ピンクベージュの美しい髪をした女性が横を通った。その美しさに私は思わず振り向き、目で追い駆ける。彼女は教会の前で子供の別れの言葉にに手を振って応えていた男性に駆け寄り、ハグをした。
「あら、牧師様の奥様かしら?」
一緒に教会に来た隣の家のご婦人は頬に手を当てて言う。私も一度はそう思うもあの牧師が結婚しているなど聞いた事がなかった。私は首を捻ってやんわりと否定する。
「そんな話、聞いた事ありませんわ。多分違うのではなくて?」
「そうねぇ。なら家族か…もしかしたら恋人の方かしら」
「美しい髪をしているわね」
「本当ね。どんな人なのかしらね。紹介してくれないかしら」
何かを話す牧師に向かって彼女は微笑んだ。その笑顔はまるで向日葵の花の様に眩しくてとても愛嬌がある。あんな綺麗な笑顔をするのだからきっと良い人なのだろうと、私は既に先を行くご婦人の跡を追った。
*****
振り下ろした斧が何か固い物につっかえる。しかしそれだけで手を離す訳もなく、更に力を込めて切り離す。頬に飛んだ液体を親指で拭き取った。
細かく切り、バラしたソレを氷の入ったクーラーボックスに入れ、教会に持ち帰る。そして地下室の冷蔵庫にしまい、ソレの一つをクーラーボックスに入れたまま家に帰った。
家に帰り、寝室の扉を開けると一人の女性が鏡を見ながらその前でクルクルと回る。ピンクベージュの髪が、黒いドレスがふわふわと揺れた。
「イタドリ」
「フシグロ」
「何してんだ?」
「いや、ちゃんと女になれてっかなって」
「大丈夫だ。ちゃんと女だぞ。胸もケツもでけぇし」
「最悪。オマエもっと他に言う事あんだろ。可愛いとか、上手いなとか」
「髪は、巻いた方が可愛い」
「オマエの要望を聞いた訳じゃねぇんだけど」
もういいやと溜息を吐く。イタドリは片足を引き、器用に一度ターンをする。するとみるみるうちに姿形は変わり、先程愛らしい女性がいた場所には筋肉質な男性が立っていた。その男の頭部には羊の様な角が生えている。彼はまさしく悪魔だった。
「街じゃあ女の俺の事、婚約者って言われてるらしいよ」
「何が問題だ?」
「いや、そうなったらその先どうすりゃ良いんだろって」
「俺は神父じゃなくて牧師だから結婚出来るぞ」
「オマエが出来ても俺は出来ねぇよ。悪魔だから戸籍とかねぇし」
「じゃあ結婚指輪だけ嵌めて適当に結婚したって言えばいい」
「…まぁ、それもそっか」
二人で部屋を出て食事のスペースへと向かう。席に着いたイタドリにフシグロは皿を出し、クーラーボックスを開ける。その中に入れていた人間の腕をそこに出した。中に敷き詰められた氷は血に染まり真っ赤になっていた。
「今日死んだ人間の腕パクってきた。欠損だらけの惨殺死体だから腕の一本バレねぇよ。最近殺人事件あったろ」
「それは知ってるけど」
「それだ」
「……本当に?」
「ああ」
強く頷くフシグロを見てイタドリはナイフとフォークで腕を切る。そして口に運び、咀嚼した。
「どうだ?」
「まぁ…うん」
「そうか。良かった」
イタドリは未だ疑っている様で腕の肉を咀嚼しながら時にフシグロの方に視線を向ける。実際、この腕の持ち主は今さっきフシグロが殺してきたばかりなのだ。そこまでするのも全て、彼が狂信的、そして盲目的に愛する目の前の悪魔のためであった。
フシグロが彼と出会ったのは姉の葬式の時だ。事故で亡くなった姉が土に埋まるのを見送った後、何事も無かったかのようににこやかに会食する姉の友人や仕事仲間を見て強い吐き気を感じた。お手洗いに立つと頭を垂れるフシグロがトイレで蹲っている時、イタドリは現れた。
どこからともなく現れた彼は姉を亡くしたフシグロに同情の言葉をかける。最初はくだらないと一瞥していたフシグロだが振り向き、見た彼の表情は本当に悲しそうに歪められていてひどく驚いたのを覚えている。
雄々しい角から彼が悪魔である事は分かっていたし、フシグロも聖職者であった。普通ならば悪魔を突きはねるなり退魔するなりと何かしらの抵抗を見せるのだろうが彼は違う。イタドリの顔を見つめて姉について話をした。牧師をやっているフシグロだったがその実、神など信じていなかった。それならば善人である姉は死ななかったはずだ。
イタドリは悪魔のくせにフシグロの話に眉を下げ、頷く。その様子にフシグロは深く心を打たれて彼に心酔するようになった。悪魔などといった種族は関係無く、姉のような善人としてイタドリを愛した。
交流をしてみて分かった事だがこの悪魔に人を殺す気などない。大きく腹の虫を鳴らすたびに悪魔になんかなりたくなかったと言葉を零す。穢れの知らない稀有な悪魔のためにフシグロはこうして人を殺すのだ。まるで悪魔のようだった。
「牧師が悪魔匿ってんのバレたらどうなんの?」
「ギロチン」
「お、おー…」
「大した事じゃねぇよ」
「大した事だよ何言ってんだ」
「別に生きたいなんて思わないしな」
「他の悪魔が聞いたら手を叩いて喜びそうな言葉…」
「そうやって悲しい顔をするオマエだから俺は側にいるんだ」
食事の手も止まる。イタドリはフシグロの言葉に目を伏せ、口を噤んでいた。フシグロの言葉に悲しげな顔を見せるイタドリは到底悪魔とは思えない。
「なぁイタドリ。俺が死んだら俺の死体を食ってくれ」
「もう何万回と聞いた」
「オマエが頷いてくれねぇからだろ。心はもうオマエのものだから次は身体をやるだけじゃねぇか」
「そういうのは綺麗なねーちゃんナンパする時に使いなよ」
「そんな軽い気持ちで言ってねぇ」
イタドリにフシグロを取って食う意思などない。それを分かってフシグロはしつこくそう懇願するのだった。土に埋められて腐るくらいならイタドリの一部になりたいと大真面目な顔をして言う。
「俺にはもう墓参りに来てくれる様な家族がいねぇ。墓作ったって意味ねぇんだ。金の無駄」
「死ぬんだから金の無駄とか無いでしょ」
「時間が経つにつれて風化していくんなら作る意味もねぇだろ」
「俺が行くよ。花持って、フシグロの墓参り」
「いらねぇ。来ても俺はオマエと話せない」
「フシグロがそうやって墓参りしにくる人拒むんだからそりゃ誰も来ねーよ」
「拒んでねぇよ。言葉も交わせないのに無駄って言ってるだけだ」
「うーん…」
「他人の死も尊べない人間のいる世界に肉の一片も残す必要なんてないだろ。全部食ってこの世界から存在を消してくれ」
イタドリは何も言わない。困った様に眉を下げてゆるく口角を上げるのみだった。
「神の僕の癖に悪魔に身を捧げるとかイカれた牧師だな」
「仕事だからな」
それ以降何も言わず、イタドリは皿に乗った腕を食べた。皿に血が滴り、赤い液溜まりを作る。目を伏せて後ろめたそうな顔で肉を咀嚼するイタドリを見つめて、フシグロは満足そうに笑った。皿に乗る血色の悪い腕がいつか自分に変わる事を想像した。