ナイショの運命論

壁にぐっと押さえ付けられ、もがく。だが線の細い彼女がガタイの良い男に勝てるはずもなく、もがけども押さえ付ける力が増していくのみであった。
「暴れんなよ女ァ。可愛がってやれねぇだろうが」
「テメェがナンパの邪魔なんざしなかったらこんな事にはならなかったのになぁ。馬鹿な奴」
「っるせぇ!離せっ!」
ニヤニヤとした男の顔が近付いてくる。気持ちの悪い視線から逃れようと顔を背けるも、一人の男によって顎を掴まれ、固定されてしまった。
「さっきの子程じゃねぇけどよく見たらお前そこそこ可愛いしまあ、イケる?」
「ブスでも若い女なら俺はイケる」
「おっさん臭ェ事言うなよな〜」
ゲラゲラと下品な笑い声に耳を塞ぎたかった。しかし耳を塞ぐための手も押さえ付けられ、自由に動かせない。股の間に男が膝を入れ、逃げられなくなる。キスでもしようと男が顔を近付けた時、後ろに控えていた一人の男が遠く吹っ飛んだ。
「──ッハ?」
「胸糞悪ィ事やってんな」
彼女に覆い被さる男が目を丸くしている中、もう一人、後ろにいた男が飛んで行った。飛ばされた男は二人ともゴミ袋の山に埋もれて目を回している。
「女一人に男三人はダセェなぁ」
「ひっな、何なんだよお前らっ!」
「うるせぇよ雑魚」
男は一言、そう言い放ち、彼女に覆い被さっていた男を拳で殴り飛ばした。パンチは良い場所に入り、男は白目を剥きながら倒れている。目の前で起きた事とその惨状に困惑していた彼女は視線を上げる。
「え」
目の前にいたのは二人組の男だった。こちらをジロジロと見つめるつり目の男ともう一人。色白の金髪の男がいた。
後ろから差し込む太陽の光がブロンドの髪をキラキラと輝かせている。そんな男を彼女はジッと見つめた。何だか緊張して仕方がない。お礼を言いたいのに口が渇いて上手く声が出なかった。
「お前、大丈夫か?」
目の前の金髪イケメンも始終黙り込んでいる。その沈黙を破ったのは、後ろで控えていた左側を刈り上げた蛇顔の男であった。固まって動かない金髪の男をチラリと見て彼女に視線を戻す。
「あ、はい
「そこ、汚ねぇからさっさと立った方がいい。立てるか?」
「あ、大丈夫です
彼女はゆっくりと立ち上がる。スカートを手で払い、皺の寄ったシャツを丁寧に伸ばした。
「あの、助けてくださって、ありがとうございます!」
「いーよ。偶然見ちまって放っておくのも気分悪ィから助けただけだし。つかアンタも気を付けろよ。ここら辺は治安が悪い。ああ言う輩が沢山いる」
「あっ、す、すみません気を付けます」
「ああ、気を付けてくれ」
刈り上げの男は隣の金髪の男を横目で確認する。やはり金髪の男は何も言わず、呆然と立っていた。何だかとても視線を感じるが、彼女は何も言わずに刈り上げの男の言葉に苦笑を浮かべて頷く。
(あの男の人、喋らなかったなぁ)
彼女は少しだけ残念に思った。本当は声どころか名前も知りたいのだけど、出会ったばかりの見ず知らずの人間に突然聞かれる程怖いものはないと思う。足元に落とした鞄を拾って二人に改めてお礼を述べて去ろうとした時、金髪の男は動いた。
「えっ、イヌピー?」
「お前名前何?」
「へ?」
「あ?」
唐突に口を開いた男は彼女に名前を聞いた。確かに男の名前を知りたいだとか接点を持ちたいだとか、そう思っていたけれど男側からグイグイ来られると普通に怖さを覚える。彼女は大きく目線を泳がし、戸惑いの表情を浮かべた。
「ぁえっと、花
「突然動き出して藪から棒に何言ってんだお前!それじゃあただのナンパだろうが!」
そうか……
「コイツが悪かった。行ってもらって大丈夫だから」
「おい、ココ
もう一人の男、ココに言われ、彼女は立ち去った。そう言われた手前、何だか動かずに残るのも気まずい気がしたのだ。
