好きな人が出来た。Jリーグの試合を見に行った時、偶然席が隣り合った少女だった。サッカーはまだあまり詳しくなくてと遠慮がちに言う俺を馬鹿にする事なく、『そうなんだね』と笑って色々教えてくれたのが始まり。
別にルールは知っていたし、選手の名前と顔がまだ一致していなかっただけで無知というわけではなかったけれど。まあ、要するに社交辞令的にカマトトぶった俺にまんまと騙された彼女は、当たり前の様に見ず知らず、どんな奴かも分からない俺に優しくしてくれたのだ。
このご時世に不用心だとは思うけど、そのおかげで彼女と関係を続けられたのは事実で。サッカーを理由に今まで何度も買い物等に付き合わせていた。まるでデートの真似事だった。
今日だってスパイクの紐が切れてしまって、替えのものを買いに来たところだった。『分からないから選んでよ』と知らないふりをして甘えながら。そんなもの一人でさっさと買えば良いと思うけれど、利用出来るものは利用して途切れずこまめに接点を持っておきたい。これは恋愛だろうがビジネスだろうが多分大切な事だと思っている。
「これは切れにくい丈夫なものだよ。うーん、でもこれだと結構伸縮性があって履きやすくなるとは思う」
「色々あるんだな」
「色々って玲王の使うものでしょ〜?自分でも考えなよ〜?」
「考えてるって」
種類の違う靴紐を手に、購入する本人より悩まし気な彼女。唇をキュッと尖らせて、手元の商品と睨めっこである。その後ろから彼女の手元を覗き込む、ふりをして上から彼女の全身を眺める。
健康食の肌、程よい肉付き、艶々の黒髪。清潔感のあるその見た目は十中八九育ちの良い、一般的な恵まれた家庭の人間という証である。どこかまだ幼い顔と大きな瞳は男を惑わせるには十分な代物だった。
俺の女の好みは夜が似合う大人っぽい女性で、でも彼女は太陽の一番高い真昼に笑うのが良く似合っている聡明な女の子で。その場で言った事など何の当てにもならないなと苦笑したものだ。
「色とか拘りある?」
「…何色が似合うと思う?」
「何そのフリ。えー…紫とか?」
「よく言われる〜」
「じゃあこのレインボーカラーでも買えば?」
「俺なら多分似合っちまうな」
「ムカつくんだけど」
軽口を叩いてまるで鈴の音色みたいに綺麗に笑う彼女。目を細めて楽しそうにする姿はどんな女優やモデルよりも華やかで愛らしい。まさに衝動的に、盛り上がった勢いで彼女の手を握ってしまおうかと手を伸ばした時、誰かに強い力で手首を掴まれ、雑に振り払われた。
「……は…?凪…?」
「ちょ、っと、待ってよ…!」
「え」
「なんで潔が玲王と一緒にいんの?」
いつもは眠たそうに伏せられた目を丸くして、凪は彼女、潔を凝視していた。潔も驚いた顔をして凪を見ている。
「いや、お前が何でいんの!?」
「潔と玲王って付き合ってるの?」
「人の話聞けよ…違うって。ただの友達」
潔の言葉を聞いて凪は黙る。そして困惑顔の玲王をジッと見つめて口を開いた。
「い、潔に手出さないで」
「………俺が誰と何しようがお前に関係ないだろ」
「だめ、潔だけはだめ。お、俺、潔に不自由させない自信はあるけど、絶対お金は玲王に負けるし」
「おい、凪お前っ」
「だって俺それなりにカッコいいし清潔感もあって良い男だよなって思うけど、玲王が相手だと勝てる気しないもん、全体的に」
「何その自己肯定感」
「そもそも、潔は俺のお嫁さんになるから、横取りしないで」
凪の突飛な発言に俺は耳を疑った。お嫁さんになる?何言ってんだこいつ。まるで宇宙人でも見る様な目で睨んでいると、潔は大きな声を上げた。
