はぁと大きな溜息を吐いて、雪宮は頬杖をつく。そんな男の様子にうざったそうな顔をして、烏はアイスコーヒーのストローを回した。
「何やねん、急に」
「どーせ潔の事でしょ〜」
フラペチーノを飲み、スマホから視線を離さずに乙夜は言う。間違っていないというか無論大正解のため、雪宮はうんともすんとも言わずにマイペースに話を進める。
「今日何の日だって聞いてみた」
「めんどくさ、女かお前は」
「烏、あんまそう言う女で括るのやめた方がいい。フェミニストに叩かれる」
「せやな」
世は大インターネット時代。一般人の些細な呟きですら炎上する可能性を大いに秘めているのだから、ある程度の有名人であれば尚更である。烏もそこに対しての危機意識は持ち合わせている様で誤魔化すように口を押さえつつ、今の無しと首を振った。
「それに対しての潔の答えが『あー…うん、あれだよね〜』だったから」
「分からんやつやん」
「喧嘩して飛び出てきた」
「それは普通彼氏やなくて彼女がするもんやろ」
「まあユッキーだし」
とはいえ雪宮だからと納得する烏はいて。見た目だけは男前な外見の雪宮と細く柔らかい潔だが実の所、内面は逆の様なもので。粘着質で繊細で細かく物を覚えているのが彼だったし、対して思い切りが良くてさっぱりしているのが彼女だった。
「因みに今日は何の記念日なの?初めてキスした日とか?」
「どないしよ、相合傘記念日とかやったら。ほんましょーもない日やったらあの凡に同情するわ。分かるかー!言うてな。付き合わされてかわいそうや」
半笑いの乙夜とニヤついた笑みを浮かべる烏。それぞれがからかいの構えを取っているところで雪宮は遠い目で呟いた。
「付き合い始めた日です」
「え」
「交際開始した日です、今日」
「そこそこ大事な事やった」
「恋人になって数年経ってるのに忘れるんだそれ」
雪宮と潔は付き合って一年目が終わった、と言うわけでは一切無い。数年交際し、昨年同棲に漕ぎ着けて後は新たな進展を待つのみ、なんて関係だ。その上で彼女は交際を開始した日を見事に忘れ去っているのである。
「去年せえへんかったんか?」
「しなかったよ。俺も潔も予定入ってて、別に会ってないしラインもいれなかったけど。まあ来年も一緒にいるだろうしその時にやればいいかって思ってた」
「まあ一緒にはいるけど」
「まさか丸ごと忘れられるとは俺も想定外だよ。うーん、流石規格外の女。俺の手には到底負えません。分からん」
「褒めてんのか怒ってんのかどっちや」
「怒ってんだよ!」
「まぁでも記念日っていちいち覚えてらんねーっしょ。俺も忘れる」
「お前はせやろな!」
「君はそうだろうね!」
「ハモるねぇ」
潔に怒ってはいるけれど、両の手では収まりきらない程に彼女を作った男と可愛い自分の彼女を同列に扱われたくないと雪宮は思った。二人から突っ込まれて、何だか面白くなった乙夜はニヤニヤと笑っている。
「気遣いの出来るやつやと思ってたけど案外ざっくりしてるんやな」
「ほんっとに大雑把なんだよあの子!どうでもいい事はすぐ忘れる!俺と付き合った日は潔にとってどうでもいいって事!?ハァ!?」
「一人で楽しそうだね〜」
「ユッキーって凡の事に関してはほんま喧しいな」
一人で騒いで一人で完結して一人でキレる。一人で大層な劇を繰り広げている雪宮を客観的に見る烏と乙夜は、見世物小屋を見るかの様な奇怪そうな目を向けている。
「まあ、元々ユッキーの一方通行感は凄かったし、今更じゃね?」
「せやな。よお同棲まで漕ぎ着けたなて俺もびっくりしてるわ」
「あの子照れ屋だから外ではそう言う態度出さないみたいだけど」
なんだか不穏な言葉。それ俺らが聞いていいやつ?と目配せをするけどむぅと不機嫌そうな雪宮は気付かない。
「偶に甘えてくるの可愛いから、猫みたいで。潔は俺の事大好きだもんね」
「……何も聞いてへーん。俺は知らん」
「なんかやだな、友達の惚気」
「彼女側も顔思い浮かぶって言うのがめっちゃ嫌やな」
「好きじゃないと外で腕なんか組まないでしょ」
「もう黙ってくれユッキー」
「すげー潔の女の部分超複雑」