何も言えず、何も言わずに立ち去ったが、別に収穫がなかった訳じゃない。彼女は肩に掛けた鞄の紐をぎゅっと握り締め、頬を赤く染めて笑う。
「イヌピーくんって呼ばれてるんだ!」
彼女は街の中を歩いて行く。多くの人々が忙しなく行き来する中、彼女の足取りは羽でも生えているかの様に軽いものであった。

「それでね、私を助けてくれた男の人、イヌピーくんとココくんって言うんだって」
亀と山Pの真似?」
「え、そうなの?」
………いい。ごめん、ヒナが変な事言った」
癖の強い愛称に突っ込まざるを得なかった日向だが、結局そのツッコミも武道が首を傾げた事によって泡となった。武道は斜め上を向きながらうっとりと目を細める。
「イヌピーくんね、金髪で色白で超カッコいいんだけど、服も真っ白でめっちゃ王子様みたいで!何かすっごいカッコよかったの!」
「そっかぁ。良いねぇ」
「ふふ、めちゃくちゃドキドキしちゃった」
「運命みたいだった?」
「だと良いねぇ。でも、東京って人いっぱいいるでしょ。その中でまた出会うのってすっごく難しいと思うから、運命とは言えないのかもしんないね」
「でもまた出会ったらそれは運命だよ!」
「そうかも。でもヒナ夢見すぎだよ〜。何千、何万分の一くらいの確率でしょ?無理無理」
武道は首を横に振る。男、イヌピーとの再会はもうとっくに諦めている様で眉を下げ、少し悲しそうに微笑んでいた。日向もあまり無責任な事は言えず、『そっかぁ』と誤魔化す様に一言呟いた。
でもさぁ、武道ちゃんね、……やっぱり男の子とお付き合いするにはやめた方がいいと思うの」
……もう、またその話?」
「だって私、心配なんだよ!確かに優しくて良い人ばっかなのは私も知ってる。でもそれと武道ちゃんが無茶をして怪我をするのはまた違う話でしょ!男女じゃ力の差もあるし、やっぱり危ないよ!」
ヒナ、ごめん。ヒナの気持ちもよく分かる。でも、私にはどうしてもやらなきゃいけない事があるんだ」
武道は女ながらにして暴走族に所属している。女は傷付けないという言葉を掲げた総長が何故彼女の入隊を許可したのかは全く分からないが、彼女にとっては好都合であった。
武道の正体は未来から来た二十六歳の花垣武道である。彼女が俗に言うタイムリープをしたきっかけと言うのは目の前の橘日向の死を阻止するためであった。未来で東卍に殺された彼女を助けるために彼女は単身、東卍と関わりを持ったのである。一生に一人しかいないであろう、自分の命よりも大切な親友を助けに彼女は一人で過去へ来た。だから日向の心配そうな言葉には応えられない。
………武道ちゃんは一度決めたらテコでも動かないもんね」
「はは
「またお祭りの時みたいな変な怪我したらヒナ、絶対許さないんだからね!」
うん、ありがとヒナ」
武道は掌に残る刺し傷を撫でながら、日向に笑顔を向けた。彼女の優しい顔に日向も思わず表情を緩ませ、『いいよ』と首を振ったのだった。
あの、今思い付いたんだけど」
「ん?何?ヒナ」
「相手が誰であろうと暴走族に入ってる女の子って引かれない?」
………あっ」
「あ、べ、別に武道ちゃんを否定してる訳じゃ」
「終わった
重大な事実に気付き、武道は項垂れた。そう言えばそうだ。男は総じてお淑やかで自分を立てる様な女が好きだ。それは日向の様な。二十六年間女として社会を生きて来た彼女の意見である。そんな男が好きな女の像から武道は大きく外れていた。男よりも前に出て暴れ回っては傷を作る、お淑やかとは遠く離れている。日向の言葉でそれに気付き、武道は恋の終焉を覚悟した。始まったばかりの恋がこうして溶けていくのは悲しいものだ。悟りを開いた様に遠くを見つめる武道に日向は顔に焦りの色を浮かべ、必死に言葉で取り繕ったのだった。
