二人で有り余る給料を折半して購入したマイホームには気持ちの良い日差しが入り込んでくる。最近の伏黒の趣味と言えば、心地良い日差しが差し込む中、ソファーの上でうたた寝をすることだ。そしてウトウトと船を漕ぐ伏黒を見た虎杖は静かに毛布を掛ける。薄らとした意識の中、その優しさを感じる伏黒はもし母親がいたならばこんなに優しい気持ちになれるのだと温かな心に感動する。
「そこで寝るの好きだね。」
「あったけぇ」
「恵、服真っ黒だから日の光吸ってすげぇあったかくなってる。」
伏黒は隣に座った虎杖の肩に頭を乗せる。『あらら』と仕方なさそうに笑い、伏黒の頭を優しく撫でた。
「寝ちゃう?」
「寝たくない。」
「何で?」
「久しぶりに二人揃ってのオフだから、寝るのは勿体無い。」
「そっかぁ。何かする?ゲーム?」
「ゆっくりする。」
「じゃあ寝ちゃうじゃん。」
虎杖の髪は肩にまで掛かる程長く伸びた。学生の、それも一年次と比べればかなり女性らしい見た目になってきたと思う。伏黒としては虎杖の見た目など何だって良かった。俺にとってコイツは何してても可愛いんだから。
頬を掠める虎杖の毛先にこそばゆさを覚えて軽く笑う。ふわりと鼻に香る柔軟剤の香りが気持ち良い。一度深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。実際は伏黒からも同じフレグランスが香っている。
「恵どう?柔軟剤変えてみたんだけど前のとどっちが良い?こっちだよね?」
「おう。」
「だよね。だと思った。恵ってキツい匂いあんま好きじゃないもんね。」
いつもの何倍も瞬きをしながら眠さに打ち勝とうと頑張る伏黒が可愛くて、その様子を見て虎杖はニヤニヤと笑う。寝ても良いのにと言えど、意地でも寝ないと眠そうな声で言うのだから虎杖は遂には声を上げて笑ってしまった。
「えー、もう超可愛いじゃん!寝て良いのに〜。あたし恵の寝顔で割と楽しめるよ!」
「もっと嫌だ…」
「スマホで撮った恵の寝顔見せたげよっか?赤ちゃんみたいで可愛いよ!」
「………勘弁しろ…」
冗談だと両手を広げるも、伏黒はゲンナリとした表情だ。『この人、意外と表情豊かで面白いんだよなぁ』と常日頃浮かべているクールな顔で割と誤解されがちな伏黒を想った。
頭どかしてとお願いをすればすぐにでも肩から重みは無くなる。虎杖は立ち上がってズレた肩口を直し、伏黒に笑い掛ける。
「目覚ましにコーヒー飲む?」
「…ん。」
「オッケーオッケー。寝ないように頑張りながら待っててよ。」
キッチンの方へと向かい、コーヒーを淹れる準備を手早く進める虎杖の後ろ姿をジッと見つめる。彼女の大きなケツがセクシーで良いなだなんてエロ親父のように思っては自身の低俗さに眉間に皺を寄せた。
コーヒーの香ばしい匂いが部屋中に蔓延しだす。世の中の大半が何気無く体感出来る平和というのはこう言うことなんだろうなと伏黒はしみじみ思った。
いつからか仕事で命を懸ける理由が『善人を助ける』事よりも『悠仁のいる生活を守り抜く』事へとシフトチェンジしていってしまった。人を助ける為に命懸けで呪霊を祓っているが、それもこれも全ては今、コーヒーを淹れる彼女の笑顔の為である。沢山の人間が助かると虎杖は嬉しそうに笑う。だから伏黒は人を助ける。
伏黒はゆらりと立ち上がって虎杖に近付いた。そのまま彼女の腰に手を回して後頭部に頬をくっ付ける。何だよう、危ないようと注意する虎杖だったが無理に剥がす気は無い様で、本人もノリノリで伏黒の手に自身の手を重ねた。
「昨日も明日もずーっと任務だもんね。疲れちゃったよね。」
「それはオマエもだろ。」
「そーだけど。恵はあたしよりも色々考えてっからその分疲れちゃうもんね。」
お疲れ様と頭を撫でてあげれば伏黒は気持ち良さそうに目を閉じる。まるで大型の犬の様でその可愛さを虎杖は静かに噛み締める。
伏黒は伏黒で虎杖の女性らしい柔らかな身体を堪能し、虎杖によく似合った柔軟剤の香りを楽しんだ。際限のない可愛さと自分の事を理解しようとしてくれる健気さに伏黒は思わず言葉を溢す。
「…結婚、してぇな」
「ッあっつい!」
突然、虎杖は弾かれた様に手を上げる。どうやらやかんの持ち手に直に触れてしまった様で、指先は赤くなっていた。
「大丈夫か!?」
「あ、う、うん…たぶん…」
「とにかく冷やさねぇと。っと、水!取り敢えず水に指つけとけ!」
伏黒は虎杖の手を握り、蛇口を捻る。指先はジンジンと痛むが虎杖はそれどころではなかった。水の冷たさを感じながら口を開く。
「あ、あの」
「痛いか?」
「違くて、…その、……け、結婚!考えてくれてんの?」
その言葉に伏黒は『え…』と驚きを帯びた声を上げた。伏黒の声に不安になった虎杖はすぐ横を向くと、そこには顔を真っ赤に染め上げた伏黒は口を噤んでいた。きっと言うつもりも無かった呟きが無意識的に零れ落ちたのだろう。虎杖は安心した様に息を吐いた。