キュッと眉間に皺を寄せ、なんだか気まずそうな顔を浮かべる。二人の反応など雪宮にとっては完全にどうでも良くて、不機嫌そうな様子から一転、少し悲しそうな顔をした。
「…結婚記念日とかもゆくゆくは忘れ去られるんだろうか」
「結婚してないのに記念日の事考えてる」
「忘れてたらどないすんねん」
「どうするかは分からないけどすごく悲しくなる」
「そんな幼稚園児の感想やないんだから」
「すごい悲しい、今も」
短い言葉から伝わる、いっぱいの悲壮感。面倒だねと顔を見合わせて肩を竦めた。
「何しようと思ってたん?」
「別に特別な事はしようとか思ってないけどさ、普通にプレゼントあげようと思ってた」
「何を?」
「俺が選んできたデパコスセットと高めのスキンケア用品。あの子だけでもそれなりに稼いでるくせにプチプラしか使わないから」
「…?なに?」
「烏は分かんねーだろーね」
脳味噌に流れ込む横文字に首を傾げる烏。そんな彼の横で乙夜はスマホを見ながら茶々を入れる。
「安直にお菓子とか花じゃなくてそう言う日用品なの、ユッキーっぽい」
「…別に、そう言うのは貰っても困んないだろうし」
「渡した?」
「喧嘩して出て来たのに渡してる訳ないじゃん。…まあ詳しく言えば喧嘩っていうか俺が一方的に啖呵切って出てっただけなんだけど」
そう言ってへにゃへにゃとテーブルに伏せる。元気の無い男を二人は静かに眺めた。
「ユッキーはどうしたいん?」
「…分かんない。ムカついて飛び出して来ただけだから」
「潔に謝ってほしーの?」
「……何だか、別にそういう訳でもないような気がして」
ただ少し愚痴りたかっただけなのかも。雪宮はそう言葉を続け、また覇気の無い息を吐いた。
「…じゃあ私来ない方が良かった?」
落ち着いた女性の声が聞こえて雪宮は顔を上げる。彼の隣に立っていたのは花柄の可愛らしいワンピースに身を包んだ潔だった。少し困った様な顔で首を傾げる彼女に雪宮は『あ』と口を開く。
「かわいい」
「うん、ありがと〜」
「何でいんの?」
「乙夜がいるよってラインくれたから迎えに」
乙夜を見ればスマホ片手にピースサインを見せる。彼を一瞥し、雪宮の視線はすぐに潔に戻った。
「……俺怒ってるんだよ」
「忘れちゃってたのはごめん」
「付き合った日とか、潔にとってはどうでも良い事だったの?」
「そう言う訳じゃ無いけど、…私は、記念日だけが特別じゃなくて、雪宮と過ごす毎日をずっと丁寧に過ごしていきたいって思ってるよ」
忘れてた言い訳にしては良いように言ったなと思うけれど。何だかんだで雪宮は絆されてしまうのだ。潔をチラリと見て彼は溜息を吐く。
「潔俺の事好き?」
雪宮の質問に潔は視線を逸らす。様子を伺う烏と乙夜を確認しながら、ツンと言葉を返す。
「…好きじゃなきゃ一緒に住んでないでしょ」
「……じゃあいいや」
「…雪宮さえ良ければこのままどっかいこうかなって思ってたんですけど、行かない?」
「行くし」
ムッと恥ずかしそうな様子の潔を見て少しだけ満足そうに口角を上げる雪宮。残っていたアイスコーヒーを一気に飲み込んで、捨てて来るから待っててと腰を上げた。空の容器を持って退席する男を見送ってから、潔は烏と乙夜に眉を下げる。
「ごめんね、雪宮が」
「巻き込むなよ俺らを」
「ちゃんと手綱握っとかないとダメじゃーん」
「めんどくさいでしょ、割とああなりがちなの」
今回は多少は私が悪いけどと補足する。それでも悪いのは多少なんだと口にはしないが思ったところで、潔は悪戯をした子供の様な顔で笑った。
「でも扱いは簡単だから」
「…悪い女やな〜、お前」
「えへ、可愛いんだよ、雪宮」
そう目を細めた潔は戻って来た雪宮を見て踵を返す。彼女は烏と乙夜に小さく手を振り、雪宮の腕に手を伸ばした。残された二人は手元の飲み物に口をつけながら、どこか疲れた様な顔を見合わせる。
「やっぱユッキーって女の子に振り回されるタイプだよね」
「いや、潔だからやと思うで」
「まあ、ユッキー幸せそうだし良いんじゃない?」
「関係ないしな、俺には」
犬もくわない喧嘩に勝手に巻き込まれ、烏は頬杖を突く。対して雪宮達の事はもう気にしていない乙夜は、『女の子呼んで夜飲む?』と彼を誘うけれど。『行かんわ』とつれない反応で、そこで二人の会話は終わったのだった。