とりま投げ銭させてくれ

鶴蝶くんが結婚した。そんなニュースをツイッターで見た。
鶴蝶くんは天竺というロックバンドのドラム担当だった。天竺は事務所の方針もあり、有線でのオンエアが多いアーティストだった。だから普通のバンドよりも露出が多く、バンドと言うよりかはアイドルやタレントと言った感じだ。女性ファンは多いし、その大半がアイドル相手の様な推し方をしている。それは私も例外ではなく、鶴蝶くんの事はアイドルだと思っていた。
唐突な結婚発表に最初は憤った。どうして、何でファンを裏切ったんだ。でもよくよく考えてみると天竺はアイドルじゃないし、恋愛禁止のロックバンドなんて少ないと思う。アイドルなら兎も角としてそれだと怒る理由がない。昂った熱は急激に冷め、私は何だか虚しくなった。何だろう、このやり場のない感情は。
ツイッターで同じ感情を抱くフォロワーにリプを送ったり、通話をしたりしてストレスも鬱憤も晴らしたつもりだったけど本当につもりだった。全然晴れてない。鬱屈とした気分のまま、私は遂にはスマホを投げ出し、布団に包まり不貞寝した。
翌日も翌々日も元気のないまま仕事をして、帰る。いつも以上に死んだ顔で電車に揺られながら窓の外に見える電線をひたすらに目で追った。家に帰り、適当にご飯を作り、食べる。この無気力はいつまで続くのかと思いながらツイッターを見た時、私は食べていた春雨サラダを思い切り喉に詰まらせた。
「げほっ!げほっ、うぇっ…え、鶴蝶くんがYouTubeやってる!」
鶴蝶くんはSNSを更新しない。公式のツイッターアカウントはあるけれど、どれも番組の告知や新曲の宣伝など事務的なものだった。彼の生活感なんて、他のメンバーや友人達のSNSからでしか得られないのだが。そんな鶴蝶くんがYouTubeを始めた。これには界隈の屍たちも大歓喜。頭に鳴り響くのは祭囃子だ。気分を高揚させながらチャンネル名を見る。
「…俺と奥さん……?」
あれ、想像と違うじゃん。鶴蝶くんだけではなく、何と奥さんも着いてきた。これは完全に勝手に思っているだけだが、この見知らぬ鶴蝶くんの奥さんの事を泥棒猫と思っているので全く良い気はしなかった。本当に私が勝手に思っているだけで向こうからすれば失礼な話だけど。テンションはダダ下がりだった。
「えー、嫁ェ?」
思わず呟いてしまった。正直、あまり気は進まない。だが公式ツイッターやブログとはまた違う、YouTubeだ。まだ見ぬ鶴蝶くんが見られる良い機会でしかない。鶴蝶くんが結婚してる姿とか凄く複雑だけど、私には見る以外の選択肢がなかった。
URLをタップし、チャンネルを開く。チャンネルのアイコンは女性の後ろ姿。多分嫁。それだけで凄く萎えてしまったけれど、おおよそ二十分程度の一本の動画が上げられている事に気付き、急いでタップした。
「『ケーキを作る旦那』…?鶴蝶くんケーキ作んの?」
ぐるぐるとロードの輪っかが回り、再生される。アコギの綺麗な音色と共に、チャンネルタイトル『俺と奥さん』がお洒落フォントで表示された。若い女の子のVlogの様な小洒落たオープニングに思わず笑ってしまう。鶴蝶くんのYouTubeこんな感じなんだ。
『……えーっと、鶴蝶です。今回は夜遅くまで仕事を頑張ってる妻のためにケーキを作りたいと、思う…思います…?ん?』
鶴蝶くんはどうやらYouTubeの勝手が分かっていないらしく、どう喋れば良いのか分からないようだった。好きに喋ってくれ、推し。てか奥さんの仕事って何だろ。
『俺も初めて作るから全く分かんねぇけどとりあえずやるか』
スマホを片手に材料をキッチンに並べ、忙しなく右往左往する。そのお菓子作り初心者丸出しな様子にまた笑った。
「お菓子作り慣れてないのに初っ端ケーキってマジでオモロ」
『今日作るのはガトーショコラでーす。最近、料理動画とかお菓子作りの動画とかよく見てる。あれすげーよ。めっちゃ面白い。それでさ、見てる内に作りたくなってきて。折角お菓子作るなら俺は奥さんのために作ってあげたいなって思って。だから今日頑張ってみようと思ったんだ』
その言葉を聞き、そして画面を見て私は衝撃を受けた。材料を計量しながらその話をしている鶴蝶くんの横顔はあまりにも優しかった。
「幸せ真っ只中の新婚さんじゃんかよ…」
無意識でそう呟いてしまった。その内新婚さんいらっしゃいにも呼ばれそうな、甘い甘い表情。今まで出演した恋愛ドラマや映画よりも甘酸っぱく、蕩けそうな表情だった。
