなど隠せずに、真っ赤な顔をして彼に言った。
「まだ何も言われてませんし、言ってませんけど!」
彼女のあまりの顔の赤さと動揺した様子に三ツ谷はクスクスと笑った。
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