おれだけの

テーブルに雑に置かれた新聞の下にあるのは薄っぺらなチラシだった。隆は何となしにそれを摘んで読む。
へー、今日近所の公園で夏祭りやるんだって」
「そうなの?知らんかったー」
隆の報告にのんびり言葉を返した武道はフローリングをクイックルワイパーで掃除する。まだ寝起きで眠たいのか、大きく欠伸をしながら床を磨いていた。
「今日行ってみる?折角だし浴衣着てかない?」
んー?浴衣?誰が?」
「お前だよ」
「浴衣なんて持ってたっけ」
「あるよ。クローゼットの中」
「いつ買ったのそれ。でも持ってた所で誰も着付けとか出来なくない?私無理だよ?動画見ながらでも多分出来ないよ」
武道の言葉に隆は笑みを浮かべた。得意げな顔をして『大丈夫大丈夫』と手を振っている。
「俺出来るし」
「えっ、マジ?凄いじゃん?全ての服を着れるようにするってデザイナーの必修事項なの?」
「適当な事言うなよお前今、来年の夏の販売に向けてウチ、ブランド限定デザインの浴衣企画してるからさ、商品にするにあたって着れる様になんなきゃダメだろ?だから着付け出来る人に教えてもらった」
「それ企業秘密?もう告知されてるやつ?」
「正式な発表は来年の春とかですね」
「情報漏洩じゃんやめてよ干されるよ
「武道は別に外部に漏らさないから大丈夫だろ?そもそも俺の身内だし」
サラッと未発表の情報を伝えてくる隆に武道は額を押さえた。完全に内部の機密情報を漏洩しているが、武道は別段口が軽い訳ではなかったし、その場にそれを咎める第三者もいなかったため、情報漏洩をしている事実は完全に流れた。
「あとよく妹の着付けとかしてたから習わなくても普通に出来る」
「お兄ちゃんパワーすご」
「だからさ〜、近所だけど浴衣着て祭り行こうぜ!デート!デート!」
「うーんまあ、着付けしてくれるならいいよ」
「じゃ、決まりな」
断る理由もなくて武道は頷く。ウキウキと楽しそうな隆が子供みたいで、なんだか少し呆れてしまって眉を下げて微笑んだ。
その後浮かれた様子のまま、すぐに浴衣を取り出しに寝室に向かった。クローゼットを開け、下に置かれた箱を引っ張り出す。箱の一番下、潰れて仕舞われていたのが二人分の浴衣だった。
武道は再び『いつ買ったの』と聞けば、隆は嬉しそうに答えた。どうやら通販サイトを覗いていたら浴衣が割引セールで売られていたらしい。『いつか武道に着せて浴衣デートなんかしたいなぁ』という思い一つで二人分の浴衣を衝動買いしてしまったのだと言う。武道は相談もなしに購入した事を怒った。
日が沈み始めた頃ぐらいに着付けをしようと武道を呼ぶ。ソファーの背に掛けられた着物を見つめ、どうすれば良いのかと問い掛ける。
「浴衣の下ってどうすれば良いの?」
「本来は和装用の肌着が必要だけど、そこまで和装を普段使いするつもりはないし、買わなかったんだよね」
「浴衣結構薄いよ?普通に着たら下着透けない?」
「下にペチコート履いて、上はタンクトップでカバーな」
「分かった〜、取ってくるー」
パタパタと慌ただしくリビングを出て、すぐに帰ってくる。その手には膝丈の真っ白なペチコートとベージュのタンクトップが握られていた。これを着れば良いのねと再度確認し、身に付けていたTシャツを脱ぎ捨てる。あまりの遠慮の無さに少し驚いたのは隆だった。
「恥じらいとかねぇんだ」
「今更あってどうすんの」
「昔は着替え中に鉢合わせたらその度に照れてたのに」
「昔の話掘り返すのは老化してるって事っすよ〜。年寄りだ、ダセェ〜」
「コイツ!」
仕返しに彼女の尻をタンと叩いてみれば、彼女は『ねぇ!』と声を荒げる。恥じらい全てが無くなった訳ではないのかと隆はくすくす笑った。
持って来たそれらを身に付けた彼女は隆の前に立つ。スッと立ち上がった彼は武道の肩に浴衣を掛けた。
「袖通して」
「はーい」
言われるがまま袖を通し、羽織る。そこから慣れた手付きで着物の丈を調整し、クルクルと腰元を紐で縛った。浴衣の形を整え、手間取る事なくきっちりと帯まで結び切り、着付けを完成させた。
「はい、オッケー」
「完成?」
「完成。髪は?一人で出来る?」
「大丈夫!任せて!」
「言い切られるとちょっと怖いな」
「出来ます!隆くんも着替えて待ってて!」
そう言って部屋から出て行く武道。その後ろ姿を見ておかしそうにくすりと笑った隆も傍らに掛けられた浴衣へと手を伸ばした。
パッパと浴衣に着替え、リビングのソファーに寄り掛かり、準備を進める彼女を待つ。別段、彼女の準備が遅いからと言って怒る様な器の小さな男ではない。『女の子の準備は大変そうだな』とスマホで料理動画を流しながら呑気に構えていた。
「よっしゃ完成!待たせたな!」
突然、意気揚々としたそんな声が聞こえて来て隆も面食らう。ギョッとしていると思っているよりもそっとリビングのドアが開いて、ニコニコとした武道が出て来た。
「どう?どう?」
サイドに緩く髪を結び、華美ではないナチュラルなメイクを施していた。決して目立たないが、霞草の様なたおやかさを感じる。そんな素朴な美しさが咲いていた。緩やかに上がった口角に細められた瞳。気を緩めると簡単に惑ってしまいそうな笑みを浮かべた彼女に隆は頭を抱えた。
「うわー」
「え、何その反応。なんかどっかおかしい?」
「いや、ごめん。こんな可愛い子が俺と結婚してるんだ〜って思ったら気持ちが溢れちまった。声に」
「わーい」
「うわぁ、可愛い。俺の奥さんです〜、やべ、人生大勝利。写真インスタに上げて自慢していい?」
「ばかなの、何言ってんだか」
焦った様にスマホを弄る隆を呆れた顔で眺めた。そんな彼の頬をツンと突いて首を傾げる。
「別に焦んなくても私、隆くんの奥さんなのにね」
うわ人生最大の幸福かもしんねぇ」
「まだ早いよ〜」
ぽぅっと惚けた様な表情の隆の手をギュッと握って引く。早く行こうよと急かす彼女がどうしようもなく愛おしくて、隆は思わずふっくらとした頬にキスを落としたのだった。

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