「いつの話してんの!?小さい頃の事じゃん!?」
「なんで、いいじゃん。そう言ったのは潔なのに約束破るの?」
「子供の頃の口約束なんて誰も真に受けねぇよ…」
「ちょっと待て。お前らってどう言う関係?」
潔と凪の関係性が見えずに俺は思わず聞いてしまう。ムッとした表情の凪が俺をチラリと見て得意げに言った。
「幼馴染み」
「ちげーよ。おばあちゃん家が凪の家の近くにあって帰省するたびによく遊んでたって言うだけ。年長さんくらいの時におばあちゃん亡くなったし、それ以降会う事もなくなった」
「じゃあ久しぶりの再会じゃねぇのか?」
「…中学の時ツイッターフォローしてきてそこからまた会うようになったの」
「頑張ってアカウント探した」
「…偶然見つけたじゃなくて探しただから、ちょっとストーカーチックで怖いんだよな…」
「何でそんな冷たいの。俺潔の事こんなに好きなのに…」
「ハイハイありがとありがと。…ごめん玲王。騒がしくて…」
「あー…まあ…」
確かに騒がしい事には騒がしい。実際この騒ぎのせいで店内の人間が全員こちらを見ているのだから、否定は出来なかった。
「…てか玲王と凪って知り合い?」
「…同じ高校の、サッカー部…」
「うっそ…マジで?」
「マジだな…俺からすればまさか潔と凪が知り合いだったとは」
「いや、ほんと…世界って狭いね。あ、もしさ、公式の試合とか出る時あったら見に行っても良い?」
「おう。勿論良いぜ。熱い応援期待してるわ」
「えー、どうしよっかなぁ」
「やめて!俺無視してイチャつかないで!」
「イチャついてねぇよ!適当な事言うなバカ!」
潔は眉間に皺を寄せ、凪の脇腹をぽこんと殴る。俺と言えば未だにこんなに勢いのある凪に全く慣れず、置いていかれ気味だ。なんかコイツ、めちゃくちゃ元気じゃん。
「だめ。だめだめだめ!玲王も誰でもだめ!潔は俺の!俺のお嫁さんだもん!」
「お前のじゃない。こんなとこで騒ぐな」
「本人否定してるぞ」
「照れ隠し!」
「な訳あるか!」
「と見せかけて」
「ダルい絡みやめろ!…ごめん玲王………」
「あー……………おう……だいじょぶ…おつかれ………」
疲れた表情の潔。けれど頻繁に抱き付いてくる凪を振り払おうとはしない。待って、これ案外潔側も満更ではないのかもしれない。その考えに行き着き、少しだけ焦った俺は潔に回る凪の腕をパチンと叩いた。
「公衆の面前であんま抱き付いてやんなよ」
「……………恋人が手繋ぐようなもんでしょ。腕組んで歩くのと何が違うの」
「状況が違うな」
「それはもう良いよ、ありがと玲王。コイツ言っても聞かないから諦めた」
「………お前それで良いのか凪」
「……自分なんか手も握れなかったくせに」
「は!?それはっ…!」
「…もう凪重い!てか店の中でこの話し続けるのマジで迷惑だから一旦出よ!」
体重を乗せて甘えてくる凪の額を叩き、凪と俺の手を掴んで急いで店を出た。騒ぎすぎて色々な人から注目されている中を、潔は恥ずかしそうに通り抜けていく。
日曜日にゆっくり話せる場所などあるはずもなく、どこも人でごった返していた。迷った末、フードコートで偶然空いた四人席に三人で座る。勿論、凪は潔の隣を譲らなかった。
「潔、玲王とはどこで会ったの?」
「普通にJリーグの試合で」
「…?え、なんで、玲王、潔の何を狙ってるの?」
「やめろその言い方」
「わざわざ自分から知らない人に絡みに行くメリット玲王にないじゃん。そんな事しないでしょいつも」