その表情に私は黙らされた。もしかして私が嫁かよ〜とかって不満垂れてるの、凄くみっともない事?だって推しがこんな顔してんだよ?応援するのがオタクじゃない?何だか心のモヤモヤが少し晴れた気がした。見知らぬ女の事はまだ受け止めきれていないけれど、鶴蝶くんがこんな幸せそうならそれで良いかもしれない。私はそう思いながらYouTubeを眺めた。
ケーキ作りは初めてとは思えない程手際よく進んでいた。まあ、鶴蝶くん要量良いから何でもそつなくこなしちゃうよね。熱で溶かしたチョコレートを手早く掻き混ぜる推しの姿を誇らしく思った。
『…俺のYouTubeだし、奥さんの事話しても良いよな?』
「えっ」
『奥さんとはな、幼馴染みなんだ。つっても小二くらいの頃に俺が引っ越して一度は疎遠になっちまったんだけど、再会出来てな』
「お、おさな、なじ…」
全身に走る強い電撃。衝撃だった。何?鶴蝶くんと奥さんって幼馴染みなの?え、ネットニュースそんな事書いてたっけ?あんまちゃんと読んでないから分かんないわ。
いやいや、無理じゃん。幼馴染みに勝るものなんか何も無いじゃん。完敗だわ、私はその土俵にすら立ててないけど。
『奥さんはなドジでバカだけど凄ェ強くて優しい奴でさ、…これがめちゃくちゃモテるんだよな。ライバルなんか何人だったか。もうホント、俺のな、奥さんの事好きな奴こぞって内面に惹かれてるから全員ガチだし、誰も引き下がるとか諦めるとかしねぇし、熾烈すぎた争いだったな』
「一人の女を巡る男達の熾烈な争い…?」
それはどこの国で起こった事だろうか。少女漫画というより逆バチェラー。そんな事が実際にあったんだと唖然だ。
『だからそん中でも俺の手を取ってくれたのは、やっぱ凄ェ嬉しくてさ、ちゃんと幸せにしなきゃって思ったんだ』
「鶴蝶くん…」
『だからこうしてガトーショコラを作ってんだよな〜』
テキパキとケーキ作りを進める鶴蝶くん。鶴蝶くんの表情と今までの話を聞いていると鶴蝶くんの奥さんに対する嫉妬や怒りなんて気付けば無くなっていて、私の心にあるのは彼女がどんな人なのかという好奇心だけだった。鶴蝶くんがベタ惚れしてて、それに留まらず多くの男をガチ惚れさせてきた内面美女って何者?姿は見えないのか?奥さんをひたすらに気にしながら動画を見ているともう既に焼く工程に入っており、ニコニコと笑いながら鶴蝶くんが喋っていた。
『とりあえず作る所はこれで終わり。完成形は俺の奥さんと一緒に楽しんでな。こっから多分翌日に飛ぶかな、多分。実は明日は奥さんがオフだし俺もオフなんだよな。…ふふ、嬉しい。…はい、じゃあ、翌日です』
その言葉と共に場面は変わり、翌日。映されたのは可愛い木のテーブルと椅子。そしてその椅子に腰掛けている一人の女性。顔は隠されていて見えない。けれど鶴蝶くんの家にいる女性と言うだけで彼女が誰だかはすぐに分かった。
「……嫁か?」
『彼女が俺の奥さんでーす』
『カメラ回ってるの?』
『ああ。顔ちゃんと隠すから』
『へへ、はーい。えーっと、こんにちは〜、カクちゃんの奥さんです!…って動画見てる人にはあんまり歓迎されてない?カクちゃんファンの女の子にモテモテだから』
『応援してくれてるんだ。嬉しい限りだよ』
『うん、そうだねぇ。ファンの皆のためにもお仕事頑張らなきゃね〜』
『でもお前も俺のファンだろ?』
『私、人としてはカクちゃんが一番大好きだけどアーティストとしてはイザナくん推しだな』
『えっ』
『嘘だよ。カクちゃんのファンでもあるから悲しい顔しないで』
奥さんはアルトの落ち着いた声でクスクスと笑っている。奥さんに揶揄われて一喜一憂する鶴蝶くん可愛い。
『今日は奥さんにサプライズがあります』
『んー?サプライズ?』
『ちょっと待ってて。今持って来るから』
そう言って鶴蝶くんの足音が遠くなる。その場に残され、ソワソワしている奥さんはカメラに向かって小さく手を振った。
『………奥さん、サプライズはこちらです』
『わぁ!チョコケーキ!』
『ガトーショコラですね』
『え、美味しそう!凄い凄い!誕生日でも何でも無いのにワンホールってすっごく贅沢じゃない?どこで買ったの?』
『どうしたと思う?』
『え?何が?』
『これ、俺が作ったんだ』
鶴蝶くんは奥さんがどんな反応を見せるのか不安そうな顔をしていた。そんな彼の目の前で奥さんは手で口を押さえた。
『えっ!本当?』
『ああ。昨日作った』
『すっごーい!凄いよカクちゃん!これ一人で作ったの?』
