いつも以上にやたらと冷えたその日。ふと覗いたネットニュースの天気予報では、全国的に積雪の予報が出ていた。日本中が零度の風にさらされるところで、ブルーロックも勿論例外ではなく。山奥の、比較的標高の高いところにあるせいで、むしろ平野よりも寒い可能性だってあった。要するに、頭がおかしくなるくらい寒いという事。
氷織は冷え切った廊下を歩きながら、鼻を啜る。廊下にも暖房の空気は流れ込んでいるけれど、その風が全ての空間に行き渡るほどではないというか。ブルーロック自体がそこそこ広いため、どうしても温まり切らないところも存在している。その一つが廊下だったと、それだけだ。
別に元々姿勢がいいわけでは全くなくて。むしろ猫背気味だったのに、ブルーロックを侵食する冗談にもならない寒さによって、氷織の背中は更に小さく縮こまる。全身が自然と力んで、吐く息は薄らと白かった。
「あれ、氷織」
「潔さん」
向かい側から歩いて来る彼女は、いつもは元気良く背を伸ばしているのに。今日は寒すぎるせいで背を少し丸めて、カーディガンのポケットに手を突っ込んでいた。
「氷織猫背〜」
「寒いわ〜、ここめっちゃ冷えるなぁ」
「暖房効いてないよね」
「潔さんは大丈夫なん?女の子って身体冷えやすいんやろ?」
「んー、私がどうかは分かんないけど、寒いのは寒いよ〜。でもタイツ裏起毛だから足は割とあったかい」
「そりゃええわ」
絵心の親戚だからと言って手伝わされて(とは言え本人も希望して来たとの事だが)男ばかりの環境にいるのに、あまつさえ寒さにまで晒されるなんて凄く可哀想に思えてしまって。必要以上に心配してしまうけれど、潔はぽやぽやと柔らかな笑顔を浮かべる。
「氷織指先真っ赤だね」
「ね、ほんまあかんわ、寒すぎて痛い」
「え!大丈夫?」
寒さに耐えきれず、痛みを感じ始めた氷織の指を見てポケットから手を出し、彼に向かって伸ばした。潔の細い手は氷織の大きな手に触れて、彼の指先をギュッと握る。
「え、ほんとに冷たいじゃん。アイスみたい」
「潔さんの手はなんや、めっちゃあったかいわ」
「えー、ふふ、でしょ」
潔さんは得意げに口角を上げ、コロコロと笑う。指先はガチガチに冷え切っているけれど、その実身体の芯は意外とポカポカで。そりゃあバクバクと激しく拍動しているのだから、当然とも言える。
「これ、あるからね」
それから氷織の手にポンと置いたのは小さなカイロ。使い捨てのそれはまだまだ熱々のまま、氷織の掌を温めた。
「カイロや」
「うん!」
「ええね、あったかいわ」
「ブルーロックでもカイロくらい常備する様に私から絵心さんに掛け合ってみよっか?」
「………それはちょっとほんまにお願いしたいかもしれへん」
たまに夜中に目覚めて廊下を歩く時、あまりの寒さに部屋から出るのを躊躇してしまう。そんな時にカイロ一つさえあれば、少しはマシになるのだ。効果的には指先くらいしか温まらなくても、やはり精神的な安定はある。
「……それ、氷織にあげよっか」
「え、ええの?」
「いいよ〜。私、実はもう一個あるもん」
まだ開けてないやつねと笑顔を一つ。可愛らしくて、氷織は甘酸っぱい感情を噛み締める。
「こうやってギュッてして」
潔は氷織の手を両手で包み込み、手とカイロをまとめて握る。潔の肌はやわやわで、氷織は人知れずごくりと喉を鳴らした。
「これであったくない?」
「……そーやねぇ」
「だからあげるね、カイロ。絵心さんに見つかったら絶対うるさいから、見つかんないようにしてよ」
そうして手はパッと離れていって。氷織は寂しくてその手を追いかけたくなったけれど、それも何だか違うような気がして。潔を追いかけてカイロから浮かせた手は僅かに宙を仰いで落ちた。
「ほな、もろときます。おおきに」
「わ、京都弁!かまへんよ〜!」
「なんや、可愛らしい京都弁やねぇ」
「京都人の皮肉?」
これに限っては本心なんだけどなぁとも思いつつ。確かにインターネットで流行る京都人の本音と建前に聞こえなくも無い。悪い事したかな、傷付けてしまったかなと少し慎重な氷織だが潔は気にせず笑っている。
「じゃあ、私行かなきゃ」
「うん、カイロありがとう、潔さん」
「応援してるね、氷織。氷織のパス、すごいから……なんて、私の立場上、みんなに対して平等で公平じゃなきゃダメなんだけどね」
「せやねぇ。僕だけ贅沢させてもろうたわぁ」
「ふふ、だからこれはオフレコだからね!私と氷織で内緒!」
秘密事項に人差し指を立てる潔を見て。真似して人差し指を口元に持って行っては。歯を見せてにへらと悪戯っ子の声で笑った。
「そういう事だから、秘密ね」
「…うん、分かったわ。秘密な」
「じゃあ仕事戻るわ。なるべくあったかくしなよ。ばいばい」
一本立てた指を全て立てて、氷織に向かってパタパタと手を振ると。潔はさっさとどこかへ行ってしまった。そこに残されるのは氷織のみで。カイロで温まっている指先と、浮かれ調子で温かくなっている心で氷織はみちみちに満たされていた。
「あかんわ、このカイロ捨てられへんね」
サインの一つでも書いて貰えばよかったか、なんて小ボケを挟みつつも。自分の胸に存在する彼女へのドキドキを止められないから。キュンと締め付けられて爆発しそうな心を何とか抑え込みながら、氷織はズボンのポケットに貰ったカイロを忍ばせたのだった。
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