確かにそうだった。俺は人間関係もある程度取捨選択してきた人生だった。そもそも身分を明かせば人などライトに群がる蛾の様にやってきたものだ。けれど潔はわざわざ自分の身分を隠して、多少強引にでも関係を持ちたいと熱望した人で。
好きだって気持ちはあったけれど、それがどこから始まったものなのかはどうにも分からなかった。始まりの分からない恋心を偶に疑問にだって思っていたけれど。でも、これって多分。
「…………………え、おれ、潔に一目惚れしたのか…」
「…………………えっ、は……ぁえ…………?」
始まりはきっとあの時だった。最初からもう始まっていた気持ちだったのだ。言葉にして初めて脳味噌に焼き付く事実。ポツリと発した言葉は潔にも聞こえてしまっていて、ほんのりと赤い顔で目を見開いていた。
「………俺が好きって言っても普通の顔してんのになんで玲王の時だけそんな顔すんの潔」
「…だって、人から告白されたの初めてだし…」
「俺は?」
「…なんか親戚のちっちゃい子って感じ」
「………………違うよ」
「違うのは知ってる」
ブスくれた顔の凪は潔の方へ身体を傾け、寄りかかる。そんな凪を押し退け、潔は溜息を吐いた。
「重いって凪。………………あの、ちなみに玲王は現在進行的に私の事が」
「……………好き、だな」
「お、おあ〜…そっか…」
「…俺の方が先に好きだったし」
「わかったよ」
「……そうやって、流さないでよ」
凪らしからぬ、至って真剣な声。完全に流していた潔も驚いて凪の顔を見る。
「俺だって、俺のほうが潔の事好きだし。今までだってずっと嘘でも冷やかしでも何でもなかったのに、同じ事玲王に言われたらあんな反応するの、ずるい」
「な、凪…?」
「俺にもさ、もっと真剣になってくれてもいいじゃんか」
真剣な凪に潔は困り果てていた。かく言う俺も困惑を隠し切れない。こんなに感情豊かで生き生きしている凪など、見た事がなかったからだ。いつものコイツマジで何なんだよと額を押さえてしまう。
「え、えっと…」
「…玲王」
「…………えっ、あ、ああ」
「潔は昔から俺のだから、取らないで。お願い」
凪は俺の宝物だった。サッカーで抱いた俺の夢を叶えてくれるであろう、唯一の存在だった。大切だった。そんな凪が俺にお願いをしているのだから、叶えてあげたくもなるはずなのに全くその気は起きなくて。彼のために諦めてあげようなんて譲歩は一切出来なかった。言葉に詰まり、言い淀む俺に凪は畳み込んでくる。
「玲王にとって俺が大切みたいに、俺にとって潔は大切だから取らないでよ、玲王」
まるで子供の様に頼み込んでくる。お気に入りのおもちゃを大事に胸に抱え込む小さな子供の様に。
「…何だって、…持ってるし貰えるんだから、潔まで手に入れようなんて思わないでよ」
琴線をスッと撫でる。ほつれた場所からプツプツと切れてしまいそうになりながらも、玲王は依然として黙った。
「おれの、いさぎなんだよ」
「………凪の、ではないけど、全然」
困惑、放心状態から戻ってきた潔がボソリと突っ込みを入れる。それから潔は凪に謝罪した。
「…ごめん。正直冗談半分かなって思ってた。同じ冗談何回も擦ってタチ悪ィなコイツおもんねぇな…って思ってたけど本気なんだ」
「口悪いな」
「でも、正直本気って言われてもどうすれば良いか分からないから、今の所、凪には応えてあげられない。ごめんな」
「………いじわるだね」
「あと……凪の口ぶりからするに、玲王って結構お金持ちだったりする?…『みかげ』って、玲王は関係無いって言ってたけどあのコーポレーションと関係あるんじゃないの?」