『そう』
『白い粉砂糖みたいなのまでかけて超完璧じゃん!え、本当凄い!私、売り物だと思っちゃった!』
『味見はしてねぇから上手く出来てるか分かんねぇけど』
『確かに味も美味しかったら尚最高だけど私はカクちゃんが私のために作ってくれた事が一番嬉しいよ!凄い!ね、写真撮って良い?』
彼女の溢れんばかりの賞賛に鶴蝶くんは目を細めた。照れ臭さを飲み込むように口を閉じている。
『奥さんはいつも夜遅くまで仕事頑張ってるだろ?だから、偶には甘い物食って元気になってほしくて』
『えへへ、カクちゃんありがとう!私すっごく嬉しいな!』
『おう…切り分けるからさ、一切れ食ってみねぇ?』
『カクちゃんも食べる?』
『え、俺は後でちょっと食おうかなって』
『えー、一緒に食べよ?ね。ご飯もおやつも、一人で食べるよりカクちゃんと一緒に食べた方が美味しいもん。ダメ?』
『はー、好き』
画面にデカデカと映る『好き』の二文字。好きすぎて項垂れる鶴蝶くんに奥さんはクスクスと笑っていた。
再び場面は変わり、テーブルの上には切られ、生クリームやミントと共に皿に盛り付けられたケーキと可愛いマグカップ。そこからはほかほかと湯気が立ち上っていた。
『んへー、嬉しいな』
『じゃあ食おうか』
二人はパチンと手を合わせる。『いただきます』と呟き、二人で顔を見合わせて笑った。何だか映画を観ているような気分だった。例えば花恋とか、パターソンとか。二人の動画はそんな日常を切り取った映画の様だった。
奥さんはフォークでケーキを一口サイズに切り、口へ運ぶ。そしてすぐに嬉しそうに声を上げた。
『めっちゃうま!え、ホント美味しいんだけど』
『本当か?』
『本当!カクちゃんも食べて』
鶴蝶くんも一口パクリと食べる。数回噛み、飲み込んだ後で彼は満足そうに微笑んだ。
『成功だな』
『ふふ、そうだね!大成功だ』
『星何?』
『星五つ!ミシュラン!』
『はは、やった』
パクリパクリと全てを食べ終え、空になった皿が残された。奥さんはまだ中身の残っているマグカップを両手で包んでいる。
『残りのケーキも後日ちゃんと食べます』
『カクちゃん、美味しかったよ。本当にありがとう』
『ああ。奥さんの嬉しそうな顔が見れて俺も嬉しい。と言う訳で今回は大切な奥さんにケーキを作ってみた動画でした。喜んでくれて本当に良かった。俺も嬉しいです。ここまで見てくれてありがとうございました。良かったらチャンネル登録と高評価、よろしくお願いします。俺が所属しているロックバンド、天竺も応援よろしくお願いします。それでは、また次回』
『わー、YouTubeの奴ー!』
『……なんかそう言われると凄ェ恥ずかしくなって来るからやめろ』
手を振りながら赤面する鶴蝶くんと楽しそうな奥さんを最後に動画は終わった。私は思わず床に寝転がる。何だ、何だよこの満足感、充実感。あの動画を見ているだけで凄く心が満たされた様な気がした。今ならどんな汚れ仕事でも頑張れてしまう様な、そんな気がしたのだ。つまるところ、要するに。
「か、かわよ〜!」
本来は鶴蝶くん厄介オタクだった私だが、すっかりと奥さんや夫婦の深みにハマってしまった様だった。これが推しカプという概念か。やべぇ、スパチャ投げてぇ。この充実した気持ちをツイッターで呟こうと思えば、動画を見たフォロワーもこぞって同じ事を言っていて、どう読んでも同意しかなかった私はひたすらに『いいね』を押した。ゆっくりとタイムラインをスクロールしていると、私はある投稿を見つける。それは鶴蝶くんのツイッターだった。
『近々奥さんと晩酌生配信するかもしれません。まだ分かんないけど』
その呟きを見た時、私は声なき声で叫んだ。イルカの様に人間には感知出来ない超音波を出してしまった様にも思う。
「スパチャ開けないかな。…お願いだから私に投げ銭させてくれ。頼む」
鶴蝶くんとその奥さん、二人が笑う事でしか得られない栄養素があるんです、私には。たったの数十分しか見ていないのにも関わらず、私はもう奥さんの虜だったのだ。これが男を誑し込む内面美人。どんな顔をしているのかは知らないけれど、確かに逆バチェラー状態にはなりそうだなと思った。高揚感に苛まれていた私は見ていなかった。天竺メンバーのみならず、同じ事務所所属の黒龍や東卍と言ったイケメンアイドルグループ各位のSNSが死ぬ程荒れていた事に。

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