一方その頃、渋谷を拠点とする暴走族『黒龍』のイヌピーこと乾青宗、ココこと九井一はアジトとしている廃墟にて話をしていた。話と言うよりも青宗が一方的に一を捲し立てているだけであった。
「どうしてあそこで無駄な横槍を入れるんだ。あの子の名前が分かんねぇままだろうが!」
「お前がやってる事はただのナンパだろ。喋ったと思ったら突然名前聞くとかやってる事お前がぶっ飛ばしたナンパ野郎と同じだぞ」
………違ェ」
「女、引いてただろ」
……………引いてねぇ」
「お前素直だよな。どんどん声がちっさくなってく」
最初は威勢の良かった青宗だが一の指摘に上手く言い返せず、声を小さくした。バツが悪そうに目線を下に向ける青宗の素直さに一は思わずクスリと笑ってしまう。
「てかお前ああ言うのがタイプだったのか?何と言うかガキっぽい?」
?あの子は可愛いだろ?目が大きくて綺麗で、小さくてほっぺがぷくぷくで
「分かった分かった」
語り出したら止まらなさそうな青宗の言葉を無理矢理遮る。不服そうな彼を一瞥し、一は手元のパソコンを弄った。
「あの子を見た途端に身体がビリビリして、何か、何だろう喉の奥から甘酸っぱい何かが込み上げてくる様なそんな心地がしたんだ」
「へー。運命じゃね?」
「ああ。多分運命なんだと思う」
真っ直ぐな青宗の言葉に一は顔を上げた。とてつもなく適当な返事に本気で返され、思わず眉を寄せた。何だコイツ。完全に色ボケしてるよな。信じらんねぇ。長年連れ添ってきた幼馴染みの事は何でも知っていると自負してきた一だが、今この瞬間はその意識も揺らいだ。
「ココ、どうやったらあの子とまた会えるだろうか。ココの力であの子の名前と学校、調べられないか?」
「は?やだよ面倒臭ェ」
今まで青宗のお願い事は極力聞いてきた一である。しかし今、彼ははっきりと青宗のお願いを断った。彼と見知らぬ少女の恋路など甚だ興味が無かったし、好きにして欲しかった。変な形で巻き込まれたくはなかった。
……そうだな。こう言うのは俺だけで頑張るべきだ」
「あー、そうだな」
「運命だから根気良く探していればきっと会えるか」
…………ウン」
幼馴染みが突然、御伽噺の登場人物の様な事を言い出して一は困惑するばかりだ。青宗の目はキラキラしていて恋やら愛やら何やら輝かしい物で溢れていて、一は何も言えなかった。
………あのさ、イヌピー」
「ん?何だ?」
「もしその子が見つかったとして、お前が暴走族のメンバーだって知られたら普通に引かれね?」
「あっ」
彼は失念していた。青宗にとっては自分が不良である事、暴走族『黒龍』の中でも上の方の立場にいると言う事は普通の事だった。だがそれはあまりにも特殊であり、普通の人からすればマイナス点である。無論、武道は東京卍會という暴走族に所属している不良少女なのだし、青宗が不良であろうと何ら関係無いのだが名前すら知らない現状ではそんな事、知る由もない。
……普通のフリをすればいける」
「お前が?人殴らないでいられんのか?」
「い、いられる」
「顔強張ってるぞ」
「俺はあの子のためなら、普通になれる」
青宗は青宗なりに覚悟を決めている様だった。彼の目を見て一は溜息を一つ吐き、黙る。
……勝手にしろよ。俺は何もしねぇから」
「ああ。勝手にする」
一は何も言わなかった。やる気に満ち溢れた青宗に余計な横槍を入れる事はしなかった。それが彼女と出会った時に着ていた服は自分達の特攻服で、もう取り繕う事も出来ないのではないかと言う言葉だとしても一は飲み込んだのだった。
そこから数日後、武道と青宗は出会う事となり、やっとお互いの名前を知る。しかしお互いが暴走族であり、それぞれ黒龍と東卍と対立している組織の一因である事をひた隠しにしながら恋をするのであった。

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