潔には伝えていない事だった。潔とは金や家柄で繋がるのではなく、玲王としての個人を見て欲しかった、そう言う俺の我儘だった。きっと多分、そのフラットな関係ももう終わりだ。人は往々にして大きなものに捉われ、長いものに巻かれる性質がある。
俺があの御影の息子だと分かった途端、人は簡単に態度を変える。取り入ろうと俺の事を絡め取ってくる。きっと世界に無償の愛とかそう言うものなんて存在しないのだろうと思うのはあまりにも容易い事で、俺は彼女の言葉に否定も肯定もせず息を吐いた。
好きだったのにな、笑顔とか全部。今にも崩れてドロドロに溶けてしまいそうな想いが、絶妙なバランス感で屹立している。消えてなくなる前にいい思いの一つでもしてみたかったななんて欲を抱く玲王に潔は答えた。
「そうだったら規格外の金持ちじゃん!すごいね」
「………そーかもな」
「ビル・ゲイツって超金持ちじゃなかった?何した人だっけ。ニュースで名前見たことある」
「マイクロソフト作った人だよ」
「そうだ!その人くらい玲王も凄い金持ちってこと?」
「………流石にそのレベルでは無いかもしれないけど」
「そうなんだー。マイクロソフトだもんね〜。そう言えばロナウドとかメッシとかも番付にランクインするくらいの年俸じゃなかった?」
と言ったところで流れる様にサッカーの話をし始める潔。黙って聞いていても俺の話に戻る事も、媚を売ってくる事もなく最終的にはノア様がといつものノアトークを繰り出そうとしていた。
「お、おれ、御影、コーポレーションの一人息子、なんだけど」
「ん?あ、やっぱそうなんだ。すごー…!こんな人身近にいるんだねぇ、すごいね、凪」
「んー」
「…それ、だけ?」
「え、他になんか反応欲しかった感じ?」
首を傾げる潔に、俺は首を振った。大丈夫、ありがとうと例を伝えれば、彼女は困った様に首を捻った。
「なんで?お礼?」
「なんでもない」
「…玲王は、多分潔が色眼鏡で見てこない事が嬉しかったんだと思うよ」
「………あのなぁ、凪。それ察しててもわざわざ言わない事だろうが。黙ってろよ」
「えー。だって潔が訳分かんないって顔してたから」
「全く……そりゃ、びっくりするけどさ、だって私が玲王に取り入ってどうすんの…?玲王の親と繋がれても困るし。それに玲王に強請ってなんか買ってもらうとか子供みたいな事、友達に出来る訳ないじゃんか。友達とのお金のやり取りはトラブルにもなり得るし、基本的にはダメな事だよ…?困るな、それで友達減っちゃうの」
困った様に眉を下げて笑う彼女が何だか眩しかった。『俺は死ぬまで介護してほしい〜めんどい〜』なんて最低な事を言う凪の頬を摘み、コラ!と叱る潔が本当に愛おしく思えて仕方がない。
凪にだって俺は何かを求めてきた。凪のその天賦の才に俺は捉われて、その対価として全てを提供してきた。けれど潔に何を求める気も起きなくて強いて言えば隣にいてほしい、それだけだった。寧ろなんだって無償で与えてあげたいとさえ思ってしまって、でもやたらめったらそんな事をしていたらきっと潔は困ってしまう。
「…悪い、凪」
「ん?」
「潔の事諦めるなんて絶対無理」
「…え」
「より好きになっちまったから」
「なっ」
「俺にとっても大切になった、潔の事」
潔の顔はどんどん赤くなっていく。凪以外の他人から好意を囁かれる事に本当に耐性がないようだった。
「だめだって!潔はお、れ、のっ!」
「誰のものでもありません」
「ま、こればっかりは譲れねぇわ。ごめんな、凪」
ムスッとした凪、ニコニコと笑う俺。その間で潔は黙って目を回すのだった。