「結婚、あたしと考えてる?」
「……オマエ以外に誰が俺と結婚すんだよ。」
「ほ、ほんと…?あたしガサツであんま女っぽくないけど?」
「…関係ねぇよそんなん。俺はオマエだから結婚したいって、…思って………………」
語尾は完全に消えていた。顔は更に赤さを増し、言葉の覇気を無くした伏黒はしきりに頸を掻く。そうする事で恥ずかしさを誤魔化している様だった。
「あの、あ、あのね、でも、プロポーズ、もうちょっと待って欲しいの。」
虎杖の言葉に伏黒は目を見開く。そして悲しげに眉を下げた。甘える様に伏黒は肩口に顔を埋め、グリグリと擦り寄る。
「…なんか俺、至らない所あったか……?直すから言ってくれ……」
「あ、いや、そうじゃない!そうじゃなくってね!髪!結婚式までにある程度伸ばしたいからもうちょっと待って!そんだけ!恵何も悪くないよ!あたしには出来すぎた人だよ!」
「結婚式もそんなにすぐ出来る訳じゃねぇと思うけど…」
「…っそ、そうですよ、ね……そうだよ…。」
虎杖も伏黒に釣られて顔を赤くする。火傷をしたかもしれない指を冷やすよりも、顔を冷やした方が良いのではないかというくらいに顔は熱い。
「け、結婚…結婚かぁ……そうだよね…こういう今みたいな関係のゴール地点って結婚だよね…」
「…嫌か?」
「嫌じゃないよ!嬉しいよ!…なんか、苗字が伏黒に変わるって思うとちょっとドキドキする…」
「『ふしぐろゆうじ』だな。」
「……えへ、良いね。でも『いたどりめぐみ』でも良いんだよ?」
二人で顔を見合わせて笑った。指の痛みが引いてきて、もう大丈夫だと虎杖は水を止める。タオルで手を拭いてコンロの火を止めた。やかんの口からは激しい音と共に湯気が立ち上っている。
「悠仁」
「何?」
「結婚してください。」
「……あたしちょっと待ってって言ったし、…恵的には今で良かったの…?」
「俺的には今だって思った。」
そっかぁ。なら仕方ないかぁ。虎杖は笑って、そして目を細める。胸の前で合わせられた手は少しだけ震えていて伏黒は心配になった。自身の手を彼女の重なる手に合わせ、優しく握る。
「…レストランとか、フラッシュモブとかの方が良かったか……?」
「っふ、いらないよ、…良いよ。こう言うプロポーズの方が好き。」
「じゃあどうして不安そうな顔をするんだ。」
「……本当にあたしで良い?本当に?宿儺の指食べちゃうようなヤバい女だよ?」
「それは確かにヤベェけど、…そうやって自らを顧みないでも人を助けようとするオマエが良いんだ。それを言うなら俺だって元ヤンだぞ?良いのか?」
「それもヤバいけど、恵は理由の無い暴力はしないでしょ。自分の信念の為に動ける、そう言う所があたしは好きなの。」
そんな事を言われて伏黒は大きく目を逸らす。褒められ慣れていないせいか、先程よりも赤い顔で困惑の色を浮かべる。
自分の手に重ねられた伏黒の手を虎杖は握り返す。虎杖は恥ずかしいねと笑った。その瞳は涙で潤み、キラキラと輝いていた。
握った手を離し、伏黒の胸元に顔を埋める。伏黒の心臓はバクバクと大きく脈打っていて、虎杖は何故だかひどく安心した。
「本当に今のプロポーズで良いの?」
「………まぁ、そのつもりだが…」
「じゃあ末長くよろしくお願いします。」
伏黒は虎杖の背に手を回しギュッと抱き締める。虎杖からは表情は見えないが伏黒の顔は晴れやかで、噛み締めきれずに溢れた嬉しさが全面的に浮かんでいた。
「エンゲージリングは改めて買って来るから。」
「デザインどうすんの?」
「オマエに似合う物選んでくる。」
「あたし別に無くてもいいけど。」
「記念だ記念。」
「じゃあ結婚指輪はあたし選びたい!良い?」
「任せた。」
虎杖は指輪を思いあぐねる。派手なものがいいか、シンプルなものがいいか。実物も見ないうちに心をときめかせた。
「結婚式して〜、ハネムーンはハワイが良いなぁ。」
「…伊地知さんに我儘言って一週間くらい休み取ってくるか。」
「休み取れると良いね〜。呪術界人手不足だから難しいかな〜?」
「取れるかじゃなくて取るんだろ。」
一緒に水着見に行こうね。トランク買わなきゃ。パスポートの申請とかもしよう。それまでにしなければならない事が沢山上がる。これからの予定が楽しみで仕方がない。それだけで何故だか仕事も頑張れる気がした。
「オマエ次の休みは?」
「あー、いつだろ。手帳見ないと分かんねぇや。」
「その時仙台行くぞ。お爺さんに挨拶しねぇとな。」
「…ふふ。恵のそう言う所好き。」
幸せになろうねと小指を立てる。その細い小指に伏黒は自身の小指を絡ませる。絶対だぞとはにかむ表情は既に有り余る程の幸せを内包していた。